上代文学会:二〇二四年度(令和六年度)上代文学会 七月例会(2024年7月20日(土)14:00~15:30、Zoom)※要申し込み
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https://jodaibungakukai.org/08_meeting_r.html
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※詳細は上記サイトをご確認ください。
日時 二〇二四年(令和六年)七月二〇(土)午後二時~午後三時三〇分
会場 Zoomによるオンライン開催
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研究発表 『古事記』四番歌「ヤマトノヒトモトススキ」の解釈
國學院大学教授 谷口 雅博
(司会 千葉大学教授 兼岡 理恵)
○研究発表終了後、常任理事会(Zoomによるオンライン開催)を開催します。
発表要旨
『古事記』四番歌「ヤマトノヒトモトススキ」の解釈
國學院大學教授 谷口 雅博
『古事記』上巻・神語の中で八千矛神(大国主神)が歌った歌(『古事記』四番歌)の中に「夜麻登能比登母登湏〃岐(ヤマトノヒトモトススキ)」という語句が見える。この「ヤマト」をめぐっては、普通名詞の「山本」「山処」ととる説、散文部に「倭国」の語が見えることから、地名「倭(大和)」を指すとみる説の他、「配偶者を失った人」の意ととる一案(新編日本古典文学全集・頭注)などもあり、定まっていない。「山本」「山処」説の難点は、「ヤマモト」を縮めて「ヤマト」と言った確例が見られないこと、「登」は乙類であるのに対し、「処」が甲類であることなどにある。また、一方の地名「倭」説の難点は、「ヤマトノヒトモトススキ」が出雲に残される妻のスセリビメの姿を喩えたものであり、地名「倭」とは関わらないという点にある。
『古事記』の歌の中に見られる「ヤマト」は皆「夜麻登」と表記され、その示す範囲に相違がある可能性を孕みつつも、いずれも地名のヤマトを指している。それゆえ、本発表では四番歌の「ヤマト」を地名「倭」と考える。その場合、当然ながら散文部の「倭国に上り坐さむとして」との関係性を検討する必要がある。「倭国に上り坐さむ」としつつも、結局は出かけずに出雲に留まったと描くこの神話の展開は、大国主神が、後の天皇支配の中心地であるヤマトのみは領有出来なかったことを主張する『古事記』編者の意図を示すものであるとの理解があり、発表者もこれまで同様に考えてきた。しかし、後の大国主神の国作り神話、及び中巻・神武記の東征、崇神記の祟り神祭祀も併せてみたときに、上巻の神話世界においてヤマトが天皇支配の中心地として先んじて別格の扱いを受けていたとは考えがたいのではないか。むしろ八千矛神(大国主神)が領有する「ヤシマグニ」の中に「倭」も含まれることを積極的に示すのがこの歌と散文部の意図するところであったのではないか、と結論付ける。