菊野雅之『古典教育をオーバーホールする 国語教育史研究と教材研究の視点から』(文学通信)

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9月下旬の刊行予定です。

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菊野雅之『古典教育をオーバーホールする 国語教育史研究と教材研究の視点から』(文学通信)
ISBN978-4-909658-87-6 C1037
A5判・並製・280頁
定価:本体2,700円(税別)

「なぜ古典を学ばなければならないのか」という生徒たちの声にどう応えていくのか。
これからの古典学習論のために、国語教育に携わるすべての人の必読書。

生徒たちの声に応えるにはまず、いつから古典教育は始まり、今に至ったのかという、古典教育史を分解・点検しなければならない。本書は、従来、戦後から唐突にはじまってきた古典教育史を見直し、教材研究のあり方を問い、現在そして未来の国語科教育の理論を形成するための基盤を整えようとする。

近代における古典の教材的価値の成立の様相を明らかにしながら、一方で、現代における古典教育(教材)の問題点を指摘し、過去と現在を行き来しながら、古典教育の機能を考えなおす書。

【機械を部品単位で分解・点検し、必要な修復や部品の交換を行い、新品時の性能を発揮する状態に戻すことを「オーバーホール」(Overhaul)という。機械式時計であれば数年間に一度はオーバーホールが必要と言われている。本書では明治から現在に至るまでの古典教育史を分解し、点検を行っていく。どこかに摩耗してしまった交換するべき部品はないだろうか。その摩耗した部品を引き続き使い続けようとはしていないだろうか。古典教育をオーバーホールすることで、古典教育の機能を新たな形で復活させる糸口をつかむことが本書の試みである。】...はじめにより

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【立ち読み公開(期間限定)】
はじめに―古典教育史を分解・点検し、教材研究のあり方を問う
コラム❶「古典探究」における新出の指導事項
コラム❷ 読むことの学習過程から古典学習を構想する
コラム❸「古典探究」の指導事項を分析する


【著者紹介】

菊野雅之(きくの・まさゆき)

1978年、鹿児島県生まれ。1999年、鹿児島大学理学部物理科学科中退。2004年、横浜国立大学教育人間科学部学校教育課程国語専修卒業。2006年、同大学院教育学研究科言語文化系教育専攻修了。2013年、早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程国語科教育専攻単位取得満期退学。早稲田大学教育学部助手、国立教育政策研究所学力調査専門職などを経て、2014年より北海道教育大学釧路校講師。2022年現在、同大学准教授。博士(教育学)。

【目次】

はじめに―古典教育史を分解・点検し、教材研究のあり方を問う
 一 本書の背景・意義・目的
 二 本書の方法と「古典」の定義
 三 本書の構成と各章の概要

第一部 近代中等国語読本の歴史から問う

第一章 古典教育の始発としての近世往来物と『平家物語』
 一 近代教育史研究を相対化する
 二 教材としての平家物語の始まり―一六〇〇年前後
 三 キリシタン版『和漢朗詠集』
 四 もう一つの平家教材―天草版『平家物語』
 五 平家往来の展開―素読・手習い教材としての古状揃
 六 古状揃における学習上の工夫
 七 通俗歴史・伝奇小説としての『平家物語』

第二章 近代最初期の古典教科書の成立―稲垣千穎編『本朝文範』『和文読本』『読本』
 一 明治初期の教材史から古典教育を考える
 二 古典教科書の始まりはいつなのか
 三 稲垣千穎について
 四 『本朝文範』『和文読本』の立場
 五 和文主義と普通文創出の軋轢
 六 稲垣千穎の再評価と批判

第三章 近代中等国語科教育の枠組みの形成
 一 高津鍬三郎立案『国語科(中学校/師範学校)教授法』
 二 「教授法」の成立経緯と背景
 三 「教授法」に示された国語科の内容
 四 「教授法」作成者らの国語教育観
 五 普通文教育への志向

第四章 明治の教科書編集者・新保磐次と「普通文」の実現
 一 稲垣千穎から新保磐次へ
 二 新保磐次について
 三 新保の目指した言文一致体
 四 『中学国文読本』『中学国文史』と「要領」
 五 教材の選定基準
 六 「普通文」を錬磨するための古文学習

コラム(1)「古典探究」における新出の指導事項

第五章 明治始発期の日本文学史は『平家物語』をどう捉えたか
 一 三上参次・高津鍬三郎『日本文学史』における古典の評価
 二 日本文学史―教材としての始発
 三 日本文学史という方法論―風巻景次郎の発言を中心に
 四 言文一致体の完成と古典教材観

第六章 教科書に導入される言文一致体―落合直文編『中等国語読本』について

 一 中等国語読本における言文一致体導入の時期
 二 明治三五年検定本『中等国語読本』の教材選定基準
 三 中等国語科における言文一致体の導入
 四 言文一致体の採用の契機と意図
 五 古典教育の根拠の消滅と再生についての見通し

第七章 古典は誰のものか―保科孝一の言説を手がかりに
 一 古典の価値を自明視した古典教育論
 二 「国民的性情の陶冶」「国民性の涵養」という古典教育の根拠が見えなくしてきたもの
 三 古典は誰のものか
 四 学習者と古典の関係を再構築する

コラム(2)読むことの学習過程から古典学習を構想する

第二部 古典とはどのような教材なのか

第一章 古典を教材化するための視点を求めて
 一 第二部の位置づけについて
 二 古典教育論を進めていくための知見を整理する
 三 カノン研究の成果と課題
 四 古典教材の文学史的把握から学習者主体の教材発掘へ
 五 教材研究の視点
   
第二章 「扇の的」教材論―古典学習の構築の視点(1)
 一 教材研究が振り落としてきたもの
 二 無視される「ふるつはもの」の言葉
 三 義経は与一を殺すのか
 四 研究者に求められる専門性を活かした教材研究

第三章 「敦盛最期」教材論―古典学習の構築の視点(2)
 一 武士道というフィルター
 二 『平家物語』の戦場
 三 供養と発心の物語に組み込まれる首実検
 四 諸本から見る「敦盛最期」、教科書から見る「敦盛最期」
 五 首実検について
 六 教材化されない狂言綺語の語りおさめ
 七 古典教材の他者性

第四章 「敦盛最期」単元案―古典学習の構築の視点(3)
 一 諸本比較しながら定番教材を読み直してみる
 二 直実の判断
 三 首と笛
 四 敦盛の首の行方
 五 中学生が「敦盛最期」を読むことの難しさをどう乗り越えるか

コラム(3)「古典探究」の指導事項を分析する

第三部 史料

第一章 落合直文『中等国語読本』の編集経緯に関する基礎的研究―二冊の編纂趣意書と補修者森鷗外・萩野由之
 一 落合読本研究の現状と課題
 二 『中等国語読本編纂趣意書』
 三 『訂正中等国語読本編纂趣意書』
 四 『中等国語読本』の補修者たち
 五 古典教育のゆらぎはまだ確認できず

コラム(4)実用的な文章・説得的な文章としての平家物語

第二章 稲垣千穎 松岡太愿編輯『本朝文範』上巻 緒言
 一 本史料の価値
 二 凡例
 三 『本朝文範』上巻緒言(一丁表〜十七丁表)

第三章 今泉定介「中等教育に於ける国文科の程度」(『教育時論』三三四号 明治二七年七月)
 一 今泉定介について
 二 「中等教育に於ける国文科の程度」の歴史的位置付け
 三 本史料の概要
 四 史料 今泉定介「中等教育に於ける国文科の程度」
(『教育時論』第三三四号 明治二七年七月二五日 十四―十六頁)

第四章 物集高見『新撰国文中学読本』(明治三〇年三月十五日発行 金港堂出版)
 一 物集高見について
 二 『新撰国文中学読本』の特徴と発行当時の時代状況
 三 凡例
 四 史料『新撰国文中学読本』「例言」「緒言」「目次(全十冊)」

おわりに