第9章 地域とのコミュニケーション[阿部浩一(福島大学)]★『地域歴史文化のまもりかた』全文公開
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第9章
地域とのコミュニケーション
阿部浩一(福島大学)
はじめに
本章の課題は、地域歴史文化の災害対策、資料救済において求められる、地域とのコミュニケーションの問題について論じることにある。検討対象とするのは、主に民間所在の歴史資料の救済と保全に取り組んでいる資料ネットであるが、その説明は第1部に委ねたい。被災地での資料救済活動にあたる場合、調査研究等で馴染みある地域であることは稀で、災害を機に初めて訪れるケースが大半である。そうした状況下で、外部からの専門家が自治体の文化財担当者、地元の郷土史家、所蔵者、住民と現場で初めて顔を合わせ、資料救済活動を円滑に進めていくためには、地域とのコミュニケーションが重要な鍵となることは言うまでもない。さらに、災害前から地域内外の人びとを結びつける場が用意されていれば、より一層効果的な活動ができて、豊かな成果が得られることは確実である。
ただし、「地域とのコミュニケーション」と一口に言っても、多様なコミュケーションの核となる人と人との意思疎通のあるべき姿を普遍化することはきわめて困難であり、モデル化・マニュアル化するにも不向きである。全国に約30ある資料ネットのなかには豊富な実践例を有し、顕著な成果をあげているところもあるが、本章では紙幅の関係もあり、筆者が代表を務める「ふくしま歴史資料保存ネットワーク(ふくしま史料ネット)」と、全国初の市民主体の資料ネットで、筆者も幹事の一人である「そうま歴史資料保存ネットワーク(そうまネット)」を例に話を進めることをあらかじめお断りしておきたい。
1.ふくしま史料ネットの発足と直面した課題
ふくしま史料ネットは、㈶福島県文化振興事業団(以下事業団、現在は公益財団法人福島県文化振興財団)が2005年に設立したふくしま文化遺産保存ネットワークを発展的に解消し、事業団・福島県立博物館・福島県史学会・福島大学を呼びかけ人として、専門家・行政・市民の連絡体として2010年11月に発足した。各方面との連携・調整にあたった事業団の本間宏の構想は、未指定を含めた包括的な歴史文化遺産の把握・保全のため、市民ボランティアの参加が不可欠であり、所蔵者との信頼関係を構築していくためにも行政の文化財担当者の参画も推奨され、それによって市町村を越えた横につないだ連携も可能だというものであった。
しかし、発足からわずか4カ月後、2011年3月に東日本大震災・福島第一原発事故が発生した。ふくしま史料ネットは4月になってようやく代表・事務局の態勢を整え、支援を求める自治体・個人の資料救出に取り組んだ。6月までに25件の調査・救出にあたる実績をあげたが、直面した課題は多岐にわたった。主なものとして、
①レスキューのための所在情報のデータ不足:所在目録などは整備されておらず、1980年に福島県教育委員会が編纂した『福島県古文書所在確認調査報告』を手掛かりに、あとは個人で持ち寄るしかなかった
②ふくしま史料ネットへの自治体の不参加:現状でもメール配信という一方通行の関係にとどまっている
③地域コミュニティとのコミュニケーション不足:史料ネットの存在の周知が不徹底で、救出すべき資料があっても、レスキューを求める情報が史料ネットにまで伝わりにくい状況は変わっていない
④市民ボランティアの不在:防犯の観点から、被災地の情報は関係者間にとどめられ、救出活動は呼びかけ人機関のなかから動ける者を中心に進めざるを得ず、ボランティア募集は限定的にならざるを得なかった
⑤連絡体であるがゆえの課題:救出した資料の管理責任を負えず、一時保管場所や作業場所の確保も困難であった
といった点があげられる。本章のテーマと関わらせれば、「地域とのコミュニケーション」が不足したまま、活動はスタートしていった。
2012年5月に福島県被災文化財等救援本部が発足し、夏から旧警戒区域の双葉・大熊・富岡町の資料館でのレスキュー活動が始まると、関係者の目は旧警戒区域に向けられていった。連絡体にすぎないふくしま史料ネットは何ら関わることはできなかった。筆者も福島大学の一員として旧警戒区域外の一時保管場所での作業に従事したように、呼びかけ人はそれぞれの本務先の立場で文化財レスキューに注力したが、一方で民間所在のレスキュー案件がみられなくなり、ともすればふくしま史料ネットの存在感が希薄になりつつあった。連絡体にすぎないがゆえに直面した課題といえる。
2.ふくしま史料ネットの展開
2012年7月に代表となった筆者は、呼びかけ人の連絡体としてのふくしま史料ネットを基本としつつも、実質的な活動の軸を大学に移し、学生を中心に日常的な活動を継続することで、直面した課題の克服に努めていった。
①データ不足については、研究補助者の助力を得て、県内の所蔵者リストをできるところから順次Excelで整理し、必要に応じて検索・抽出できるかたちを整えた。その結果、2021年の福島県沖地震で震度6強の被害が出た新地町では、『新地町史』などの所蔵者リスト(個人情報に厳しくなかった当時は、所蔵者の居住地が字名まで掲載されている)と古い住宅地図を突き合わせてリストアップし、宮城歴史資料保存ネットワーク(宮城資料ネット)と連携して現地での所在調査に取り組んだ。その過程で、リストには漏れていた商家の蔵3棟の資料レスキューを実現できた。現地に行かないと本当の情報はつかめないという好例でもある。
②ふくしま史料ネットへの自治体の不参加の状況は今もって変わっていない。自治体間のネットワークは、2020年3月の福島県文化財保存活用大綱の策定にともなって結ばれた、福島県と59市町村との「福島県内における文化財に係る災害時等の相互応援に関する協定」によって実現した。同年11月にはふくしま史料ネットなど関係4団体と「福島県内における文化財に係る災害時の応援活動支援に関する協定」が結ばれ、年1回程度の連絡会議を通じて情報交換や研修などが行われている。ふくしま史料ネットは連絡会議の場を通じて間接的に自治体と連携をとることになり、遅まきながら発足当初の構想の第一歩を踏み出したことになる。しかし、救出対象は災害時に自治体の管理する文化財に限定され、日常的な搬出活動の相互支援は想定されておらず、民間所在の未指定文化財の救出には適用されないなど、課題も多い。
なお、富岡町と福島大学が協定を結び、役場内のプロジェクトチームが寄贈・寄託を受けて救出した資料の保全・記録整理を支援する関係を続けているが、ふくしま史料ネットは集中作業時に市民ボランティアの募集をかけるなどの支援を行っている。
③地域コミュニティとのコミュニケーション不足については、学生たちの教育活動のなかでその解消を試みた。県北の国見町では文化財担当者、郷土史研究会、町内会と連携し、被災資料調査を行った。その結果、『国見町史』等で把握していなかった多数の未紹介資料を確認する成果を上げた。その成果をベースに、地域住民に学びながら学生目線で地域の文化財を再発見し、資料保全につなげる「地域まるごと博物館」活動を展開していった[写真1]。この活動は伊達市梁川に舞台を移し、郷土史研究会やNPOの協力と指導のもとに学生たちの調査研究が進められた。コロナ禍にあっても、大学のある金谷川地区で地域住民と連携し、観音信仰と和算の歴史の調査研究に取り組んだ。いずれも地域コミュニティをよく知る郷土史家や地元住民の理解と協力があったからこそ成し得たものである。学生たちの調査成果はリーフレットにまとめられ、地域理解の深化やまちあるき・観光などにも役立てられている。
写真1 国見町貝田地区まるごと博物館
④市民ボランティアの不在については、日常的な活動の軸を大学に移したことで、発足当初の市民ボランティア参加の構想からは後退を余儀なくされた。それでも古文書学実習という資料整理の場を夜間に開講し、仕事帰りの社会人でも参加できる工夫を凝らした。関心ある近隣住民が史料ネットの呼びかけに応じてボランティアで集まり、学生とともに古文書の撮影や目録作成に取り組んだ。ときには自ら保全した資料を持ち込んで記録撮影する様子も見られた。2014年からは8月に毎年2日間の夏季集中作業を企画し、県内外から広く市民ボランティアが集まる恒例行事となっている。
大学での活動への参加の有無にかかわらず、市民ボランティアの地域の資料に対する関心はきわめて高い。2019年の令和元年東日本台風で甚大な被害を受けた本宮市立歴史民俗資料館では、水損資料の保全作業に市民ボランティアが毎回のように集まった[写真2]。その多くは文化財講座受講者や市民サークルなどに参加するシルバー人材である。そうした市民と日常的につながっている担当者の能力と人柄には一目置くべきものがあった。どの地域コミュニティにも人と人をつなぎ、事業を円滑に進めていく能力にたけたコーディネーターがいるものだが、こうしたキーマンといかに連携できるかが、地域とのコミュニケーション、ネットワークづくりにあたっての成功の鍵と言えるだろう。
写真2 本宮市での水損資料の保全活動
そして⑤連絡体であるがゆえの課題であるが、一時保管場所・作業場所の不足という問題は、福島大学うつくしまふくしま未来支援センターの発足(現在は福島大学地域未来デザインセンターに発展解消)とセンター棟の完成(現在は食農学類棟に転用)、歴史資料担当の設置と資料保管室の確保によって解消された。現在は行政政策学類棟内に保管場所を移し、実習室などで保全作業を継続している。
ふくしま史料ネットは今もって法人格を持たず、連絡体としての体裁をとる任意団体のままである。それでも今日まで変わらず活動を維持できているのは、皮肉にもこの12年間、ふくしまが常に災害とともにあったからでもある。原発被災地での資料保全活動は「現在進行形」という言葉で表されるが、その対応策を審議する福島県被災文化財等救援本部の会議は、福島県立博物館、福島県立美術館、福島県文化財センター白河館(まほろん)、福島県歴史資料館、福島大学、ふくしま史料ネットが顔を合わせ、継続的に情報・意見交換をする場であった。2019年の令和元年東日本台風では、県の構想する相互応援協定が前倒しで実施され、関係機関からも公務で支援に駆けつけた。そのなかにはふくしま史料ネットの呼びかけ人の機関も含まれているが、公務では所属機関の立場で、ボランティアで来るときはふくしま史料ネットの一員として参加しているという心強い言葉が随所で聞かれた。連絡体としてのふくしま史料ネットのあり方を再確認する機会でもあった。専門家どうしの連携は2021・2022年の福島県沖地震でのレスキューにおいても機能し、多様な専門分野の目によって資料保全がはかられた。
このように振り返ってみると、発足当初の本間の描いた構想とはだいぶ異なるかたちになってしまったが、それでも当初抱えていた課題については一定の解決の筋道を立てられたと自負している。ふくしまの官学産民を結ぶ包括的な文化財ネットワークづくりは道半ばであり、そのためにも資料救出・資料保全の現場で生まれた自治体・地域コミュニティ・所蔵者との縁を一つ一つ大切にし、着実に積み上げていく必要がある。とはいえ、これだけ広範囲に繰り返し災害が起こり、資料の救出と保全に走り回っていると、結果として中途半端に手を付けたまま放置状態になってしまっている案件が少なくないことも認めざるを得ない。資料救出活動と並行して、外部からの継続的支援だけでなく、地域コミュニティのなかで資料保全活動を長期的に継続できるような基盤づくりや、専門家でなくてもできる手法の定着を図っていくことが、次なる課題である。
3.市民ネットとしてのそうま歴史資料保存ネットワークの発足
資料ネットが一般に大学や博物館、自治体を中心とするネットワークであるのに対し、そうま歴史資料保存ネットワーク(そうまネット)は市民主体で組織・運営される全国初の資料ネットである[写真3]。
写真3 鈴木龍郎邸から救出された襖の下張り文書の保全活動
そうまネットは2022年9月に発足し、日本画家の鈴木龍郎を代表に、相馬市民・出身者を中心に構成されている。鈴木は東京を拠点に創作活動に取り組んでいるが、東日本大震災を機に出身地相馬の支援に取り組むようになったという。相馬市内の実家は旧中村藩の武家屋敷地にあり、昭和初期に建てられた和洋折衷の建物である。東日本大震災の揺れにも耐えたが、2021年の福島県沖地震で柱に亀裂が入り、修復と耐震工事を考えていた矢先に、2022年の福島県沖地震で被災し、家屋が傾いた。特に相馬家当主を迎えるために作られた大玄関が瓦屋根の重みで崩れ落ちてしまった光景は衝撃的であった。
ふくしま史料ネットは宮城資料ネットと連携し、2021年の新地町に引き続き、2022年は南相馬市鹿島区で資料所蔵者の聞き取り調査を進めていた。そうした折、相馬市に取材に訪れていたNHK関係者からの情報提供を受けて、筆者は鈴木と連絡を取ることができた。
鈴木は被災者である傍ら、近隣で古い建造物が被災し、歴史資料が廃棄され、伝統工芸が存続の危機にある光景を目のあたりにし、相馬の歴史と伝統文化の消滅に強い危機感を抱いていた。鈴木の同級生で福島県民俗学会会長の岩崎真幸、相馬商工会議所会頭で建設業を営む草野清貴も、災害のたびに家屋が解体されて更地が広がり、城下町の歴史的景観が失われていくのを強く危惧していた。こうして地元有志とふくしま・宮城ネット関係者が一堂に会し、資料救出のためにも情報を集める受け皿づくりが必要との共通認識からネットワークの立ち上げが提案され、草野の提案で「そうま歴史資料保存ネットワーク」と命名された。その後、鈴木宅の資料レスキューなどと並行して、組織づくりのためのメンバーの人選が用意周到に進められ、地震から半年後の2022年9月にそうまネットが正式に旗揚げした。
そうまネットは連絡体としての性格を基本としつつも、その役員構成は相馬在住者と出身者で固められ、そこにふくしま・宮城ネットが関わる体裁をとっている。幹事は相馬商工会議所会頭、相馬郷土研究会会長・会員、馬城会(相馬高校同窓会)会長、福島県民俗学会会長、仙台福島県人会会長、ジャーナリスト、税理士、東北学院大学教員、福島大学教員で構成される産学民のネットワークで、相馬高校教員が事務局長を務めている。その核にあるのは、相馬高校の同窓生と関係者の結びつきである。鈴木の談によれば、事務局長で相馬高校教員の武内義明と相談し、相馬高校関係者から人選を進めたという。相馬高校は1898(明治31)年に福島県第四尋常中学校として開校された歴史を持つ伝統校で(旧制中学の時代に建てられた相馬高校講堂は登録有形文化財である)、地元を始め各界に多くの人材を輩出している。地域密着型のネットワークにとって、伝統校の同窓会組織を母体に持つことは大きな強みである。外部から地域とのコミュニケーションを図る上でも、既存のネットワークの存在はきわめてありがたい。わずか1年のうちに活動を軌道に乗せ、次々と実績をあげることのできた秘訣は、まさにこの点に求められよう。同窓会のネットワークに着目した鈴木らの慧眼に敬意を表するものである。
地元密着型の市民ネットのメリットとして、救出すべき資料の所在情報を集めやすいこと、急な要請にも柔軟に対応できることがあげられる。市内の老舗料理店で地震被害と店主の急逝により休業と店舗解体が決まると、郷土研究会のメンバーを中心に歴史資料と店主の絵画作品の保全が行われた。その熱意は、初めてのシンポジウム開催にあわせて企画された救出資料の展示会でも遺憾なく発揮された。
そうまネットの幹事に同窓生のジャーナリストを迎えていることも特徴的である。寺島秀弥はWEBニュースサイトのTOHOKU360で綿密な取材に基づく活動記事を配信している。専任のジャーナリストを抱える資料ネットは稀であろう。そうまネットの活動が全国に配信される形で目に見えるのも、そうまネットの強みである。
そうまネットはこのように多くの強みを持っているが、弱みもある。一般に同窓会組織は昔を懐かしむ高齢者層が中心であり、そうまネット関係者も同様に高齢者が多いため、例えば現場での力仕事には不向きである。蔵1棟を片付ける資料救済活動の経験もなければ、人手も足りず、資料保全のノウハウも専門的知識も持ち合わせていない。そこはふくしま・宮城ネット代表が幹事を務めていることで、ネットワークがもつ経験とノウハウを提供し、専門家や学生・卒業生さらに市民ボランティアに呼びかけて作業従事者を確保し、支援できる体制が整っている。
こうして発足1周年の2023年9月、そうまネットの成果と課題を相馬市民および全国の関係者と共有すべく、相馬高校を会場にシンポジウムが開催された。当日は予想以上の参加者が集まり、新出資料の報告や展示への反響も大きかった。そこでも確認された当面の課題は、救出資料の長期的な保管場所の確保と、市民参加の裾野を広げるための仕掛けづくりである。そして行政との連携は目下最大の難題である。長期的には、市民ネットという画期的な取り組みを維持していくための組織固めと人材の確保、そして市民が地域の歴史を自らの手で護っていく文化の定着である。市民自らの手で運営されるそうまネットの先駆的試みが大いなる刺激となり、全国各地に同様の試みが波及していくことを期待している。
おわりに
地域歴史文化の災害対策、資料救済において求められる地域とのコミュニケーションという所与の課題に応えるものとならなかったことをお詫びしなければならないが、いくつかの手掛かりは示せたように思う。地域コミュニティには地域歴史文化に心を寄せ、資料の所在に精通し、その滅失に危機感を持って立ち上がろうとする人が必ずいて、しかも地域でのコーディネーターになりうる資質を持ち合わせていることが多い。地域における資料救済さらに防災対策の実を挙げるには、こうした地域コミュニティのキーマンとの連携を大切にし、そこから住民たちとの連携の輪を広げていくことが肝要である。郷土史研究会、町内会、市民サークル、同窓会といった既存のネットワークとの結びつきもきわめて有効である。行政間のネットワーク構築はこれからというところも多いだろうが、そこに資料ネットが参画する機会を得られれば、被災資料情報の共有と応援体制の整備が一気に進展することも期待できる。資料ネットに求められる役割は、専門家どうしの連携を密にした上で、既存の多様なネットワークをフラットな関係でつなげる連絡体としての役割を果たすことであろう。それこそが改正文化財保護法の概要で示された、本当の意味での「未指定を含めた文化財の地域社会総がかりでの継承」につながっていくに違いない。
参考文献
・ 阿部浩一・福島大学うつくしまふくしま未来支援センター編『ふくしま再生と歴史・文化遺産』(山川出版社、2013年)
・ 阿部浩一「ふくしまの現場から振り返る11年-できたこと、できなかったこと-」(『史学』92-1・2、2023年)
・ 寺島英弥「福島県沖地震 相馬で文化財級の民家が全壊「貴重な遺産、生かしたい」」、TOHOKU360、https://tohoku360.com/316-soma/(2023年9月12日最終閲覧)
・ 福島県被災文化財等救援本部編集『福島県被災文化財等救援本部活動報告書』(2023年)
・ そうま歴史資料保存ネットワーク『そうまの歴史を守る・つたえる 2023報告書』(2024年)