【連載エッセイ】其の三「光沢のある手触りが良い紙」 - 白戸満喜子の料紙観察の手控〈メモ〉

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其の三
光沢のある手触りが良い紙


■光源氏が特注した紙

『源氏物語』鈴虫の巻に、

さては、阿弥陀経、「唐(から)の紙はもろくて、朝ゆふの御手ならしにも、いかゞ」とて、紙屋の人を召してことに仰言(おほせごと)賜ひて、心ことに清らにすかせ給へるに、この春の頃ほひより、御心とゞめて、いそぎかゝせ給へるかひありて、はしを見給ふ人々、目もかゞやきまどひ給ふ。(出典:日本古典文学大系17『源氏物語 四』(岩波書店)78頁)

と、光源氏がじかに製紙職人へ紙を発注するシーンが描かれています。

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【国立国会図書館蔵『源氏物語』すゝむし 3コマ目 矢印の箇所】

舶来の高級品であった中国の紙は、宋代(960〜1279年)に入ると主原料が竹に変わり「もろく」なりました。『源氏物語』の時代には和紙の品質が上回るようになっていたことがわかります。竹は短繊維(長さ1~2㎜ 以下、繊維長はKhartasia https://khartasia-crcc.mnhn.fr/ja より)で、コウゾ(10㎜)や大麻(11㎜)・苧麻(ちょま・60~250㎜)という長繊維の原料に比べて脆弱になります。

紙には白色度が求められるものの、書写に用いる際には平滑性も重要になってきます。麻類は布の原料でもあるため、白色度が高く栽培が可能なコウゾが和紙原料の主流になっていきます。中国でも唐代まではコウゾと同じクワ科の植物、カジノキ(構皮)が原料の紙が主流でした。

■製紙スペシャリスト集団「紙屋院」

日本では大宝(701)元年に大宝律令という法律が制定された時に、図書寮(ずしょりょう)という機関が設置されました。図書寮の役割は経典や仏像の管理で、造紙手(ぞうししゅ)という紙を製造するスペシャリストがいました。大宝2年(702)に現地の紙(筑前・豊前・美濃)で作成された紙で作られたとされる戸籍が日本最古の紙として残っています。この戸籍は紙背(しはい・使用済みの紙の裏側)に書かれていますから、紙が作られたのはもっと古い可能性があります。

大同年間(806~810)には、新しい首都である京都に紙屋院(かみやのいん)という機関が設置されました。いまも京都市内を流れる「紙屋川」はこの機関の名前に由来しています。

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【紙屋川(慶應義塾大学オンライン講座「FutureLearn」提供)】

紙屋院の役割は、紙の製造、製紙技術の改良、製紙原料となる新しい植物原料の採用、造紙手養成のための指導などがありました。ここで研修を受けた造紙手は地方へ戻り、日本各地に製紙技術を伝えました。紙屋院で作られた紙は「紙屋紙(かんやがみ)」と呼ばれ、その美しさもまた『源氏物語』に描かれています。中国から伝来した技術が発展し、新しい原料を採択した結果、紙質が向上した事実がわかります。アップデートはいつの時代も大事なのです。

■「紙の王」爆誕

竹を原料とする紙はクワ科の植物を原料とする紙に比べて白色度が劣り、黄色味を帯びます。とはいえ、文字が滲まなければ書写には問題はないのです。日本でも時代が下ると斐紙(ひし・「斐」は美しいという意味)という、ガンピの樹皮から作られる紙が登場してきます。斐紙の白色度は劣るものの、ツヤツヤと美しい光沢があり、「紙の王」と呼ばれています。

書誌学入門ノベル! 書医あづさの手控〔クロニクル〕』京都編其の三「助け舟」で紹介している通り、文字が滲まない、墨が裏にしみこんでいかないことから両面書写に使用されました。粘葉装(でっちょうそう)という装訂形態はほぼ斐紙を用います。ガンピはジンチョウゲ科の植物です。現在でも栽培が困難で、野生のガンピの木から皮だけを剥ぎ取ってきて和紙原料にしています。ガンピの生えない土地では斐紙が入手できません。

ガンピ繊維は形状がリボン状なので打ち紙しなくても平滑度が高くなります(習慣的に斐紙を打ち紙する場合もありました)。斐紙が登場してくるのは平安朝ですから、紙屋院での試行錯誤によってもたらされたのではないかと考えられます。ガンピ繊維は粘度が高いから漉きにくいのだと、紙漉き職人さんたちがおっしゃっていました。

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【比較画像:(上)ガンピの紙と(下)コウゾの紙 それぞれ50倍に拡大】

■紙原料はアップデートしていた

ガンピに似た紙として、その後普及してくる新原料が、同じくジンチョウゲ科の植物であるミツマタです。紙の性質はガンピに劣るものの、光沢や描線の滲みにくさ、そして色合いも若干赤みが強いくらいでガンピに似ています。ミツマタはコウゾと同じく栽培可能で、書道用紙としての地位を確立しています。

草双紙の料紙観察をした際、「ミツマタの繊維が見えます」(紙全体がミツマタとは言っていない)と報告したところ、「これにミツマタという高級な紙が使われているはずがありません」と一蹴されたことがありました。ミツマタはコウゾに比べると生産量が少ないものの、宍倉佐敏氏の調査では瓦版(かわらばん)に使用されていますし、屛風の骨組になる木枠のゆがみ防止に使われているのを確認したことがあります。

また、明治政府が紙幣の原料に選定したくらい、大量に入手できていました。江戸時代には漉き返しというリサイクルペーパーがありましたし、草双紙にミツマタ繊維入りの紙が使用されていても不思議はないのです。紙に対するリテラシー、紙知識のアップデートが人間の方に必要とされています。

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【国立国会図書館蔵『滑稽絵姿合』初篇 22コマ目 紙屑拾】


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