古代文学会:10月例会(第777回)(2024年10月5日(土)14:00~17:00、共立女子大学 神田一ツ橋キャンパス 2号館606講義室)※Zoom参加のみ要申し込み

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
https://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/reikai
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※詳細は上記サイトをご確認ください。

日時:10月5日(土)午後2時~5時(例会終了後、委員会を開きます)
※Zoom開始時刻は発表開始の15分前となっています。

場所:共立女子大学 神田一ツ橋キャンパス 2号館606講義室
 東京メトロ「神保町」駅下車 A8出口から徒歩1分

発表者 : 清水 明美 氏

題目 :「袖振り」と「領巾振り」―人物表現としてのしぐさと道具―

要旨 :折口信夫以降、「領巾」は呪具と信じられてきた。その理解が正当なものであることは、「蛇の比礼」「呉公と蜂の比礼」や「風振る比礼」「風切る比礼」(古事記)の表現から明らかである。しかし、注意しなくてはいけないのは、折口が一歩踏み込んで「招魂」の呪具であることを重視している点である。その影響は大きく歌謡・万葉歌に多く見られる「領巾振り」も招魂の呪的行為と見る解釈が根強い。そして、使い方に重なりが見られる「袖振り」も同じように解釈されてきたのである。
 「領巾」そのものに「招魂」の意味を持たせて一律に歌を解釈していくことには、個々に解釈するときいささかの問題も生じ、その反省からか、『新編日本古典文学全集』の頭注は、松浦佐用姫が振る「領巾」(巻五・八六八)について、「領巾」は「おしゃれのポイントと見なされてきたが、元来、呪力があり、これを振れば願いがかなうとされてきた」と招魂の意味を持たせない説明をしている。
 鉄野昌弘(「袖振り」考―「石見相聞歌」を中心にー『上代語と表記』平成十二年十月)は、必要以上に呪力を読み取ることに抑制的な解釈をしめしているが、鉄野論は石見相聞歌を中心的に展開しているので「袖振り」を中心に論じており、「領巾振り」については同様であるという旨の記述があるのみである。
 先述のように「袖振り」と「領巾振り」は、会えない状況・別れの状況に同等に現れることが多く、その前後の表現は重なることも多い。しかし、それは「領巾」と「袖」がともに呪具であるからではなく、「(手を)振る」というしぐさの共通性に負うことろが大きいだろう。もともと、衣装という面でも近しい場所で機能している「袖」と「領巾」は、同じように風が吹けば揺れ、手を振ればゆれるのではあった。「領巾」と「袖」は、「振る」というしぐさをのぞいた例では、別々のひろがりを見せている。領巾は女性の衣装であり、袖は男女ともにあるものなので、「交へる」だという以上に、それぞれ別の表現を引き寄せて、後期万葉歌に展開していく。
 たとえば「天つ領巾」という飛翔の道具に近づいていく「領巾」と、涙に濡れる「袖」、さし交わす「袖」と、折り返す「袖」という違いである。「袖折り返す」にも夢の逢いを祈念するようにまじない的な意味あるらしい。
 「袖」と「領巾」は、それぞれの共通項よりも、違いを整理するほうが、後の時代につながる展開を見出しやすい。その過程をおうことで、「天女」ともいえる人物が造形されいく「領巾」と、世俗的恋を歌うものにわかれていく。萬葉史のなかで、人物の「しぐさ」に注目しながら、和歌表現史の一端を構築することをめざす。同時にそれは「天女」と「人間」を言語によって造形していくという行為の変遷をたどることにもなるだろう。
(司会:長谷川 豊輝 氏)