第8章 救済方法のシミュレーション:災害対策の実務を考える[天野真志]★『地域歴史文化のまもりかた』全文公開

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第8章
救済方法のシミュレーション:
災害対策の実務を考える

天野真志(国立歴史民俗博物館)

はじめに
資料救済に向けた取り組みを推進する上で、担い手の養成は大きな課題となる。第2部で紹介してきたように、災害時にはさまざまな資料の救済と応急処置が要請されるが、各地の被災現場で一連の作業を統括し実践するのは、博物館・図書館・文書館等職員が中心であり、必ずしも資料の保存や修復に関する専門的知見・技術を保有しているとは限らない。災害発生時には、多様な情報が錯綜するなかで的確な状況判断と迅速な作業工程の策定が求められ、災害対策の人材育成を考えるためには救出から応急処置、さらにはその後の恒久的保存に向けた調整に至る一連の作業立案を担いうる考え方や具体的な技術選択の対応力を養成するトレーニングが必要となる。

こうした課題に対し、災害対策を想定したワークショップが開催されている。その内容は多岐にわたるが、近年の傾向を概観すると、おおよそ次の3系統に分類できる。

まず、啓発型ワークショップである。この系統は、主に各地の「資料ネット」や博物館などが主体となって実施するもので、対象を特定せず、具体的な実践方法を紹介することで資料救済の活動を周知し、資料保存・継承に向けた担い手の拡大を目指すという目的が看取される。この活動のなかでは、身近な生活用具などを用いた水濡れ資料の吸水乾燥などを紹介し、資料保存という取り組みの重要性を共有することに重点を置いている。

次に、技術訓練型ワークショップである。ここでは主に、資料の修理や保存に関わる技術者が対象として想定され、被災資料の応急処置やその後の本格修理に向けた技術習得や開発など、専門家の養成を目的としたワークショップとして理解される。

3点目が行動計画型ワークショップである。詳細は第7章の山内論考を参照されたいが、特定の地域を想定し、その地域の多様な関係者との机上訓練により災害時の連絡体制や現地への移動、搬出計画を検討するものである[図1]。

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図1 災害対策を想定したワークショップの傾向

これらのワークショップは、資料救済時の行動を理解する上で有効であるが、災害時に資料救済を現場で担う実務者として求められるのは、直面した被災状況を把握して救済から一時保管に至る作業工程を検討することであり、外部の各種専門家との交渉やボランティア等の調整に至る、現場運営における総合的なマネジメントである。特に、作業工程に関しては、対象となる資料の観察とそれに基づく工程の策定が重要な課題であり、多様な技術や知識のなかから状況に応じた最適な方法を選択することが必要となる。そのためには、作業の全容を把握することに加え、資料への注目点を理解して具体的な対策をシミュレーションすることが重要であり、その意味でワークショップを通した訓練と検討が効果的である。そうした場を設定する際、参加者に実際の作業工程を検討する段階から追体験させ、おのおのが考案した工程の何が有効であり、どの点に問題があったのかなど、失敗も含めた体験の場を提供することで、災害対策の考え方や具体的な行動イメージを共有することができると考える。

以上の問題意識に基づき、本章では資料救済を想定したワークショップについて、資料救済のトータルマネジメントのスキルアップに向けた取り組みについて、その目的と方法を紹介する。

1.目的
筆者はこれまで、自治体職員や博物館学芸員、大学教職員・学生など、資料救済の現場作業を担いうる人びとを主な対象としてワークショップを実施してきた。そこでの課題設定は、被災資料、特に困難な対応が求められる水濡れ資料の対応を想定した救済後の具体的な対応を検討するものである。ここでは、一方的に考え方や技術を紹介するのではなく、参加者相互で具体的に検討し、試行錯誤する場の設定を目指した。

このワークショップでは、救済以降の応急処置から、一時保管に至る一連の作業工程について、何を、どこまで、どのように取り組むべきかを実践的に検討するものである。特に重視するのは、被災した資料に直面した際の資料観察とそれに基づく対処とその考え方である。自然災害が多発するなかで災害対応事例が蓄積され、それらの経験を通して多くの報告書やマニュアルが公開されている。これらを読むことで、災害対応未経験者でも対策のイメージをつかむことは可能である。その一方で、摂取した一連の知識を実践に結びつけるには、作業の全容を把握した上で、得た知識や技術がどの段階で必要になるのか、具体的にどのような状態の資料に対して有効であるのかを理解することが必要となる。ワークショップでは参加者自らが資料の観察と対応の検討を行う。さらに、その結果を参加者相互で議論しながら実践を試み、これらの課題と向き合うことで、必要な技術を得るだけでなく、災害対策のマネジメント力を向上させることを目指している。

2.準備
2.1. サンプル・道具の準備

このワークショップでは、被災資料の応急処置を疑似体験するため、まず検討対象となる被災資料を準備する。もっとも、実物の被災資料を取り扱うのは困難であるため、サンプル資料の準備が必要となる。ここでは、紙資料の救済を想定したサンプルについて紹介する。

紙資料の救済として想定するのは、日本各地の博物館や図書館、文書館、さらには個人宅などに多く残される江戸時代以降の古文書群である。和紙、具体的には楮紙を準備して帳簿や書翰・書付に模した束を作成し、これらを疑似的に被災させる。サンプル資料を「被災」させるために、汚損をイメージさせるための紅茶や緑茶の茶葉(ないしは使用済みコーヒー豆)とぬるま湯とともに資料をビニール袋に入れ、常温にて一晩置いて汚損・劣化を促す。汚損を表現するために泥を混ぜるという選択肢もあるが、会場の環境や健康面を勘案した場合、極力安全なものを準備することを推奨する[図2・3・4]。

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図2 作成した古文書群のサンプル

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図3 茶葉等と混ぜてぬるま湯に浸した状態

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図4 疑似被災状態のサンプル

その他準備品は、なるべく日常的に利用しているものに限定する。例えば、吸水紙であれば新聞紙やキッチンペーパーなど、道具についてはピンセットや刷毛といった、ホームセンター等で誰でも入手可能なもののみを準備しておく。また、場合によっては参加者に対し、資料救済に必要と考えられるものを持参するよう促してもよい。この際のポイントは、「資料救済」などと漠然とした言葉でのみ伝えることである。この呼びかけは、「資料救済」という行為を参加者が具体的にどのような作業として理解し、そのためにいかなる道具が必要と考えているかを把握することにもつながる。

ワークショップ全体を統括するファシリテーターには、過去に災害現場の差配経験のある人物、もしくは保存科学や修復に関する専門家が望ましいが、アドバイザーとしてこれらの意見を得ることができればこれに代えることも可能だろう。

2.2. 課題設定
基本的には資料の救済直後からの対応を想定した課題を設定する。救済に向けた検討については、行動計画の机上訓練として第7章の山内が紹介するものがあり、こうしたシミュレーションと連続的に実施することで全容をイメージすることが可能となろう。

想定する災害については、ワークショップ参加者の主要な活動地域の地理的環境に沿った設定が望ましい。例えば、近隣に大きな川が流れている場合は河川氾濫を想定したもの、沿岸部であれば高潮や津波を想定したもの、山沿いであれば豪雨による土砂崩れを想定したものなどである。その地域で発生した過去の災害を踏まえた被害を想定すると、より具体的なイメージを共有することが可能となるだろう。

参加者は、災害時に救済された資料に対応する現場担当者である設定とし、準備したサンプル被災資料群を各自に渡してその対応を検討させるものとする。検討項目としては、①資料観察、②到達点の設定、③作業工程の3点である。

①資料観察
・スクリーンに投影した被災資料群の画像および配布したサンプル資料群を観察し、資料の劣化や破損に関わるリスクを検討してまず対処すべき作業を判断する。
・そのリスクに対処する上で、作業環境・健康双方の面で留意すべき点を検討する。

②到達点の設定
・応急処置の範疇で作業工程を策定するために、具体的に資料をいかなる状態に導くことを目指すのかを検討する。また、応急処置を終えた資料を一時保管するにあたり、留意すべき点を検討する。

③作業工程
・①と②を実践するための具体的な作業工程を検討する。

以上について、まずは各参加者が誰とも相談せずに単独で検討する。その後、3~5名程度でグループディスカッションを実施し、おのおのが検討した内容を議論してグループとしての作業工程を策定する[図5・6]。

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図5 検討用に用いるテキストイメージ

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図6 検討用に用いるテキストイメージ

3.実践
このワークショップでは、3~5名をグループとして実施する。前述の課題設定を説明の後、単独で10分間検討した後にグループで20分議論を行い、各自が導き出した工程に基づき作業を実施させる。なお、ここまでの段階でファシリテーターは議論に参加せず、あくまで参加者のみで検討と実践を行う[図7・8]。

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図7 ワークショップの様子(2023年5月20日 福島大学)

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図8 ワークショップの様子(2023年11月27日 埼玉県)

一連の検討と実践を終えた後、各グループから検討内容を発表し、ワークショップ全体での検討に入る。検討では、各グループからの発表に対してファシリテーターが、検討項目に対する評価点と課題、改善に向けた提案をコメントする。ファシリテーターは、以下の点に重点を置いてコメントを付す。

まず資料観察の妥当性である。被災した季節と救出までに要している時間、資料群としての規模や対象とされる資料の性質を踏まえ、参加者が被災状況を具体的に想定できているかがポイントとなる。その際、画像やサンプルでは追体験できない被害状況、特に臭気やカビのリスクを説明し、資料に対するアプローチだけでなく、そのための事前準備として健康被害対策や搬出先の環境対策などに留意する必要性を伝えることが重要となる。

到達点の設定と作業工程については、応急処置という段階があくまで一時的な措置であるという前提に立ち、現場作業として無理なく策定できているかを判断する。参加者に救済活動の経験者がいる場合は、その経験や実績を尊重しつつ、状況に応じてさまざまな意見や方法も踏まえて総合的に検討する必要性を伝え、特定の考え方に固執せずに対応することの重要性をコメントすることもある。

それぞれの意見を踏まえてコメントした後、ファシリテーターは、全体の議論を総括するかたちで、救出から応急処置に至る工程の基本的な考え方を解説する。これらの考え方について、筆者が実施するワークショップでは、本書第1部および第2部の内容を前提としている。その考え方に基づき、あらためて各参加者が実施した作業内容を検討し、より安全で効果的な工程を確認した上で、サンプルを用いてその方法を実践する。最後に、ワークショップ中で実践した作業が、災害対策全体のなかでどの段階に位置するものかを確認し、ワークショップを終了する。

おわりに~失敗を経験して検証する~
本ワークショップの目的は、参加者が主体的に検討・議論を行い、被災資料救済の作業工程の策定やそのための技術選択に関する考え方を習得することにある。筆者が実施するワークショップでは、一方的な講義形式に終始せず、参加者が保有している知識や技術が実際の作業現場でどのような役割を果たせるのか確認することに重点を置く。その際、検討・実践の過程でサンプル資料を破損させてしまうことも想定されるが、むしろ失敗を体験することでその原因を自らで検証し、相互議論によって解決策を検討することが可能となる。実際の現場では体験しえない失敗を経験し、そこから教訓を得ることは、ワークショップにおける重要な機会でもあるだろう。

資料救済に関するマネジメント力の習得に関して、将来的には、一連の作業を運営する能力を身につけるカリキュラムが大学教育や博物館学芸員、自治体関係職員の研修等で整備されることが理想であろう。また、紙資料に限定されない多様な資料群を想定した総合的な対応力の習得も求められるが、これらの課題に向き合いながら、今後も資料救済トレーニングのあり方を議論していくことが必要となる。


参考文献
・ 天野真志「資料保存の担い手と技術をつなぐ」(天野・後藤真編『地域歴史文化継承ガイドブック』文学通信、2022年)
・ 天野真志「紙媒体資料の救済を想定したシミュレーションワークショップの検討と実践」(文化財保存修復学会第45回大会ポスター発表、2023年6月25日)
・ 高妻洋成・小谷竜介・建石徹編『入門 大災害時代の文化財防災』(同成社、2023年)
・ 松下正和・河野未央編『水損史料を救う』(岩田書院、2009年)