第2部 料紙の構造をさぐる 第2部を読む前に★『古文書の科学』全文公開
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第2部を読む前に
渋谷綾子・天野真志
第2部は、料紙の分析で対象とする、繊維・添加物・DNAを取り上げている。これらの構成物を正確に把握することで、料紙の製法や産地などを明らかにすることができる。内容には専門的な情報が多数含まれるため、まずは前提となる各章のポイントを紹介したい。
2-1 繊維をさぐる
この章では、料紙の原料となる植物繊維の見分け方を紹介している。
紙は、簡単に言うと、植物の繊維を水のなかに分散させ、それを薄く平らに漉き上げて乾燥させたものである。日本産業規格(JIS)では、「植物繊維そのほかの繊維を膠着させて製造したもの」と定義されている。日本における古文書や古記録類の料紙の主な原料として、奈良時代では麻(和名アサ、学名Cannabis sativa),梶(和名カジノキ、学名Broussonetia papyrifera)、雁皮(和名ガンピ、学名Diplomorpha sikokiana)、苦参(和名クララ、学名Sophora flavescens)、檀(和名マユミ、学名Euonymus hamiltonianus)などの繊維が使用されたと考えられている。麻紙は奈良時代、天皇の詔書(天皇が発する公文書)や仏経典の料紙に用いられたが、生産効率の悪さから平安時代中期以後は次第に生産をやめることとなる。以後は主にコウゾの繊維に限定され、これを用いた紙が楮紙である(湯山2017)。
中世は楮紙の使用が主流であり、製法や填料(添加物)の異なる紙の種類として、檀紙、引合、杉原紙や強杉原が作られていた(池田2017; 上島1991; 富田2014; 湯山2017)。このうち檀紙は、11世紀から文箱や硯箱の包紙として頻繁に見られ、申文(下位の者から上位の者へ、願いごとなどを書いて差し出す文書)、願文(神仏に願を立てるとき、その趣旨を記した文)、詔勅(天皇が公の資格で発する文書の総称)の草案、目録、交名(名簿)、懐紙などにも使用された。縦1尺1寸(33.33cm)であり、鎌倉期以降に1尺2寸(36.36cm)前後の高檀紙、小高檀紙、大高檀紙などが出現した。檀紙の料紙には柔細胞などの非繊維物質の含有量が非常に少なく、填料として米粉が確認される。杉原紙は縦1尺(30.3cm)~1尺1寸の紙である。12世紀に「杉原庄紙」と文献に初見した後,鎌倉時代に武士の間の書状用紙として流行した。京都や近隣の寺院でも版経(印刷された仏教教典)の用紙として用いられていたが、南北朝時代以後は、公卿の間の書状用紙にも使われた(富田2013, 2014) 。
楮紙以外について、ガンピを原料とする斐紙は、南北朝期には密書、戦国・安土桃山期には軍事や外交関係の文書の料紙として用いられ、江戸時代には多様な用途で用いられるようになる。さらに、三椏(和名ミツマタ、学名Edgeworthia chrysantha)を原料とする椏紙は、斐紙の代用に用いられた(田中1978; 富田2013; 湯山2017)。
近世は楮紙が依然として主流であったが、斐紙や椏紙の加工技術の進歩で生産量が増加し、斐紙や椏紙が文書料紙に使用される比率が高くなった。その結果、大高檀紙、奉書紙、美濃紙などの生産が増えていった(富田2013)。
楮紙、斐紙、椏紙以外に、竹紙も、用途は限られたが、にじみが少なく、表面がなめらかなことから使用されてきた。ただし、日本では竹紙は生産されておらず、古くから唐紙として輸入されていた(渋谷・小島2018)。
紙の種類は、繊維の組成から識別することができる。本章は各種の繊維の見分け方を解説しており、繊維の先端部や中央部の形状、細胞壁の厚さ、内腔(管状や袋状の器官の内側の空間)、膜壁上の紋様、柔細胞、繊維の長さ・幅などの特徴が述べられている。古文書の料紙を顕微鏡やデジタルマイクロスコープなどで撮影した画像を見る機会があれば、本章を参考に、ぜひ識別に挑戦してほしい。
2-2 添加物をさぐる
この章では、紙を漉くときに加えられる物質について解説している。
紙を漉くときには、繊維以外にトロロアオイやノリウツギなどのネリ(紙料液中の繊維の凝集と沈殿を抑える粘剤)、米粉、白土、胡粉(炭酸カルシウムを主成分とする顔料)などの填料を紙料に混ぜることがある。このような填料が混入した紙からは、イネやトロロアオイのデンプン粒、ノリウツギの針状結晶、白土に含まれる鉱物や胡粉の粒状物質などが観察される(稲葉2002; 坂本・岡田2015; 大川2017)。さらに、原材料に用いられた植物の茎や皮の断片、羽毛や人毛、害虫、カビなどが見られることもある(坂本・岡田 2015)。
これらの物質は肉眼では観察することが難しい。顕微鏡やデジタルマイクロスコープなどで拡大するとどのような形状や特徴が見られるのか。詳しくは本章を読んでいただきたい。
2-3 DNAをさぐる
私たちの研究では、手法の一つとして料紙の植物素材を対象としてDNA分析を行っている。
生物のさまざまな形質は、ある言語によって書かれている。A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)という4つの文字(塩基)から成り、それがDNA(デオキシリボ核酸)に記されている。ほぼすべての生物はこの言語で書かれた物語の本(ゲノム)であり、個体や生物によって物語、言い換えれば文字の並び(塩基配列)が異なる。植物のDNA分析はその植物がたどってきた物語を読み解くようなものであり、そこに書かれたゲノム情報を用いてその植物の性質やとりまく環境などを示すことができる。
植物のゲノム情報を用いるDNA分析では、現在製紙材料として用いられる植物種、すなわちカジノキやコウゾ、ミツマタ、ガンピなどから比較対象となるDNA配列を取得すれば、その配列の個体差をもって植物の起源地を特定することができる。私たちは史料の非破壊観察・調査を徹底しており、歴史資料自体を対象とするDNA分析は実施していないが、現生の植物サンプルからDNAの情報を抽出することによって、植物の産地を検討し、料紙の成分特定につなげようとしている。その成果をふまえれば、近年各地で頻発する大規模な自然災害で被災した歴史資料の修理や長期保存の問題に対し、科学的根拠を伴う修理・保存方法を提言することができる。これが、研究プロジェクトでDNA分析を取り入れている理由である。
本章では主に、日本各地で収集したコウゾの葉から抽出したDNAを分析し、その結果を解説している。料紙の素材となる植物の起源地をどこまでたどれるのか。料紙の生産地・消費地との関係を探ることはできるのか。これらの疑問の答えを見つけていただきたい。
引用文献
稲葉政満「紙」『文化財のための保存科学入門』(京都造形芸術大学編)株式会社飛鳥企画、2002
池田寿『紙の日本史』勉誠出版、2017
上島有「中世文書の料紙の種類」『中世古文書の世界』(小川信編)吉川弘文館、1991
大川昭典「文書紙の繊維組成及び填料の観察」『古文書料紙論叢』(湯山賢一編)勉誠出版、2017
坂本昭二・岡田至弘「古文書料紙の科学分析データベースの構築に向けて」『情報処理学会研究報告』2015-CH-105-1、2015
渋谷綾子・小島道裕「顕微鏡を用いた古文書料紙の自然科学分析の試み--古文書を多角的に分析する3--」『歴史研究と<総合資料学>』(国立歴史民俗博物館編)吉川弘文館、2018
田中稔「紙・布帛・竹木」『日本古文書学講座第1巻総論編』(荻野三七彦・是澤恭三・斎木一馬・高橋正彦編)雄山閣、1978
富田正弘「日本における文書料紙の概観」『企画展示 中世の古文書―機能と形―』(大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館編)大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館、2013
富田正弘「中世文書の料紙形態の歴史的変遷を考える」『総合誌歴博』184、2014
湯山賢一「我が国に於ける料紙の歴史について―『料紙の変遷表』覚書」『古文書料紙論叢』(湯山賢一編)勉誠出版、2017