第一回「コンピューティング」の歴史学●【連載】計算の歴史学とジェンダー―誰が計算をしていたのか?(前山和喜)

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第一回「コンピューティング」の歴史学

前山和喜

▶︎コンピューティング史 ≠ コンピュータ史

一般的な「コンピュータの歴史」は、チャールズ・バベッジ、ジョン・フォン・ノイマン、アラン・チューリング、日本で言えば池田敏雄など、その理論や実装の開発などを支えた人物を、英雄伝的な語り口で描くことが多い。コンピュータ・サイエンス分野の教科書の始めには、言わば「父親探し」とも言える、各分野の創始者が誰であったのかが記されていることもしばしば見られる。筆者が研究しているコンピュータに関わる歴史研究は、「コンピュータ史」ではなく、「コンピューティング史」と呼ぶことが一般的である。これは研究の対象が必ずしも計算機本体ではなく計算行為(コンピューティング)の方に重点を置き、より広い課題設定や問題意識のもとに行われているからである。

本連載では、コンピューティング史研究として、特に日本におけるコンピュータの黎明期から成長期まで(1950年~1975年)を中心に扱う。当時の雑誌記事や、計算センターの月報、利用者に配布されたマニュアル、時にはプログラミングライブラリなど、計算機の利用者らが読んでいた実践的な史料の通読によって得られる歴史を提示しながら、計算機利用のあり様を描いていく。

その方法論も、コンピュータを対象とするからと言って、全く新しい歴史学の研究というわけではない。異なるのは従来の史料に加え、機械のために書かれたコンピュータプログラムも読んでいるという点だけである。人間が残してきた言葉や文字が、歴史上初めて人間のためではなく、コンピュータ=機械とのインタラクションのために使われるようになってきたという特殊性しかないのである。

▶︎「懐かしさ」を超えて

コンピューティング史研究は、決して年表作りでも、英雄伝作りでもない。歴史記述を通じてコンピュータ利用の黎明期を描き出すことによって、現在まで続く情報時代の実相を理解することが目的である。歴史という意味では、実践者(プラクティショナー)による"自らの実践史"としての"語り"は残っているものの、それらを乱読しているだけでは歴史像は見えてこない。情報社会を描く歴史学を展開していくためには、「懐かしさ」を超えて史料を解釈していく必要がある。一見、無味乾燥に見える計算行為も、その根底にある技術的思想と併せて記述していくことで、歴史学としての研究の意義を見出すことが出来る。(普段プログラムを書いている人は、Git[*1]にソースコード単体を残しておくだけでは、意味のある積み重ねになりえないことを知っているだろう。)

実際には、黎明期のコンピュータに関する史料は、すでに多くが失われている。例えばパンチカードは、残っていたとしても、当時は価値があった未使用品であることが多く、史料として必要な使用済み(穴のあいた)パンチカードの方は捨てられてしまう。何とか残された(多くの場合は誰からも関心が抱かれず、放置されていたから残っている)史料だけでは、完全な歴史を再現することは出来ない。

しかしながらその不可能性にこそ、計算の行為の発展や計算に関わっていた人々、計算が行われていた場、計算行為による恩恵、社会の変容など、歴史として読み解くに値する可能性が埋まっている。

一例として、気象予報における「数値予報」を紹介する。この歴史をまとめた本の裏表紙には、一部屋に集められた8人のキーパンチャーの写真が載っている(*2)。気象庁へIBM製の科学技術計算用の電子計算機が導入された1959年頃の様子であるが、気象庁の史料を見ると、確かにそのような記録があり、これは数値予報の実働部隊として働いていた女性の存在を示している。その視点を持ちつつ史料にあたると、米国で使われていたプログラミングライブラリの整理やコーディングシートのキーパンチなど、数値予報を行なう上で欠かせない計算行為のあり方が、非常勤職員である女性に分業していたという労働のあり方、つまり社会的な役割の固定としてのジェンダーの存在とも密接に関わっていることが分かる。もし当時の実情を詳細に知っていたとすれば、実際の計算行為の現場を担っていた彼女らの出身や専門性、働き方、庁内での位置づけに、わざわざ着目しないであろう。"分からなさ"こそが、史料の解釈の必要性を生み、より深い洞察を与えてくれたのである。

▶︎日本計算史研究の射程

このようなコンピューティング史研究は、すでに欧米圏では進んでいる(*3)。その上で、筆者は自分の研究分野を「日本計算史」と位置付ける。なぜならば、日本社会のあり様と日本語の「計算」という言葉の特殊性を重要視し、日本の歴史として"計算"を扱っているからである。

筆者の研究の目的は、埋もれている数少ない女性を掘り起こすことでも、コンピュータの生みの親が父親ばかりであることを批判したいわけでもない。現代の情報社会の基盤として用いられているコンピューティングという人間の営為が、その恩恵の強さも相まって、科学技術の側面からあまりにも強い光が当たりすぎているのではないか、という問題意識がある。歴史の実相を立体的に描いていくために、強力なアルゴリズムや高性能なマシンの陰で働いていた無名の実践者たちの存在を明らかにしていかねばならないと考えている。

▶︎本連載の内容

本連載は今後、計算行為を軸足としつつ、「コンピュータとジェンダー」という切り口で以下の内容を扱っていく。第2回ではキーパンチャーに着目し計算行為の変容を、第3回では情報処理技術試験などの試験を分析することでコンピュータに関わる専門性の変化を、第4回では計算労働の組織化による計算機利用のあり方を、第5回ではコンピュータが社会で利用されるようになる過程において、多様性という考え方が展開されていく萌芽を記述していく。「コンピュータ系の職は男性的な仕事」というジェンダーイメージが形成されてきた過程は、技術的な側面から計算機利用が描かれてきた結果であるように思われる。情報社会における価値観・世界観の広がりを、計算行為や技術基盤としてのコンピュータと、社会を営む人間の観点から描いていければと思う。

※なお、本連載でとりあげるのはあくまでコンピューティング史の観点からみたジェンダー要素についてであり、ジェンダー論そのものの議論は射程外であることをあらかじめお断りしておく。

*1:ソースコードなどの変更履歴を記録や追跡するための分散型バージョン管理システム。https://ja.wikipedia.org/wiki/Git
*2:本写真は国立歴史民俗博物館「性差(ジェンダー)の日本史」展(2020年10月6日(火)~12月6日(日))において展示予定である。https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/index.html
*3:喜多千草「コンピューティング史の動向」『科学史研究』55巻, 2017, pp.319-324