愛媛資料ネット【四国】★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

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愛媛資料ネット

【団体情報】
設立年●2001年3月30日
旧名称●芸予地震被災資料救出ネットワーク愛媛(2016年まで)
事務局所在地●〒790-8577 愛媛県松山市文京町3 愛媛大学法文学部日本史研究室
電話番号●089-927-9312(事務局長 中川未来/10:00〜17:00〈平日のみ〉)
メールアドレス●ehime_s_net@yahoo.co.jp(代表 胡光)
HP●https://snet.ll.ehime-u.ac.jp
Twitter●https://twitter.com/ehime_s_n
Facebook●https://www.facebook.com/ehime.siryou.net/
【活動地域】
愛媛県
【参加方法】
入会●メールにて申し込み。常時、メーリングリストで活動の案内をします。活動趣旨に賛同する県外の方も登録可能です。
寄付●必要な時にお願いしています(郵便振替口座 01690-8-5497 愛媛資料ネット)。


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❶西日本豪雨被災資料の愛媛大学搬入(2018年)

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❷西日本豪雨被災資料の修復活動(2019年)


【設立の経緯】
文●胡 光

芸予地震発生
2001年(平成13)3月24日、安芸灘を震源とするマグニチュード6.7の芸予地震が起きました。広島県大崎町などが震度6弱、広島市、山口県柳井市、愛媛県今治市・松山市などで震度5強を記録します。広島・愛媛県では死者や負傷者も発生し、家屋の全半壊が広島県で753棟、愛媛県で42棟ありました(消防庁確定報)。

その直後から、先行する歴史資料ネットワークの助言も受けながら、愛媛大学と伊予史談会が中心となって、被災資料救出の方法を協議しました。3月30日には「芸予地震被災資料救出ネットワーク愛媛」(愛媛資料ネット)を設立し、県庁で記者会見を行い、資料救出の必要性を訴えました。神戸・山陰に次ぐ、全国で3番目の資料ネットの誕生です。4月5日に、県教育委員会も「震災等災害の発生に伴う古文書等歴史資料及び文化財の保全について」の依頼文を各市町村教育委員会に出し、資料ネットへの協力を公的に周知・支援しました。

この結果、マスコミの取材も相次ぎ、新設組織の認知度が高まり、5月には今治市内で7家もの資料救出活動を行いました。全壊家屋は少なかったものの、震災の損傷により、改築のため家屋を取り壊すという事例は多々見られ、撤去前日に資料を救出したこともありました。

救出活動は、大学や中高教員・学生、博物館学芸員、自治体職員、郷土史会員など多彩な有志で行いました。資料情報の収集や所蔵者との交渉は地元郷土史会員が中心となりました。救出後は、資料のクリーニングや整理、内容把握を行い、所蔵者など地元の受け入れ体制が整った場合は資料を返還、あるいは保存活用できる博物館へ移管を行いましたが、大半は資料ネット事務局を務める愛媛大学で保管しています。

愛媛資料ネットとえひめ文化財等防災ネットワーク
本ネットでは、芸予地震時の救出活動が終息した後も資料保全活動を継続しています。資料調査・救出・保存だけでなく、会報の発行や講演・講習会により、会員の意識や技術の向上を図っています。現在では、多様な保全活動を継続して行うため、2016年(平成28)に会則を制定し、略称であった「愛媛資料ネット」の名称を正式に用いています。

芸予地震の時に迅速な救出活動が行えたのは、大学と郷土史会、行政の連携があったからです。ただし、参加者は職場の業務としてではなく、ボランティアとして参加していました。恒常的な協力体制の構築と職務として救出活動が行えることは、課題として残されました。その後、東日本大震災や熊本地震などの大災害を経て、行政と地域の協働による災害対応が検討されるようになりました。

愛媛県教育委員会文化財保護課では、全国でも珍しい、県・市町・資料ネット・建築士会で連携する文化財ネットワークを構想し、2019年(平成31)3月にマニュアル作成、2021年(令和3)2月の愛媛県文化財保存活用大綱にも掲載、同年9月には「えひめ文化財等防災ネットワーク」規約も完成し、西日本豪雨災害で得た教訓も活かしながら、オール愛媛体制で未指定を含む文化財保護に取り組んでいます。

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❸えひめ文化財等防災ネットワークと共催した水損資料修復ワークショップ(2019年)

【活動の特徴】
文●胡 光

2004年台風の土石流被害
2004年(平成16)8~10月にかけて、毎週のように台風が襲い、愛媛・香川県では土石流による被害が甚大でした。8月17・18日の台風15号では、集中豪雨により新居浜市域で3人が死亡し、多喜浜庄屋藤田家屋敷も土石流で覆われました[❹]。四国最大の塩田地主の豪壮な邸宅は、長屋門と土蔵を除き、撤去され、公園となってしまいました。

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❹土石流に埋まる藤田家(2004年)

被災直後と建物撤去直前に古文書・古記録類・襖の救出を行いました。7,984点におよぶ資料整理は、2018年(平成30)まで続きます。この中から、安政南海地震の塩田被害を記した文書も発見されました。液状化、地盤沈下の状況、藩・村・個人で行う復興分担も記録され、近世社会を考えるだけでなく、今後の被害予測にも役立てることができそうです。

保護した歴史資料の解読・研究は、救出・保護の意義を理解していただくためにも必要です。芸予地震から救出した今治市内の資料でも、明治時代の住友精錬所公害事件資料、昭和天皇巡幸を目にした日記など、地域の歴史を物語る資料が多数保存されました。また、先祖が東北地方で赤十字の医師をしており、勤務地の出版物を収集していた旧家には、岩手県大槌町の資料が遺されていました。東日本大震災で資料が流されてしまった大槌町へ、このコレクションが寄贈され、復興に役立てられています。

2018年西日本豪雨
2018年7月豪雨、いわゆる「西日本豪雨」では、当時観測史上最大の大雨となり、甚大な被害が発生しました。四国山地では、6月28日~7月8日の間に愛媛県の年間平均降水量を超える1,800㎜以上の雨量があり、大雨特別警報が発表されました。愛媛県では、7月6~8日に河川氾濫・土砂崩れが起き、家屋全壊615棟・半壊2,745・浸水2,856棟、死者27名を数え、被害は全県下におよびました。なかでも、肱川をはじめとする各河川の氾濫や土石流被害が広範に生じたのが、南予地区の宇和島・大洲・西予市域です。後に、ダム制御や蜜柑畑開発などの課題・要因も指摘されています。

愛媛資料ネットでは、雨の弱まった7月8日から、大洲市内にて歴史資料の救出活動を開始しました。松山市からの交通手段が寸断されていたため、西予市にある愛媛県歴史文化博物館の学芸員が救出活動を行いました。その後、高速道路が復旧したため、7月11日には大学からも保全活動に加わりました。まずは調査実績のある旧知の所蔵者と連絡を取り、その救援要請に応えました。この時の様子は『愛媛新聞』(7月12日朝刊)で紹介されました。大洲八幡神社古学堂や旧庄屋家など数日で数家の資料群段ボール約20箱を救出し、西予市にある愛媛県歴史文化博物館へ搬入して、洗浄・乾燥・殺菌作業を行いました。

江戸時代にできた私塾古学堂は、北海道五稜郭を設計した武田斐三郎、シーボルトの弟子三瀬諸淵などを排出しています。古学堂では、主に典籍類を救出しましたが、古文書・古記録類約2,600件については、大洲市・愛媛大学の合同調査のため、前月までに大洲市立博物館へ搬出していて無事でした。

上記作業中の7月11日、宇和島市吉田町立間公民館で保管していた旧立間村役場文書が浸水しているという情報が入りました[❺]。江戸~昭和時代の引継行政文書約4,000件で段ボール100箱以上におよびます。現地では、隣を流れる立間川が氾濫し、浸水跡は地面から181㎝にあり、周辺地域は瓦礫の山で、水道・電気が止まっていました。1階床面は、まだ泥水で覆われている状況で、1階の倉庫に置いてあった文書は濁流に攪乱され、半数は泥だらけで散乱、半数は棚上で若干の浸水が認められました。

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❺立間公民館資料の被災状況(2018年)

浸水した文書は、早急に乾燥・殺菌しなければ、腐敗してしまいますが、100箱以上の文書を一時に乾燥させることは不可能です。この大量の文書を早急に冷凍させ、現状維持することを模索しました。救出作業日は、直後の3連休7月14~16日に設定し、冷凍庫と梱包資材の確保に奔走しました。冷凍庫は、伊方町・町見郷土館の紹介により、伊方町三崎漁業協同組合から支援の申し出があり、緊急避難を行うことにしました。

救出作業日には、県内外からのべ60名以上が集まり、泥の洗浄、冷凍パック封入、段ボール箱詰めを行い、冷凍庫への移送を行いました。資料ネットだけでなく、高校生や地元のお年寄りなどの災害ボランティアの方々や各方面の協力によって、緊急避難は成功しました。

ただし、乾燥・殺菌・修復などには、時間と作業場所が必要であるため、新たな冷凍庫への移送が必須でした。本災害直後に、愛媛大学内に設置された災害対策本部と災害調査団に相談したところ、南極などの世界的な調査研究を進めている沿岸環境科学研究センターが冷凍室es-BANKを提供してくれることになり、7月18日に協議の上、8月6日移送を行いました。研究機関のため、人の出入りがなく、-25℃の冷凍環境が良好に保たれています。ここから毎週、数箱の文書を搬出し、修復・調査作業を大学内で行い、3年後に完了しました。

大学への移送時には、NHK(全国放送)・テレビ愛媛・愛媛朝日テレビ・愛媛新聞の取材がありました。その後の活動についても、南海放送(9月11日)、『朝日新聞』(11月11日朝刊、11月29日夕刊西日本版)で報道されました。

ほかにも、伊達博物館による宇和島市内の記録資料保全、大洲市立博物館による写真や甲冑などの保全、八幡浜市教育委員会による市民向け被災写真修復講座が行われ、資料ネットも協力しました。

さらに、宇和島市吉田町立間にある吉田藩主伊達家菩提寺大乗寺が浸水被害を受けたという情報が入りました。臨済宗大乗寺へは前年、高知県立歴史民俗資料館(南国市)が特別展「禅」に関する調査によって関係が深く、同館へ相談があったのです。ちょうど大量の旧立間村文書救出活動を行っている時でもあり、大乗寺の救出活動は、こうちミュージアムネットワークに依頼し、約30箱の古文書・古典籍類を高知大学へ移送し、修復作業を行ってもらいました。

少し遅れて、西予市役所の数万点におよぶ公文書が浸水したという情報も入りました。現用文書も含まれることから個人情報保護の措置が必要なことなどの理由で、公文書保全の経験がある全国歴史資料保存利用機関連絡協議会の指導で保全活動が行われています。

芸予地震の時と違うのは、猛暑の浸水被害で緊急救出を行うため、特殊な資材や施設が必要でした。推進できたのは、大学だけでなく、愛媛県歴史文化博物館、町見郷土館などの機関が施設や備品を公的に支援してくれたことによります。

県外からも、香川県立ミュージアム、こうちミュージアムネットワーク、徳島城博物館、徳島資料ネット、国立歴史民俗博物館、歴史資料ネットワーク、宮崎資料ネット、全国歴史資料保存利用機関連絡協議会などの支援・協力を得ました。公的な支援・協力の拡大も、芸予地震時と異なる点です。前回より広域で甚大な被害すべてに対応することは困難であり、他県からの援助は不可欠でした。

芸予地震の時の活動時期は、災害発生1~2カ月後で、ライフライン復旧が一段落して建物を解体する直前の救出活動が中心でした。今回の救出は発生後1週間を目標としました。浸水による資料損傷を防ぐ上では、大型冷凍室を有するes-BANKの協力は大きいものでした。

迅速な救出活動のためには、資料情報の把握も重要で、未指定文化財はその所在自体が不明です。今回の救出資料はすべて、事前に調査を行ったことがあり、所蔵者との関係が構築されているものでした。広く情報を収集するために、ツイッターも開設しましたが、新たな情報は得られませんでした。今後は未指定文化財についても全県的に所在と概要を調査しておく必要があります。

2020年コロナ断捨離対応
災害だけでなく、少子化、開発、自治体合併など、資料消失の原因はさまざまで、日常的に相談を受け付けています。

2020年、新型コロナウイルスによる最初の緊急事態宣言下では、外出を控え、家の整理整頓を始める人が多かったため、家庭に眠る歴史資料が捨てられることが予想され、埃をかぶった歴史資料の重要性を訴える「それ、捨てないで」をツイッターで連載しました。その結果、通常の30倍のアクセスがあり、毎日新聞・愛媛新聞に掲載され、ヤフーニュースアクセス数でも上位にランクインしました。5月末には全国から問い合わせが殺到し、他県の場合は、該当する資料ネットの情報提供をし、県内の古文書・襖などを緊急に救出・保存しました。

問い合わせは、先祖の物は捨てたくないが、相談先がわからないという内容で、情報発信の重要性を認識しました。コロナウイルスの蔓延も災害と考え、被災資料(捨てられる資料)の救出を行うとともに、災害資料の保存、すなわちコロナ禍の社会を記録する書類・チラシや写真の保存も会員に呼びかけています。

全国史料ネット研究交流集会
2016年12月17・18日に愛媛資料ネットが主催し、愛媛大学で開かれた第3回集会では、地域歴史遺産を保全することが、地域の歴史を喪失しないだけでなく、防災や減災につながり、災害に強い地域社会を創る活用法を考えてみました。昭和南海地震から70年という節目の年でもあったため『南海地震を伝え、備える』という特集を組み、基調講演をはじめ、南海地震を意識した報告をお願いしました[❻]。さらに、活用には理系の知識や理系との連携も必要と考え、理工系の講師も初めてお招きしました。

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❻第3回全国史料ネット研究交流集会(2016年)

全国各地で日々、保全活動に関わっている方々に活動内容の実績や課題について紹介いただき、地域歴史遺産を保全するための課題として、自然災害だけでなく、過疎化と人口集中、高齢化、自治体合併、行政との連携など多様な問題提起がありました。

当時、主催にあたり、意識した課題は、四国四県の連携がないこと、行政との公式で日常的な連携がないこと、活動参加者が減ってきていることでした。本集会では、四国四県各ネットの参加をお願いし、広報にも努めました。集会の様子は、愛媛新聞一面、南海放送ニュース特集などで紹介され、四国連携、市民参加についても、一定の成果がありました。この時の成果が、えひめ文化財等防災ネットワーク構築や西日本豪雨時の支援体制につながったと考えています(https://henro.ll.ehime-u.ac.jp/post-1683/で報告書公開)。

【連携団体】
えひめ文化財等防災ネットワーク、愛媛県教育委員会文化財保護課、愛媛県歴史文化博物館、愛媛県建築士会、愛媛大学es-BANK、愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センター、伊方町町見郷土館、大洲市立博物館、伊予史談会、今治史談会、香川県立ミュージアム、香川歴史学会、こうちミュージアムネットワーク、徳島史料ネット、徳島城博物館、歴史資料ネットワーク
【活動がわかる主な文献リスト】
1●胡光「2018年豪雨における愛媛県の資料保全活動」『歴史評論』857、2021年
2●愛媛県歴史文化博物館編『四国・愛媛の災害史と文化財レスキュー』同館、2020年
3●愛媛大学編『平成30年7月豪雨愛媛大学災害調査団報告書』愛媛大学、2019年(https://cdmir.jp/files/home/h30-07-heavyrain.pdfで閲覧可)
4●寺内浩「愛媛資料ネットの活動と今後の課題」『歴史評論』633、2003年