【連載エッセイ】其の二「紙は白い」 - 白戸満喜子の料紙観察の手控〈メモ〉
Tweet
[コーナートップへ]
其の二
紙は白い
■さくらに見えている紙の色
『書誌学入門ノベル! 書医あづさの手控〔クロニクル〕』(以下『書医』)に登場するさくらは紙を白ではない、別の色として認識するふしぎな力を持つ設定にしました。
さくらに見えている原料別の色は『JISハンドブック 32 紙・パルプ』(日本規格協会 年刊)に載っている呈色(ていしょく)を基にしています。紙の原料となる繊維組成を確認するため、C染色液という試薬を用いて染色する試験方法があり、植物が異なるとリトマス試験紙のように違う色になります。その呈色に加えて、繊維の形状を確認して紙の原料を確定します。料紙観察はこの形状確認の部分を非破壊で行っているわけです。
1枚の紙は一皿のカレーやシチューのようなものなので、一さじ分だけ調べてもチキンカレーなのかビーフシチューなのか、その時にスプーンですくった分にはニンジンとジャガイモしかない場合もありますから、判断は難しいのです。試薬を使用すると形状確認だけでは見えてこない原料植物がわかりますし、原料が複数である場合も色の違いで判別できます。
さくらに見えている紙の色はJISハンドブック記載の「C染色液の呈色表」に示されている色を、色相環に当てはめて反対の色、補色にしています。例えばコウゾは赤茶色を呈すので、さくらには青く見えるという設定です。
補色にしたのは、呈色表そのままの色だと「さくらはC染色液?」と専門家に指摘されるのを避けるためでした。(壮大な取り越し苦労による裏設定)
■白さを求めて
一般的に紙は白いシート状の物質です。工業製品としての紙には規格があり、機械で調べる際には「白色度」「平滑度」「光沢度」「厚さ」「繊維方向性」などの規格に適合するモノが流通しています。古書に用いられている紙には当然厳密な規格はありません。とはいえ、白色度は常に求められていました。そう、紙は白いのです。
和歌の修辞である枕詞に「たくづのの(栲綱の)」という表現があり、これは「しろ」あるいは「しら」に掛かります。「栲(たく)」とは、和紙の主原料であるコウゾ(楮)です。栲の繊維でつくった綱は葛(くず)や稲わらなど他の原料で作ったものより白いことに由来しています。
『書医』東京編の其の八「書医の血」で朝鮮本のコウゾの話が出てきます。『鶏林志(けいりんし)』という宋代に成立した漢籍には、高麗(鶏林は新羅・朝鮮の別称)から中国へ献上していた紙のことが記されていて、朝鮮半島で漉かれたコウゾの紙の白さが珍重されていたことがわかります。宋代以降の中国では、後日詳しくご紹介する竹紙(ちくし)が広く流通していて、この紙は若干黄色く脆弱なのです。黒色の墨を使用する文化圏で、白くて丈夫な楮紙を求めるのは至極当然のことだったでしょう。
■麻紙と楮紙は美白のツートップ
パッと見ると緑色の葉や茎、あるいは茶色い樹木から白色度の高い紙を作るには、加工が必要です。また、原料によって白色度は変化し、麻類とコウゾが白色度の高い紙となります。
麻は『書医』の付録「浅利先生の書誌学講座」第7講でお伝えした蔡倫(さいりん)の紙に使用されていて、第8講で紹介している『百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)』も麻紙あるいは楮紙に印刷されていますから、古代では紙に白さを求めていたことがわかります。麻紙は原料にも種類があり、大麻や苧麻(ちょま)が使用されました。宍倉佐敏(ししくらさとし)氏による『百万塔陀羅尼』の料紙調査では、麻紙が1割、楮紙が9割でした。この結果に対して国文学の研究者から「『百万塔陀羅尼』は麻紙だと教えてきた。どうしてくれるんだ」とクレームがあったとうかがっています。紙の研究を進めていく際にはこうした難しさがあります。
大麻や苧麻などの麻類は発酵させて繊維を取り出します。コウゾから原料繊維を取り出す方法は『書医』京都編の其の九「その瞬間」で紹介しています。植物からセルロースを主成分とする繊維を取り出す際には、リグニンやヘミセルロースという他の物質をできるだけ除去します。動物でいえばセルロースは骨格成分で、リグニンやヘミセルロースは骨を支える筋肉や脂肪と考えてください。骨に比べて肉や油が劣化しやすいのはご存じの通りで、これは植物の細胞も同じなのです。
コウゾの樹皮繊維と和紙(楮紙)になった状態をカラーでご覧ください。白さマシマシです。
【コウゾ 樹皮の裏側にある靭皮繊維(200倍)】
【コウゾ 厚口の楮紙(200倍)】
コウゾは弱アルカリ性の灰汁(あく)で煮熟した後、洗浄してできるだけリグニンを少なくします。麻類は発酵の段階で分離します。
製紙に使用する植物繊維は基本的に糸状で、植物によって形状に異なる特徴があります。このサイトに詳しく掲載されていますので参照してください。
「Khartasia」http://khartasia-crcc.mnhn.fr/ja
麻類の繊維形状は多角柱になっていて、白色度が高くても平滑度、つまり筆の滑りや書きやすさという点で若干問題がありました。この難点をカバーし、かつ文字のにじみを少なくするのが「瑩紙(えいし)」あるいは「打ち紙」という表面加工です。『書医』京都編の其の三「助け舟」であづさが説明している通り、繊維どうしの空間を少なくするため、猪のキバなどでみがいたり、木づちでたたいたりして、紙の表面を平らにしました。コウゾは繊維が円柱型なので、やはり打ち紙が有効です。白く書きやすく、文字が美しく際立つ紙には、原料繊維の抽出から出来上がった紙に加工するまで、絶え間ない努力と細やかな配慮がありました。
【国立国会図書館所蔵『建保職人歌合』9コマ目 打ち紙をしている経師】
『書医』の付録第9講でも紹介している経師による打ち紙の図です。経師が使っているのは竹にぶら下げた木づちで、竹のしなりを利用して木づちを上下させながら紙を叩きます。金箔も同じ方法で作られていました。
→[【連載エッセイ】其の三「光沢のある手触りが良い紙」 - 白戸満喜子の料紙観察の手控〈メモ〉]へ