俳文学会東京研究例会:第481回(2025年9月27日(土)午後2時30分~午後5時、江東区芭蕉記念館会議室)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
https://bit.ly/4nnoJMP
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※詳細は上記サイトをご確認ください。

俳文学会東京研究例会:第481回

日時:9月27日(土)午後2時30分~午後5時
場所:江東区芭蕉記念館会議室

【研究発表】

○冨田鋼一郎氏「蕪村の寛保期未公開絵画六点の意味するもの〜画号の試行錯誤と俳号「蕪村」の由来」

蕪村は、知られている初期絵画作品が少なく、しかも「自己流の素人絵の域を抜け出て」いないため、「遅咲き」「大器晩成」といわれることが多い。また、「蕪村」の俳号については、陶淵明由来説が有力だ。本発表では、それらの見方を揺るがす資料を紹介する。寛保期(26歳から29歳)の「寛保元年倣惲南田花卉図」、「寛保習画帳」、「倣土佐光信画」、「蘆雁図」、「鮎釣図」「奥羽大行脚図」の六点で修業の跡をみる。その上で、①初期画号をめぐる試行錯誤、②俳号「蕪村」の由来について現時点での考察を報告する。「蕪村は蕪村となる為にどう言ふ道を踏んで来たか」の理解を深める一助になればと願う。ご意見・ご教示を賜りたい。

○松本麻子氏「『後竹林抄』考 ―宗牧・永仙を中心に―」

宗祇の編纂した連歌七賢の句集『竹林抄』を継ぐ付句集に『後竹林抄』がある。新しい七賢、宗祇・宗長・肖柏・兼載・宗碩・宗牧・永仙七人の句が収められており、成立は宗牧の没年(天文14年〈1545〉)以降まもなくの頃と見なせる。宗祇らの句は自身の句集から多く採られているが、宗牧の句だけは、彼の参加した百韻から直接採られているものが目立ち、このことから『後竹林抄』は宗牧の周辺で作成された可能性が高いと推測される。また、入集している作者のうち宗祇の他、宗牧までは同時代にも評価の高い連歌師であるが、永仙(桜井基佐)は宗祇・兼載と確執があったと伝えられる人で、『新撰菟玖波集』には1句も句が掲載されなかった。その永仙はどのような点を評価され『後竹林抄』の作者の一人となったのか、また編纂資料として用いられた句集は何かについて、本発表では明らかにする。