第2部 料紙の構造をさぐる 2 添加物をさぐる★『古文書の科学』全文公開
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添加物をさぐる
渋谷綾子
1.料紙の添加物
古文書や古記録等の料紙には、原料となる植物の繊維、繊維原料に由来する細胞組織や柔細胞、抄紙過程で紙料液に加えられる填料、ネリ、修復時の糊などが含まれている。填料としては、主に米粉や鉱物質の白土が利用され、ネリにはトロロアオイやノリウツギなどが用いられる(本書1-3参照)。デジタルマイクロスコープ【注】1を用いて料紙の表面を観察すると、米粉に由来するイネのデンプンの粒子(デンプン粒)、白土に由来する鉱物の粒子、ネリに用いられたトロロアオイのデンプン粒、ノリウツギの針状結晶(シュウ酸カルシウムの結晶)、繊維原料に由来する細胞組織や柔細胞、繊維の微細な破片などを確認することができる。
この章では、古文書料紙に含まれているデンプン粒や鉱物、細胞組織、繊維の特徴や識別方法、分析におけるポイントについて、実際に史料調査で撮影した画像データを用いながら解説する。
2.デンプン粒
(1)デンプン粒とは何か
植物のデンプン粒は、太陽光のエネルギーを使って植物が空気中の二酸化炭素と水から作り出す物質である。高等植物の種子や果実、茎(幹)、葉、根などにたくわえられ、植物のエネルギー源として機能している(Sivak & Preiss1998; 渋谷2014 2019)。非常に安定した化学構造をもつため、熱を受けない限り、酸にもアルカリにも強く、どのような環境でも、長期間土壌に埋没しても何千年もの間残っている(Gott et al. 2006)。さらに、植物の種(species)によって粒子の大きさ(粒径範囲)【注】2、外形、偏光十字(デンプン粒特有の複屈折に伴う十字状の暗線、細胞組織や鉱物などの物質には見られない特徴)、形成核(粒芯の中央部で偏光十字が交差する箇所、ヘソhilumともいう)の位置が異なるが、同じ植物種であれば、植物のどの部位においても同じ形態を示す(Gott et al. 2006; 渋谷2010b; Sivak & Preiss 1998)。図1はデンプン粒の構造模式図、およびデンプン粒の特徴である偏光十字と形成核を例示したものである。
図1 デンプン粒の構造模式図と光学顕微鏡で撮影したデンプン粒の例(開放/直交ニコルは顕微鏡による撮影方法)
古文書や古記録類の料紙に含まれるデンプン粒には、填料の米粉に由来するイネのデンプン粒【注】3、ネリに由来するトロロアオイやノリウツギのデンプン粒などがある。米粉はその製作工程で熱が加えられることはない。大川(2017)によると、米粉は、米を一晩水に浸し柔らかくなったものを石臼などですりつぶし、さらに布袋などで漉したものである。そのため、料紙自体が火災などの熱による損傷を受けない限り、いわゆる生の状態でデンプン粒が保たれる(渋谷・小島2018)。トロロアオイは、デンプン粒を多く貯蔵する器官である根の粘質多糖がネリに用いられ、ノリウツギは内樹皮の粘質多糖が用いられる。そのため、ノリウツギのデンプン粒は、トロロアオイよりも料紙に含まれる量が極めて少ない、あるいはまったく含まれていないと推定される。
さらに、料紙の表面には、大豆糊や小麦糊(生麩糊)に由来するデンプン粒も含まれている可能性がある。これらの「デンプン糊」は、原料のダイズやコムギのデンプン粒を糊化(デンプン粒が水中で加熱されて粒子が膨潤し、粘性が高まって糊状になること)させたものであり、粒子自体の原形をとどめていないことが多い。現在市販されているデンプン糊についても、主成分であるコーンスターチやタピオカのデンプン原料を化学的に糊化させたものである(渋谷2010a; 渋谷・西田2006)。糊化によって原形をとどめていないデンプン粒は、由来する植物種を特定することが非常に難しいが(Lamb & Loy 2005; Weston 2009)、もし古文書や古記録類の料紙の継ぎ目や糊痕跡が見られる箇所に糊化したデンプン粒が含まれていれば、填料ではなく糊であると指摘することができる。ただし、2022年現在まで私が行ってきた調査・研究では、古文書料紙の糊痕跡の部位にデンプン粒の含有は見られず、損壊・分解したデンプン粒についても確認できていない。
(2)料紙に含まれたデンプン粒
デンプン粒を肉眼で確認することは難しく、一般的には光学顕微鏡やデジタルマイクロスコープなどを用いて観察する。例外として、バナナのデンプン粒は粒子が非常に大きいため(Horrocks & Rechtman 2009; Lentfer 2009)、肉眼での観察が可能である【注】4。
図2は、光学顕微鏡Olympus BX53-33Z(オリンパス社製、偏光ポラライザー付き)の視野条件1000倍(対物レンズ100倍×接眼レンズ100倍)、顕微鏡カメラWRAYCAM-NF500(レイマー社製)を用いて現生イネのデンプン粒を撮影したものである。デンプン粒の形態は六角形で粒径範囲5.0~8.3μm(1μm=1/1000mm)であり(渋谷2010b)、粒子は多面体を呈している【注】5。イネのデンプン粒は粒径の小さいグループに属し、一般的に、100倍の視野条件では詳細の確認が非常に難しい。図2は高精度な光学顕微鏡を用いて、しかも植物そのものから抽出したデンプン粒を撮影しているため、実際の古文書料紙に含まれるデンプン粒とは見え方が異なる。
図2 光学顕微鏡1000倍で撮影した現生イネのデンプン粒
では、料紙に含まれた填料由来のイネのデンプン粒、ならびにネリに由来するトロロアオイのデンプン粒はどのように見えるのか。以下、史料調査で撮影したデジタルマイクロスコープの画像を用いて、それぞれの形態学的な特徴を紹介し、デンプン粒の計測や植物同定の方法について解説する。
イネのデンプン粒
図3~図6は、東京大学史料編纂所所蔵明治天皇宸筆勅書(図書登録名:「明治天皇宸翰御沙汰書」、請求記号:S0471)の本紙の裏面を、AnMo Electronics社製のデジタルマイクロスコープDino-Lite Edge S FLC Polarizer(偏光)の220倍とDino-Lite Premier S Polarizer(偏光)400×の450倍を用いて、透過光で撮影した画像である。「明治天皇宸翰御沙汰書」は本来、包紙(縦32.8cm、横45.1cm、厚さ0.19mm、重量8.5g、密度0.3g/cm3)に収納されたものであり、ここで取り上げる本紙(縦32.6cm、横46.6cm、厚さ0.19mm、重量8.3g、密度0.29g/cm3)とともに、素材はコウゾである。調査の内容については、箱石ほか(2022)を参照いただきたい。さらに、分析結果に対する再検証を可能にするため、Git<https://github.com/ashibuta/gazocenter-95.git>で報告に用いた撮影画像を公開しており、そちらもあわせてご覧いただきたい。
既存の料紙研究では、透過光のみを用いて100倍で検鏡し、料紙に含まれた粒状物質をデンプン粒であると判断しているものが多い。しかし本来、デンプン粒をほかの粒状物質と区別するためには、デンプン粒の特徴である偏光十字の有無と形状の検討が必要である。偏光十字の交差する形成核の位置も、粒子の中央部にあるのか、それとも端部寄りにあるかの違いで植物種が異なるため、重要な情報である。したがって、私たちの調査・研究では、料紙の撮影時は、マイクロスコープ本体とバックライト(顕微鏡用偏光歪検査装置)の両方に偏光ポラライザーを装着し、デンプン粒と、柔細胞や鉱物などほかの物質を明確に識別できるようにしている。
デンプン粒の計測は、通常、偏光十字と形成核を基準として縦と横の径を計測し、これらの結果と偏光十字の形状、形成核の位置情報を合わせて植物種の同定を行う。図2に示したような光学顕微鏡1000倍で撮影した現生イネのデンプン粒とは異なり、デジタルマイクロスコープで撮影した料紙中のイネのデンプン粒は、素材であるコウゾ繊維に凝集して絡みついて確認されることが非常に多く、私たちが用いる220倍でもデンプン粒の形状や偏光十字の確認の困難なものが多い。しかも、光学顕微鏡やデジタルマイクロスコープで撮影される画像は2次元であり、焦点深度によって素材の繊維やほかの物質の奥に隠れるデンプン粒の確認は難しい。したがって、撮影画像はすべてパソコンの液晶モニタ等で拡大してデンプン粒の解析を実施しており、粒子の垂直・水平方向を基準として縦・横の径として計測し、全体長と外形をもとに植物種を同定している。
図3の画像は、料紙の右端から22cm、下から12cmの箇所を撮影した。図3(1)はDino-Lite Edge S FLC Polarizer(偏光)220倍の撮影画像、(2)は(1)を画像解析ソフトWinROOF2021 Standardを用いて、明度や彩度、物質の輪郭を明瞭にするなどの補正を行ったものである。画像中の繊維(コウゾ)の周辺が濃い色となっている部分には、外縁が黒っぽく、内部が白くなっている粒状物質が凝集し、密に重なっていた。いずれも米粉に由来するイネのデンプン粒である。形状は六角形(凝集した一部は全体の形状が不明瞭)をなし、粒径範囲は3.388~8.470μmである。
図3 東京大学史料編纂所所蔵明治天皇宸筆勅書の本紙裏(中央部付近)の撮影画像(220倍)
(繊維の濃色箇所における粒状物質は凝集したイネのデンプン粒)
この撮影画像には、イネのデンプン粒42個と細胞組織断片5片(図4(1)矢印)が見られた。画像中のデンプン粒すべてを矢印等で示すと逆に判別しにくいため、図4(1)では粒子の確認される範囲を示し、(2)ではそのうちa~dにおける26個について、粒子の輪郭を囲んでどのような形状かを示した。六角形の多面体であり、形状の差異が確認される。このデンプン粒の偏光十字は220倍の画像では確認できなかったため、形状・形成核の位置については不明である。
図4 図3の画像におけるイネのデンプン粒と細胞組織断片(箱石・高島・渋谷2022より一部改変)
図5・図6は、「明治天皇宸翰御沙汰書」本紙裏の中央部付近、料紙の右端から23cm、下から12cmの箇所を撮影した。図3と同じように、図5(1)はDino-Lite Premier S Polarizer(偏光)400×の450倍を用いて、透過光で撮影した画像、(2)は(1)をWinROOF2021 Standardで補正したものである。
図5 東京大学史料編纂所所蔵明治天皇宸筆勅書の本紙裏(中央部付近)の撮影画像(450倍)
(繊維の濃色箇所における粒状物質は凝集したイネのデンプン粒)
図 6 図5の画像におけるイネのデンプン粒と細胞組織断片(箱石・高島・渋谷2022より一部改変)
図3・図4のように、画像中のコウゾ繊維の周辺が濃い色となっている部分には、外縁が黒っぽく、内部が白い粒状物質が凝集していた。いずれも米粉に由来するイネのデンプン粒である。この撮影画像には図6に示したように、イネのデンプン粒129個(六角形、粒径範囲3.265~8.890μm)、細胞組織断片7片(図6(1)矢印)が確認された。450倍で撮影した画像はデンプン粒の凝集の様子がより明瞭となっており、なかでも粒子2個については偏光十字の形状が確認できた(図6(2))。
イネのデンプン粒は一般的に、ほかの植物種(たとえばクリなどの堅果類)のデンプン粒よりも偏光十字の形状が不鮮明なものが多い。100~200倍のマイクロスコープによる観察において、料紙に含まれた粒状物質について特定する場合は、「粒状物質=デンプン粒」と即断せず、物質の形状や計測を行った上でデンプン粒かほかの物質かを識別することが必要である。もし400倍以上の視野条件で観察することが可能であれば、同じ箇所を再度観察し、検討を行うことが望ましい。
トロロアオイのデンプン粒
トロロアオイのデンプン粒は、円形主体で粒径は10~25μm前後のものが多い(稲葉2002; 大川2017)。現生の植物を利用したデンプン粒標本(たとえば渋谷2010b)では、円形主体のデンプン粒は多角形のデンプン粒に比べて凝集しにくいという特徴が見られる。実際、これまで私が実施してきた史料調査(たとえば渋谷ほか2021, 2022)では、料紙に含まれるトロロアオイのデンプン粒は単独の状態で見られることが多く、繊維への絡みつきは少ない傾向を確認している。料紙における含有量自体も非常に少なく、粒子の大きさの分散(ばらつき)も大きいようである(渋谷ほか2021, 2022)。
図7は、公益財団法人陽明文庫所蔵「近衛信尹書状」(一般文書目録番号2372)の撮影画像である。料紙(コウゾ、現状長31.10cm、現状幅24.10cm)の右端から3.0cm、上から6.5cmを撮影した。 (1)はDino-Lite Edge S FLC Polarizer(偏光)220倍・透過光による撮影画像、(2)は(1)をWinROOF2021 Standardで補正した画像である。イネのデンプン粒10個、トロロアオイのデンプン粒3個、細胞組織3片が含まれていた。史料調査の詳細については、渋谷ほか(2022)を参照いただきたい。
図7 公益財団法人陽明文庫所蔵「近衛信尹書状」(目録番号2372)の撮影画像(220倍)
(矢印と丸囲みはトロロアオイとイネのデンプン粒を示す)
図7におけるトロロアオイのデンプン粒は繊維に密着せず、単独の粒子として確認された。いずれも円形を示し、①縦径14.886μm・横径11.695μm、②縦径13.232μm・横径18.492μm、③縦径11.578μm・横径12.596μmである。偏光十字の形状は、料紙の観察時・画像解析時ともに確認することができなかった。
料紙には米粉由来のイネのデンプン粒だけでなく、ネリ由来のトロロアオイのデンプン粒、あるいはまったく異なる別の植物種に由来するデンプン粒が含まれている。粒状物質が明らかにデンプン粒であると推定できても、画像撮影時の焦点深度によっては形態の詳細が不明瞭なものがあり、植物種の同定が難しいものも存在する。形態学的な特徴が不明確で種同定が難しいものは、米粉由来のイネのデンプン粒、あるいはトロロアオイのデンプン粒と決めてしまわず、「種不明」あるいは「デンプン粒?」などの表現にとどめ、再検討することを提案したい。
3.鉱物
(1)鉱物が示す意味
料紙に含まれる鉱物には、填料の白土に由来する物質、修復で用いられる炭酸カルシウムやカオリンの結晶などがあげられる。このうち、白土を構成する鉱物には、石英、クリストパライト、長石、ゼオライト、雲母、方解石などがある。大川(2017)によると、鉱物質の白土は金属イオンを持つため、トロロアオイ等の粘剤と反応し繊維が凝集することがあり、地合いの良い紙を作ることが難しいという。さらに、どのような白土でも填料として使用できるわけではないため、利用自体少なかったのではないかと推定されている。
私たちがこれまで行ってきた調査(渋谷ほか2021, 2022)では、史料の性質にも起因するが、鉱物の含有量は全体的に非常に少なく、種類も長石や雲母に限られていた。填料として白土がどのように使用され、米粉との使い分けはどのようなものだったのか。既存の研究では、料紙に含まれた鉱物の種類・量・密度の計測が行われてこなかったため、使用の実態はわかっていないことが多い。今後、料紙の時期的・地域的特性を調べるなかで検討すべき課題の一つであるだろう。
(2)料紙に含まれた鉱物
図8は、Dino-Lite Edge S FLC Polarizer(偏光)220倍で撮影したものであり、(1)は松尾大社所蔵「仁孝天皇綸旨」(史料目録番号333、宿紙(再生紙の一種)、現状長33.50cm、現状幅51.70cm、画像は料紙の右端から6.5cm・上から16.0cmを撮影)、(2)は都城島津家史料「朝鮮国王国書」(コウゾ・クワ、現状長59.0cm、現状幅118.5cm、画像は料紙の左端から33.0cm・下から16.0cmを撮影)の料紙の撮影画像である。どちらも透過光では料紙の構成物が判然としなかったため、反射光で撮影を行った。
図8 料紙に含まれた長石(Dino-Lite Edge S FLC Polarizer(偏光)220倍の撮影画像)
図中に示した矢印は長石を示す。(1)(2)の長石はいずれも、茶褐色でゆがみのある四角形の剥片であり、繊維と繊維の間に含まれていた。なお、長石類は、カリウムやナトリウムを主成分とするアルカリ長石とカルシウム・ナトリウムを主成分とする斜長石などに分類される。図8の長石は220倍・450倍のどちらの撮影でも、長石の種類は特定できなかった。そのため、「長石」とのみ表記する。
「仁孝天皇綸旨」は宿紙であり、図8(1)の長石がもともとの紙料に填料として添加されていたのか、それとも漉き返しの時点で加えられたのかは不明である(渋谷ほか, 2021)。一方の「朝鮮国王国書」は、料紙の全体で構成物の含有量が非常に多かった。その大半が細胞組織や柔細胞であり、ごく一部で長石が確認された(渋谷ほか, 2022)。図8(2)の長石は製紙材料のなかに含まれていた鉱物と推定されるが、料紙における全体量が少なく、詳細は定かではない。今後の検討課題としたい。
既述のように、填料としての白土の使用実態はわかっていないことが多く、米粉と白土の使い分けの時期や、そもそもどのような鉱物がどの程度含まれているのか、検討が行われてこなかった。そのため、今後料紙の研究を進めるなかで、自然科学的な視点からさらに検討を重ねていく必要がある。
4.繊維、柔細胞、細胞組織
(1)繊維、柔細胞、細胞組織の識別
料紙における繊維はコウゾ、ミツマタ、ガンピなどの料紙素材に由来するものや添加された物質に由来するもの、宿紙に含まれた繊維については、漉き返しで混入したものがある。柔細胞は、高等植物の基本組織である柔組織(表皮や維管束を除いた部分の基本組織)を構成する細胞壁の薄い細胞である。細胞組織は、植物体を構成するすべての細胞の組織を指し、柔組織も含んでいる。例として、図9に光学顕微鏡で撮影した現生キツネノカミソリの柔組織とコウゾの柔細胞を示す。キツネノカミソリの柔組織に見える楕円形の粒状物質はすべてデンプン粒であり、セルロースの壁のなかに包含されている。料紙素材に由来する細胞組織や柔細胞は抄紙過程で微細な断片になっており、植物学での分析のように、組織切片(組織の一部を剥片にしたもの)として観察することはできないため、これらの厳密な植物同定は難しいと思われる。
図9 現生の植物試料における柔組織と柔細胞の例
江前敏晴の研究(2010, 2012)を除き、既存の多くの研究では、料紙に含まれた柔細胞、細胞組織、繊維の微細な断片については「樹皮片」「柔細胞」の有無を報告するにとどまり、それらの植物種や一紙あたりにおける量・密度の計測はまったく行われてこなかった。しかし、既述したデンプン粒や鉱物と同様に、柔細胞や細胞組織、繊維の断片がどの程度含まれているのか調べることは、製紙技術の復元や料紙の地域的特性、歴史的変遷の検討を可能にする。さらに、料紙の構成材料として、史料の長期保存や修理の方法を検討する際の重要な情報となる。したがって、添加物のデンプン粒のように特徴的な物質だけを記録するのではなく、柔細胞や細胞組織、繊維の含有量や密度についても数値データを記録することが望ましい。
(2)料紙に含まれた繊維、柔細胞、細胞組織
では、これらの繊維、柔細胞、細胞組織が料紙にはどのような状態で含まれているのか、実際の史料の例を用いて解説する。
図10はDino-Lite Edge S FLC Polarizer(偏光)220倍を用いて透過光で撮影したものであり、(1)東京大学史料編纂所所蔵「明治天皇宸翰御沙汰書」の料紙(コウゾ)に含まれた細胞組織断片(11片確認、画像は料紙の右端から5cm・下から10.7cmを撮影)を示し、(2)都城島津家伝来史料「源某下文案」(通番157・ID158)の料紙(コウゾ、現状長26.2cm、現状幅36.8cm、画像は料紙の右端から21.5cm・下から8.3cmを撮影)に含まれた柔細胞(3個)、繊維断片(1片)である。(2)は細胞組織の微細な断片47片も確認された。史料の詳細や調査内容については、(1)は箱石ほか(2022)、(2)は渋谷ほか(2022)を参照いただきたい。
図10 東京大学史料編纂所所蔵明治天皇宸翰御沙汰書と都城島津家伝来史料「源某下文案」(通番157・ID158)の料紙における細胞組織、柔細胞、繊維(Dino-Lite Edge S FLC Polarizer(偏光)の220倍で撮影)
Dino-Lite Edge S FLC Polarizerの透過光では、料紙に含まれた細胞組織は黒色や茶褐色系統の不定型な破片として観察されることが多く、柔細胞は細胞組織断片よりも淡色系統で丸みをおびた形状が多い。料紙の素材以外で含まれる繊維は、図10(2)は1片のみであったが、ほかの調査事例では長いもの・短いものの両方がある。これらの幅はおおよそ10μm以下と細長く、両端は鋸歯状や階段状が多い。刃物で切られたような直線状の端部をもつ繊維片も見られる。細胞組織・柔細胞・繊維の含有量は、料紙の繊維素材や史料・史料群によって異なるようであり(渋谷ほか2022)、柔細胞は楮紙の史料で確認されることが多い。
なお、抄紙過程や史料の修理時には塵が混入・付着することがあり、文字に近い箇所では墨や朱の飛散した粒が見られることがある。これらは、細胞組織や繊維の微細な断片と誤認しやすい物質である。実際、同じ料紙内で細胞組織、繊維、墨の粒子、塵が含まれている事例は、私たちの調査でもしばしば確認されている。墨や朱の粒はいずれも色の付いた非常に小さな円形であるため、文字の書かれていない箇所であっても容易に識別が可能である。料紙内の塵については、200倍の視野条件や撮影時の焦点深度によって、細胞組織や繊維の微細な断片と酷似して見えることが多く、分析時は注意する必要がある。ただし、塵は植物由来の物質ではないため、植物学の知識をふまえて検討を行えば、多くの場合、識別が可能である。細胞組織か塵か、判断に迷う場合は、画像データを拡大したり、撮影倍率を上げて再度観察したりするなど詳細な検討を行うことが必要である。植物学の研究者に助言を求めてもよいだろう。
5.まとめ
本章では、古文書料紙に含まれているデンプン粒や鉱物、細胞組織、柔細胞、繊維について、それぞれの特徴や識別方法、分析におけるポイントを解説した。これらはすべて非破壊による観察・撮影によるものであり、図3~図8・図10は、各物質の比較的識別しやすい画像データを中心に取り上げた。実際の調査では、透過光も反射光も撮影が難しい史料、複数種類の添加物が含まれる画像も存在する。ここで取り上げた情報のみを絶対視せず、史料の現況に応じて計測・解析を行う必要がある。
私たちの調査の基本項目・分析基準については、史料調査ハンドブック(渋谷・横田2022)にまとめており、本書第3部でも解説している。ハンドブックは、PDFを東京大学史料編纂所のウェブサイト<https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/collaboration/fruits>に載せているので、参考材料の一つにしてほしい。
【注】
1 料紙の分析では、主として対物レンズのみのマイクロスコープを使用する。接眼レンズと対物レンズを用いて肉眼では見えない微少な物体を拡大し観察する光学顕微鏡に比べて、マイクロスコープは、焦点深度(レンズのピントが合って見える範囲)が深く、角度や長さを計測する機能がある。光学顕微鏡の接眼レンズに相当する部分がデジタルカメラとなり、観察対象をモニターに映す。顕微鏡やデジタルマイクロスコープの種類や選び方などについては、後の章(本書3-3)で解説しているので、そちらを参照いただきたい。
2 粒子はいずれも球体や多面体であり、デジタルマイクロスコープなど2次元での撮影ではいずれかの面が見られる。そのため、同じ植物種であっても形や大きさのばらつきが見られる。ただし、この粒径範囲は種によって定まっているため、種を同定するポイントの一つである。
3 イネ以外のイネ科穀類(アワなど)のデンプン粒が料紙に含まれていたという報告が数例あり、これらのデンプン粒は填料に由来すると述べられている(本書第1部参照)。しかし填料は、紙に白さや不透明性、表面の平滑性、柔軟性などを与えるために加えられるものであり、ほかのイネ科穀類を填料として用いる意義、その製法や利用実態はまったく定かにされていない。そもそもこれらの報告で扱われた史料について、正当性・妥当性の検討が行われたのかという史料批判の疑問がある。富田らによる料紙分析や筆者らの調査事例では、2022年現在までイネ以外のイネ科穀類のデンプン粒は確認されていない。本書ではこれらの背景から、イネ以外のイネ科穀類のデンプン粒については言及しない。
4 皮をむいてから果肉をスライドガラスや透明アクリル板にあとが付く程度に軽く押しつけ、あるいは爪楊枝を使って少量とり、スライドガラスやアクリル板2枚の間にはさんで押しつけた後、市販のポピドンヨード入りうがい薬を1滴垂らすと、青紫色の非常に小さな粒状物質が肉眼でも観察可能である。ウェブサイトではいくつかの実験例が検索できるので、興味のある方はご覧いただきたい。
5 一部の研究は、イネのデンプン粒の形状を「不定形」と表記している。しかし、光学顕微鏡やデジタルマイクロスコープを用いた2次元の観察において、六角形やいびつな四角形の面が見えているだけであり、正確には六角形の多面体をなす粒子である。
引用文献
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