茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク(茨城史料ネット)【関東】★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

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茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク(茨城史料ネット)

【団体情報】
設立年●2011年
事務局所在地●〒310-8512 茨城県水戸市文京2-1-1 茨城大学人文社会科学部(添田研究室)
メールアドレス●hitoshi.soeda.carp@vc.ibaraki.ac.jp(添田仁)
HP●http://ibarakishiryou.web.fc2.com/
【活動地域】
茨城県全域、福島県東南部、栃木県東部
【参加方法】
入会●文化財や歴史資料を研究する方、あるいは文化財や歴史資料の救済に興味関心をお持ちの方であればどなたでもご入会いただけます。ご入会いただきますと、メールニュースが配信されます。会費はかかりませんが、寄付は随時受け付けています。
寄付●持続可能な活動には人手と資金が必要です。お寄せいただいた資金は、整理・保存用品等の購入や茨城史料ネットの運営に使わせていただきます。
 【郵便振替口座】口座番号00190-2-672263/加入者名 茨城史料ネット

【設立の経緯】

茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク(以下、茨城史料ネット)は、2011年(平成23)7月、自然災害等で被災した未指定の歴史資料(以下、地域資料)を救済するボランティア組織として発足しました。茨城県および市町村の文化財担当者、博物館等の学芸員、研究者、郷土史団体、一般の市民、そして茨城大学で歴史学を学ぶ大学院生や学部生が参加し、会員は473名(2021年〈令和3〉12月末現在)です。

東日本大震災による被災
設立のきっかけは、2011年3月に発生した東日本大震災(以下、震災)です。茨城県は、いわゆる被災三県ほど注目されませんでしたが、県内各所で震度6強を記録し、建物の損壊はもちろん、沿岸部は津波被害にも見舞われました。指定文化財の被害は甚大で、国指定等の物的被害は182件と全国で最も数が多く、水戸市の旧弘道館、北茨城市五浦の六角堂など著名な建造物も被災しました。
震災は、茨城県下の地域資料の保全のあり方を考える上で大きな転機となりました。なぜなら巨大災害発生時、散逸が危惧される地域資料に行政が対応しうる体制が整っていないことが明らかになったからです。特に、市町村の連絡会議である茨城県市町村史料保存活用連絡協議会が、2009年(平成21)に会員市町村の減少を理由に解散しており、県内各地の動向を集約する行政のスキームさえ失われていたことは痛恨の極みでした。

始まりはゼミの活動から
茨城史料ネット設立の母体となったのは、茨城大学の高橋修さんを代表とする茨城大学中世史研究会です。高橋ゼミの学生たちが中心となり、被災地の現地視察や被災状況のネット配信、資料保全を呼びかけるチラシの配布、そして行政に対して保全要請を行うところから始めました。同研究会が母体となりえたのは、日常的な研究・教育活動の中で関係者との人間関係を築き、地域で活動するノウハウを積み重ねてきていたからでしょう。平時の協力・信頼関係が土台になり、専門分野や立場を越えて関係者が手を取り合い、地域資料の救済にあたるという一応の態勢が整えられたのです。

そのようないきさつもあり、茨城史料ネットの活動の主力は、茨城大学で歴史学を学ぶ大学院生や学部生のボランティアです。事務局の業務も彼らが担当し、日常的な地域資料の整理に加え、発災時には被災情報の集約や自治体と連携した救済・保全活動を主導してきました。

【活動の特徴】

震災が示した地域資料をめぐる課題
震災時の茨城史料ネットの活動サイクルは、損壊した家屋や蔵に収められている地域資料を①建物から搬出して安全な場所に搬送する[❶]、②傷みや劣化をくいとめる、③内容を調べて目録化し、デジタルカメラで記録する[❸]、④発掘した地元の歴史を所蔵者(住民)に伝える、⑤所蔵者に返却する、というものです。活動範囲は、県内はもちろん福島県や栃木県など隣県にもおよびました。救い出したものは古文書に限らず、仏像、仏画、考古遺物、民具など多様です。

写真①東日本大震災で被災した旧家の蔵から古文書を救い出す(於北茨城市、2012年1月12日).jpg
❶東日本大震災で被災した旧家の蔵から古文書を救い出す(北茨城市、2012年1月12日)

写真③東日本大震災で被災した襖を解体・整理する(於茨城大学、2011年7月14日).jpg
❸東日本大震災で被災した襖を解体・整理する(茨城大学、2011年7月14日)

震災は、県下の地域資料が置かれた深刻な事態を浮かび上がらせました。茨城史料ネットの活動では、過去の自治体史編纂事業で調査の対象とされていなかった未把握の資料群(主に近現代のもの)が数多く見つかり、さらに上記事業で調査対象とされた家でも目録化できていない資料群が発見されることもありました。これは、どこに収められた、何を対象に歴史資料として認識するのかという、この数十年の間の価値観の変質によって発見できた地域資料と考えるべきでしょう。一方、目録化された資料以外のものが建物とともに廃棄されたり、逆に、目録化されたものだけが行方不明になっていたりする事例も見られました。これは、かつて自治体や研究者によってなされた地域資料の価値づけが放置されていたがゆえの弊害でしょう。

今後、地域資料の現状を正確に把握し、それらの価値を所蔵者や地域住民に対してねばり強く伝え続ける努力が不可欠であることが明らかになったのです。

原発被災地の歴史を守る
福島県双葉町では、原子力災害の被災地(帰還困難区域)に置き去りにされた地域資料(表面計測値650cpm以下)を中心に救い出しました。これは、復興に向けたまちづくり計画が発災前の歴史や文化をふまえたものになることを期待しての取り組みです。
一方で、発災時のさまざまな出来事を記録した資料(災害資料)の保全も進めています。福島県双葉町教育委員会と筑波大学の白井哲哉さんが中心となり、原発災害の記録として、双葉町の役場庁舎と町内外の避難所で使用された記録や物品、さらに国内外からの支援品を中心に収集し、ホームページ等で公開を進めています。これらは将来的に、災害それ自体を後世に伝える記録となるでしょう。地域資料の過去ではなく、未来における潜在的な価値を見すえた取り組みです。

水に濡れた古文書をもと通りに
2015年9月、関東・東北豪雨によって鬼怒川が氾濫。茨城史料ネットは、洪水で水損した地域資料の保全を中心に活動しました。茨城地方史研究会や神奈川資料ネット等と協力して被災地を巡回調査し、水に濡れて異臭を放つ旧家の古文書や美術品を救い出しました。

これらの修理は東北大学災害科学国際研究所(当時)の天野真志さんに依頼し、真空凍結乾燥機を用いた乾燥処理を施してもらえました。震災の津波で被災した地域資料のために開発された技術が、洪水の場合に応用されたのです。茨城史料ネットの学生たちは同研究所で修理方法を学び、その後、当該資料を茨城大学に持ち帰って洗浄・乾燥の作業を続けています[❷]。この経験は、2019年(令和元)10月に発生した令和元年東日本台風による洪水被害への対応にも活きました。

写真②関東・東北豪雨で水損した古文書を洗浄する(於茨城大学、2016年8月25日).jpg
❷関東・東北豪雨で水損した古文書を洗浄する(茨城大学、2016年8月25日)

急がれる連携・協力の仕組みづくり
地域資料の保全に責任を持つ公的機関に加えて、多様な分野の研究者や学生、そして市民も交えたボランティア団体が参加する、資料保存のための新しいスキームの構築が少しずつ進んでいます。

2020年(令和2)5月の「茨城県文化財保存活用大綱」では、近年の度重なる自然災害の経験と教訓をふまえて、文化財の防災体制の強化が謳われています。ここに行政や博物館等に加えて、茨城史料ネットのようなボランティア組織との連携が明記されました。また、同年7月に常陸大宮市教育委員会が示した「常陸大宮市文化財保存活用地域計画」では、「文化財の被災を未然に防ぐ方策や、被災した場合の処置について検討がなされていない」ことが課題として明記され、茨城史料ネットと連携した「文化財レスキュー」の必要性が示されました。

とはいえ、発災時の自治体職員による地域資料への対応は、依然市町村の裁量に委ねられており、職務としてオーソライズされているわけではありません。当該自治体の職員だけではなく、近隣の関係機関やボランティア組織が動きやすい仕組みの整備が急がれます。

被災した地域資料が紡ぎ出す歴史
被災した地域資料は、被災地の歴史や文化を豊かにする素材として、その可能性を大いに示してくれました。いわゆる「伊達政宗の密書」のように著名人の歴史に関わるものは珍しいですが、たとえば那珂湊を描いた最古の絵図とおぼしき「那珂湊略図」や近代茨城のジャーナリズムの先駆者である長久保紅堂の書簡群のように、一般にはあまり知られていないものの地域の歩みを語る際には欠かせないものが数多く見出されています。

茨城史料ネットでは、このような成果を報告会・展示会で公表しましたが、そのたびに多くの参加者を得て、住民の関心と期待の高さに驚かされました[❹]。栃木県茂木町で救出した「島﨑家文書」などは、その後に多様な価値が認められ、2016年(平成28)に建てられた複合文化施設(ふみの森もてぎ)に収められ、公開された稀有な事例です。

写真④東日本大震災で被災した古文書や民具を展示・解説する(於茨城大学、2012年11月14日).jpg
❹東日本大震災で被災した古文書や民具を展示・解説する(茨城大学、2012年11月14日)

歴史文化を後世に伝える「橋渡し」役
茨城史料ネットは、県内自治体が主催する文化財の曝涼イベントに協力しています。曝涼とは、古い美術品や文献を収蔵場所から取り出し、あるいは風を通して、かびや虫を防ぐとともに、点検することです。公開された場合には、普段はお目にかかれない宝物を閲覧できる貴重な機会にもなります。公開場所には出店が並び、所蔵者や住民によるさまざまな接待が用意されます。近年は観光バスを利用して訪れる旅行者も増え、住民が自分たちの地域と宝物の魅力をアピールし、広く知ってもらえる機会です。伝統的な手法による、ローコストな地域資料の保存・活用イベントと言えるでしょう。

各公開場所では、茨城史料ネットの学生たちも解説ボランティアとして活躍します[❺]。たどたどしくも一生懸命に説明する姿は、来場者からの評判もよいようです。とくに、学芸員を目指す学生にとっては、地域資料の保存・活用の方法を実践的に学べる場にもなります。一方、所蔵者と地元住民にとっては、「よそ者」である学生の解説を聞き、自分たちの宝物の価値を客観的に理解する機会です。
曝涼は、行政と住民、そして「よそ者」の学生が三位一体となって地域資料を地域アピールに活用し、一方で、それらを地域主体で保存する意義と方法を理解した人材を育てることができる取り組みと言えるでしょう。

写真⑤集中曝涼で地域に伝わる古文書を展示・解説する(於常陸太田市東染林業センター、2018年10月20日).jpg
❺曝涼で地域に伝わる古文書を展示・解説する(常陸太田市東染林業センター、2018年10月20日)

学生でもできること
歴史資料の救済・保全というと、専門家の「専売特許」のように思われるかもしれませんが、実は、専門家に協力を仰ぐまでのところで膨大な作業が必要になります。茨城史料ネットの学生たちは、地域資料が存する自治体の担当者や所蔵者との折衝、家屋や蔵の現状記録、取り出し、保管場所での管理、クリーニング、番号付け、数量や形態の確認、デジタルカメラによる画像の記録と整理など、多様かつ煩雑な作業を担ってきました。

一方、学生ゆえの限界は、全国からの支援で乗り越えてきました。資金や備品は資料ネットや有志の寄付に頼り、被災資料の一時保管場所も大学や廃校の空き教室を借りました。また、被災資料の修理や目録の作成は、歴史資料継承機構じゃんぴん、東洋美術学校、東北大学災害科学国際研究所をはじめとする全国の専門家に力強く支えてもらいながら進めています。(以上、文●添田 仁)

学生の「学び」の場
茨城史料ネットの事務局を務めた学生にとって、活動への参加はどのような意義を持ったのでしょうか。ここからは、卒業後、学芸員として資料館および文化財保護の仕事に従事する筆者の経験をふまえて考えてみたいと思います。

茨城史料ネットの活動は、地域資料を素材として、目録作成・写真撮影・クリーニング、水損資料の応急処置、展示準備などを行うことで学生が歴史資料の取り扱い、保存および活用の方法を体験・体感することができる機会を提供しています。学生の中には学芸員や自治体の文化財担当者に就職したいと考える者もいます。多くのOB・OGが茨城史料ネットでの経験を活かしてそのような職に就いていることから、茨城史料ネットでの活動が就職につながる、と考える学生も少なくないように思われます。

筆者自身も、学芸員または自治体の文化財担当者になりたいと高校生の頃から考えていたこと、震災の被災地出身であったことなどから活動に参加しました。そのなかで史料の取り扱いを学び、さらに自治体の文化財関係者との折衝を重ねながら就職のイメージを具体化することができたと思います。とくに曝涼の経験は地域住民と行政がどのようにして歴史や文化を後世に継承するかを考えるきっかけとなりました。現在の筆者にとって、展示の準備や講座・イベントを企画して、地域資料を地域住民とともに後世へ継承する方法について考える際の指針となっています[❻]。そのため職場での取り組みと茨城史料ネットでの経験のギャップに悩むこともしばしばです。

写真⑥東日本台風で発見された歴史資料の整理を中学生と行う茨城史料ネットOB(於那須歴史探訪館、2020年1月19日).jpg
❻東日本台風で発見された歴史資料の整理を中学生と行う茨城史料ネットOB(那須歴史探訪館、2020年1月19日)

OB・OGがつながる場
茨城史料ネットは設立から10年を迎え、その間多くのOB・OGを輩出してきました。そして、彼らの多くが県内外の自治体で文化財担当者・学芸員として勤務しています。このことは、学生が就職を考える際の励みになるだけではなく、現役生とOB・OGが発災時はもちろん、平時から連絡を取り合い、地域資料の保全・活用について相談できる環境が整っていることを意味します。
また、茨城史料ネットは、文化財担当者および学芸員として勤務するOG・OB同士による発災時の情報交換・連携の「場」としても機能していると思います。たとえば、令和元年東日本台風の際に、茨城史料ネットと水戸市立博物館が共同声明を出したことや、水戸市・常陸大宮市・常陸太田市との共同調査が無理なく実現したこと、さらに隣県の栃木県においても資料ネットが立ち上がったこと(2020年8月とちぎ史料ネット、同年10月那須資料ネット)の背景には、このようなことが少なからず影響していると考えてよいでしょう。

資料ネットをもっと知ってほしい
資料ネットの知名度はまだまだ低いと感じています。自身の就職活動の際にお会いした人事担当者や学芸員の中には、地域資料の保全活動に対して理解のない方もみられました。資料ネットとの関わりがない自治体の場合は、活動の説明に困ったことを覚えています。
資料ネットで育成された地域資料保全の担い手が、学芸員および文化財担当者として就職するためには、まだまだ活動に対する理解の裾野を広げる必要があると身をもって感じています。(以上、文●作間亮哉)

【連携団体】
茨城大学人文社会科学部・教育学部、茨城県立歴史館、水戸市立博物館、茨城地方史研究会
【活動がわかる主な文献リスト】
1●高橋修「史料保存から歴史教育、歴史研究へ」歴史学研究会編『第4次現代歴史学の成果と課題3 歴史実践の現在』績文堂出版、2017年
2●白井哲哉『災害アーカイブ』東京堂出版、2019年
3●添田仁・安田千明「学生ボランティアの歴史遺産保存」『九州国立博物館の取り組み』九州国立博物館、2016年
4●添田仁「関東・東北豪雨の水損文書に刻まれた治水の景観」『利根川文化研究』40、2016年
5●添田仁「茨城県下の地域資料の保存をめぐる現状と課題」『地方史研究』407、2020年