新入社員週報第4回「「好き」を社会に伝えてゆく」(持田玲)

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入社して約1ヶ月。今年は4月1日が月曜日だったので、ちょうど今日で4週間です。今週ははじめて著者の方と打ち合わせをし、自分の担当する仕事が本格的にスタートした1週間でした(打ち合わせは緊張の連続でした...無事終わってひとまずほっとしています)。
この1ヶ月はあっという間だったようにも感じますし、けれども、大学院生だった2年間がだいぶ遠いもののようにも感じられます。

新入社員週報1回目でも少し書いたのですが、私は、学部・大学院ともに中世の和歌、具体的には、鎌倉時代初期の女房歌人・後鳥羽院宮内卿の和歌表現について研究していました。一口に表現といっても、研究のアプローチは様々ですが、私は、特に歌の「ことば」に注目して、他の用例と比較して特徴を明らかにするという方法で進めていました。

宮内卿は、源師光の娘で、15・16歳頃に和歌の才を認められて後鳥羽院の女房として出仕した歌人です。その後、『老若五十首歌合』や『千五百番歌合』など、新古今時代を代表する歌合や百首歌に出詠しましたが、『新古今和歌集』の完成を見る前に若くして亡くなったとされています。

宮内卿の魅力は、何より、自然の細やかな変化を新しい視点で詠むという点にあります。例えば、『新古今集』収載の「花さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟の跡見ゆるまで」(春下・128)は、本歌の沙弥満誓の歌では舟の航跡の無常を詠むのに対して、宮内卿は「跡見ゆるまで」と、桜の花びらが湖一面に浮かんでいて、舟の跡がはっきりと見えるまでに、と反転させています。そして、この一首は、山風が吹く、それによって桜が散る、その花びらが湖面に浮かぶ、その間を舟が漕いでゆくといった短い時間の変化を31文字に凝縮させて詠んでいます。本歌を反転させる発想力と情景変化を詠む技術。宮内卿にはその二つが備わっています。

他にもたくさん、魅力的かつ新鮮な和歌を詠んでいるのですが、私は、今まであまり研究が進んでいなかったり、注釈のない歌合や百首歌の中の和歌も対象として研究していました。解釈の土台がない(または少ないもの)を扱うことは、難しく、手探りの作業ばかりで行き詰まることも度々ありました。けれども、修士論文を無事書き上げられたのは、結局宮内卿の歌が好きで、彼女の歌をもっと知りたいというシンプルな好奇心だったのだと、振り返ってみて思います。

実際に検討し、論じていく段階で、当然、感情が入ってしまってはいけないのですが、研究の動機には、常に「好き」「面白い」という感情が根源にあるのだと思います。そして、その感情があるからこそ、研究は進んでゆくはずです。
それを社会に媒介させるのが出版社(特に専門出版社)の役割だと思いますし、それを著者の方から引き出して伝えられるようになれたら、と思っています。

今回は、大学院時代の研究のことを主にお話ししましたが、次回最終回では、もう少し話を広げて、古典本文のデータベース化やアーカイブ化のことを取り上げる予定です。
来週もどうぞよろしくお願いいたします。