【連載】第2回「玉藻前は天照大神だった!?その共通点を探る」 - 朝里 樹の玉藻前入門
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第2回
玉藻前は天照大神だった!?
その共通点を探る
第1回「伝説上最「恐」のヒロイン・玉藻前登場!」では、中世から現代に至るまで玉藻が人々の関心を集め、さまざまな作品が作られてきた概略を記しました。
今回は玉藻前伝説のルーツに注目していきたいと思います。
──狐の霊と天照大神の深い関係
天照大神(あまてらすおおみかみ)。
『古事記』や『日本書紀』に登場する神の一柱であり、太陽の神と語られ、日本の最高神とされる女神です。また天皇の祖となった神ともされ、現在も三重県の伊勢神宮に八咫鏡(やたのかがみ)を御神体として祀られています。
さて、一見、狐の妖怪である玉藻前とは関係がなさそうな天照大神ですが、実は彼女らの関連について指摘する研究がいくつかあります。
小松和彦著『日本妖怪異聞録』(講談社学術文庫)では、玉藻前が現れた舞台となった平安時代末期のこと。近衛天皇や鳥羽上皇の病や死を政敵の呪詛によるとした噂が当時から存在し、その呪詛の方法が狐霊を送り付ける荼吉尼天(だきにてん)法による内容であったため、これが元になって狐の伝説である玉藻前伝説が生まれたのではないか、という説が語られています。
当時、摂関家の中心にいた前関白、藤原忠実とその次男、左大臣の藤原頼長の二人が、忠実の長男である忠通と長者(=氏族の長)の地位を巡って争っていました。
そして鳥羽上皇の后であった美福門院と、彼女と親しかった忠通は、若くして亡くなった鳥羽上皇の子、近衛天皇の霊が口寄せ巫女に乗り移り、「誰かが自分を呪詛するために愛宕山の天狗の像の目に釘を打った。それにより自分は死んだ」と言った、という噂を上皇の耳に入れ、さらに忠通らはこの呪いを行ったのは忠実・頼長父子であると告げたといいます。そしてこの翌年、鳥羽上皇は没し、保元の乱が勃発しました。
これに加えて忠実は陰陽道に凝っており、狐を祀った密教の外法である荼吉尼天法を修して政界復帰を果たした、という話も残っています。こうした史実や伝承が元になって、鳥羽上皇を病に伏せさせた妖狐、玉藻前の伝説が発生したのではないか、という考察です。
ここまでは一見天照大神は関係なさそうに思われます。しかし忠通と関係が深いとされた荼吉尼天が天照大神と繋がってくるのです。
同書ではこの茶吉尼信仰は真言宗、特に平安京に近い伏見稲荷を東寺が支配下に置いたことから、東寺系の密教僧たちの間で信仰されていたこと、そして東寺の真言僧徒たちは狐を辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)(=荼吉尼天)と称して神仏化し、天照大神に比定した、という話について言及しています。
日本において荼吉尼天は稲荷信仰と習合し、狐と深い関係がある神と見なされるようになりました。そして東寺系の密教僧の間では、先述したように辰狐王菩薩、すなわち荼吉尼天を天照大神と比定したことにより、天照大神が天岩戸に隠れた際、狐の姿になったという説が生まれたのです。
この話は鎌倉時代末期、光宗によって記された天台仏教・神道書『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』に記述があり、同書には「辰狐(=天照大神)は身より光を放つ神である。それは辰狐が如意輪観音の化現であり、如意宝珠によって光明を発するためである」といった内容が記されています。
──全身から光を放つ玉藻前像の誕生
さて、ここに記された辰狐、すなわち天照大神と玉藻前との共通点を探してみましょう。
その身より光を放つ、という逸話は玉藻前を扱った物語の中で頻繁に登場します。主に語られるのは清涼殿にて秋の名残を惜しみ、詩歌管弦の遊びが催された際、風が吹き荒れて灯の火を消し、辺りが闇に包まれたが、玉藻前がその身より光を放って殿中を昼のような明かりで照らした、と語られる場面です。これは玉藻前の命名の由来となるとともに、これ以降鳥羽上皇が病に伏せるようになり、彼女の正体が妖狐であるとばれるきっかけにもなるという重要な場面です。ただこの場面をともなわない玉藻前に纏わる作品でも、玉藻前が全身から光を発する描写は多くの場合見られます。
また、室町時代の年代記『神明鏡(しんめいかがみ)』や、御伽草子『玉藻前物語』『玉藻の草子』などにおいては、玉藻前の亡骸の額にあったという白い玉が登場します。この玉は夜を昼のように明るく照らしたと語られました。先の『渓嵐拾葉集』にて辰狐が宝珠によって光明を放ったという話と類似しています。
中村禎里著『狐の日本史』(戎光祥出版)では、この共通点から、玉藻前の伝説は中世日本において始まった辰狐信仰が、中国から伝来し、日本でも流行していた妖狐伝承と表裏一体になって成立したのではないかと述べています。
もちろん玉藻前伝説の生成には他にもさまざまな要素が含まれていると考えられ、伝説が生まれる過程で天照大神および辰狐がどれぐらい影響したのか確実なことは分かりませんが、ほとんどの玉藻前に纏わる物語の中に玉藻前が光明を発したという話が載せられていることを見るに、光を放つという特徴が重視されていたのは確かなのでしょう。
また近世になると天照大神の御神体とされる八咫鏡が彼女の物語に登場するようになります。この時代にはすでに玉藻前の伝説は完成しているため、その生成に直接の影響はありませんが、おまけとして紹介しましょう。
例えば高井蘭山の『絵本三国妖婦伝』では、玉藻前の変化を見破るために八咫鏡のレプリカが使用されます。玉藻前はこれを奪おうとしますが、失敗してしまいます。
鶴屋南北の歌舞伎『玉藻前御園公服(たまものまえくもいのはれぎぬ)』では八咫鏡の奪い合いが勃発しますが、玉藻前がこの鏡を手に入れ、身から光を放つ、という場面があります。
鏡自体、玉藻前の物語に頻繁に登場するため、これらの作品で玉藻前と天照大神が結び付けられている可能性は少ないですが、玉藻前の生成の過程に天照大神が関わっていたという説を見ると不思議な感じがします。
とにもかくにも、玉藻前は多くの物語に語られるように、太陽のような光を放つ輝ける狐であるのです。