井口洋「悪戦苦闘のドキュメント」●『『奥の細道』の再構築』刊行に寄せて
Tweet井口洋『『奥の細道』の再構築』刊行にあたり、文章をお寄せ頂きました。井口洋「悪戦苦闘のドキュメント」です。ぜひお読みください。
●本書の詳細は以下より
井口洋『『奥の細道』の再構築』(文学通信)
ISBN978-4-909658-62-3 C0095
A5判・上製・608頁
定価:本体11,000円(税別)
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悪戦苦闘のドキュメント
●井口洋
平成八年十一月、はじめて世に出た中尾松泉堂現蔵『おくの細道』が、間を措かず「芭蕉自筆」として公刊されたのには、その編者たちの認めるとおり、「文字の書き癖」以外の根拠があってのことではなかった。しかし「書き癖」とは、文字の外形の「癖」であるのだから、容易に真似られるものをそう呼ぶのが本来であるだろう。
ところが中尾本に関しては、根拠のそんな問題は一切吟味されないまま、「今世紀最大の発見!」(初版帯)と謳われ、「生々しい推敲跡をとどめた芭蕉自筆の本文」(文庫版帯)とも宣伝され、それがどうやら、学界にも一般にも、ただちに信じられたらしいのである。
もっとも、根拠の薄弱はかならずしも結論の信憑性を否定しないであろうから、この場合、中尾本に施された貼紙などの添削が、芭蕉自身の「推敲跡」であるということもありえないことではなかろうし、もしそうであるならば、たしかに芭蕉『奥の細道』にとって画期的な発見であるだろう。
しかし、「推敲」とはもとより「自分の原稿を読み返し、必要な加筆・訂正を行うこと」(『集英社国語辞典』)であるから、それを行う前の「自分の原稿」は当然反古として廃棄されることになる。「推敲跡」とはだから、すでに確定した現在の本文に至るまでに、或る経緯が存したということを示すにすぎず、それによって何かが変わるわけではないのである。
中尾本出現の真に画期的な意義は、そんな経緯が分かるという次元にあるのではなくて、もっと根本的なところ、すなわち貼紙などの添削が施された下から、従来知られなかった本文が出現したところにあるであろう。私はそう考えて、岩波版複製(上野洋三・櫻井武次郎編『芭蕉自筆奥の細道』平成九年)の写真と、解読された注とをたよりに、貼紙などによって添削される以前の本文の全体を、新出の一異本として読解することを試みた。
すると、この異本の本文は、従来主として西村本、天理本とに依拠してなされてきた、『奥の細道』の本文校訂に再考を促すように思われた。それは繰り返すが、すべてを芭蕉の「推敲」とする学界の大勢とは逆の方向に向かうことにほかならず、だからそう思ったというのもひとり私だけであった。である以上、その再考も私ひとりで進めなければなるまいと覚悟を決めてから二十有余年、かくてみずから課すことになった課題に応じた、申すも畏れ多いが、私なりの「悪戦苦闘のドキュメント」で、本書はある。