井浪真吾「古典教育に携わる方々の「連帯」のために」★『古典教育と古典文学研究を架橋する 国語科教員の古文教材化の手順』刊行について

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この3月に刊行した井浪真吾『古典教育と古典文学研究を架橋する 国語科教員の古文教材化の手順』(文学通信)。本書の刊行についてエッセイをお寄せいただきました。ぜひご一読ください。

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古典教育に携わる方々の「連帯」のために

井浪真吾

・古典嫌いだった私の古典との出会い直し

 中高生の時、「古典」という科目が苦手で、古典そのものも嫌いでした。もちろん自分の怠惰が一番の要因ですが、それとは別に自分と古典との接点が全く見いだせず、何の興味も持てなかったのです。また当時の私の興味はいわゆる理系科目にあり、人間や世界が数式化、法則化される(ように見えた)ことにおもしろさを感じていました。

 典型的な古典嫌いだった私は、国語科教員を目指すことになります。きっかけはさまざまな文章や話などに触れていくなかで、発話には一定のパターンがあることを何となく感じとり、人間と言葉との関係に興味をもつようになったことです。それまで自分が言葉で励まされた経験もあって、大学では人間と言葉との関係について勉強して、将来は人を励ますことにそれを生かしたいと思うようになったのです。

 当然、大学で再び古典を学ぶことになるのですが、急に得意になったり好きになったりするはずもありません。授業を受けていても、提示された原文は解説を聞いてようやく理解できるくらいで、すぐには苦手意識を払拭することができませんでした。ただ、古典自体には興味を持てるようになり、好きと言えるくらいにまでなっていきました。古典との出会い直しに成功したのです。

 語るとはどういうことなのか、読むとはどういうことなのか、人間はことばを介して人間、社会、自然とどう関係を結んでいくのか。授業ではこれらのことを、さまざまな人文系学問と関連させながら、古典を通したことばと人間との関係のあり様として示されました。そこには確かに古典と私、古典と現代との接点があったのです。古典と出会い直した私は、もっと古典を読んでことばと人間との関係について学んでいきたい、将来自分が教えることになる生徒にもこうした古典との幸せな出会いを体験してもらいたいと思うようになりました。本書の背景の一つには、こうした個人的な体験があります。

・古典教育の現場と文学研究との間にある大きな溝

 その後、中高一貫校の教員になり実際に古典の授業をしてみると、自分の想いはあるものの、それを生徒の現在と上手く結びつけることができず、生徒には昔の自分と同じ思いをたくさんさせてしまいました。何かアイデアを得られるのではと思い実践報告などに目を通すのですが、なかなか腑に落ちるものはありません。というのも、古典テキストの向こう側にいる人間が単純化されていたり、矮小化されていたりするように見えたからです。そこで今度は文学研究者の側からの提言に目を通してみると、こちらは初等中等教育現場での生徒や授業が単純化、矮小化されているように見え、ここでも納得いくものには出会えませんでした。そこには古典教育の現場と文学研究との間にある大きな溝が存在していたのです。現場の教員は厖大にある文学研究の成果のどれをどのように参照すれば良いのかが見えない、一方で文学研究者も自分たちが明らかにしてきたことをどのように教育現場で活用できるかが分からない。その結果、お互いが自分のプロパーから発言や報告をし、テキストも生徒も授業も矮小化されたものとなり、生徒たちは古典との幸せな出会いを体験できない、古典教育と古典文学研究との相互疎外状況は一層深刻なものになる、こうした危惧を抱くようになりました。

・「古典」教えることが「古典」教えることにもなる古典教育を提案

 そこで、文学研究の成果からも実践報告からも学ぶことが多かった私は、両者を活かした古典教育を構想できないかと考えました。「古典」教えることが「古典」教えることにもなる古典教育を提案したいと思い、本書執筆に至りました。このように書くと、何か新しいことを発信しているように思ってくださるかもしれませんが、これは説話研究者であった私の指導教員が常々言っていたことでもありますし、私が所属していた大学の講座の先生方や教育実習先の先生方、先輩、同級生、後輩が実践していたことです。また歴史を辿れば、本書で取り上げた益田勝実のように、戦後まもなくの文学研究者や国語教育研究者にもそれを見いだすことができます。本書はその当たり前を示すことで、現場の教員には古典の教材化の手順として、研究者の方々には現場に対する提言の際の観点として、少しでも何かの役に立てばという期待をもっています。

 本書は問題提起の書です。自分の浅学を棚上げするようで恐縮ですが、この本の至らない部分を、文学研究、日本語史研究、国語教育研究、授業実践など多方面から補完していただき、みなさんと議論を深めていきたいと思っています。そうすることで、生徒が古典と出会い、対話することを通じて、生徒の生が豊かになる、そのような古典教育、古典学習をつくっていきたいという思いをこめて書きました。そういう意味で、本書が古典教育に携わる方々の「連帯」の役に立てばとても嬉しく思います。どうぞよろしくお願いします。

●本書の詳細はこちらから
文学通信
井浪真吾『古典教育と古典文学研究を架橋する 国語科教員の古文教材化の手順』(文学通信)
ISBN978-4-909658-26-5 C1037
A5判・並製・344頁
定価:本体2,700円(税別)

本書序章より「相互疎外状況から見える課題」(原稿[校正中])をこちらで期間限定公開中

【書いた人】

井浪真吾(いなみ・しんご)

1985年滋賀県生まれ。2009年広島大学教育学部第三類国語文化系コース卒業。2011年同大学院教育学研究科教科教育学専攻国語文化教育学専修修了。2019年同大学院教育学研究科教育学習科学専攻教科教育学分野国語文化教育学領域修了。神戸龍谷中学校高等学校講師、教諭を経て、2019年現在、奈良女子大学附属中等教育学校教諭。2020年3月に、『古典教育と古典文学研究を架橋する 国語科教員の古文教材化の手順』(文学通信)を刊行。