日本近代文学会東海支部 第80回研究会(2025年8月3日(日)14時~17時40分、愛知淑徳大学 星が丘キャンパス 1号館2階 12A教室)

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日本近代文学会東海支部 第80回研究会および総会
【日 時】 2025年8月3日(日)14時~17時40分
【会 場】 愛知淑徳大学 星が丘キャンパス 1号館2階 12A教室
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◯14時05分~15時00分
・倉地智哉(名古屋大学人文学研究科 博士前期課程2年)
「井村春光の創作活動とその生涯に関する伝記的研究 ――北海道詩人から皮膚科医への変貌」
コメンテーター:加島正浩(愛知淑徳大学)
【発表の要約】
井村春光は、1927年に旧満洲奉天で生まれ、満洲医科大学助教授を務めた安部浅吉・ヨリミ夫妻の二男二女の次男にあたる。1932年にヨリミの実家である井村家に養子に出されたが、1939年に安部家に戻り、奉天工業大学進学後に敗戦を迎えた。引揚げ後は、北海道大学予科を経て、札幌医科大学皮膚泌尿器科教室に入り、卒業後は、皮膚科医を務めたのち、2014年に死去した。井村は、札幌医大在学中の1950年に、札幌医科大学学友会々誌『ARTERIA』を創刊し、更科源蔵を中心とする北方詩話会の詩誌『野性』や、同じく詩誌『至上律』に多くの作品を寄稿していた。井村や妹の福井康子の証言によれば、井村は、札幌医大進学前後までは小説家を志していたが、東京大学医学部出身で、作家となっていた兄の安部公房の説得を受け、母のヨリミの希望に沿って医師となった。本発表では、兄である公房の陰で、これまで知られてこなかった井村の創作活動とその生涯を伝記的に明らかにすることを試みる。
◯15時10分~16時05分
・榊原祐香(愛知県立大学大学院国際文化研究科日本文化専攻 博士前期課程1年)
「八木重吉の《たま》――多義的イメージの考察」
コメンテーター:尹芷汐(名古屋大学)
【発表の要約】
八木重吉(1898~1927)の詩には、キリスト者らしく清澄なものが多いとされる。しかしながら、詩人を立体的に捉えるためには、静謐な美の背後にある、動的で複雑なものを照らしてゆくことが重要だと考える。
本発表では、八木の《たま》のイメージについて考察する。詩集『秋の瞳』をはじめ、詩集未収録の詩篇や日記にも、〈玉〉〈珠〉〈真珠〉という表現が散見される。そのイメージは、聖書に基づくものだけでなく、『万葉集』に見られるような古代日本的なもの、仏教的なもの、女性性につながるものと、多義的である。また、《たま》に関わってあらわれる、〈抱く〉〈投げる〉〈砕ける〉という表現も目を引く。こうした八木のイメージを明らかにするため、澁澤龍彦の『高丘親王航海記』など、古今東西の《たま》の表現を参照しつつ考察を進める。さらには、〈わたしの詩(うた)は わたしの真珠〉とする八木の詩作に対する意識を探り、詩集『秋の瞳』の解釈につなげてゆきたい。
◯16時15分~17時10分
・永井聖剛(愛知淑徳大学)
「明治二〇年代におけるトルストイ受容の一断面 ----国木田独歩と田山花袋の修業時代----」
【発表の要約】
明治26年6月、国木田独歩は日記『欺かざるの記』に「トルストイの「カザックス」に就て翻訳の稽古を始めぬ」と記した。奇しくもこのとき、のちの盟友・田山花袋もまた同作の翻訳を試みており、同9月には『コサアク兵』(博文館)が刊行された。「日本最初のトルストイの完訳単行本」(木村毅)である。独歩と花袋とが互いに知り合うのは明治29年のことだから、その3年前に、各々まったく別個にこの二人は、同一のロシア文学の翻訳(英訳本からの重訳)に取りかかっていたことになる。この偶然の一致が意味するところは何であろうか。本発表は、トルストイ移入の黎明期に起こったこの「運命」的な出来事について、この歴史的な奇遇を成り立たしめた蓋然性を検証するとともに、それが他ならぬトルストイ『コサック』であったことの意味を考察するものである。
◎総会 17時20分~17時40分