悪質タックル問題、背任事件の裏で日大に何が起きていたのか...前文理学部長が書籍「職業としての大学人」出版(東京新聞 TOKYO Web)
Tweet【事件の裏で何が起きていたのか--。日本大学で田中英寿前理事長(75)=所得税法違反罪で有罪確定=ら幹部の不祥事が相次ぐ中、今年1月まで文理学部長兼理事を務めた紅野謙介特任教授(66)が「職業としての大学人」を出版した。田中前理事長時代の専制的な体制について「ぶつかり合いながらフィードバックすることができていなかった。その隙間から利益をむしばむ人が出てきた」と自戒を込めて振り返る。(三宅千智)】
詳細は以下より。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/178051
本書の詳細は以下より。
立ち読み●紅野謙介「学校法人のガバナンスをめぐる臨床的研究 ─日本大学で何が起きていたのか」の冒頭「日比谷公園の向かい側で」を公開(近刊『職業としての大学人』より)
https://bungaku-report.com/blog/2022/04/post-1158.html
紅野謙介『職業としての大学人』(文学通信)
ISBN978-4-909658-77-7 C0037
四六判・並製・336頁
定価:本体1,800円(税別)
古い体質と格闘するなかから、どう新しい大学を生み出すのか。
「大学改革」のかけ声ばかりが先行し、学問や教育が痩せ細るなか、大学への信頼はどのように取り戻せばいいか。その問いへつながる道筋に、近現代日本文学の研究者が、「大学人」として発信しつづけた言葉を配置する。
日本の大学行政の問題点をもっともチープなかたちで照らし出すにいたった、元理事や前理事長の逮捕・起訴といった、いわゆる日大事件。日本大学アメリカン・フットボール部の危険タックル事件。それらの渦中にいた著者が、できるかぎり事実をたがえることのないよう、メモと記憶にしたがって書き下ろした第1部「大学の現在、そして危機のなかの日常」。圧巻の93,000字。大学人はもとより、組織にいる人間には必読のテキストである。
第二部は、コロナ禍に遭遇した最初の半年間に出し続けた「学部長通信」を主に、第三部は、学生・保護者・卒業生に語った文章を収録。これらは教職員のみならず学生・保護者、卒業生にどのように事態を報告し、安心を与えられるか、考え抜かれた言葉である。「言葉なくして、安心も共感も説得もない。苦しいなかで言葉を届ける。それだけを考えて、メッセージを書き続けた」。
大学を取り巻く社会で、学問への敬意が希薄になったいま、「新自由主義」によってもたらされた過剰な市場原理主義が大学を席巻するいま、全教育関係者にとっての必読書。
【教職員のみならず学生・保護者、卒業生にどのように事態を報告し、安心を与えられるか。学部長の言葉など、果たして相手に通じるかどうか。これまで校長先生の訓示や報告に共感したことはないものの、しかし、言葉なくして、安心も共感も説得もない。苦しいなかで言葉を届ける。それだけを考えて、メッセージを書き続けた。本書は、その三年間に書きつけた言葉と、ふりかえって総括した言葉によって出来上がっている。】......はじめにより
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【著者紹介】
紅野謙介(こうの・けんすけ)
1956年東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。日本大学文理学部特任教授。専攻は日本近代文学。著書に『書物の近代』(ちくま学芸文庫、1999)、『投機としての文学』(新曜社、2003)、『検閲と文学』(河出ブックス、2009)、『物語岩波書店百年史1 「教養」の誕生』(岩波書店、2013)、『国語教育の危機 大学入学共通テストと新学習指導要領』(ちくま新書、2018)、『国語教育 混迷する改革』(ちくま新書、2020)など。
【目次】
はじめに
1 大学の現在、そして危機のなかの日常
学校法人のガバナンスをめぐる臨床的研究─日本大学で何が起きていたのか
日比谷公園の向かい側で
中央集権と一元化
分断から接続へ
大学中枢の会議
事件の始まり
停滞と事情聴取
最初の緊急提言
理事長辞任
学部長メッセージと記者会見
文科省の指導通知
再度の緊急提言
再生のミッション
まずなすべきことは何か
ガバナンス技術を超えた組織論へ
アメリカンフットボール部の危険タックル事件と大学の対応
拡散する動画と稚拙な対応
学部の説明と要望書
言葉の決定的な貧しさ
日大事件の前哨戦
【参考】『日本大学アメリカンフットボール部 イヤーブック』より
フェニックス再生へ(二〇一九年八月)
コロナ以後を見すえて(二〇二〇年一〇月)
明けない夜はない(二〇二一年一〇月)
2 教職員にかたる─学部長通信
言葉をかけ続けることしかない─コロナ禍の大学から
文理学部の専任教職員のみなさまへ(二〇二〇年四月一日)
授業開始の延期と準備について─学部長通信1号(二〇二〇年四月八日)
会議形態の変更と新組織─学部長通信2号(二〇二〇年四月一四日)
遠隔授業のインフラ整備─学部長通信3号(二〇二〇年四月二一日)
学生をいかにサポートするか─学部長通信4号(二〇二〇年四月二八日)
成績評価と授業形態─学部長通信5号(二〇二〇年五月五日)
授業開始直後の混乱とその対策─学部長通信6号(二〇二〇年五月一二日)
空疎な改革論にだまされない─学部長通信7号(二〇二〇年五月一九日)
地元の映画館を支援する─学部長通信8号(二〇二〇年五月二六日)
私の遠隔授業の経験─学部長通信9号(二〇二〇年六月二日)
入試改革をどうするか─学部長通信10号(二〇二〇年六月九日)
コロナ下における文化の違い─学部長通信11号(二〇二〇年六月一六日)
働くとはどういうことか─学部長通信12号(二〇二〇年六月二三日)
現実と接続する学問の可能性─学部長通信13号(二〇二〇年六月三〇日)
留学生の存在が学部に変化をもたらす─学部長通信14号(二〇二〇年七月六日)
新型コロナウイルスと比喩のレトリック─学部長通信15号(二〇二〇年七月一三日)
遠隔授業サポートまとめ─学部長通信16号(二〇二〇年七月二一日)
生と死のあわいで─学部長通信17号(二〇二〇年七月二八日)
理不尽な現実のなかで自分を笑う─学部長通信18号(二〇二〇年八月四日)
3 学生・保護者・卒業生にかたる─思考の風穴をあける
境界に立って(二〇一九年四月八日)
祝辞─学位記伝達式(二〇二〇年三月二五日)
新入生へのメッセージ─開講式祝辞(二〇二〇年四月一日)
経済状態の激変と授業料等納付金について─学生ならびに保護者のみなさまへ(二〇二〇年四月二九日)
ようやく前学期授業が始まります!(学部ホームページ 二〇二〇年五月一一日)
文理学部キャンパスの段階的開放に向けて(学部ホームページ 二〇二〇年五月二九日)
笑いは緩和をもたらす(教員リレー・エッセイ 二〇二〇年六月五日)
後学期の授業方法について(学部ホームページ 二〇二〇年七月三一日)
後学期の授業開始にあたって(学部ホームページ 二〇二〇年九月二一日)
文理学部はあらゆる人権侵害およびそれを肯定する発言に反対します(学部ホームページ 二〇二〇年九月二六日)
世界的なパンデミックのもとで(『日本大学文理学部校友会会報』二四号 二〇二〇年一〇月)
海外渡航・留学の一時中止について(学部ホームページ 二〇二〇年一二月一七日)
受験生のみなさんへ(学部ホームページ 二〇二一年一月八日)
新年度前学期の授業の基本方針について(学部ホームページ 二〇二一年一月三〇日)
「桜麗祭」の運営のあり方について(合同教授会 二〇二一年三月二〇日)
コロナ禍の一年をへた二〇二〇年度入学生のみなさんへ(学部ホームページ 二〇二一年四月二日)
二〇二一年度入学生のみなさんへ─開講式祝辞(二〇二一年四月二日)
授業開始にあたって(学部ホームページ 二〇二一年四月一二日)
四回目の緊急事態宣言を前にして(学部ホームページ 二〇二一年七月一一日)
後学期の授業開始を前にして(学部ホームページ 二〇二一年九月一五日)
フィクションの功罪(『日本大学文理学部校友会会報』二五号 二〇二一年一〇月)
授業およびサークル活動における対面形式の拡大について(学部ホームページ 二〇二一年一一月二三日)
おわりに