和紙文化研究会:7月例会(2024年7月20日(土)13:30~16:10、小津和紙6F+Zoom配信)※要申し込み
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◆ 7月例会 ハイブリット型 (オンライン+会場)
日 時:2024年7月20日(土) 13:30~16:10
会 場:小津和紙6FとZoomによるオンライン配信
タイムスケジュール
13:30~15:00 「幻の博物館の紙-日本実業史博物館旧蔵コレクション-」
青木睦会員
題 名 「幻の博物館の紙-日本実業史博物館旧蔵コレクション-」
青木 睦 会員
日本実業史博物館は、渋沢栄一の没後、その遺徳顕彰記念事業として企画された。資料収集は、栄一の孫である渋沢敬三を中心に行われたが、第二次世界大戦により博物館設立計画は頓挫し、収集資料は当館(旧文部省史料館→国文学研究資料館)に寄贈された。国文学研究資料館収蔵の「日本実業史博物館準備室旧蔵資料」の概要について紹介し、本報告では、『幻の博物館の「紙」』展示について詳しく紹介したい。
「紙」展示の目的は、渋沢栄一が関わったさまざまな産業部門のなかでの紙・製紙産業を実業史に関する博物館として、具体的にどのように展示しようとしたのか、遺されたコレクションから検証するところにあった。さらに、かつて生活を彩った紙製品の数々を紹介し、現在失われつつある紙文化の世界を再現、また楽しく見て触れる空間を演出した。
ここでは、「日本実業史博物館」がなぜ幻の博物館なのか、について記しておきたい。渋沢栄一が1931(昭和6)年11 月11 日に死去した後、遺言によって渋沢記念財団竜門社が渋沢栄一邸の寄贈を受けた(現在の飛鳥山公園内)。約8470 坪ほどの敷地及び建物である。1937(昭和12)年5 月、(財)竜門社は、旧渋沢栄一邸の利用に関する委員会を設置し、渋沢子爵家を栄一より継承した嫡孫の渋沢敬三ら9 名に委員を委嘱する(当時、敬三は(財)竜門社の評議員)。そして、この委員会は答申を提出し、同年7 月15 日に財団の理事会・評議員
会において、「渋沢青淵翁記念実業博物館」の建設が決議される。この決議された計画案は、渋沢敬三の「一つの提案」をベースにしたものであった。
渋沢敬三による「一つの提案」で示された「近世経済史博物館」の設立が構想された。その計画は(財)竜門社の事業として動き出し、1939(昭和14)年5 月13 日、渋沢栄一生誕百年記念祭に際し、「渋沢青淵翁記念実業博物館」建設地鎮祭を挙行する。この建設は、国家総動員法に基づく戦時経済統制の強まりによる建築資材の入手困難等により、竣工には至らなかった。その後も「日本実業史博物館」の名称でもって、その設立に向け、資料の収集および展示・収蔵のための施設の設置場所の模索が続けられが、まさに「幻の博物館」となった。
プロフィール
青木 睦〈AOKI Mutsumi〉
1981 年~2023 年3 月 国文学研究資料館(国立史料館:国文学研究資料館史料館)に勤務。現在、学習院大学大学院でアーカイブズ管理研究Ⅲ(記録アーカイブズ保存と修復)、法政大学で文書館管理研究を担当。元全国歴史資料保存利用機関連絡協議会理事。
文化財保存修復学会業績賞(2011 年)、MLA(Museum・library・archives)、企業など、民間所在アーカイブズを含む、紙資料を主としたアーカイブズの保存修復に関する調査研究を専門としてきた。アーカイブズ保存のための物理的コントロールシステムの確立を目指す。
著書
『被災資料救助から考える資料保存 東日本大震災後の釜石市での文書レスキューを中心に』(けやき出版、2013 年)
『紙と本の保存科学』(共著、岩田書院、2009 年)
"Preservation and Conservation of Japanese Archival Documents in theVatican Library"(共編著、バチカン出版局、2019 年)など。
増田副会長からの「竹紙提供」
長らく増田副会長から皆さんに分けて下さいとして預かっていた竹紙
が1反あります。会場の制限が解錠されまし
たので、6月と7月の例会会場に来ていただければ2 枚ずつお分けし
ます。色や繊維画像(DMS200x)などはHP で紹介します。
名称:唐紙
入手:数十年前
寸法:106×54 ㎝
紙厚:0,08 ㎜
繊維:竹
なお、なくなり次第終了します。