はじめに[天野真志(国立歴史民俗博物館)]★『地域歴史文化のまもりかた』全文公開

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はじめに
天野真志(国立歴史民俗博物館)

■ 地域住民を主体とした被災資料の救済活動を広げていくために
自然災害が多発する現代社会において、災害対策は宿命的な課題である。自然災害は、人命や人びとの生活のみならず歴史文化に関わる多様な事物にも大きな被害を与え、被災した諸資料の救済活動が各地で実施されている。大規模災害が頻発し、今後も多くの地域が被災の危険性を抱えるなか、各地に伝わる多様な歴史文化資料の災害対策が議論されている。特に、各地の「資料ネット」に代表される地域を主体とした歴史文化の保存・継承活動は、災害時における資料の救済活動を積極的に展開している。そのなかで、破損や水濡れなど、通常とは異なる取り扱いが求められる被災資料についても、その対応をめぐりさまざまな試行錯誤が行われてきた。
これまで、阪神・淡路大震災から東日本大震災を経て現在に至るまで、被災資料救済の対応に関わる救済技術の紹介やマニュアルが多数提示されている。災害対応経験を通したこれらの成果は、詳細な応急処置法や修復技法や具体的な機器等が多数紹介されているが、被災の状況は地理的状況や災害程度等によって大きく変容し、救済対象となる資料の状態も一様ではない。そのため、これまでの災害対応実践を踏まえた対策を行うためには、具体的な実践事例に基づいた、災害対策の考え方を提示することが求められる。被災した資料と対峙するなかで、どのような目的の下で何を考えるべきなのか。またいかなる観点に基づいて観察し、どこまでの対応策の検討が必要になるのか。被災資料との向き合い方、具体的な対応策の検討や技術選択の考え方を示すことは、地域住民を主体とした被災資料の救済活動を広げていくためにも重要なテーマである。

以上の課題を踏まえ、本書では被災地域での活動を想定した救済活動について、被災資料を発見してから一時保管・応急処置に至るまでの対応策、および技術選択を判断するための考え方と、地域歴史資料の防災・減災についての考え方を提示する。災害対策の進展に伴い、被災対応に関する膨大な事例が蓄積され、具体的な技法が各所で公開されるなか、本書の企画に際して重視したのは、以下の2点にある。

■ 災害対策の目的・考え方を整理する
1点目として、災害対策の目的・考え方を整理することである。前述の通り、歴史資料の救済に関する多様な事例が蓄積され、技術開発やマニュアル策定が各所で進められており、資料保存という取り組みのなかで災害対策は重要なテーマとして認知されつつあるといえる。その反面、詳細な技法が多数紹介されるなかで、それらがいかなる場面で有効な技術であるのか、何を目的にどの程度処置を施すべきなのか、といった実践に向けた情報整理は大きな課題となっている。被災した歴史資料を取り扱うのは、必ずしも保存・修復技術に精通した専門家とは限らない。特に日本の場合、自治体職員や地域住民等が初期対応を担う場面も珍しくなく、多様な担い手が技術選択や到達点の設定などを設定することも多い。そうした状況を踏まえ、膨大に蓄積された情報のなかから技術を選択し、適切な措置を施すための留意点を整理することは急務の課題でもある。すなわち、災害対策としての資料保存を実務面から整理し、具体的な作業工程や到達目標を設定するための考え方を提示すること、これが本書で目指す第1の目的である。

■ 災害対策への備え方・対話の目的を整理する
2点目は、備え方・対話の目的を整理することである。災害対策は資料を保存・継承する上で一つの局面である。災害現場から資料を救済し、消滅の危機を脱することは、資料保存における大きな目的であるが、中長期的視野で保存・継承を考えた場合、資料に対する物理的なアプローチにとどまらず、資料をとりまく人や社会との関わりを検討することが求められる。特に近年では、専門家・専門知の市民社会との関わりが注目され、資料保存・継承の現場においても、多様な専門家が資料救済の現場や保存・継承の過程で人びとといかなるかたちで対話を重ねていくかが模索されている。本書では、資料をとりまく人と地域との関わりに注目し、救済から継承に至る経過のなかで実践を重ねるいくつかの取り組みを通して、社会のなかで活用される専門知のあり方について考えることを課題としている。

■ 実践活動の手がかりに

本書は3部によって構成している。第1部「資料救済の前提」では、災害時における諸方との連絡・連携について、地域をとりまく関連組織・団体との向き合い方を紹介する。第2部「資料救済・保存の考え方」は、紙資料・写真資料・民具資料・美術資料を対象として、被災資料を救済するために、緊急対応として求められる到達点と保存のための留意点などを提示する。第3部「資料救済への備え方」では、災害に備えたシミュレーションや地域とのコミュニケーションの目的を紹介する。地域社会の存続に向けて、さまざまな専門知識・技術の活用や多様なアクターとの連携が模索されるなか、歴史文化の継承に関しても多様な「専門知」と「社会知」を導入した地域実践が進められようとしている。災害多発期における現代社会において、地域の履歴をいかなるかたちで守り伝えることができるのか。本企画が各地域における歴史文化の保存と継承に関する実践活動の手がかりとなることを期待する。

なお、本書には、各章で紹介した事象を幅広く伝えるために、英訳版もあわせて掲載している。これまで国内で取り組まれてきた取り組みが、国際的にいかなる事例として捉えられるのか、今後の議論を期待して企画した。資料保存・継承の国際的連携の一助となれば幸いである。