【連載】第3回「玉藻前の宿敵あらわる!?陰陽師・安倍晴明」 - 朝里 樹の玉藻前入門

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第3回
玉藻前の宿敵あらわる!?
陰陽師・安倍晴明


第1回第2回では、玉藻前を中心に見てきました。今回は、玉藻前の物語に欠かせない人物でもある陰陽師・安倍晴明に注目していきたいと思います。


──安倍晴明とはどんな人物なのか?

 陰陽師、安倍晴明。

 平安時代に実在したとされる人物であり、日本で最も有名な陰陽師です。近年では夢枕獏氏の小説『陰陽師』(文藝春秋)の主人公として描かれた晴明が有名でしょうか。他にも小説や映画、漫画やゲームの登場人物として、数多くの作品に登場します。

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晴明神社

 安倍晴明とはいかなる人物なのでしょう。

 史実では延喜21年(921)生まれとされる晴明は、賀茂忠行(かものただゆき)・保憲(やすのり)父子に陰陽道を学び、天文博士等の職を歴任した後、1005年に没したとされています。

 一方、平安時代の『今昔物語集』、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』、『古事談』、『古今著聞集』といった説話集では、晴明が式神を使役したり、不可思議な術を使った伝説が記されています。またこれらの説話では、晴明のライバルとして知られる「道摩法師(蘆屋道満(あしやどうまん))」が登場する話も見られます。

 他にも『大江山絵詞』では、平安京の姫君が行方不明になった原因を大江山に住む酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼の仕業と看破したり、『平家物語』「剣巻」では渡辺綱(わたなべのつな)という武士が切り取った鬼の腕を封じ、綱に「鬼が腕を取り返しにくるから7日間の物忌みをせよ」と助言するといった、鬼に纏わるエピソードに登場することでも知られているでしょう。

 では玉藻前との関係はどうなのでしょうか。

 玉藻前と晴明を考える上でまず引っかかるのは、時代の問題です。玉藻前が宮中に現れた近衛天皇の時代は12世紀の半ばであり、晴明が活躍した10世紀とは大きく時代が離れているのです。

 そのため、多くの作品では玉藻前の正体を暴く役割を担う陰陽師は、晴明の子孫である安倍泰成、安倍泰親とされることが多く、晴明は出てきません。


──時代を超えて対峙する晴明と玉藻前

 その一方で、晴明が直接、玉藻前と対峙する話も残されているのです。

 古いものは近世初期に記されたと考えられている『簠簋抄(ほきしょう)』でしょう。これは中世の陰陽道書である『簠簋内伝』(『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでんおんようかんかつほきないでんきんうぎょくとしゅう)』)の注釈書であり、巻頭におかれる由来においては『簠簋内伝』がインド、中国を経由して日本にやってきた三国伝来の経緯が記され、その中で安倍晴明(同書では基本的に「清明」の表記ですが、ここでは分かりやすく「晴明」とします)の一代記が記されています。

 この一代記の中で初めて晴明は葛の葉という狐を母に持つという物語が記され、後の作品に大きな影響を与えました。

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葛の葉狐(「源氏雲浮世画合」、東京都立中央図書館特別文庫室蔵)

 さらに晴明は化来の者、すなわち特殊な出生を持つゆえに長い時を経て生き続け、近衛天皇の時代、同じく化来の者と語られる九尾の狐、玉藻前と対決するという展開が語られます。

 晴明は病に伏した近衛天皇の病を占い、それが玉藻前の祟りであることを突き止めます。

 この作品における玉藻前は無双の美しさを持つ女性と語られ、見た者は身を悩まし、心は沈み、恋慕の思いに苦しめられると語られています。

 しかし晴明が語ることによれば、この玉藻前の来歴は次の通りです。かつて漢土(中国)にあった褒姒国(ほうじこく)が周の幽王との戦で追い詰められ、敗北します。この時代、敗戦国は戦勝国に国の中で容姿美麗の人質を差し出さないといけないとされていました。

 そのため褒姒国は千人の貴僧を集め、老狐を生きながら壇上に置き、種々の祈りによって天下無双の美女に変化させました。褒姒国はこの美女を周の幽王の元に送ったところ、「褒姒女」と呼ばれ、幽王にひどく寵愛されましたが、褒姒女は決して笑うことがなかったといいます。

 幽王は褒姒女を何とかして笑わせようと考えていましたが、たまたま臣下を処刑する機会があり、それを見た褒姒女が初めて笑顔を見せました。

 その美しさに我を忘れた幽王は彼女を笑わせようと罪なき人々を殺したため、反乱を起こされて処刑されました。

 褒姒女はこの時、人々に捕まる前に逃れ去り、その後、中国のさまざまな王朝に現れました。夏(か)においては「旦妃(妲己(だっき))」、周においては「未嬉」といい、国を滅ぼし続けました。その狐が日本にきて「玉藻前」となったのだといいます。証拠を求められた晴明は泰山府君祭(=陰陽師が行う祭りの一つ)を執り行ったところ、玉藻前は七色の狐となって那須に逃亡しましたが、やはり晴明によって居場所を突き止められ、東国の上総介、三浦介という武士たちによって討伐されました。その血は那須の地に流れて殺生石(せっしょうせき)と呼ばれる石となり、人々を悩ませましたが、最後には玄能(げんのう)という僧に砕かれたと記されています。

 この物語では、狐の母から生まれ、人として生き、国を守るために働いた安倍晴明と、狐として生きながら、人間の手で人の姿にされ、国を滅ぼすために使わされた玉藻前が対峙するのです。

 この他にも玉藻前と晴明とが対決する作品があります。

 明和7年(1770)には作者不明の青本『せつしやう石』が刊行されていますが、この作品では安倍晴明とその父、安倍保名(やすな)が玉藻前の正体を暴く役割で登場します。

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『せつしやう石』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

 近代に入っても昭和4年(1929年)には、松井松葉(しょうよう)の戯曲『玉藻前』にて玉藻前と安倍晴明(この作品での表記は「安部晴明」)が共演します。この作品では玉藻前と晴明が互いに相手が尻尾を出させようと掛け合いし、最後は玉藻前が謀反人であることがばれるものの、金毛九尾の狐の姿になって逃げ去るという展開になっています。

 このように、晴明と玉藻前は直接対峙する作品が複数あり、さらにほとんどの場合、玉藻前の正体を暴くのは晴明の子孫の役割となっているのです。

 こうして見ると、晴明にとっての玉藻前は、蘆屋道満とはまた別の宿敵なのかもしれません。