04 岡本綺堂の戯曲『東京の昔話』が描いたもの(2)|【連載】江戸が東京に変わるとき――松廼家露八(まつのやろはち)の場合(目時美穂)

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文学通信

04 江戸から明治の転換期『東京の昔話』(2)

 それでは、江戸が東京に変わった、その時の空気というのはどのようなものであったのか。

 第2幕の終わり、明治改元の知らせを持ってきた船宿のあるじ善兵衛に対し、前身を捨て、心から幇間となることを決意した、五八こと野井長次郎であったが、

「先月は江戸が東京となって、今月は慶応が明治となる。年号の変るのはめずらしくねえが、何もかも江戸と縁切れになるかと思うと、やっぱり寂しいな」

 とぼやく。旧幕臣として戊辰戦争を戦った綺堂の父・岡本敬之助、そして、露八・土肥庄次郎も、この五八とおなじく明治の世を手放しで喜び迎えることなどできなかっただろう。しかし、彼をとりまく善兵衛や女将のおせん、女中のおかめ、幇間金八らは、五八のノスタルジーにまったく共感を示さず、東京奠都の噂をして、善兵衛は、

「(前略)そうなったら大変だぜ。今までは将軍のお膝元であった此の江戸が、今度は禁裏のお膝元の東京になるのだ。有難てえことじゃあねえか」

 と景気回復と商売繁盛の幸先のよい未来をみこして喜ぶ。彼らにとって、新時代に飛びつかず、過去の時代に拘泥する者は女々しいのだ。

 五八は、「(考える。)むむ。やはり今まではおれが間違っていたのだな」とつぶやく。何を間違っていたのか、善兵衛に「なにが間違っていましたね。」と問われてもはぐらかして応えない。

 「年号が慶応から明治と変わり、その祝賀が盛大に行われることになり、東京の市民たちはようやくもとの快活さを取りもどした」(「東京の昔話 あらすじ」『第四十一回=五月歌舞伎公演 国立劇場』昭和46年5月)とある。だが、彼らの快活さはけして「もとの」とおりのものではない。彼らに快活さを与えているのは江戸のころとおなじではなく、新時代幕開けの祝祭の空気だ。

 慶応4年の5月のころは、あれほど「官軍」を毛嫌いし、将軍さまの江戸を愛惜し、江戸の終焉に愁然としていた庶民が、わずか数ヶ月後(明治改元は旧暦9月8日)の明治元年にはもう明治の聖代に期待している。将軍さまなど忘れ去って、天長さまの忠実な臣民となっているのである。しかも、まったく悪気もなく、無反省に。

 「官軍に対する江戸庶民の感情などに、若き日の綺堂の薩長藩閥政府への気持ちがあらわされていますが、しかし、それよりも、作者の庶民意識がそのまま描かれた作品だといった方が適切かも知れません」)(「東京の昔話 解説」同上)という。

 それでは、綺堂の「作者の庶民意識」というのは、軽佻であてにならないものだということかといえば、おそらくそれだけではない。そうした冷静さを欠いた感情ではこの作品は生まれない。

 第3幕は、銀座の大通りでもよおされた東京奠都の祝いの光景が描かれる。山車が通り過ぎる沿道には地方人の男女から西洋人までが見物に立っている。地方人や外国人をわざわざ登場させたのは、開け行く東京のイメージを現すためだろう。

 最後は、にわか(吉原で芸者たちによっておこなわれた踊りや芝居の見世物のもよおし。男芸者(幇間)は小芝居をした)の総ざらい(リハーサル)にこと寄せた、五八の仁王対江戸の影を背負った風神、雷神の掛け合いでしめくくられる。「東京など江戸が名を変えただけ」という風神・雷神に、五八の仁王は、

五十年六十年の先が見えねえのも無理はねえが、まあ欺されたと思って、長い眼で見ていろ。この東京がきっと二層倍も三層倍も大きくなる。今こそ東京のまん中に草の生えている所もあるが、それはほんの一時のことで、十年経つと東京の姿もよっぽど変わる。二十年経つと又変わる。それが五十年、六十年経つうちには、東京の姿も形もまったく変ってしまうのだ。その時に胆をつぶすな、びっくりするな。

 という。この台詞が、ただこの物語の舞台から50年、60年先にある昭和7年の大東京成立をことほぐために書かれたのだとしても、ここからは同時に、五八の過去を哀惜するだけではなく変化していく世を受け入れ、その変化のなかでしたたかに生き抜いていくのだという決意と強さが感じられる。

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二代目市川左団次が演じる五八の仁王(『国立劇場』昭和46年5月より転載)

 戦いに敗れて、東京と名を変えた故郷にもどった露八・庄次郎もまた、支配者だけでなく人の心も風景も変わってしまった、そしてなお、ものすごい勢いで変わりつつある世を生き抜く決意をしたにちがいない。

 過去に拘泥するでも捨て去るでもなく、ただ変わっていく世を受け入れ、そこで生き抜く道を模索する。それが、敗者からの再生の第一歩であるかもしれない。
(了)

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文学通信
目時美穂『彰義隊、敗れて末のたいこもち 明治の名物幇間、松廼家露八の生涯』(文学通信)
ISBN978-4-86766-020-1 C0095
四六判・並製・376頁
定価:本体2,500円(税別)