第1章 災害発生時における地域と資料[天野真志]★『地域歴史文化のまもりかた』全文公開

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第1章
災害発生時における地域と資料

天野真志(国立歴史民俗博物館)

はじめに
我々は、地震や風水害などのさまざまな自然災害と向き合いながら生活している。多発する自然災害との対峙は、地域社会をとりまくあらゆる方面で検討と実践が行われているが、歴史や文化に関する分野でも、いかにして各地に伝来する資料を守り伝えるかが検討されている。

地域に伝来する歴史的・文化的なものは多様である。具体的には、古文書と総称される文字記録や掛軸などの美術資料、人びとの生活文化を理解するための民具などが想起されるが、近年では写真や音声・動画といった視聴覚記録も地域の歴史文化情報として注目されている。これらの存在は、「文化財」や「文化遺産」、「歴史資料」など、さまざまな言葉で呼ばれているが、ある一定の空間において歴史的・文化的価値を共有・共感されたモノを捉える点で共通している。本書では「歴史資料」ないし「資料」と呼ぶが、資料の捉え方に関して、近年では「地域歴史資料」という考え方が広がりつつある。「地域歴史資料」とは、資料そのものだけではなく、資料に関与する主体や経緯に注目し、地域という空間で人びとが「歴史資料」なる存在を認識していく取り組みを検討・実践するものとして理解される。こうした視角を念頭に置くなら、地域に伝わるさまざまな資料を地域が主体となって保存・継承するための方法が必要となり、特に自然災害などで歴史資料が危機的な状態に陥った際に実践するための具体的な対応策が求められるだろう。

以下では、各地域における歴史資料の災害対策について、これまでの経過を概観し、地域を主体とした資料救済の考え方について検討してみたい。

1.災害対策の経過
自然災害の発生にともない、被災地の救援に向けた諸活動が行われる。歴史文化の災害対策として行われるのが資料の救済活動であるが、これらの活動は、主に人命救助やライフラインの復旧活動など、生命や人びとの生活に直結する救援活動が落ち着きを見せ始めた頃から本格化する。被災から一定の期間が経過して救出される資料の多くは、破損や水濡れ等により劣化・消滅のリスクを多分に抱えていることが想定される。そのため、がれきの撤去や清掃活動の過程で廃棄されることも少なくないが、国宝や重要文化財といった象徴的な存在だけでなく、地域に伝わる多様な資料をこうした危機的な状況から救い出し、地域住民等と協働して守り伝える取り組みが実践されている。

日本においてこうした取り組みの重要性が強く提起されたのは、1995年阪神・淡路大震災を直接の端緒とする。文化庁を中心とするレスキュー事業が展開する一方で、個人宅など民間に伝わる多様な資料の救済が課題となり、ボランティア活動として地域の資料を守り伝える取り組みが目指される。この後、各地で災害が多発するようになると、同様の取り組みが各被災地で実践され、「資料ネット」と総称される活動が全国に広がっていく。

地域を主体とした災害対策の実践について、資料ネットなどを中心に行われたいくつかの事例を確認し、地域における活動の傾向と特徴を考えてみたい。「資料ネット」活動のなかで具体的な資料の救済方法が議論されるようになるのは、2004年頃からである。2004年台風23号が通過して各所に被害が発生した兵庫県では、歴史資料ネットワークが被災地調査を実施し、その過程で確認された水濡れ資料の救済活動を行っている。この活動は、主に個人宅に伝来した古文書等紙媒体資料が対象とされ、神戸大学文学部を拠点として関西圏の大学生や自治体関係者、博物館学芸員、地域住民によるボランティア活動として対応が行われた(松下正和・河野未央編『水損史料を救う』岩田書院、2009年)。

2005年に台風14号が各地を襲うと、宮崎県延岡市において個人宅に伝わる写真資料の救済活動が行われている。救出されたのは1940年代以降の写真類であり、固着部の展開と乾燥作業に加え、デジタル化による画像の保存が行われている(山内利秋「台風被害にあった写真資料の保存と修復について」『文化財情報学研究』4、2005年、山内利秋・増田豪「宮崎県における文化資源災害救助対策の現状と課題」『九州保健福祉大学研究紀要』8、2007年)。このときの活動を契機として宮崎歴史資料ネットワークが設立し、宮崎県域における資料保存・継承のための活動が組織されている。

その後、いくつかの水害における資料救済の取り組みが確認されるが、これらの活動で大きな転機となったのが、2011年東日本大震災であろう。東日本太平洋沖各地における津波被害は、膨大な地域資料に深刻な被害もたらした。この災害によって博物館等の収蔵施設にも被害が発生し、被災地域に対して歴史・民俗・考古・美術など、歴史文化に関わるあらゆる分野にわたる救済活動が展開した。また、劣化・消滅の危機に瀕する資料に対して多様な専門家が検討を重ね、被災資料に対する具体的な実践が進められた。そうしたなかで各地の資料ネットでも個人宅に伝わる資料を中心に救済活動を実施し、資料の保存・継承に向けた模索が進められた。特に資料ネットの取り組みでは、地域住民を含む多様な人びとによって救済活動を展開し、地域を主体として資料を救い出し、守り伝えるための対話と実践が重視されている[図1]。

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図1 2018年西日本豪雨時における広島での活動(2018年7月30日撮影)

東日本大震災以降、2015年の関東・東北豪雨や2016年熊本地震、2018年西日本豪雨、2019年東日本台風など、各地で大規模な豪雨・台風被害が多発している。これらの被害と対峙し、各地で多発する地震や風水害でも資料ネットの取り組みが実施され、現在に至るまで資料の継承に向けた模索が続けられている。

2.災害対策の実務と担い手
2.1. 「レスキュー」の展開

災害時における資料救済活動は、「レスキュー」と表現されることが多い。1995年阪神・淡路大震災頃より、被災地からの資料救済活動が「文化財レスキュー」と呼ばれるようになり、2011年東日本大震災以降こうした呼称が定着しつつある。近年用いられる「レスキュー」は、単に危険な場所から資料を救出する行為にとどまらない。例えば建石徹は、「文化財レスキュー」を、「被災時の文化財救出活動のうち、主に動産文化財等を対象として、被災地から救出・輸送し、保管(一時的な保管を含む)し、必要な応急処置をするところまで」と定義している(建石徹「文化財レスキューとその活動」、高妻洋成・建石徹・小谷竜介編『入門 大災害時代の文化財防災』同成社、2023年、p.43)。この考え方は、東日本大震災時に実施された「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業(文化財レスキュー事業)」が、「緊急に保全措置を必要とする文化財等について、救出し、応急措置をし、当該県内又は周辺都県の博物館等保存機能のある施設での一時保管を行う」ことを目的に掲げて活動したことを背景としており注1、以後の災害対策でもこの認識が継承されている。

津波被害や台風・豪雨による浸水被害が多発する状況のなか、近年の「レスキュー」活動では、安全な場所への移動のみで救済活動は完結し得ず、資料を水濡れ被害などの危機的な状況から脱することが目的とされている。

では、一連の活動はどのような主体が担っているのだろうか。東日本大震災のような広域にわたる被害が発生した場合、全国規模での包括的な対応が行われるが、局地的な災害に関しては、一般的に各自治体や近隣博物館、大学等が中核となって活動が進められる。特に「資料ネット」に象徴される活動では、主に大学教員や博物館学芸員、アーキビストなど多様な領域の専門家に加え、地域住民やその地域に関わりのある人びとによって構成される。専門領域にとらわれず、地域住民との対話を通して多様な価値観に注目した地域歴史文化の調査・保存・継承を目指す取り組みが「資料ネット」の特徴といえる。反面、各地の「資料ネット」には必ずしも保存や修復に関する専門家が存在しているわけではなく、被災資料の取り扱いに関しては試行錯誤が続けられている。大規模な資料群が被災した場合、膨大な被災資料の対応に際して作業者が求められるが、多くの場合市民ボランティアなどにより作業が進められている。これらの蓄積を通して、被災直後から一時保管に至る対応過程が多数報告されており、一連の経験を踏まえた災害対策の実務に関する到達点と課題の整理、今後の対策に備えた提起が求められている。

2.2. 災害対策の広がり
東日本大震災以降、資料救済の取り組みはいくつかの転換を迎える。その一つに、保存・修復の専門家による積極的な地域活動への関与があげられる。もちろん、それまでにも民俗資料や美術資料などを中心に、専門家を主体とした地域資料の救済は盛んに行われていたが、資料ネットや地域住民などと連携した救済活動の実践は、東日本大震災以降多様な広がりとして確認することができる。

例えば、彫刻文化財の保存修復を専門とする岡田靖は、東日本大震災時に地震や津波により損傷・崩壊した地域に伝来する仏像類の救済活動を被災地で実施した。その際岡田は、仏像の修復を行う際、資料を工房に移動するのではなく、現地で修復作業を実施し、修復の過程を一般公開して地域住民と共有する方法を採っている。この目的について岡田は地域のシンボルとしての仏像が修復されていく過程を、被災地の復興過程とリンクさせながら感じてしてもらうことを挙げる(岡田靖「東日本大震災における彫刻文化財の被災後の対応と被災前の対策について」『東海国立大学機構大学文書資料室紀要』29、2021年)。被災からの復旧・復興過程で地域住民と救出資料の内容を確認しながらその地域的意義を共感するこうした取り組みは、被災民具の救済活動でも行われ(加藤幸治『復興キュレーション』社会評論社、2017年)、被災資料から地域資料へと位置づけ直す営みとしても注目される。

また、救済活動が具体化・多角化しつつあることも、近年の特徴として指摘できるだろう。「レスキュー」の範囲が一時保管に至る救済活動の総体を指す行為と規定されると、地域を拠点とした一連の活動も、被災資料に対する具体的な対応が模索されるようになる。特に、多くの実践が行われる古文書などの紙資料に関しては、東日本大震災の経験を踏まえた取り組みが各地で行われ、水濡れ資料の乾燥やカビ・臭気対策、固着した資料の対応などさまざまな課題への模索が進められる。これらの活動は、保存・修復の専門家の指示に基づく場合もあるが、多くは自治体の文化財担当者や博物館学芸員、大学教員、地域住民が中心となることが多く、資料ネットなどを主体としたボランティア活動として実施されている。

3.資料救済の目的と到達点
これまで確認したように、地域を主体とする近年の資料救済の活動は、保存・修復の専門家に限定されない人びとが主体となる場合が多い。そのため、高度な技術や専門的な機器を用いない形態が各所で模索・実践されているが、対象となる資料の被災状況によって対処すべき課題は一様ではない。これまでに、被災地域の状況や対応人員の性格に応じて多様な実践例が報告されており、経験に基づいたマニュアルなども多岐にわたる。これらを概観すると、同じ言葉を用いているがその目的や手段が異なる場合も散見され、「レスキュー」に含まれる活動の経過やその到達点が必ずしも共有されているわけではない。「レスキュー」という活動を、被災地対応に関わる現場作業の総称として理解し、これまでの取り組みを今後の災害対策に向けた実践例として検証するためには、「レスキュー」で求められる作業の考え方を含めて整理する必要がある[図2]。

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図2 「レスキュー」のイメージ

「レスキュー」の過程で重要な作業となるのが応急措置(処置)である。この目的については、日髙真吾が次のように明示している。

応急措置は、被災した文化財の劣化を食い止めるための作業であり、次の段階である本格修復までの間をつなぐための処理である。同時に前述してきた一時保管場所を清浄に保つためにも重要な作業である。
(日髙真吾「大規模災害時における文化財レスキュー事業に関する一考察」『国立民族学博物館研究報告』40-1、2015年、p.39)

これによると、応急措置とは「本格修復」を検討・実施するまでの一時的な対応であり、資料の劣化進行を抑制することに加え、保管される空間の環境維持も射程に収めている。ここでは、修復を行うための事前対応として応急措置が位置づけられ、修復行為とは明確に区別されるものとして捉えている。そもそも、「レスキュー」という言葉に象徴されるように、災害対策の過程ではあくまで緊急的な措置が念頭にあり、資料の解体・洗浄などを伴う修復行為は必然ではない。しかし、頻発化・激甚化する近年の自然災害は「レスキュー」を長期化させる傾向にあり、長期間一時保管が求められるなかで応急措置の範疇を超えた作業が実施される場合も確認される。

では、応急措置では、いかなる状態に資料を導くことが求められるのだろうか。被災地域では多様な媒体の資料が大量に被害を受けるため、すべての資料を即座に完全な状態に戻していくことは現実的ではない。そのため被災現場では、より多くの資料に対して応急的な処置を施し、資料の急速な劣化を回避・抑制する手段を講じることが要請され、その後に想定される活用・継承のための保存・修復に移行するための作業計画の立案・実践が重要となる。代表的な資料に関する具体的な方法などについては第2部の諸論考を参照されたいが、ここではその応急措置に関わるいくつかの点を整理しておきたい。

まず、応急措置の目的についてである。対象となる資料によって程度の差はあるが、基本的には資料の劣化進行を抑制することが第一の目的とされる。すなわち、災害等によって資料にもたらされる深刻なリスクを除去することが課題となる。例えば、水損被害を受けた資料に対しては、水濡れ状態を脱することが第一の目的となり、冷凍による一時的処置や乾燥に向けた対応が求められる。また、地震による倒壊・破損被害に際しては、破損した部品の回収や破損部の確認が想定されよう。

次に、応急措置の到達点であるが、どの程度までを応急措置として対応するかの基準は、各地の取り組み状況によって異なっている。応急措置の段階は、あくまで一時的な処置と位置づけ、資料の形状変更を伴わない乾燥作業やカビ等劣化要因の抑制に注力し、一時保管空間に安置するための簡易的なクリーニングにとどめることが理想的状況であろう。より具体的には、2~3年程度の一時保管に耐えうる状態に導くことが、応急措置の到達点として理解されるだろう。しかし、東日本大震災に代表される大規模被害時には、広域におよぶ被害によって「レスキュー」活動が長期化し、結果として一時的な処置にとどまらない処置が応急措置の段階で実施されている。なお、この点に関連して、東日本大震災以降「安定化処理」という用語が使われることがある。「安定化処理」とは、応急措置の範疇を超えた、修復行為にも踏み込んだ処置を想定した行為であり、大規模災害により修復作業に至るまでの長期的な一時保管が求められる状況のなかで生じた措置と捉えられる。特に、美術品などのように、救出段階からある程度の専門的技法や知識が要求される資料を想定した概念と捉えられることができよう。こうした理解を前提として、本書では、基本的に「安定化処理」ではなく応急措置の段階を想定し、実践とその考え方について紹介していく。

以上のように、「レスキュー」として捉えられる活動は、救出とその後の対応としての応急措置、一時保管の3段階が想定される。そのうち応急措置については、将来的な修復を見通した一時的な対応とすることが原則となるが、被災状況や資料の性質によって、場合によっては修復に関わるような解体・洗浄行為を含む場合が発生する。この点に関しては、「応急措置の在り方を考える場合、被災した文化財の状態の安定化だけを求めるのではなく、その後の活用も視野に入れながら実施する、文化財の保存修復の方法論も取り入れた応急措置の在り方を模索する必要があると考える」との指摘があり注2、技術的な議論に終始せず、資料が置かれる社会的環境に即した考え方を議論する必要性が提起されている。そのためには、活動主体のなかで資料を遺し伝える目的や認識を共有し、活動の到達点を協議・確認しておく必要があるだろう。

おわりに
本章では、災害対策としての資料保存について、その経過と現況を確認し、災害時における資料の「レスキュー」活動について整理した。個人宅など地域に伝来する資料の多くは、蔵や物置など、必ずしも安定しない保存環境下で管理されることが多く、また金銭的にも修復・保存に関わる公的支援が受けづらい傾向が看守される。こうした資料が被災した場合、多くの場合で資料ネット等のボランティア活動が主体となって「レスキュー」が実施される。地域の自治体や博物館等による活動でも、対象となる資料を熟知した専門家が配置されているとは限らず、「レスキュー」活動においては、専門家以外の人びとが主体となって対応を余儀なくされることが多々発生する。そうした状況に備えるためには、まず資料の「レスキュー」に関する基本的な考え方を認識しておくことが必要となる。また、処置に関わる専門的知見を有する分野や専門家の存在を理解することも重要となろう。



1
2011年3月30日付文化庁次長決定「東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援事業(文化財レスキュー事業)実施要綱」https://www.bunka.go.jp/earthquake/rescue/pdf/bunkazai_rescue_jigyo_ver04.pdf(2023年12月25日最終閲覧)
2 日髙真吾「大規模災害時における文化財レスキューの課題」(『国立歴史民俗博物館研究報告』214、2019年、p.50)

参考文献

・奥村弘編『歴史文化を大災害から守る』(東京大学出版会、2014年)
・松下正和・河野未央編『水損史料を救う』(岩田書院、2009年)
・日髙真吾『災害と文化財』(千里文化財団、2015年)
・天野真志・後藤真編『地域歴史文化継承ガイドブック』(文学通信、2022年)
・高妻洋成・建石徹・小谷竜介編『入門 大災害時代の文化財防災』(同成社、2023年)