第1部 古文書料紙への視点 2 近世の古文書と料紙研究の可能性★『古文書の科学』全文公開

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近世の古文書と料紙研究の可能性

天野真志

1.近世文書への眼差し
古文書研究における料紙分析の主要な関心は、古代・中世文書に向けられる。文書の形態的変遷、地域的展開などを系譜論的に検討するには、古代からの変容過程を理解する必要があり、それに続く中世から戦国期における文書の拡大と料紙利用の多様化が議論されている。そのなかで料紙研究は、戦前以来の厚い蓄積のもと、現在に至るまで古文書学における重要な研究課題の一つとして多方面から検討が行われている(富田2011など)。

一方、量的に古代・中世期をはるかに超える規模で残存している近世文書に対しては、必ずしも盛んに議論されているとは言いがたい。その背景には、文書主義とも形容される文書を媒介とした近世社会の統治体制や流通・文化の展開などが想定される。その結果、将軍家や大名家だけでなく、各村や町にいたるあらゆる身分・地域で文書が生成され、文書類型の多様化・増大化をもたらした(大藤2003、工藤2017など)。近世段階における文書の質的・量的変容は、古文書研究における論点にも影響し、近世古文書に関する研究は、多くの場合が文書群の整理法や管理形態の分析に注目が集まっている(西田2016)。

このように、古代・中世文書と比較して、近世文書に関する料紙研究は同様の視角のみで分析することは困難であろう。特に、膨大に残存する被支配層が作成した文書料紙を調査・分析するには、前代との系譜論的な理解に限定されない論点を検討する必要がある。本章では、これまでの研究成果を踏まえて近世文書料紙の分析に向けたいくつかの展望を見出し、近世古文書研究における可能性を探ってみたい。

2.近世古文書学・史料学の確立に向けた議論
近世文書をとりまく研究状況を概観すると、近世古文書学の体系化を望む議論が長く唱えられてきた。戦後、古文書の調査が精力的に実施され、全国各地で近世期の史料群が大量に確認されると、伝存する古文書を保存・管理するための運動が展開する。並行して古文書を用いた近世史研究も飛躍的に進展するが、その一方で古代・中世期と比較した近世古文書学の停滞を打破するための提起が行われる。

1976年に「近世史料論」を著した鈴木壽は、「近世文書学ないし近世史料学の後進性」の要因として顕著な史料の性格の変容を指摘し、こうした特質が影響して近世期以降を包摂した古文書学の体系化が困難であったとしている。鈴木は特徴的な事例として文書の激増、特に帳簿類の顕著な増大をあげ、これらと向きあうために領主方・村方・町方といった分類化とそれぞれの整序・体系化、あわせて地域別でのモデル化を通した多様なデータの整序・体系化を提起する(鈴木1976)。同様の課題は中井信彦からも近世文書の「体系的なコード」の必要性として提示され(中井1979)、全国的に展開する文書の調査・保存活動によって確認された近世文書の体系的理解が求められた。

近世古文書学に関する議論は、1980年代になると、より具体的なかたちで展開される。高木昭作は、「中世に比して、近世古文書学は立ちおくれているというよりも、無きにひとしい」と、当時の研究現状を厳しく指摘し、江戸幕府および将軍発給文書の文書名や様式等を示しながら古文書学的知識を活用した史料解釈の重要性を主張する(高木1986)。同時期に大野瑞男も、「発掘された厖大な近世史料は、その保存および分析検討に終われ、近世史料学ないし古文書学の進展は極めて遅れており、近世史研究と古文書学的研究の跛行的状況は一向に解消されていない」と、近世古文書学の停滞を批判し、膨大な文書の調査・分析を通して基本類型や様式を確定していくことを提言している(大野1982、4頁)。

こうした提起が重ねられるなか、近世古文書学の体系化に向けた議論が進められる。笠谷和比古は、文書を理解する要素として、以下の点をあげる。

 (1)記載内容:文字の読解と内容の理解
 (2)料紙:文書の媒質としての特性理解
 (3)様式:機能性によって構成される類型の析出
 (4)存在:個別具体的な文書および文書群の存在構造解明

笠谷は、これらの要素を分析することによって文書を全体的に理解しうると指摘し、主に(3)・(4)を中心的に検討して近世武家文書の類型を論じる(笠谷1998)。

また、大藤修は、近世文書の特質を文書の大量発生とそれにともなう形態の多様化として整理する。特に、「冊子型文書=帳簿」が近世期に大量に作成され、形態も多様化することをあげ、膨大な情報伝達が求められた近世社会における史料学的特質として重視する。大藤は、それまで等閑視されてきた近世文書の形態論的観察の重要性を論じ、冊子型文書の形態名称確立に向けた試論を提示する(大藤1991)。なお、大藤の研究では、文書料紙についても形態論的観点から言及しており、主に徳川将軍発給文書については権威的側面から、幕府老中および庶民文書は実用的側面からその特質を分析している(大藤1992)。

そのほか、近世文書に関する研究は、機能論的分析を深化させた藤田覚や、将軍発給文書の形態的分析を進めた大野瑞男、藤井譲治、老中奉書や御内書を多面的に分析した高橋修など、主に将軍および大名文書、さらには幕府や大名家文書群を中心に展開している。このように、文書を多様な角度からとらえる研究が進展しているが、高木昭作が「歴史学の側からその成果を生かし、さらに裏打ちするという意味での「体系化」の動向は、まだ感じることはできない」と指摘したように(高木1996、94頁)、近世古文書研究を「学」として体系的に展開するための議論は現在も模索段階にあるといえる。また、藤井譲治が「近年の近世史料をめぐる世界では、古文書学よりは、史料調査法・史料整理論に関心が集まり、それをめぐる活発な議論が展開している」と指摘するように(藤井1999、71頁)、近世期の古文書研究が当面する課題として、膨大に伝来する文書群の把握方法に議論が集中している。こうした状況のなか、如何なる視角・手法をもって近世文書を対象とした料紙研究を進めていくかが問われるであろう。

3.近世料紙研究の現在地点
笠谷や大藤が古文書の形態を検討する要素として料紙に注目していたように、近世史研究においても古文書料紙に対する関心は確認される。

まず、大名発給文書を対象とした研究である。近世期、将軍代替わりに際して徳川将軍より各大名に対して主従関係の表象たる知行宛行状が発給され、同様にいくつかの大名家では、藩主から家臣に対して知行宛行状が発給される。こうした性格を有する知行宛行状について、徳川将軍家発給文書に対して関心が集まるなか(大野1991、2000、藤井2008)、諸大名家についても高橋修が「藩主―家臣の関係が濃厚に投影されていることが予想され」る宛行状に注目し、陸奥国仙台藩伊達家を対象として宛行状の文言や形態的特徴を分析する(高橋1997・1998)。高橋の研究は必ずしも料紙分析に基づくものではないが、宛行状を通時的かつ多面的に分析し、書式の変遷等を通して文書形態の整備過程、さらには藩内秩序形成の経過を明らかにし、文字情報にとどまらない文書の多面性を具体的に提示した点が注目される。

その後、大名による知行宛行状研究は、本多俊彦による分析が展開する。本多は、加賀藩前田家、仙台藩伊達家、福井藩松平家といった諸大名家が発給する知行宛行状に検討を加える。本多の研究は、各地に点在する知行宛行状を精力的に調査し、大名家ごとの形態的特性や時代的変遷を検討するが、その手法として文書料紙に注目した分析手法を採っていることは重要な特徴である。たとえば、仙台藩知行宛行状について、本多は宇和島藩伊達家との比較から分析する。いわく、仙台藩知行宛行状が寛永末から天和期を機に竪紙形態による斐紙に統一され、差出書・宛名書等も整備されるのに対し、元和元年(1615)に仙台藩伊達家から分かれた宇和島藩伊達家の知行宛行状は楮紙が使用され、仙台藩よりも大型の朱印を用いるなど、仙台藩知行宛行状との顕著な相違が見られるという。しかし、顕微鏡により繊維を観察すると、宇和島藩知行宛行状は、3代藩主伊達宗贇期頃から繊維の間隔が詰まる傾向にあり、料紙に打紙を施した可能性が確認される。本多は、知行宛行状で用いられる料紙の使い分けや形態的連関性が、各地の大名家でも確認できることを踏まえ、打紙加工が仙台藩知行宛行状に用いる斐紙の風合に近づける加工であると推測し、この現象を家元である仙台藩伊達家を意識した行為の可能性として提示する(本多2013)。本多の分析は、高橋が提起した知行宛行状研究の可能性を具現化した成果であるが、光学的分析によって近世文書の新たな側面を見出したという意味で、料紙分析の意義を示している。

他方、地方文書でも料紙に注目した研究が確認される。高橋修は、租税徴収に際して毎年領主から発給され、近世を通じて保管される年貢割付状および年貢皆済目録に注目し、甲斐国の年貢割付状に用いられる料紙の縦横寸および厚さの変遷を通時的に調査する。その結果、高橋は年貢割付状が17世紀中葉頃に記載内容が確立する一方で、料紙に関しては紙生産の状況に沿って性質が変容することを指摘する。その背景として高橋は、領主層の統制が弛緩する時期に新たな紙漉村落が勃興したことをあげ、楮や三椏などの原材料確保をめぐる争論が多発する18世紀以降、一連の騒動に比例して年貢割付状に用いられる料紙の粗悪化傾向が確認されるという。ここでの分析は、村落社会における領主層の統制力・権威の変遷を料紙分析の成果から描き出しており、「文書の料紙について、モノとしての紙という視点から注目することにより、新しく幕府権威の内実を問う視角」を論じてみせる(高橋2011)。

近世特有の文書群に注目し、料紙研究の可能性を検討したものが、天野等による商家文書分析である。ここでは、近世期に江戸問屋仲間として活動した白木屋に注目し、同文書群の形態、寸法、厚さ、重量調査に加え、繊維や添加物を顕微鏡で分析し、商家文書の物質的傾向を探っている。その結果、長期的保存を想定した文書には添加物を加えない厚手の料紙を用い、備忘や私信などの必ずしも長期保存を想定しない文書に関しては、添加物が確認されるとともに厚さも不統一であるという傾向が確認されている(天野等2017)。天野等の研究は、膨大かつ多様な文書を蓄積・伝来する近世文書群に料紙分析を加える可能性を探ることが目的とされ、実務的観点から料紙利用の傾向を検討する。

以上のように、近世文書を対象とした料紙研究は領主文書、村方文書、商家文書を対象とした分析が確認される。これらの研究は、いずれも目的や分析手法は一様ではないが、共通するのは文書の大量発生という近世期の特徴を踏まえた料紙分析方法の模索である。こうした蓄積を前提として、新たな料紙研究、さらには近世古文書研究の展開が求められる。

4.新たな料紙研究への展望
ここまで見てきたように、近世古文書を対象とした研究が多く蓄積されるなか、古代・中世期のように古文書学として体系的に論じるための視座が模索され続けている。その過程で、膨大な文書群をモノとしてとらえるために料紙が注目され、一方では儀礼的観点からの料紙利用とその傾向、もう一方では実用的観点からの利用形態が分析されている。今後、分析手法の改良によりこれらの分析がより精密に提示することが可能となり、近世文書の類型化や様式判定作業の一助となることが想定される。その場合に課題となるのは、膨大な対象を調査するための手法の検討であろう。これまでの研究でも指摘されてきたように、近世文書への関心は、古文書学的分析よりも大量の文書群を調査し全体像を把握し整理する点に集中しており、モノとして文書をとらえるための議論は必ずしも盛況ではない。そうした状況下で古文書料紙分析を近世文書に広げるためには、これまでの分析で提示された多くの論点を踏まえて分析視角を検討し、膨大な文書群に対応しうる調査手法の設定が必要となる。

文書料紙から歴史情報を抽出する手法が深化し、データの記録・保存技術も進展しつつあるなか、膨大な近世文書を多角的にデータ化し解析するための準備も整いつつある。このことは、文書群の整理や記録・管理の面でも大きな進展に寄与できるものであろう。これらの技術を活かし、文書群を総体的に調査・分析することで、近世文書料紙研究、さらには近世古文書研究の新たな展開が期待される。

参考文献
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