菊野雅之『古典教育をオーバーホールする 国語教育史研究と教材研究の視点から』より「はじめに―古典教育史を分解・点検し、教材研究のあり方を問う」を公開

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『古典教育をオーバーホールする 国語教育史研究と教材研究の視点から』より「はじめに―古典教育史を分解・点検し、教材研究のあり方を問う」を公開いたします。ぜひご一読ください。

本書の詳細は以下より

文学通信
菊野雅之『古典教育をオーバーホールする 国語教育史研究と教材研究の視点から』(文学通信)
ISBN978-4-909658-87-6 C1037
A5判・並製・278頁
定価:本体2,700円(税別)

はじめに
古典教育史を分解・点検し、教材研究のあり方を問う

菊野雅之

一 本書の背景・意義・目的
 
 古典教育はなぜ必要なのか。この問いに答えるべくこれまで古典教育論は蓄積されてきた。また、古典教育史という立場からの研究は野地潤家をはじめとして、鈴木二千六、八木雄一郎、都築則幸などの研究があり、着実な歩みを進めてきた。だが、古典教育意義論自体はこれらの歴史研究の成果を十分に踏まえた上での議論になっているとは言えまい。また、歴史研究も古典教育論に寄与するほどに提案性のある言説にまで高められてきたわけでもないだろう。

 学習指導要領(二〇〇八年、二〇〇九年告示)では、小学校、中学校、高等学校を通じて「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」が位置付けられ、古典教育重視の状況が続いている。また、中央教育審議会における学習指導要領の議論(教育課程企画特別部会 論点整理 二〇一五年八月)の中にも古典教育の取り扱いについて「社会や自分との関わりの中でそれらを生かしていくという観点」が必要であるといった提案も出てきているところである。

 そういった状況にあって、古典教育論の確立・精錬は喫緊の課題のはずだが、古典を学ぶことの根本的な理論の追求や歴史的・実証的な考察は不十分なまま、教育実践が積み重ねられている。稿者は古典教育を推進する立場にも否定する立場にもいない。実証的な調査を通じて公教育における学習対象の理論的な根拠を解き明かし、現在の、そして未来の国語科教育の理論を形成するための基盤を整えたいのである。

 本書は単に歴史的史料を扱っているのではなく、あくまでも現代の古典教育論に資することを目的としている。従来、戦後から唐突にはじまる研究史が多く、その教育史研究の姿勢は徹底さを欠いてきた。「なぜ古典を学ばなければならないのか」という生徒たちの声に正面から応えるためには、「いつから古典教育は始まり、今に至るのか」という古典教育史の知見が前提として必要である。

 機械を部品単位で分解・点検し、必要な修復や部品の交換を行い、新品時の性能を発揮する状態に戻すことを「オーバーホール」(Overhaul)という。機械式時計であれば数年間に一度はオーバーホールが必要と言われている。本書では明治から現在に至るまでの古典教育史を分解し、点検を行っていく。どこかに摩耗してしまった交換するべき部品はないだろうか。その摩耗した部品を引き続き使い続けようとはしていないだろうか。古典教育をオーバーホールすることで、古典教育の機能を新たな形で復活させる糸口をつかむことが本書の試みである。 

 第一部では、近代古典教育史の空白を埋めるべく明治・大正期の中等国語読本の形成過程及びそこに収録された古典作品の教材としての位置(価値)を明らかにしようとしている。第二部では、教材論という観点からその方法論を提示し、国文学研究の成果をふまえた『平家物語』教材論の再論を試み、古典教育の今日的意義の提示を目指した。第三部では第一部に付随して、明治期国語教育史研究にとって重要と考えられる史料を発掘し、その解題を作成した。
  
二 本書の方法と「古典」の定義

 本書第一部及び第三部の研究の対象として扱うのは、近世から近代にかけて古典作品が教材として収録された往来物、読本、文学史やそれらに関わった人物たちの言説である。具体的な史料の説明は後の「本書の構成と各章の概要」に譲るが、第一部では、近世往来物から明治期の中等国語読本への移行、普通文教育が推進される中での古典作品の教材価値が文範として位置付けられていく過程、大日本教育会国語科研究組合の構成メンバーを中心として中等国語科教育の枠組みが形作られていく過程、そして、近代最初の日本文学史の叙述が文範性という観点から古典を価値付け、古典作品の教材的価値が明治中期において明示されるに至るまでの経緯をたどる。明治三〇年代までの近代古典教育が一度は明確な価値を持ち得た時代であったことを裏付けていくこととなる。

 なお、本書では「古典」「和文」「古文」「国文」といった用語が使用されているが、これらを詳しく弁別して使用してはいない。八木雄一郎(二〇一〇)は中学校教授要目の分析を通じて、国語科教育におけるカリキュラムとしての「古典」は、昭和六(一九三一)年の中学校教授要目改正においてすでに成立していたことを指摘した。これはハルオ・シラネ(一九九九)が言うところの「読者的カノン」の成立とも言い換えられよう。本書では、シラネの言う「読者的カノン」と「作家的カノン[▶注1]」の両方を大きく抱え込んだ総体として「古典」という言葉を使用している。

 第二部は中学校の定番教材である「扇の的(「那須与一」)と「敦盛最期」を対象として取り上げ、教材研究を通じて古典教育の可能性を模索している。第二部では大きく三つの観点(方法論)から教材研究を行った。先行する授業実践報告、教材研究、教科書指導書の収集と分析。『平家物語』に関する国文学研究の成果の整理。そして、古典教材の機能として本研究で提示する「他者性」との関わりである。この三つの観点から「扇の的」と「敦盛最期」の読みの更新と教材としての機能にまで言及しようと試みている。


三 本書の構成と各章の概要

 
 本研究は三部構成となっている。それぞれの部・章における問題意識について説明したい。第一部は、「近代中等国語読本の歴史から問う」と題した。そもそも古典教育はいつからどのように始まったのかというシンプルな疑問が第一部を貫く問題意識である。

 第一章「古典教育の始発としての近世往来物と『平家物語』」では、古典教育の始発を往来物に求め、その経緯を整理した。特に『平家物語』の書状(往来)を収めた往来物が素読と手習い教材として展開していく経緯を整理した。近代の教育制度が整備されるにつれて、往来物は姿を消し、『平家物語』は中等国語読本の教材として姿を現すこととなる。

 第二章「近代最初期の古典教科書の成立―稲垣千穎編『本朝文範』『和文読本』『読本』」では、近代における古典教育の始発を論じる。平田派国学の流れを汲む稲垣千穎が編集した中等国語読本を取り上げ、国学的文範観によって読本が編纂されていることを明らかにした。近代における文体の混乱期にあって、読本編集者は文範の提示の機能を読本に求めていた。そして、その教材選抜は国学的文範観を基準にして進められていったのである。だが、教育界の主流は、普通文の形成と普及に動きつつあり、稲垣の国学的文章観とはすでに齟齬を見せ始めていた。近世から近代へと古典教材観が大きく変容していく様子を、稲垣千穎という人物を媒介にすることで見通すことができるだろう。

 第三章「近代中等国語科教育の枠組みの形成」では、高津鍬三郎立案『国語科(中学校/師範学校)教授法』(作成年不詳、以下『教授法』)を取り上げる。この『教授法』は、中学校教授要目(明治三五年告示)の原案の一つと推定されるが、この史料を中心的に取り扱った研究はこれまでなかった。その成立は、「尋常中学校国語科の要領」(明治二七年)以前と推定され、明治期国語科教育の枠組みを決定付けた史料の一つである。この作成に関わったと考えられるメンバーには、当時の普通文教育の推進者であった落合直文、関根正直、三宅米吉、三上参次、高津鍬三郎がおり、国語科教育の枠組みは、普通文の完成とその普及という目標によって支えられていた。本章では古典教育に関わる箇所について注意を払いつつ、『教授法』の中身や作成者たちの国語科教育に関わる姿勢などを整理していった。明治期国語科教育の枠組み、あるいは古典の教材的価値は、『教授法』によって決定付けられたのである。

 第四章「明治の教科書編集者・新保磐次と「普通文」の実現」は、第三章で扱った『教授法』から発展した「尋常中学校国語科の要領」(以下、「要領」)に基づいて編集されたとされる新保磐次編『中学国文読本』と『中学国文史』を中心に取り上げる。新保自身の普通文教育への姿勢も整理しつつ、「要領」の内容と新保読本との内容の関連性について分析を行った。「要領」に基づいて作成されたことを自認する読本は他になく、「要領」の方針を具体化したパイロット版としての役割もあったのではないだろうか。このとき、普通文の文範として古典教材は具体的に位置付けられている。ここに明治期の古典教材の在り方は一度明示化されるに至った。

 第五章「明治始発期の日本文学史は『平家物語』をどう捉えたか」は、明治期における日本文学史の始まりに注目した。その始まりが、三上参次・高津鍬三郎(一八九〇〔明治二三〕年)『日本文学史』であることは有名だが、この『日本文学史』が中等国語読本として扱われることも想定され、また、実際使用されていたことはさほど議論されることはなかった。三上・高津ともに普通文教育の推進者であり、『日本文学史』の叙述からも、文範として各作品をどう把握するのかという問題意識をはっきりと読み取ることができる。かつて、風巻景次郎は、『日本文学史』の叙述姿勢を「構想力の主体的脆弱さ」があるとして厳しく批判したが、この批判は、当時の読本としての性格や文体の混乱期における古典の役割といった点を捨象した批判だった。普通文の完成とその普及という当時の大目標は、文学史の叙述へも大きな影響を与えていたことをここでは確認できる。

 第六章「教科書に導入される言文一致体―落合直文編『中等国語読本』について」は、ここまでの明治初期・中期における古典教育の成立の経緯をふまえ、明治後期・大正期における古典教育の展開へと議論を進める。第五章までで明らかにしてきたように、古典教育の土台は普通文に対する文範性にその根拠を求めることで結実しており、ここに近代における古典教材観は一旦は確立したのである。しかし、それと同時に、言文一致の動きも徐々に見えつつあった。中等国語読本に言文一致体が頻出するにはまだ時間が必要だったが、この言文一致運動は、一度は成立した古典教材の文範性を失わせる動きである。そして、次の問題は古典から文範性が失われる中で、どのように古典の教材観が再構築されたのかということになるだろう。本章では、そういった大きな議論のための序論として、中等国語読本において言文一致体が最初に掲載されたのが落合直文編『中等国文読本』であり、その教材は勝海舟「海外の一知己」であることを指摘し、その編集の経緯について考察した。

 第七章「古典は誰のものか―保科孝一の言説を手がかりに」では、文部官僚であり、現代語教育の推進者であった保科孝一の古典教育論を分析することを通じて、現代の古典教育論が保科のそれと変わることがないことを明らかにし、現在の古典教育論・学習論の停滞状況を指摘している。その上で、学習者の言葉の力を育むための古典学習論とは何かを模索するべきであると述べて、第一部を締めくくっている。
 第二部は古典教材研究である。第一部とその叙述が直接的に結びつくことはないが、古典教育の成立を明らかにしようとする第一部と古典教材自体の価値について問う第二部の問題意識は同じである。なぜ古典を学ぶのか。この問いを第一部は教材史の観点から、第二部では教材研究の観点から問うている。

 第二部第一章「古典を教材化するための視点を求めて」は、戦後の古典教育論に関する様々な議論を整理し、そこから古典教材研究を進める上での観点を抽出することを目指している。特に我々の作品への読みに無意識的に張り付いている価値観や思い込みを相対化する視点をどれだけ確保できるかが重要であり、その実践としての教材研究が第二章「「扇の的」教材論―古典学習の構築の視点①」と第三章「「敦盛最期」教材論―古典学習の構築の視点②」、第四章「「敦盛最期」単元案―古典学習の構築の視点③」の「扇の的」論であり、「敦盛最期」論である。

 「扇の的」と「敦盛最期」の両教材には人が人を殺す場面が描かれている。その動機をどう捉えるかということが重要である。ただ、従来の教材研究では、その読みが近代的な、あるいは教育的なフィルターを通した読みであり、教材自体を直視した読みとしては成立してこなかった。古典の価値の一つに異質性(他者性)を認めるのであれば、今までの教材研究の水準はその異質性を排除し続けてきたのであり、古典の価値を減退させるものではなかったか。これは『平家物語』教材論にとどまる問題ではない。

 第三部は、第一部の研究から派生的にあるいは必要に応じて発掘された史料の紹介である。第一章「落合直文『中等国語読本』の編集経緯に関する基礎的研究―二冊の編纂趣意書と補修者森鷗外・萩野由之」は、第一部第六章の落合直文『中等国語読本』の編集経緯について調査した資料論文である。第二章「稲垣千穎 松岡太愿編輯『本朝文範』上巻 緒言」は、第一部第二章で取り上げた稲垣千穎編『本朝文範』上巻の緒言を翻刻し、その内容について報告している。第三章「今泉定介「中等教育に於ける国文科の程度」(『教育時論』三三四号 明治二七年七月)」は、第一部第三章で扱った大日本教育会国語科研究組合の一員である今泉定介による論文「中等教育における国文科の程度」を紹介した。第四章「物集高見『新撰国文中学読本』(明治三〇年三月十五日発行 金港堂出版)」は、『言文一致』を著した物集高見による読本『新撰国文中学読本』の例言、緒言、目次一覧の紹介である。

 本研究は、近代における古典の教材的価値の成立の様相を明らかにしながら、一方で、現代における古典教育(教材)の問題点を指摘している。過去と現在の、教材史と教材との往還を目指した結果が本研究の部立てとなっている。


1 ハルオ・シラネ(一九九九、三九六頁)は読者的カノン、作者的カノンを次のように定義している。
 私は、私が呼ぶところの「読者的」カノン、すなわち道徳的、宗教的、社会的ないし政治的教育を主たる目的として読まれた権威あるテクストの集合と、「作者的」カノン、つまりその主要目的が、近代以前の時期を通じて、社会的・文化的実践の鍵であった散文や詩歌の書き方を習うことであったような権威あるテクストの集合のあいだに、機能の上での区別を設けたい。

引用文献
中央教育審議会 教育課程企画特別部会「教育課程企画特別部会における論点整理について(報告)」(二〇一五・八)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/053/sonota/1361117.htm(二〇一五年八月閲覧)
ハルオ・シラネ、鈴木登美編著(一九九九)『創造された古典―カノン形成・国民国家・日本文学』新曜社
文部科学省(二〇〇八)『小学校学習指導要領解説 国語編』東洋館出版社
文部科学省(二〇〇八)『中学校学習指導要領解説 国語編』東洋館出版社
文部科学省(二〇一〇)『高等学校学習指導要領解説 国語編』教育出版(告示は二〇〇九年)
八木雄一郎(二〇一〇)「国語科における「古典」概念の形成と成立―中学校教授要目の変遷とその要因から―」『月刊国語教育研究』四五八