熊本被災史料レスキューネットワーク(熊本史料ネット)【九州】★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

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熊本被災史料レスキューネットワーク
(熊本史料ネット)

【団体情報】
設立年●2016年
事務局所在地●〒860-8555 熊本市中央区黒髪2-40-1 熊本大学永青文庫研究センター
電話番号●096-342-2304(永青文庫研究センター/9:00〜17:00〈平日のみ〉)
メールアドレス●eiseiken@kumamoto-u.ac.jp(永青文庫研究センター)
    kumamoto.shiryonet@gmail.com(熊本史料ネット専用)
HP●http://eisei.kumamoto-u.ac.jp/(永青文庫研究センター)
【活動地域】
熊本県域
【参加方法】
入会・寄付●上記メールアドレスにご連絡ください。


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❶熊本地震で被災した文化財のレスキュー作業(2017年7月11日)

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❷熊本史料ネットによる市民サポーターの養成講座(2018年3月15日)

【設立の経緯】
文●今村直樹

熊本地震と熊本史料ネットの発足
熊本史料ネットの設立日は2016年(平成28)4月23日です。その約一週間前の4月14日と同16日、熊本地方を震度7の大地震が相次いで襲い(熊本地震)、指定文化財はもちろん、民間所有の多くの未指定文化財が被災しました。熊本史料ネットは、こうした被災文化財(特に、古文書・書籍・美術工芸品等の動産文化財)を救出するため、熊本県内の大学教員や博物館等の学芸員により結成されました。このような発災直後の早期対応が可能であった要因には、①地震前から培われていた熊本県内における大学教員・学芸員と文化財所有者および文化財行政担当者とのつながり、②同じく県内における大学教員・学芸員同士のつながり、③神戸や宮城をはじめとする全国の資料ネットからの組織的な支援がありました。

熊本地震の場合、文化庁所管による公的な「文化財レスキュー事業」の発動が7月13日だったので、発災後約3カ月間の「初動レスキュー」は、熊本史料ネットをはじめ、熊本県博物館ネットワークセンター・熊本県立美術館・熊本県立図書館・熊本博物館等の学芸員によるボランタリーな活動に支えられたといえます[❸]。

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❸熊本地震直後の被災文化財レスキュー活動(2016年4月29日)

熊本史料ネットと「文化財レスキュー事業」
2016年7月に文化庁所管の「文化財レスキュー事業」が発動すると、熊本史料ネットは当該事業の枠内で、被災文化財のレスキュー活動に携わりました。翌2017年度から「文化財レスキュー事業」の実施主体は文化庁から熊本県教育庁文化課に移りましたが、現在に至るまで熊本史料ネットは県文化課と連携した活動を続けています。史料ネットをはじめとする民間の歴史資料保全活動と、国や県などの文化財保護行政が本格的な協力体制をとったのは、熊本が初めての事例です。こうした官民連携の「文化財レスキュー事業」のもと、被災文化財の整理作業や市民サポーターの育成事業が進められました[❷]。レスキューされた被災文化財は、県施設等でクリーニングや整理作業が行われ、返却可能なものから所有者に戻されています。

さらに、2020年(令和2)7月4日の集中豪雨(令和2年7月豪雨)では県南の球磨川が氾濫し、流域の人吉・球磨・八代・芦北地域に甚大な被害がもたらされ、多くの未指定文化財が被災しました。ここでも、発災直後から熊本史料ネットと県文化課は共同して対応し、7月10日から県は「文化財レスキュー事業」を開始しました。熊本地震の場合、公的なレスキュー事業の発動まで発災後約3カ月を要しましたが、この場合はわずか一週間後というきわめて迅速な対応でした。熊本地震の経験や、それ以後に培われた官民の協力体制が生かされたものといえます。レスキューされた被災未指定文化財は、県施設で速やかにクリーニング作業が施されましたが、熊本史料ネットや県内市町村等の文化財関係者もこうした作業に積極的に協力しました。

【活動の特徴】
文●今村直樹

熊本史料ネットの主な活動
主な活動は、①被災文化財のレスキュー活動、②市民向け講演会の開催、③被災文化財の調査・研究、④被災文化財の「価値」付け返却事業、の4点にまとめられます。

①は、熊本地震や令和2年7月豪雨で被災した文化財のレスキュー活動です。熊本地震の場合、「文化財レスキュー事業」によってレスキュー(一時預かり)を行った未指定動産文化財は47件、その資料総数は約39,300点です。資料の内容は、主に古文書・書籍・美術工芸品等です。2021年(令和3)9月現在、そのうちの46件が所有者に返却されています。

②は、熊本史料ネット主催講演会「学んで守ろう熊本の歴史遺産」の開催です。現在、大規模災害の頻発とともに、代替わりや家じまい、地域コミュニティの衰退等を契機として、多くの未指定文化財が失われています。こうした未指定文化財を今後も保全していくためには、文化財に対する市民的理解の増進が不可欠です。そのために熊本史料ネットは、市民向け講演会「学んで守ろう熊本の歴史遺産」を継続的に開催しています。講演会では、被災文化財が有する歴史的価値、被災後の現状や課題、調査・研究から明らかになった新知見について、わかりやすく市民向けに発信しています。その内容は以下のようになります。

第1回「大慈禅寺と本妙寺─被災寺院の知られざる歴史と現在─」熊本県立美術館、2017年3月
第2回「阿蘇神社─被災神社の歴史再発見─」熊本大学、2017年10月
第3回「熊本の歴史地震に学ぶ」熊本大学、2017年12月
第4回「被災史料が語る日本近世史・近代史」熊本県立美術館、2018年5月
第5回「被災史料が語る井寺古墳─未指定文化財と国指定史跡との間─」熊本県立美術館、2018年12月
第6回「シンポジウム 文化財の被災と救済─3年目の中間報告─」熊本県立美術館、2019年4月
第7回「球磨川水害による被災文化財─現状と課題─」オンライン開催、2021年7月 ※永青文庫研究センターHPにて講演動画を公開中

③は、被災文化財の歴史的価値を明らかにするための調査・研究です。熊本史料ネットが研究したものに、「築山家文書」「大矢野家甲冑」[❹]「有馬家文書」等があります。細川家家臣の文書「築山家文書」には、近世前期の細川忠興・忠利の書状が伝来していました。それを解読した結果、近世の築山家が中世以来の拠点である淀(山城国)に居住し続けながら、細川家に奉仕していた新事実がわかりました。同じく細川家家臣の家に伝来した「大矢野家甲冑」には、近世中期の細川家当主の名札がつけられており、永青文庫細川家文書(熊本大学附属図書館寄託)の関係文書と照合したところ、廃藩置県直後の1872年(明治5)4月、細川家から当時の大矢野家当主に預けられた甲冑であった事実が判明しました(今村直樹「廃藩置県後の細川家当主所用甲冑と旧家臣」『永青文庫研究』創刊号、2018年)。近世後期の庄屋文書である「有馬家文書」からは、国指定史跡井寺古墳(上益城郡嘉島町)に係る古文書が発見され、幕末期の古墳発見の経緯を詳細に復元することができました(三澤純「被災地熊本で見た『明治一五〇年』と私たちの課題」『歴史評論』842、2020年)。

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❹熊本史料ネットがレスキューした大矢野家甲冑(大矢野種康氏蔵)

こうした研究成果は、②の講演会でも積極的に発信しています(第4・5回)。被災文化財の歴史的価値をひろく市民と共有することは、今後の文化財保全において重要な意味をもつと考えられます。

④は、レスキューした古文書を所有者に返却する際、作成した目録と解題を渡すという事業です。熊本地震後の「文化財レスキュー事業」では、古文書群23件(史料点数約12,600点)のうち、16件を対象として目録作成と内容調査を進めました。ここには、目録と解題を作成することで古文書がもつ価値(商品的価値ではなく、家や地域の歴史の証言者としての重要性)を理解してもらい、今後の文化財保全につなげたいという意図が込められています。被災文化財の地域社会への還元を図る、熊本発の新たな試みといえます。

今後の課題
これまで述べたように、熊本地震後の熊本史料ネットの活動、そして官民連携による「文化財レスキュー事業」は、地域の歴史文化資料の保存・継承のために積極的な取り組みを行っています。文化財保護法の改正を受けた熊本県は、2021年3月に「熊本県文化財保存活用大綱」を策定しましたが、ここには熊本史料ネットの意見が反映され、未指定文化財の所在把握のための悉皆調査の実施が明記されました。

しかし、私たちの活動には多くの課題も残されています。大きな課題の一つは、文献資料を収集・保存する公文書館が、熊本県内で決定的に不足している点です。レスキューされた文化財には、所有者への返却自体が困難な事例も存在します。また、家や地域コミュニティの衰退等で、現在無数の未指定文化財が危機に直面しています。そのため、県内における公文書館の整備は不可欠であり、熊本史料ネットはこうした課題解決に向けた取り組みを続けていく所存です。

【連携団体】
熊本大学、熊本県文化課、熊本県立美術館、熊本地震被災歴史資料レスキューサポート(九州史学研究会)
【活動がわかる主な文献リスト】
1●稲葉継陽「熊本における被災文化財レスキュー活動」、歴史学研究会編『歴史を未来につなぐ─「3・11からの歴史学」の射程』東京大学出版会、2019年
2●稲葉継陽「熊本地震後の文化財保護」『歴史評論』849、2021年
3●三澤純「被災地熊本で見た『明治一五〇年』と私たちの課題」『歴史評論』842、2020年
4●今村直樹「熊本震災と被災資料レスキュー活動」『年報近現代史研究』10、2018年