第3部 料紙から古文書を読む 3 マイクロスコープで「読む」★『古文書の科学』全文公開
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マイクロスコープで「読む」
渋谷綾子
1.マイクロスコープを知る
自然科学分析で用いる主要な機材として、顕微鏡とマイクロスコープがある。顕微鏡は、対物レンズと接眼レンズという二つの凸レンズを用いて、肉眼では見えない微少な物体を拡大し観察する装置である。研究で用いられる顕微鏡は、観察対象(試料)に可視光や紫外光などを当てて観察するため、光学顕微鏡と呼ばれる【注】1。一般的に利用されているものは、生物顕微鏡またはその構造に応じて正立/倒立顕微鏡と呼ばれ、倍率は数十倍から1500倍程度を指す。生物顕微鏡は代表的な顕微鏡であり、観察対象をスライスした後、プレパラートに固定してスライド上で観察する。倍率は50~1500倍程度である。双眼実体顕微鏡は、昆虫や鉱物など観察対象をスライスすることなく、実物のまま観察することができる。倍率は10~50倍程度である。双眼タイプのため、対象物を立体的に観ることができる。正立顕微鏡は観察対象を上から観察する装置であり、プレパラートに載せて観察する場合に使用する。倒立顕微鏡は観察対象を下から観察する。シャーレ内の培養液に浸けた細胞などの観察に用いられる。観察の現場では通常、数倍程度の拡大観察は虫眼鏡やルーペ等の拡大鏡を使用し、10~50倍では双眼実体顕微鏡、50~1500倍までは正立/倒立顕微鏡を使用する。
一方、マイクロスコープは対物レンズのみの装置である。焦点深度(レンズのピントが合って見える範囲)が深く、角度や長さを計測する機能をもつ。光学顕微鏡の接眼レンズに相当する部分がデジタルカメラとなり、観察対象をモニターに映す。料紙の分析ではこのマイクロスコープが使用されている。
顕微鏡やマイクロスコープは各メーカーからさまざまな機種が販売されており、観察する対象物や目的に沿って最適な倍率と分解能(細部を識別する性能)をもつ機種を選定する必要がある。どちらの機材も用途や性能によって値段が異なる。マイクロスコープについては、倍率や視野範囲の狭いものは1万円前後から取り扱いがあり、予算や用途にあわせて選ぶ必要がある(渋谷・横田2022)。本章では、私たちの研究方法を例として、料紙研究における機材の選び方、分析基準や撮影・記録の方法、マイクロスコープで何がわかるのか、という三つのポイントから解説する。
2.マイクロスコープを選ぶ
(1)用途に応じた選び方
既存の料紙調査では、繊維素材の識別、填料や糊痕跡の有無の確認のため、100倍のマイクロスコープを使用することが多い(たとえば高島2017, 2020; 本多2017)。400倍以上の高倍率の機器は一部を除いてあまり使われていない。ただし、填料の同定、特にデンプン粒の植物種や鉱物の同定、柔細胞・細胞組織等の詳細な識別、それぞれの計測を行うためには、400倍以上の視野条件での観察が望ましい。私は、以下のDino-Liteシリーズ3種類の倍率可変式マイクロスコープ(図1)とバックライトを組み合わせて、対象史料に合わせて使い分けている。
図1 使用しているデジタルマイクロスコープ3種類と撮影画像 撮影画像は同じ楮紙サンプル(米粉入り)の同じ箇所で撮影
①Dino-Lite Edge S FLC Polarizer(偏光)
Dino-Liteシリーズ用精密スタンドRK10(静電防止仕様)と合わせたDino-Lite R & D(研究開発)セットで使用している。スタンドと合わせて約15万円で購入した。このマイクロスコープは約10~220倍での観察に対応することができ、私たちの調査では最大限の220倍に固定して使用している。内部にポラライザー(偏光フィルター)が入っており、透過光では試料の偏光および複屈折特性を観察することができる。この機器は透過光・反射光での撮影が可能である。対象史料の現況によっては、たとえば巻子や裏打ちが厚いものなど、透過光での観察・撮影が難しいものもある。その場合は反射光で調査を行うことが可能である。
填料のデンプン粒は、本書第2部で解説しているように、偏光で観察すると、粒芯の中央部、形成核(ヘソともいう)の位置に、デンプン粒特有の複屈折に伴う十字状の暗線(偏光十字)が観られる。この暗線は細胞組織や鉱物などの物質には確認されない、デンプン粒特有の特徴である。マイクロスコープのポラライザーと直交方向になるように、バックライトにも偏光フィルターを装着すると、料紙の構成物の詳細を識別することができる。
②Dino-Lite Premier S Polarizer(偏光)400×
400~470倍での観察が可能であり、①と同じく偏光機能を搭載している。この機器も透過光・反射光での観察・撮影が可能である。購入当時の金額は約9万円である。
本機は高倍率のため、①よりもレンズの可動範囲は非常に狭く、①と同じ対象物の同じ箇所で観察を行う場合、被写界深度(ピントが合って見える範囲)が大きく異なる。私たちの調査では450倍で固定し、①の220倍で観察・撮影した後、デンプン粒や鉱物などの特徴的な物質を対象として本機を使用している。マイクロスコープも顕微鏡も、一般的に、倍率が高くなると計測誤差が生じやすくなる。さらに、本機については、機器の限界倍率470倍に設定すると、調査室内の微風や観察台の細かな振動などに影響され、倍率目盛りが460~469倍というやや低い方へずれてしまうことがわかった。450倍での観察・撮影に統一し、可能な限り誤差の発生を抑えている。
③Dino-Lite Premier M Fluorescence(蛍光)TCFVW
20~220倍での観察が可能である。購入当時の金額は約8.5万円である。標本サンプルを染色なしで観察できる本機は、シアン色蛍光の観察・撮影ができ、白色LED照明を利用すれば、外光に頼らず同じ状態での撮影が可能である。私たちの調査では、①と同じ220倍に設定して同じ視野条件のもとで、料紙内の細胞組織や柔細胞、繊維、鉱物の構造成分を発光させ、物質の識別を行っている。
Dino-Liteにはこれら3種類以外に、解像度や出力先、偏光フィルターなどの機能の異なる多様なラインナップがあり、いずれも軽量可搬型である。考古学や文化財科学の調査・研究でもしばしば使用されており、料紙分析以外の調査、たとえば遺跡出土の人骨や動物骨、石器の観察などにも対応できる汎用性の高さから、私たちは上述の3種類を導入した。マイクロスコープや顕微鏡は、各自の用途や予算にあわせて選定いただきたい。
(2)キャリブレーション(較正)
キャリブレーションとは、計測装置の示す値が正しいかどうか、基準となる標準器や標準試料を使って比較し、その誤差(差異)を修正する作業である。マイクロスコープや顕微鏡は、USB接続でパソコン(PC)と接続して使用する(マイクロ・スクェア社2021)。これらの機器が示すサイズを、PC画面で正確に、かつ安定して再現させることによって、対象物の正確な寸法を計測することができる。
機器の設定で最初に行う作業は、対物ミクロメーター【注】2をPCに映し出し、そのメモリの2点間をマウスで指定、距離をPCに入力することである。これにより、PC画面上に映し出された対象物の長さを、2点の距離を基準にして測定することになる(渋谷・横田2022; マイクロ・スクェア社2021)。図2には、対物ミクロメーターと220倍で撮影した画像、キャリブレーション時の計測方法を示している。
図2 対物ミクロメーターとキャリブレーション時のメモリ線の計測方法
使用するマイクロスコープ・顕微鏡、計測ソフトの仕様によるが、計測精度を高めるコツは主に下記の二つである。すなわち、キャリブレーション時に測定する線の長さは1mm以内、あるいは0.5mm等の1mmよりも短めにして行うこと、メモリの刻み線には印字の厚みがあるため、線の内側~外側または外側~内側で計測することである(マイクロ・スクェア社2021)。実際の対象物を計測する際の手順については、機器や計測ソフト自体の解説書を参考にしてほしい。
3.マイクロスコープで観察・撮影する
(1)分析項目と識別基準、撮影項目
史料調査の現場で対象とする料紙の特徴を見極めることは、分析の方針を決めるために重要な作業である。歴史学、古文書学、文化財科学、植物学など分野によって着目する要素や分析手法は異なる。分析を行う際、まず初めにこの分析で何を解明したいのかを考えることが必要である。特に、各調査者の感覚に左右され、自分の仮説に都合の良い利用につながるような、相対的(主観的)な分析項目や識別基準は避けるべきである。分析結果の再現性や客観性が確保される分析プロセスの確立、数値のデータ化が可能な分析項目・基準の設定、および研究チーム内での調査方法の統一【注】3は、オープンサイエンスの時代における、これからの古文書料紙研究のあり方であると考える(Shibutani 2022; 渋谷ほか2021)。
下記の基本項目は、先行研究で蓄積されてきた計測数値にもとづき、料紙の構成物の種類の特定と量・密度の計測を実施し、植物学的特徴とあわせて記述するためのものである。具体的には、各所蔵機関での資料番号や資料名、コレクション名、資料の作成年月日や点数など資料の基本情報とともに、顕微鏡撮影画像について、撮影倍率や撮影箇所等の記述情報、料紙の構成物の種類・量・密度、同定結果を項目とし、あわせて植物学的特徴にもとづく構成物の識別基準を設定した。次に、構成物のうち、填料(料紙の製造過程で添加される物質)がどの時期の料紙に含有されるようになるのか、料紙の製法における時期的な変化を検討するため、填料に由来するデンプン粒と鉱物に焦点を当て、デンプン粒の植物種の同定結果、鉱物の含有量、糊痕跡の有無を項目に設けた(渋谷ほか2021)。
①史料の基本情報
各所蔵機関での資料番号や資料名、コレクション名、史料の作成年月日(史料の本文からわかる場合のみ)、史料点数、料紙の繊維素材(コウゾ、ガンピ、ミツマタ、タケ、宿紙【注】4などの分類)、料紙の形態情報(現状長、現状幅、重量、厚さの計測結果)。
②マイクロスコープ・顕微鏡撮影の情報
撮影倍率や撮影箇所、撮影光(反射光/透過光/蛍光)、偏光ポラライザー使用の有無。
③構成物の情報
同定結果の概要、デンプン粒の有無と植物種(イネ/イネ科穀類/トロロアオイ/ノリウツギ/ほか)、ほかの植物性物質(細胞組織の断片や柔細胞、繊維の断片などの分類)、鉱物や塵など植物以外の物質、糊痕跡の有無と糊痕跡のある場合は残留状態の概略など。
(2)撮影手順と数値による記録
マイクロスコープでの観察・撮影時は、文字の有無を問わず、料紙の大きさにあわせて一紙につき数カ所を選択し撮影する。このとき、一紙の上下左右からの位置情報として数値による撮影箇所の記録を行っている。この複数箇所を選択して観察・分析する方法は、考古資料に対する残存デンプン粒分析で実施されている手法を応用したものである。料紙のどの箇所にどれぐらいの量の構成物が存在するのかを点的に表示することができ、撮影位置の数値記録により再現性を担保する。一紙の単位面積(裏打ちや装丁のある場合)または単位体積(裏打ちや装丁が施されていない場合)当たりの構成物の密度を算出すれば、史料の特徴の比較が可能となるため、定点的な調査は行っていない。
さらに、コウゾ・ガンピ・ミツマタなどの料紙の素材と史料の現況にあわせて透過光または反射光、構成物の種類にあわせて偏光ポラライザーを用いる。偏光ポラライザーを用いる理由は、本書第2部や本章2(1)で述べたように、填料の米粉に由来するイネのデンプン粒、ネリに由来するトロロアオイのデンプン粒、そのほかの植物性物質、鉱物などを識別するためである。
以上の撮影方法を示したものが図3である。その方法で本書第2部、本章の画像を撮影した。
図3 マイクロスコープによる撮影手順と数値による撮影箇所の記録
4.マイクロスコープでわかる
古文書料紙の科学研究では、マイクロスコープや顕微鏡で撮影した画像などのデジタル画像や分析項目の記述などの情報が大量に生成される。史料自体の情報とあわせて「見える化」すれば、多様な研究データを共有することができ、史料の性質にあわせた修理や長期保存の方法の創出につながる。マイクロスコープを用いた料紙の分析でどのようなことがわかるのか、実際の報告事例から紹介する。
私たちがこれまで行ってきた調査のうち、松尾大社所蔵史料(渋谷ほか2021)ならびに公益財団法人陽明文庫所蔵史料(渋谷ほか2022)の調査では、料紙の構成物の種類の特定と量・密度の解析を行った。研究成果の詳細は各論文を参照いただきたいが、抄紙過程で添加された填料の米粉に由来するイネのデンプン粒、およびネリに由来するトロロアオイのデンプン粒の比較結果、細胞組織・柔細胞・繊維の含有状況、単位面積あたりの量(面密度)をそれぞれ調べた。結果として、それぞれの料紙の構造がどのようなものかわかってきた。料紙研究の公開性と透明性を支え、各種データのアクセシビリティを向上するため、統計解析環境RとR言語で使用できるグラフ描画用パッケージのggplot2を用いて、松尾大社・陽明文庫の所蔵史料の料紙分析で得られた各種データの分布と構造の可視化を行った【注】5。
(1)松尾大社所蔵史料の料紙分析
松尾大社は京都市西京区嵐山宮町に鎮座する。賀茂別雷神社とともに平安京遷都以前からの歴史をもち、『延喜式』神名帳に掲載される。松尾大社の社家には、秦氏の後裔である東家・南家がおり、近世になると多く分かれた(松尾大社2007)。明治維新後,明治3年神祇官より非蔵人・諸官人などの社家が兼務することが禁じられ、明治4年に明治政府によって神職の世襲が廃止されるなど、社寺に対するさまざまな改革によって管理体制が変化するなか(今西ほか2011)、東家と南家は神職から去ることとなった。その結果、松尾大社の史料の一部は散逸するが再収集が進められ、現在は約2000点の史料が所蔵されている(野村2020; 森岡2003)。現在の松尾大社所蔵史料は、中村直勝『松尾神社社蔵文書目録』(刊本1号~1246号)(松尾神社1936)、棚橋信文・佐藤直市『松尾大社社蔵文書追加目録』(刊本1247号~1802号)(1959)の文書目録の順に沿って番号が付されており、前半は成巻され、後半は裏打ちのみである(野村2020)。松尾大社所蔵史料の詳細は、本書第3部の野村原稿で取り上げているので、そちらを参照願いたい。
既述の報告(渋谷ほか2021)では、鎌倉時代から江戸時代後期の史料63点の分析を行った。分析の結果、構成物のなかで最も多く見られた物質は細胞組織の微細な断片や柔細胞であり、次いでデンプン粒、繊維、鉱物であった。製紙過程や装丁・修復過程で付着したと思われる塵も一部で確認されたが、ネリに用いられたノリウツギの針状結晶や胡粉の粒状物質は、分析対象の史料には見られなかった。これらの物質の含有量は調査史料の撮影箇所における総計であり、料紙全体の含有量を示しているわけではない。デンプン粒については、イネのデンプン粒が最も多く含まれ、種不明、トロロアオイのデンプン粒も見られた。糊の痕跡を示すような、熱を受けて糖化したデンプン粒【注】6は見られなかった。松尾大社所蔵史料の料紙に含まれたデンプン粒の特徴として、イネ、トロロアオイ、種不明のいずれも現生標本より粒径の分散が大きいことがわかった(図4(1))。
図4 料紙内のデンプン粒と料紙の単位面積あたりの構成物量(面密度)
(1)松尾大社所蔵史料63点の料紙に含有されたデンプン粒と現生デンプン粒標本の粒径比較図(黒丸は平均値、線は標準偏差)
(2)陽明文庫所蔵史料の料紙分析
京都市の西北に所在する公益財団法人陽明文庫は、旧公爵近衛家で長年にわたって伝襲されてきた大量の古文書・古典籍、古美術工芸品を一括して保存管理する歴史資料館で、国宝8件、重要文化財60件などの指定文化財を含む奈良・平安時代以降、幕末、明治・大正・昭和までの、10数万点以上の資料がおさめられている(名和2016)。陽明文庫での各種調査研究については、1976年から国文学研究資料館による調査・マイクロ撮影が行われ、科学研究費補助金学術創成研究プロジェクトなど複数のプロジェクトによって、全収蔵目録のデジタル化、『御堂関白記』など歴代関白記のデジタル映像データ化などが実施されてきている。また、陽明文庫所蔵の文書類は、一部を除き一般文書目録に記載されて5桁の史料番号が付与され、公式ウェブサイト【注】7では、所蔵史料の一部に関する画像データが「陽明文庫デジタルアーカイブ」として公開されている。陽明文庫所蔵史料の詳細は、本書第3部の尾上原稿で取り上げているので、そちらを参照願いたい。
既述の報告(渋谷ほか2022)では史料112点の分析を行った。内訳は、「伊達政宗書状」など伊達政宗(1567~1636)に関係する史料32点、「近衛稙家書状」など近衛稙家(近衛家15代、1503~1566)に関係する史料23点、「近衛前久書状」など近衛前久(近衛家16代、1536~1612)に関係する史料21点、「近衛信尹書状」など近衛信尹(近衛家17代、1565~1614)に関係する史料25点、そのほかとして「寛文五年応円満院御記」など11点である。これらの史料をすべて分析した結果、細胞組織や柔細胞はほぼすべての料紙に見られ、デンプン粒は24点の料紙、鉱物は27点の料紙に見られた。デンプン粒はイネが10点、トロロアオイが15点、種不明が1点の料紙において確認された。鉱物について、炭酸カルシウムやカオリンは確認することができなかったが、長石と思われる鉱物が識別できた。一部の料紙では製紙過程や修復時に付着したと思われる塵も見られた。
構成物のうちデンプン粒については(図4(2))、近衛信尹・近衛前久・伊達政宗発給文書のいずれにおいても、イネのデンプン粒の粒径は現生標本と同じ粒径範囲に集中し、明瞭な形態学的差異はほぼなかった。近衛前久発給文書では標準偏差がやや大きいが、全体としてそれほど大きな分散は見られなかった。トロロアオイのデンプン粒については、近衛信尹・近衛前久・伊達政宗の文書それぞれで粒径の分散が大きく、近衛信尹発給文書では顕著に大きかった。
図4 料紙内のデンプン粒と料紙の単位面積あたりの構成物量(面密度)
(2)陽明文庫所蔵史料24点の料紙に含有されたデンプン粒と現生デンプン粒標本の粒径比較図(黒丸は平均値、線は標準偏差)
陽明文庫所蔵史料についてはさらに、単位面積あたりの構成物量である面密度を算出し、統計解析ソフトRを用いて解析を行い、史料グループ(発給文書)ごとの特徴を検討した(図4(3))。
図4 料紙内のデンプン粒と料紙の単位面積あたりの構成物量(面密度)
(3)陽明文庫所蔵史料の料紙における面密度(単位面積あたりの構成物量)
そのほか(ガンピ)と伊達政宗発給文書(ガンピ)のどちらも標本数が各1点と少ないため、史料グループの特徴につながる差異は見られなかったが、近衛稙家発給文書については、素材のコウゾとガンピは面密度の差異があり、コウゾは面密度が大きく、ガンピはやや小さかった。コウゾを素材とする近衛稙家発給文書、近衛前久発給文書、近衛信尹発給文書、伊達政宗発給文書については、面密度に大きな差異が見られた。近衛信尹発給文書では分散はあるものの、面密度は0.15よりも小さい範囲に集中する。近衛稙家発給文書は面密度の分散が最も大きく、0.10~0.15超の範囲のものが多かった。0.20を超える料紙も存在した。近衛前久と伊達政宗の発給文書については、どちらも面密度が0.05以下の範囲に集中した。
全体の結果として、近衛前久と伊達政宗の発給文書において料紙の性質が類似していることがわかった。この料紙の類似性(共通性)は、時期の特徴を示している可能性と、発給者である伊達政宗が公家文書の料紙と同じ製法の料紙を選択したという可能性の2通りを考えることができる。詳細な検討を行う必要があるため、報告(渋谷ほか2022)では可能性の提示にとどめ、再検討を進めている。
5.まとめ
料紙の科学分析については研究成果の膨大な蓄積事例が存在する。しかし、分析に用いるマイクロスコープや顕微鏡をどのように選び、使用し、何を明らかにできるのか、基本情報をまとめて示した文献はなく、それぞれの研究論文や報告書における一部の記載にとどまっている。料紙の調査研究を行うすべての人が自然科学的な知識をもち、機器や設備の使用に慣れているわけではない。そのため、調査で獲得される自然科学的なデータは不十分となり、分析結果やそこから導かれる解釈に大きく影響を与えてしまう。史料の状態によっては調査後に修理が行われ、失われてしまう情報もあるだろう。さらに、従来の研究では、調査者によってデータの取得方法や対象とするデータ項目が異なり、客観性の不足が指摘されてきた。蓄積されてきた多種多様な研究データへのアクセスも限定され、近年の研究データのオープンサイエンス化への要望に十分対応できているとは言えない。
本章がこれらの課題のすべてを網羅し解説しているわけではないが、マイクロスコープなどの分析機器や設備を使うことのない・少ない人が、料紙の科学分析を試みるにあたり、どのような機材を選び、どう使用すればよいのか、マイクロスコープの特徴、ならびにマイクロスコープによって料紙の何がどのようにわかるのかについて記述した。史料の状態や調査の目的、経費や期間など、料紙の調査に関わる諸条件はそれぞれ異なるが、ここに記した内容が参考となれば幸いである。
【注】
1 一般に顕微鏡といえば、光学顕微鏡を指す。ほかに電子顕微鏡や走査型プローブ顕微鏡などがある。顕微鏡の主な種類については、キーエンス社による「顕微鏡入門ガイド」<https://www.keyence.co.jp/ss/products/microscope/beginner/>(2022年8月4日アクセス)に基本的な用語などが掲載されており、そちらを参照願いたい。
2 標準付属のガラススケールであり、10mmを100μm(=100/1000mm)刻みで表した線幅である。
3 これらは考古学や植物学における調査・分析手法の応用である。
4 一度文字を書いた使用済みの紙を漉き直して作った薄墨色の紙。
5 顕微鏡撮影画像や使用コード等の研究データはそれぞれ、GitHub(松尾大社<https://github.com/ashibuta/HI-kiyo_matsunoo2020.git>、陽明文庫<https://github.com/ashibuta/HI-kiyo32>)にアーカイブし、公開している。
6 デンプン粒は水中で加熱されると粒子が膨潤し、その粘性が高まって糊状になる(糊化)。糊化する温度は植物によって異なり、たとえばイネ属は摂氏61~77.5度で糊化する。
7 http://ymbk.sakura.ne.jp/ymbkda/index.htm(2022年8月19日アクセス)。
引用文献
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今西亜友美・杉田そらん・今西純一・森本幸裕「江戸時代の賀茂別雷神社の植生景観と日本林制史資料にみられる資源利用」『ランドスケープ研究』74-5、2011
渋谷綾子・横田あゆみ編『古文書を科学する--料紙分析 はじめの一歩』東京大学史料編纂所研究成果報告2021-9、東京大学史料編纂所、2022
渋谷綾子・高島晶彦・天野真志・野村朋弘・山田太造・畑山周平・小瀬玄士・尾上陽介「古文書料紙の科学研究:陽明文庫所蔵史料および都城島津家史料を例として」『東京大学史料編纂所研究紀要』32、2022
渋谷綾子・野村朋弘・高島晶彦・天野真志・山田太造「考古学・植物学を活用した松尾大社社蔵史料の料紙の構成物分析」『東京大学史料編纂所研究紀要』31、2021
高島晶彦「箚付料紙の自然科学的手法」『東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信』 76、2017
高島晶彦「デジタル機器を利用した楮繊維の分析」『古文書研究』90、2020
棚橋信文・佐藤直市編『松尾大社々蔵文書追加目録』松尾神社、1959
名和修「陽明文庫の沿革―成り立ちといまのありよう」『近衞家名宝からたどる宮廷文化史:陽明文庫が伝える千年のみやび』(田島公編)笠間書院、2016
野村朋弘「中世後期の松尾社神祠官について」神道史学会大会(web)、2020
本多俊彦「文書料紙調査の観点と方法」『東アジア古文書学の構築―現状と課題―』(小島浩之編)東京大学経済学部資料室、2017
マイクロ・スクェア社『計測精度を高めるキャリブレーション(校正)のコツ』 https://www.microsq.com/archives/575 (2022年8月17日アクセス)
松尾神社編『松尾神社社蔵文書目録』松尾大社社務所、1936
松尾大社編『松尾大社』学生社、2007
森岡清美「明治維新期における藩祖を祀る神社の創建―旧藩主家の霊屋から神社へ,地域の鎮守へ―」『淑徳大学社会学部研究紀要』37、2003