【連載】第6回「玉藻前が石になる!?それから数百年...玄翁和尚との出会い」 - 朝里 樹の玉藻前入門
Tweet
[コーナートップへ]
第6回
玉藻前が石になる!?
それから数百年...玄翁和尚との出会い
『玉藻前アンソロジー 生之巻』の刊行を記念して連載を再開します(隔週・全3回(第4〜6回))。東国武士に退治された玉藻前は、近寄るだけで生き物を殺すというおそろしい「殺生石」になりました。今年(2022年)はその石が割れたことでも話題になりました。今回は殺生石と、玉藻前(石)を成仏に導いた玄翁和尚についてご紹介したいと思います。
──殺生石が現れる背景
栃木県那須町那須野に鎮座する殺生石。この石は玉藻前こと九尾の狐が変化したものと伝えられています。
2022年3月、この石が真っ二つに割れていることが分かり、話題になったのは記憶に新しいでしょう。その際、殺生石が割れたため、玉藻前の封印が解かれた、といった話が語られることもありました。
しかし、殺生石が割れたのは実は今回が初めてではありません。初めてこの石が割れたのは南北朝時代のこと。源翁(玄翁とも)心昭(げんのうしんしょう)(1329~1400年)という僧侶が関わっていました。
ではこの源翁和尚について語る前に、殺生石とは何なのかについて説明しましょう。じつはこの殺生石が現れる背景にもいくつかパターンがあるのです。
中世の文献であり、玉藻前について記された最初期の資料と考えられている『神明鏡(しんめいきょう)』(14~15世紀)では、玉藻前の亡骸は宇治の宝蔵に納められ、殺生石は玉藻前の霊であると書かれています。つまり玉藻前の死体が殺生石になったのではなく、その霊が殺生石になったと記されているのです。
左ページ冒頭に宇治の宝蔵に納められたとの記述がある(『神明鏡』国文学研究資料館 山鹿文庫蔵)
➡︎『玉藻前アンソロジー 生之巻』に現代語訳を収録しています
このパターンが中世では主流のようで、御伽草子『玉藻の草子』(室町時代、成立年不詳)でも狐の執心が殺生石となったと記されています。また、ここでは玉藻前の亡骸はうつほ舟(大木をくりぬいてつくった舟)に乗せられ、川に流されたと記されています。
能(謡曲)の『殺生石』(室町時代、成立年不詳)においても、執心がこの場所に留まり、石となったと語られます。
この他、御伽草子の『玉藻前物語』(室町時代、成立年不詳)や瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)という僧侶の日記『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』(1446~73年)など玉藻前が殺生石になったこと自体に触れられていない作品もあります。
変わり種は『下学集(かがくしゅう)』(1444年)という資料で、矢で退治されることを察知して自ら石になったと記されています。
さて、ここまで中世の資料を覗いてきましたが、改めて見ると玉藻前の死体が殺生石と化した話がひとつもないことに気が付きます。玉藻前の亡骸は殺生石とは別に処理されるか、そもそも生きたまま石と化しているのです。しかし『下学集』のパターンは一例しか見つからないので、基本的には殺生石は玉藻前の霊や執心が石になったもの、と考えられていたと思われます。
──殺生石と玄翁和尚
玉藻前を倒した結果、その死体が殺生石となったという話は近世以降に見られるもので、中世の段階では殺生石は玉藻前の執心が凝り固まったものされていたようです。
そしてこの殺生石は、近付く動物を無差別に殺生する毒石となりました。「殺生石」という名前もこれに由来しているといいます。
冒頭に書いたように、この殺生石は実在しています。現在では近一帯に火山性ガスが発生していたことから、それによって周囲の生物が死亡していたのではないかと考えられています。
そして殺生石が毒を放つようになり数百年を経た後、この殺生石の元を訪れ、殺生を止めさせたのが源翁和尚です。しかしそれは玉藻前の執心が殺生石となった際とは違い、武力による退治ではありませんでした。
先述した『玉藻の草子』や『殺生石』などにおいて、源翁和尚が殺生石の元を訪れた際のことが語られています。
これらの話では、源翁和尚は偶然殺生石の元に現れたとされています。そこで見目麗しい女性と出会い、殺生石の謂れを聞くのです。
そしてその女性こそが玉藻前の化身だと気付いた源翁和尚は、仏法により彼女を成仏させることを約束します。
玉藻前はそれを受け入れ、源翁和尚の言葉に耳を傾けます。そして彼女の悪心は善心となり、玉藻前の心はここに成仏するのです。それを表すように、殺生石は割れ、砕け、それ以降生物を殺生することはなくなったといいます。
玉藻前の物語はこの源翁和尚の登場によって幕を閉じるのです。このため、殺生石は最初に割れた時点で玉藻前はすでに成仏しており、悪心をなくしているため、例え現代になって割れたところで、また彼女が封印を解かれて暴れるということはないのでしょう。少し残念ではありますが。
また、この殺生石という題材は近世以降も多くの創作者の興味を惹いたらしく、様々な物語や伝説が生まれました。
平安末期に殺生石となり、南北朝時代に源翁和尚によって成仏することになった玉藻前の空白期間を利用しその間の物語を生みだした山東京伝の『糸車九尾狐(いとぐるまきゅうびのきつね)』(1808年)や曲亭馬琴の『殺生石後日怪談(せっしょうせきごにちのかいだん)』(1824〜33年)などの作品があります。
また、後世に生まれた話の中には源翁和尚は事前に殺生石のことを知っており、玉藻前を退治するために赴く、というような描かれ方をしているものもあります。恐らく現在よく知られているのはこのパターンで、源翁和尚が殺生石を杖で叩き割り、鎮めた、と紹介されている場合も多いでしょう。
石を砕く玄翁和尚(『繪本玉藻譚』国文学資料館蔵)
➡︎『玉藻前アンソロジー 生之巻』に現代語訳を収録しています
ただ初期の話では、源翁和尚は決して玉藻前を傷つけたのではなく、ただ言葉により彼女を成仏に導いたことを知っていただけたならと思います。
それにより、源翁和尚のイメージも、玉藻前のイメージも少し変わって来るのではないでしょうか。