古代文学会6月例会(第785回)(2025年6月7日(土)午後2時~5時、大東文化会館 K302、ハイブリッド開催)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
https://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/reikai
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※詳細は上記サイトをご確認ください。

日時:6月7日(土)午後2時~5時(例会終了後、委員会を開きます)
※Zoom開始時刻は発表開始の15分前となっています。
場所:大東文化会館 K302
   東武東上線東武練馬(大東文化大学前)駅北口、東口下車徒歩3分

【発表者:吉田 修作 氏
題目:動詞からみた「国譲り」―古事記・日本書紀の「隠(かく)る」・「避(さ)る」を中心としてー
要旨:古事記・日本書紀の所謂「国譲り」神話には「譲る」という語が見られないことは既に三浦佑之などによって指摘されている。古事記・日本書紀の中で「譲る」は皇位継承に伴う皇位を譲り合う場面にのみ用いられる。「国譲り」神話においては、「献る」の語が使用され、コトシロヌシとオホクニヌシ(オホナムチ)が、古事記では「隠る」、日本書紀では「隠る」「避る」という動詞で、国から去って行くことが示されている。別に、古事記においてイザナミの死に対しては「神避る」という語が使用されており、「避る」には譲るの意は見られないという指摘もなされている。古事記・日本書紀の「国譲り」で、コトシロヌシとオホナムチが「隠る」、「避る」ことはどのように神話的に観念されていたのか。神代紀九段一書二では、オホナムチが「国譲り」後に「神事・幽事をらす」と記述され、新編全集本では「神事・幽事」をともにカクレタルコトと訓じている。一方、古事記では神話の冒頭に顕れる別天神が「隠身」したと記されている。「隠身」とされる神の中で、タカミムスヒとカミムスヒはそれぞれ後にことばを発する神として登場したりする。古事記・日本書紀では、コトシロヌシとオホクニヌシ(オホナムチ)は「国譲り」の後にどのように登場するか。他方で、出雲国造神賀詞においてはその二神などが皇孫の守り神とされており、平安朝にコトシロヌシは八神殿にも祭られることになる。それらと「国譲り」神話はどのように繋がっているか、なども含めて考えたい。

(司会:平山真由子氏)

※なお、発表資料及び要旨の著作権は発表者に帰属します。 】