<うたと信仰>シリーズ第2回シンポジウム 「受容に見る<うた>と信仰」(2023年12月9日(土)14:00~17:30、早稲田大学早稲田キャンパス22号館508号室+オンライン)※要申込

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公式サイトはこちら。
https://www.waseda.jp/inst/wias/news/2023/10/30/14246/

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日時:2023年12月9日(土)14:00~17:30
会場:早稲田大学早稲田キャンパス22号館508号室
ハイブリッド形式(要事前申し込み)※上記公式サイトより。

趣旨説明
このシンポジウムシリーズの第2回目では、仏教と神祇信仰の他、キリスト教文化圏とイスラーム文化圏にも視野を広げ、そこでさまざまな信仰を担っていた者たちが神的領域に接近するに際して用いていた言語活動、すなわち、歌や詩、叙事詩、賛美、讃嘆などに注目し、その宗教性とその受容と継承を考える。具体的には、それぞれの宗教の〈うた〉の他文化圏における翻訳、受容、変容を通して、その特徴や宗教間の共通点・相違点などについて明らかにし、文化比較、文化交流の可能性について考察を行う。

講演者
中西恭子(津田塾大学国際関係研究所 特任研究員)
主要業績に『ユリアヌスの信仰世界―万華鏡のなかの哲人皇帝―』慶應義塾大学出版会、2016や、「多面的光源体としての西脇順三郎」没後40年 西脇順三郎──無限の過去、無限の未来(慶應義塾大学アート・センター Booklet 30) 30、2023年3月、116~132頁などがある。

フィットレル アーロン(早稲田大学高等研究所 講師)
主要業績に「平安時代の和歌と草木成仏説」『国語国文』 88(10)、2019年10月、京都大学、 1~21頁や、「和歌における同音異義表現の物象と人事との間の関連性について」『人文』21号、2023年3月、学習院大学、 47~68頁などがある。

宮下遼(大阪大学大学院人文学研究科 准教授)
主要業績に『物語イスタンブールの歴史:「世界帝都」の1600年』中公新書、2022年、Shaping The Field of Translation: In Japanese ↔ Turkish Contexts(2 vols.)、Peter Lang(Berlin)、 2019年(共編著)や、『多元性の都市イスタンブル:近世オスマン帝都の都市空間と詩人、庶民、異邦人』大阪大学出版会、2018年などがある。

和﨑聖日(中部大学人文学部 准教授)
主要業績に「ムハンマド=サーディク・ムハンマド=ユースフの軌跡:ウズベキスタン・イスラームにおける非党派主義と中道主義の萌芽過程」『アジア・アフリカ言語文化研究』第102号、33-62頁や、『交霊とイスラーム:バフシの伝えるユーラシアの遺習』東京ドキュメンタリー映画祭 2022人類学・民俗映像部門コンペティション入選、2022年12月13・ 22日, 東京 新宿K's Cinemaなどがある。

司 会
アンダソヴァ マラル(早稲田大学高等研究所 講師)
主要業績は『古事記 変貌する世界』ミネルヴァ書房、2014、『ゆれうごくヤマトーもう一つの古代神話』青土社、2020

言語:日本語

プログラム
14:00~14:05 開会の挨拶(フィットレル アーロン)

14:05~14:35
キリスト教古典詩の翻訳と日本語聖歌/讃美歌(中西恭子)
日本語世界における「西洋古典詩」受容の過程において、「異教古代」の作例となる古典ギリシア語詩・ラテン語詩の翻訳とともに、信仰実践の場で歌われることを前提とする後期古代から中世にかけて作詩されたキリスト教古典詩の翻訳は宗教と古典のインカルチュレーションについて貴重な示唆を与える。教義の曲解を退けてなおかつ礼拝の場で歌われるにふさわしい自然な日本語韻文への翻訳が大きな課題だったからだ。
ローマ・カトリック教会の場合にはラテン語詩のまま歌われる聖歌と日本語詩に翻訳される聖歌を当初分けて扱った。正教会においては漢文脈の日本語への翻訳文化を重視した。プロテスタント諸派でも、降誕祭の聖歌として歌われるウェナンティウス・フォルトゥナートゥス「久しく待ちにし」(Veni, veni, Emmanuel)のようにキリスト教文学の共通遺産として継承されてきたラテン語詩の日本語訳を課題とした。
キリスト教古典詩の学術的翻訳・紹介は途上にあるが、本報告では、キリスト教古典詩の翻訳史を素描しつつ、歌われる詩と思想の器として読まれる詩のゆくえについて考察する。

14:35~15:05
釈教歌の外国語訳における仏・菩薩・仏法と人間との関係―人称を手掛かりに―(フィットレル・アーロン)
和歌では、主体が明確にされないことが通例である。仏典の内容を和歌に詠む、または詠者の仏・菩薩・仏法などとの関係や信仰などを表す釈教歌の場合、当該和歌が詠まれた場と目的と、典拠となる仏典との関係によって、主体が何ものであるのかを判断することになる。公的な場で詠まれた題詠の場合、共同体の共通する思考が想定され、詠歌主体は一人称複数である可能性がある一方、個人の信心を表す和歌の場合、一人称単数と見る方がより自然であろう。また、題となる仏典に出てくる菩薩や人物の立場になって詠まれた釈教歌も少なくない。和歌を西洋諸語に翻訳する際、主体を特定することが一般的であるが、釈教歌の先行翻訳を見ると、主体は一人称単数が圧倒的に多いことに気づく。本発表では、釈教歌の原典の詠歌主体または詠まれた主体に注目したうえ、それを外国語訳と照らし合わせ、翻訳者がどのように場や目的を異にする釈教歌における仏・菩薩・仏法などと人間との関係を捉えてきたのかについて、『発心和歌集』と『新古今和歌集』の英訳を中心に検討する。

15:05~15:35
ディーワーン詩における信仰と創作―シェイフ・ガーリプ『美と愛』の翻訳を巡って―(宮下遼)
オスマン帝国において詩歌は広くムスリムに愛好されると共に、ときに世論形成の重要なメディアとなり、またときに立身出世の手段として用いられるなど幅広い社会機能を有した。宗教者たち(ウラマー、スーフィーなど)もまた、立身や宣教、自己修養、信仰心の発露のため盛んに詩を詠んだことが知られているが、そうした作品群は詠み手の社会的地位、所属教団、使用言語等の点であまりにも大きな差異を持つため、トルコ古典文学研究において「宗教詩」のような一括的枠組みで分析されることはほぼない。そこで本報告ではまず、オスマン帝国期の詩歌のうち宗教的とされる作品群を類別してその全体像を提示したのち、わけても現代トルコ語との疎通性が低く、従って翻訳必要性の高いオスマン語の神秘主義詩シェイフ・ガーリプ『美と愛』を例として取り上げ、その翻訳の試みについて考察する予定である。

15:35~16:05
信仰にいざなうスーフィー詩―現代中央アジアのムスリム民衆生活の一断片―(和﨑聖日)
中央アジアにおいてスーフィズム(イスラーム神秘主義)、とりわけスーフィー詩は、遊牧民のイスラーム改宗に大きな役割を果たしたとされる。従来アラビア語とペルシア語で表現されてきたスーフィズムの難解な思想を、この地域で当時愛されていた民謡(単純な韻文詩)を用いてテュルク語で平易に説いたからである。本報告では、歴史的に遊牧民と定住民が交流や交易、衝突などを繰り返して来た、両者の「接触地帯」に位置する現在のウズベキスタンを対象地域として取り上げる。そこでは今なお、生活のさまざまな場でアフマド・ヤサウィー(?-1166/67)やマフトゥームクリ(1733-91)など遊牧民出自のスーフィー作と考えられる詩が、朗唱され、ムスリム民衆に自らの人生や信仰のあり方を見つめる機会を提供している。

16:05~16:25 休憩
16:25~17:25 パネルディスカッション
17:25~17:30 閉会の挨拶(アンダソヴァ マラル)