丸井貴史「読んだ後には、やはり語らなければならない――『読まなければなにもはじまらない いまから古典を〈読む〉ために』『ひとまずこれにて読み終わり』」
Tweet編集部より
※本テキストは『北陸古典研究』第36号(2022.1.20)に、丸井貴史「紹介 木越治・丸井貴史編『読まなければなにもはじまらない――いまから古典を〈読む〉ために』 木越治著(木越俊介・丸井貴史編)『ひとまずこれにて読み終わり』」として掲載されたものを転載したものです。転載をご許可してくださった北陸古典研究会の皆様に御礼申し上げます。
平成二十九年から刊行が始まった『近世文学史研究』全三巻(ぺりかん社)において、木越治先生は「近世文学の発見」というテーマで連載を担当していた。ここに言う「発見」とは、明治以降の文学研究において近世の作家や作品の価値が見出され、評価されるに至るまでの過程を指しているのだが、注目すべきは、先生がしばしばその「発見」のあり方を通して、現代の文学研究を相対化しようとしている点である。
たとえば第一回「蕪村の近代」では、萩原朔太郎『郷愁の詩人与謝蕪村』において作り上げられた蕪村像を否定するかたちでその後の研究が進められてきたことを指摘し、その正当性を認めたうえで、「朔太郎的な蕪村理解に抗し得る、なにを、我々研究者の側は提出しえているのか」「正確な学的方法の彼方に、魅力的な作品や作家像が提出され得ないのであったら、我々の文学研究とはいったいなんだろう」ということを繰り返し問うている。また、第二回「近世小説のジャンル」では、関根正直『小説史稿』や三上参次・高津鍬三郎『日本文学史』をはじめとする明治期の文学史研究を概観した後、北村透谷が「真に日本なる一国を形成する原質を詳かに」し、「其人民の性情を窺」い得る点に文学史への期待を表明した一節を引き、「若き透谷の断言を今日に生かす方向を求めなければならぬ」と述べている。
このような発言の裏側には、近年の文学研究に対する不満があったと見るべきだろう。たとえば「私たちは、本を「自炊」できるだろうか?」(『西鶴と浮世草子研究』第五号、平成二十三年六月)においては、「書誌をならべるような論文」が若手研究者に多く見られるのは、単にデータベースが充実し、コンピュータリテラシーが向上したからであるにすぎないとしたうえで、そうした傾向の対極にあるかのような秋成研究会の活動を紹介し、「結局、ためされているのは我々の読む力である」と強調する。また、高田衛氏の『定本 上田秋成研究序説』(国書刊行会)と『完本 上田秋成年譜考説』(ぺりかん社)の刊行を記念して行われた長島弘明氏との対談(『図書新聞』第三一一二号、平成二十五年六月)では、最近は資料さえあれば研究ができると思い込んでいる節があるが、文学研究の原点は活字本を徹底的に読み込むことだと、力を込めて語っている。
こうした思いを抱いていた先生が上智大学退職後に取り組んだのは、「読む」ことの重要性を学生たちに語りかけることだった。具体的にいえば、非常勤講師として担当していた上智大学文学部の国文学史の授業において、「語り」という観点から文学史を捉え直すことを試みたのである。その様子の一端は、「連続講義 近世小説史論の試み――第一講・序説――」(『上智大学国文学論集』第四十九号、平成二十八年一月)において窺うことができるが、ここでは「序説」とあるとおり、『竹取物語』『伊勢物語』『大和物語』『源氏物語』『浦島太郎』『物くさ太郎』といった、近世以前の物語における「語り」の諸相が分析されている。そして「第二講」以降については、西鶴・秋成をメインのターゲットにすることを宣言しつつ、黄表紙・洒落本・人情本の検討を経て、これら近世小説の「語り」の方法が近代小説とどのように接続しているかを見通したいとも述べていた。
そして先生は、この試みの場を教室という空間に限定するのではなく、書籍として刊行することで、一般読者とともに古典文学を「読む」ことの意味を考えようとしていたようである。しかし残念ながら、その目的が果たされる前の平成三十年二月二十三日に、先生は鬼籍に入ることとなった。
やや前置きが長くなったが、木越治・丸井貴史編『読まなければなにもはじまらない――いまから古典を〈読む〉ために』(文学通信、令和三年)は、先生の遺志をそのままで終わらせてはならないという思いのもとに、僭越ながら私が拙い編集を試みたものである。まずはその目次を掲げる。
第一部 読まなければなにもはじまらない(木越治)
一、はじめに――読まなければなにもはじまらない
二、作者と作品の関係について
三、「語り」への注目
四、御伽草子の「語り」
五、おさんという女――『好色五人女』巻三を読む
第二部 古典を「読む」ためのヒント
一、古典の「本文」とは何か――『春雨物語』の本文研究に即して(高松亮太)
二、表記は「読み」にどう関わるか(中野遙)
三、表現の歴史的文脈を掘り起こす――典拠を踏まえた読解の方法(丸井貴史)
四、文体の持つ可能性(紅林健志)
五、書簡体小説の魅力と「読み」の可能性(岡部祐佳)
六、絵を読み解く――近世・明治の出版物を読む(有澤知世)
七、漢詩を読み解く――青地礼幹「喜義人録成二首」を例に(山本嘉孝)
八、地誌を「読む」ということ(真島望)
九、歌舞伎を「読む」ということ――河竹黙阿弥作品の場合(日置貴之)
第三部 いま、古典を「読む」ということ
一、古典を読む営為について(加藤十握)
二、古典との向き合い方――中等教育の現場から(中村唯)
三、「現代社会」が古典文学をつくる――歌枕〈わかのうら〉受容の歴史から(宇治田健志)
第四部 読むことでなにがはじまるのか[座談会](堀切克洋・パリュスあや子・木ノ下裕一・丸井貴史)
第一部には先生の遺稿を収めた。先生が「語り」に注目してこの稿を書いていたことは前述のとおりだが、そのきっかけは、先生がライフワークとしていた「『源氏物語』を読む会」での発見にあったという。たとえば光源氏が初めて末摘花と逢う場面では、これまで「君」「中将」などと呼ばれていた源氏が、「男」と呼ばれるようになる。また、薫と浮舟が語らう場面でも、「男は過ぎにし方のあはれをも思し出で、女は今より添ひたる身のうさを嘆き加へて、かたみにもの思はし」と、「男」と「女」としての二人の姿が浮かび上がらせられている。こうした「語り」の方法が、近世の作者たちにいかに意識され、いかに受け継がれていったかを、確認したかったというのである。その試みは、『好色五人女』巻三を論じたところで途絶することとなったのだが、先生のこの問題意識を受け止めた上で、残された我々に何ができるかを考えることは、ひとつの大きな責務であるように私には思われた。
というのも、先に引いた「「書誌をならべるような論文」が若手研究者に多く見られる」とか、「最近は資料さえあれば研究ができると思い込んでいる節がある」というような批判は、まぎれもなく私たち(や、それよりもう少し上)の世代に向けられたものだからである。もちろん、あえて挑発的に述べたところもあるとは思うが、もしも私たちの世代がそのように認識されているならば、私たちは私たちの責任において、自分たちが「読む」ことに対していかに向き合っているかを示さなければならないだろう。本書において、私はあえて自分と同じ世代の方たちを中心に執筆をお願いしたが、その背景にはこのような理由があったのである。
第二部に収めたのは、古典文学作品を分析するための具体的な方法論である。その内容は、本文批判・典拠論・文体論・挿絵解釈など多岐にわたるが、ここでは「読む」という営為の幅の広さを示すことを試みた。現在の高校における古典教育は、私たちが高校生であったころと同様に、やはり単語・文法の解釈と本文の現代語訳が中心であると聞く。しかし言うまでもなく、品詞分解と現代語訳を完成させることが「読む」ことのゴールではない。そもそも古典の「本文」はどのようにしてできあがっているのか、先行作品を利用した表現にはどのような意味があるのか、なぜ『源氏物語』と『平家物語』では文体が異なるのか、挿絵は本文に対していかなる役割を果たしているのか......。こうした問いを自ら設定し、その答えを求めようとするところから、自分自身の「読み」は立ち上がってくる。「読み」とは決して他者から押しつけられるものではなく、また、他者の意見の受け売りで済ませるべきものでもない。ここに示したいくつかの方法論が、それぞれの読者にとっての「読み」を見つけるための手がかりとなれば嬉しく思う。
また、漢詩・地誌・歌舞伎といった、一般的にはあまり親しみのないジャンルを「読む」ことについても、それぞれの専門家にレクチャーしていただいた。これらの章を設けたのは、「古典文学」の定義や「読む」という行為の意味するところについて、揺さぶりをかけるために他ならない。確かに現代の感覚でいえば、漢詩を趣味とする人の数はきわめて少なく、地誌は歴史学や地理学の分野に該当するものと思われるだろう。そして歌舞伎はやはり「観る」ものであり、「読む」ものとしてのテクストが意識されることは少ないはずである。しかし、漢詩は近世の文化において欠くべからざるものであったし、地誌は文学と密接な関係を持っていた。歌舞伎は当時においても当然「観る」ものであったが、明治以降には筋書や台本が活字化され、享受のあり方に変化が生じた。現代におけるこれらのジャンルのあり方と、近世・近代初期のそれとの違いは、古典が現代を相対化するための重要な視座となり得ることを示している。
しかし、いま古典文学の入門書に求められているのは、古典の「読み方」を示すことばかりではない。そもそも、なぜ古典を読まなければならないのかという問いが、厳しく我々に投げかけられていることは、勝又基編『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』(文学通信、令和元年)や長谷川凜他編『高校に古典は本当に必要なのか』(文学通信、令和三年)などを読めば、容易に理解されることである。そこで第三部では、中学・高校の国語科教員と、社会と古典を結びつける活動を展開している地域情報誌編集長に、古典を「読む」ことの意味について論じていただいた。
「古典は必要なのか」と問われるたびに私が感じるのは、その問いは古典をいわゆる「実学」としての側面からのみ評価しているために発せられるものではないのかということである。たとえば「外国語を勉強すればビジネスに役立つ」という発想と同様の態度で古典の勉強に向き合っていては、当然「古典は不要」という結論になるであろうし、古典文学をハウツー本と同じようにみなしていては、「古典の内容は役に立たない」ということにもなるであろう。
仮にそうであるとするならば、それは古典との向き合い方に問題があると言わざるを得ない。古語と対峙して一語一語を丁寧に解きほぐしていく営みや、古典に書かれていることを自分自身の問題として捉え直してみる試み、そして古典を読んで抱いた共感や違和感が何に起因するものかを考えながら、自己をあらためて見つめてみること――そうした営為にこそ古典の意味はあるのであって、古語が読めるようになることや、古典の内容を知っていること自体が何かを生み出すわけではない。第三部に収められた三本の論考は、きわめて具体的な実践や経験に基づきながら、そのことを示してくれている。「古典は本当に必要なのか」論争に対する、ひとつの回答ともなり得ていよう。
そして第四部の座談会には、文学を生み出す側の方々をお招きした。これまで私たちは、文学を享受する立場からのみ古典の意味を考えるきらいがあったように思われるが、創作者の立場からすれば、古典はまた異なる意味を持ち得るのではないかと考えてのことである。
彼らとの座談会に参加しての実感は、言葉に対する感覚の柔軟さが私(これは必ずしも創作者か享受者かの問題ではないので、「私たち」とは言わない)とは大きく異なるというものであった。私が作品を「論じる」ための、ある意味では固定化された枠組の中でしか言葉を捉え切れていないのに対し、彼らの言葉の捉え方は、言葉を「生かす」ためのものであるように感じられたのである。たとえば堀切氏は哲学の難解な言語を評して「言葉のダンス」と呼んだ。「ダンサーが人間の身体を拡張するように、哲学は言葉の可動域を広げる」と。また、パリ在住のパリュス氏はメール歌会で「ぬばたまの手」という表現が出てきたことの面白さを語る。黒いものを導く枕詞である「ぬばたまの」が「手」にかかれば、そこがフランスである以上、それは黒人の手を指すことになるのだが、このとき「千年以上脈々と使われてきた言葉の中に、新しい意味が立ち上が」ったように感じたという。そして、歌舞伎をリメイクすることによって新しい演劇を作り出している木ノ下氏は、原文を現代語訳する際に、言葉が「圧倒的に足りて」いないことを指摘する。すべてを包括する言葉は原文以外になく、「それを口語でどこまで掬い取れるか」ということに腐心しているとのことであった。
こうした発言は、いま、ここに生きている私たちにとって、古典がいかなる意味を持つかを大いに示唆するものであろう。大切なのは、日常的に古典に親しんでいる我々が、古典の言葉をいかに受け止め、そしてそれが我々にとっていかなる意味を持つものであるかを、自分の言葉で語ることである。「読まなければなにもはじまらない」のは確かだが、読んだ後には、やはり語らなければならない。その語りの声の多様性こそが、現代における古典の意義を浮かび上がらせてくれるはずである。
先生が苦言を呈した「若手」の我々が、先生の遺稿を承けて「読む」ことに真摯に向き合った――と言ってしまえば、あまりにできすぎた図式のようだが、結果的にそうなっている面は確かにある。先生の謦咳に接することで多くを学んできた我々からの、せめてものお返しになっていればと思う。
右に紹介した『読まなければなにもはじまらない』が、木越先生の研究面における遺稿に基づく本であるのに対し、研究以外の原稿をまとめて刊行されたのが、木越治著(木越俊介・丸井貴史編)『ひとまずこれにて読み終わり』である。金沢大学日本語学日本文学研究室の卒業文集『木馬』をはじめ、雑誌・新聞等に発表されたものと、上智大学着任以降に開設されたブログ「俳号は三七丸のblog」に書かれたものの中から選りすぐりのものを集め、前者を「随想・随感」、後者を「よしなしごと」として整理した。
「随想・随感」は、五十歳を過ぎたころの先生が半生を振り返った「自分史の試みより」に始まり、学生に文学との向き合い方を語った「文学を「研究する」ということ」「「文学とは何か?」と問われて」や、音楽をヒントにしたユニークな教育手法が示される「教えすぎないための提案二、三」のほか、父親としての一面を垣間見せる「「泣いた赤鬼」に泣いた話」など、先生の様々な側面を窺わせるものとなっている。大半は二〇〇〇年代以降に発表されたものであるが、古いものとしては、一九八三年から八六年にかけて石川工業高等専門学校図書館報『灯火』に連載された「本についてのむだばなし」を収めた。原本がなかなか入手しにくい媒体であるということも、これを収めたひとつの理由ではあるが、椎名誠めいた文体を交えつつ、純文学からサブカルチャーに至るまで縦横無尽に批評する若き日の先生のエネルギーに、何よりも私は圧倒されたのである。当時の先生の年齢が、今の私とほとんど変わらないことを思うと、何とも複雑な気持ちになる......。
一方の「よしなしごと」は、ブログの記事を【音楽】【本】【映画】と【そのほか】の四つのパートに分類してまとめた。先生が音楽と本と映画を愛した人であったことは、みなご存知であろうと思う。右のような部立としたのは、編者の我々にとって必然的なことであった。
こちらはブログに書かれたものであるということもあり、「随想・随感」に比べて気楽な筆致のものが多い。個人的には、森進一「北の螢」や美空ひばり「みだれ髪」の歌詞を和歌の表現と比較した「演歌と古典文学」、吉本隆明の死に際しての感慨を記した「吉本隆明さんが......」、若いころから愛読していた『本の雑誌』を解約するときの心境を綴った「さよなら、「本の雑誌」!」など、ここに感想を書いてみたいものはいくつもあるが、私はすでに「ひとつのよすがとして――やや私的な解題――」という小文を本書に寄せているので、これ以上差し出がましいことは控えたい。
ただし最後にひとつだけ、その解題に書いていないことをここに述べさせていただきたい。それは、書名「ひとまずこれにて読み終わり」に込めた編者の意図である。
先生が神田陽子師の講談教室に通っていたことをご存知の方は多いだろう。講談に魅了された先生は、教室の発表会に出演するのみならず、稽古の成果を講演で披露することも少なくなかったし、大学の授業やオープンキャンパスの模擬授業で演じたこともあった。
その講談では、演者が高座を下がる際、大抵の場合「これにて読み終わりといたします」と言う。講談を愛した先生は、何度も「これにて読み終わり」と口にしてきたはずであるが、その声が先生の口から発せられることは二度とない。そして私たちもまた、先生の新しい文章をこれ以上読むことはできない。先生の死は、まさにふたつの「読み終わり」なのである。
しかし、私たちは先生の書き残したものを今後も繰り返し読むことになるであろうし、そのたびにひとつふたつの新たな発見をするだろう。その意味においていえば、私たちが先生の文章を「読み終わる」ことはないのである。「ひとまず」の読み終わりの時を、あの日我々は迎えたが、それが本当の「読み終わり」ではないことを、私たちはみな知っている。
『読まなければなにもはじまらない――いまから古典を〈読む〉ために』
(令和三年十一月十五日、文学通信、一九〇〇円+税)
『ひとまずこれにて読み終わり』
(令和三年十月二十五日、文化資源社、一二〇〇円+税)