第4部 料紙研究を広げる 3 世界へひらき、つなぐ★『古文書の科学』全文公開

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世界へひらき、つなぐ

渋谷綾子

1.国際化と英語化
さまざまな分野の研究で国際化の必要性が叫ばれて久しい。小学館『デジタル大辞泉』などの辞書では、国際化は「国際的な規模に広がること。また、国際的視野をもち、その観点に立って行動すること」とある。本書で扱っている古文書料紙の研究にあてはめるなら、史料情報や調査・分析データ、それらにもとづいた研究成果を国内外の研究者たちが共有し活用すること、共有・活用によって新たに生み出される課題に協働して取り組むこと、という研究の循環の輪を作ることが国際化であると私は考えている。研究の国際化を考える上で、避けて通ることができないのが言葉の問題であり、また研究データのデジタル化とオープン化である。

研究の国際化というときにしばしば求められるのは、外国語、特に英語の運用能力であり、英語による研究成果の発信である。この背景として、研究者が大学に所属する場合は世界大学ランキングTimes Higher Education(THE)の順位を上げることが求められること(平田2021)、また国際的な学術雑誌や出版物、国際研究集会の場で研究成果を示すとき、英語使用が基準となる場合の非常に多いことがあげられる。

図1は、「世界ではどの言語が最も多く話されているのか?」という2022年の統計データ【注】1(2022年8月5日公開)である。この図によると、英語を母国語とする人、あるいは第2言語として話す人は世界で15億人おり、中国語話者は11億人、ヒンディー語とスペイン語が3番目・4番目に広く使われていることがわかる。日本語話者は約1億2500万人余である。研究に対する理解や意見は別として、英語で発信すれば、非常に多くの人に研究成果を見てもらうことができるだろう。

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図1 2022年世界で最も話されている言語(単位:百万)


一方、人文学研究は多様な言語を背景としており、文学や歴史研究では研究対象において用いられる言語で学問的議論をする伝統が長く続いてきた。さらに海外の日本史研究者は日本語に精通しているため、日本語を母語とする研究者が日本語以外の言語を媒介として成果を示す必要性は、自然科学の研究に比べると非常に低い。古文書料紙の研究においても同様である。ただし、料紙研究のデータや成果は日本だけでなく、世界各地に存在する紙媒体歴史資料の研究で応用し、展開することのできるものである。日本で行われている料紙研究を深化し、成果を国際的に広げていくためには、国内外の研究者・機関と連携した上で、研究データや成果をどのように共有し、活用していくべきか、またそれらのフィードバックを受けた新たな課題についても考えることが重要であろう。

データの記録・保存・活用、情報基盤との連携などについては、本書のほかの章で論じられているため、そちらを参照願いたい。ここでは、料紙研究の国際化に向けた今後の展開について考えてみたい。

2.料紙研究のオープンサイエンス
(1)オープンサイエンスとは

オープンサイエンスは、データの管理義務、分析過程の公開性、一般の人びとの包摂が求められる新しい規範であり(Marwick 2020)、近年重視されている。科学研究におけるデータの公開性は、近代科学の主要なテーマであり(David 2004)、データを活用して人類の未来に貢献するための重要なファクターである(Fecher & Friesike 2013)。

オープンサイエンスは、オープンアクセス、オープンデータ、オープンメソドロジーの三つの要素から成る(David 2004)。オープンアクセスは、読者や図書館から料金を徴収せずに、学術研究、特に書籍出版物を恒久的にオンラインで全文アクセスできるようにすることである(Willinsky 2006)。オープンデータは、インターネットを通じて誰もが入手でき、自由に改変や再配布が認められているデータであり、データはさまざまな形式・様相をとる。オープンメソドロジーとは、誰でも検証、または再利用ができる、データの収集、分析および可視化の方法である(Marwick 2020)。研究の再現性を向上するために重要である。

科学研究のオープンデータ公開は、インターネットの発達と普及を通じて加速した。これはデータの公開とアクセスにかかるコストが劇的に削減されたためである(橋本2019)。研究者は自身のデータを一般公開する前に、負の影響について慎重に対処する必要があるが(Finn et al. 2014)、データへのオープンなアクセスを提供することによって、ほかの研究者もその恩恵を受けることができる。過去の研究データが信頼できるリポジトリで公に入手できるようになっていれば、より簡単に見つけることができる。また、一般公開を前提に準備した場合、研究データは普段より適切に記録され、再利用が容易になる(David 2004)。

マーウィック(2020)が提案した「データの分析について、明確な、または、スクリプト化された再現可能なワークフローを作り、そのワークフローをアクセス可能にする」、「実施した研究を他の人が容易に評価できるように、透明性が高くアクセス可能な分析ツールおよびソフトウェア(RやPythonなどのプログラミング言語など)を採用する」ことは、研究の公開性と透明性を支え、各種データへのアクセシビリティを向上する。料紙研究にこの考え方を適用するなら、分析データの分布やその構造について可視化を行い、またGitなどのバージョン管理システムを利用することがあげられる。バージョン管理システムは効率的に追跡・記録し、協働を容易にするため、このシステムを利用することでデータの全体公開/部分公開を進めることが可能となる。これにより、研究結果の再現性・真正性を検証することがより容易となり、史料の修理・保存・活用に向けた実用技術の開発にもつなげることができる。したがって、料紙研究におけるオープンサイエンスの促進は今後の重要な課題である。

(2)データの共有・活用
人文科学と自然科学のデータに対するオープンアクセスが可能となれば、歴史資料の科学的な研究はより総合的で横断的な学問へ展開することができる。しかし多くの場合、技術的な課題によって多様な種類のデータが分散している。

本書の第1部で紹介されているように、古文書料紙の分析はこの10年の間で急速に発展してきた。特に、富田正弘・湯山賢一・大川昭典諸氏を中心とする研究グループは、古文書研究に自然科学的視点を早くから取り入れ、研究を積み重ねてきた。彼らは、100倍率の小型携帯顕微鏡を用いて、繊維の太さと密集度、米粉や白土等の添加物の有無と含有量、植物の柔細胞などの物質の残存状況が非破壊観察によって検討し、より精度の高い料紙の識別基準を提示してきた。料紙のモノとしての特徴を観察してわかったことは、料紙の種類や表裏の識別、墨や朱などの素材の特定、料紙の製法や使用方法の解明、装丁技術の復元につながり、文書の中身に加えて、料紙のちがい自体が歴史的意味を持つことが明らかとなった。近年は顕微鏡用USBデジタルカメラやメガピクセル対応カメラレンズの機能が急速に向上し、ゆがみの少ない非常に高精細な画像を簡単に撮影し獲得することができるようになった。さらに文化財科学の分野では、考古学や植物学の分析手法を応用して、料紙の製造過程で添加された米粉や植物の柔細胞の特定,それらの含有量の計測が実践されており、繊維素材の植物のDNAバイオマーカーを抽出することもできるようになった。

このように、顕微鏡やマイクロスコープなどを用いた分析が積極的に進められる一方で、収集された情報の解析は調査者や分析者へ一元的に委ねられ、管理される傾向にある。生成・蓄積される分析データの一部は、論文等による公表や、データベースを介して、あるいはデータセットとして、ウェブサイトでの公開が試みられているが、研究者間での共有とともに、今なお発展途上である。料紙のもつ科学情報や分析データを国際標準化し、歴史資料の研究全体で広く活用することも同様に、十分できているとは言いにくい。
またごく一部ではあるが、料紙の断片を採取するなど歴史資料の損傷・破壊を伴う理化学分析が行われたり、高価格で高精度の顕微鏡機器によって料紙の構造解析を行い、分析プロセスを公開することなく、結果のみを提示したりする動きが進行している。学術調査とはいえ、文化財へ影響を与えないことは調査・研究の大前提である。特定の分析機器やシステム、機関へ依存することについても、オープンサイエンスの時代にありながら、科学研究の進展を妨げる要因になる。

以上のような問題を解決するためには、研究データを利用しやすい形式へ変換し、共有・活用を進めることが必要である。データの属性や関係を表すためのデータ(メタデータ)を記述するためのしくみであるResource Description Framework(RDF)、デジタル画像を公開し共有するための国際的なフレームワークであるInternational Image Interoperability Framework(IIIF、トリプルアイエフ)、学術機関リポジトリやデジタルオブジェクト識別子(DOI)などを通じたダウンロードによって標準化が可能となれば、世界中でそれらのデータを共有し、活用することができる。ほかの研究者が成果を共有し、データの包括的な検索や紐付けられた歴史資料から別の課題を見出すこと、新たな情報の蓄積・拡充を進めること、情報の保存・活用に関わる技術開発・実践を促進することも可能となる。このように、データや情報を共有し連結すること、国際標準に対応できること、という二つの方向性が今後の料紙研究で求められるものであり、歴史文化の保護・活用など、地域社会の抱える課題解決にもつながるのではないだろうか。

3.世界の「紙」研究
料紙研究の国際化を考えるとき、世界ではほかにどのような「紙」の研究が行われているのか、研究動向を知っておく必要がある。ここでは、羊皮紙、樹皮紙、紙資料の保存という三つを取り上げ、それぞれの研究の概要を紹介する。専門的な内容や詳細は、ここで引用した文献や関連論文、書籍などを参照していただきたい。

(1)羊皮紙(parchment and vellum)
羊皮紙と聞いて、日本ではイメージのわかない人が多いだろう。私自身も博物館の展示資料として見たことがあるという程度で、研究の対象として扱った経験はない。小学館『デジタル大辞泉』などの辞書を参照すると、「羊・ヤギなどの皮をなめして乾燥・漂白して作った書写材料。前2世紀小アジアのペルガモン地方で考案され、西洋では中世末まで使用。パーチメント。」と記されている。羊皮紙は、羊、子牛、山羊等の動物のなめさない(untanned)皮から作られた記録媒体で、福音書から実用文書まで2000年間以上使われた(Bower et al. 2010; Fiddyment et al. 2019; 飯田2021)。本書で扱っている古文書料紙とのちがいは、原料素材と製法である。料紙は植物繊維を素材とし、いわばバラバラに分解された繊維を膠着させたものである。一方の羊皮紙は、動物性の線維【注】2を素材とし、コラーゲン線維が絡み合ってシート状になっている皮を、伸ばしたり削ったりして薄くなめらかにして作られる(Dolgin et al. 2006; 八木2021)。羊皮紙については八木健治『羊皮紙のすべて』(2021)で詳しく解説されており、そちらを参照願いたい。ここでは羊皮紙の科学分析について取り上げる。

光学顕微鏡や走査型電子顕微鏡(SEM:Scanning Electron Microscope)【注】3は、古い羊皮紙写本などの調査・研究で使用され、線維の計測や劣化(ゼラチン化)状態、分子レベルでの線維の観察が行われている(八木2021)。紫外線・赤外線による撮影も行われており、紫外線撮影では、羊皮紙から完全に消されてしまった文字を浮かび上がらせ、情報を読み取ることができる(Fiddyment et al. 2019; 八木2021)。羊皮紙の写本や図面に書かれた文字の多くは、鉄の塩と植物由来のタンニン酸から作られた没食子インク(IGI:iron gall ink)が使用されている(Boyatzis et al. 2016; 八木2021)。IGIのタンニンは紫外線を吸収するため、紫外線撮影では黒く写り、一方、羊皮紙は紫外線を反射するため、紫外線撮影では青白く写る。赤外線撮影は物質の透過撮影が可能であり、美術品における下絵の有無、インクの濃淡、顔料素材の推定に用いられている(八木2021)。

さらに近年は、ペプチドマスフィンガープリンティング解析法(PMF:peptide mass fingerprinting)【注】4によるタンパク質の同定(Fiddyment & Collins 2017)、フーリエ変換赤外分光分析(FT-IR:Fourier Transform Infrared Spectroscopy)【注】5による全反射測定法(ATR:Attenuated Total Reflectance)【注】6
(Boyatzis et al. 2016)、レーザー誘起ブレークダウン分光法【注】7(LIBS:Laser-induced breakdown spectroscopy)(Dolgin et al. 2006)などの成分分析、DNA分析による動物種の特定(たとえばBower et al. 2010; Fiddyment et al. 2019; Teasdale et al. 2015)なども進められている。これらの分析では非破壊調査が重視されており、羊皮紙の破壊を一切行わずに分析用試料の採取が実践されてきている。そのなかでも、イギリスのヨーク大学が行っているZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分析による動物考古学の略称でズームスと読む)【注】8は、ほぼ非破壊の分析手法である。ZooMSでは、羊皮紙の表面を消しゴムで軽くこすり、その際に発生する静電気でコラーゲン線維を消しカスに絡め取り、それを分析する(たとえばFiddyment et al. 2015; Fiddyment et al. 2019; Teasdale et al. 2015)。羊皮紙の文書類は毛側と肉側の質感の差が大きく、可能な限り肉側から分析用試料を採取すること、ページのなかの汚れの少ない部分を対象とすることなど、試料の採取時に注意が必要となるが、分析の対象とする歴史資料を損ねずに実施でき、実践例が近年増えてきている。

日本では羊皮紙の物品は数が限られており、科学分析の実施は困難な場合が多い(八木2021)。古文書料紙の分析と同様に、羊皮紙の歴史資料もすべて非破壊・非接触で行うことのできる分析が理想ではあるが、まだ実現できていない。ZooMSのような分析手法がさらに開発されていけば、写本や図面からさらに多くの情報を得ることが可能となるだろう。

(2)樹皮布と樹皮紙
樹皮布(バーククロス)はカジノキの内樹皮を叩いて生産する不織布である。バーククロスは織布に取って代わられるまでアジアやアフリカ、中米などで一般的に利用されてきた。太平洋諸島では、オーストロネシア言語圏の民族における最も象徴的な物質文化として知られている(Chang et al. 2015; Peña-Ahumada et al. 2020; 鍾ほか2020)。樹皮紙は樹皮布と同じく、カジノキの内樹皮を石棒(ビーター)で打って叩き延ばして作る。

カジノキの内樹皮の繊維は非常に長く、強靱なため、バーククロスや樹皮紙の製作に適した材料として高く評価され、古くから利用されてきている。中国南部の遺跡からはバーククロスの製作に使用した石製ビーターが出土しており(Li et al. 2014)、メキシコの樹皮紙「アマテ」の生産はヒスパニック時代以前にさかのぼるなど(Binnqüist et al. 2012)、オーストロネシア言語圏の人びとはクローンによって増殖させたカジノキの栽培を各地へ広めてきた(Chang et al. 2015; Matthews 1996; Peña-Ahumada et al. 2020)。現在では、バーククロス・樹皮紙の製作は一部地域の先住民文化として引き継がれる程度であるが、製紙技法の起源とカジノキの分布は密接に関わっている(鍾ほか2020)。

バーククロスや樹皮紙は、主としてオーストロネシア言語圏の文化伝播について論じる研究が多い。たとえばLarsen(2011)は、ヨーロッパとポリネシアの文化接触以降の民族誌データを用いて、ポリネシアの樹皮布の進化と拡散を復元した。分析の結果、ポリネシア西部・東部における樹皮布の技術分布がヨーロッパ人の入植時期と関わっていることが判明した。Peña-Ahumadaほかの研究(2020)では、異なった地域における歴史資料のバーククロスから古DNAの抽出に成功し、その遺伝的特徴から原産地がアジア・オセアニア域であることが示された。さらに、Binnqüistほかの研究(2012)では、樹皮紙の製作に用いられた原料について民族植物学的な調査を行った。結果として、現代の樹皮原料と歴史資料の樹皮紙との化学的な特徴を比較・検討し、現代の樹皮材料はリグニン【注】9の含有量が多く、製作技法の変化につながったことが指摘された。

バーククロスや樹皮紙の研究では、DNA分析などの科学分析によって原料のカジノキの遺伝的多様性を解析するもの、民族植物学調査によって製作技法の復元を行うものが多い。これらの研究成果をそのまま古文書料紙の研究へつなげることは難しいが、カジノキ属の遺伝的多様性や分布地域などの成果は、料紙の植物素材の解析を行う際に参考データとなり得る。料紙分析を進めるなかで、同時に動向を把握すべき研究対象である。

(3)紙資料の保存─在欧和古書保存プロジェクト
紙媒体の歴史資料の修理・保存については非常に多くの研究がある。特に、日本では近年大規模な自然災害が頻発しているため、歴史資料ネットワーク(通称:史料ネット)の活動とそれらの成果は顕著に見られるようになった。史料ネットの活動の詳細は公式ウェブサイト【注】10や『地域歴史文化継承ガイドブック 付・全国資料ネット総覧』(後藤・天野編2022)を参照いただきたい。ここでは、海外における紙資料保存プロジェクトの例として、日本資料専門家欧州協会(European Association of Japanese Resource Specialists:EAJRS)における在欧和古書保存プロジェクトを紹介する。

EAJRSは、ヨーロッパにおける日本に関する情報や図書館資料について、その展開および普及を促進させることを目的に、1989年に創設された国際組織である(後藤・西薗2017)。資料文献を扱う図書館員や学芸員、研究者等を主な会員として、毎年ヨーロッパ各地で年次大会が行われ、資料紹介や研究発表、情報共有、ネットワーク形成の場として機能している。日本からもこれまでに多数の参加者がいる。公式ウェブサイト【注】11に掲載される議事録やカレントアウェアネス・ポータル【注】12における参加報告などからは、その時々の関心事や問題意識がうかがえるが、通底しているのは資料や情報へのアクセシビリティ向上の希求である。特にここ数年は、デジタル・ヒューマニティーズ(digital humanities、人文情報学)の観点から日本関係資料へどうアクセスし、情報共有を進めるべきかなど、デジタル技術を用いた各種資料・研究データへのアクセスに関するトピックが年次大会のテーマとして取り上げられている。

このEAJRSのなかに設立されたのが、在欧和古書保存ワーキンググループである【注】13。設立の構想は、2014年年次大会でEAJRS特別セッション「文化財の保護、保存、修復」における安江明夫の基調講演で提言され、その後EAJRSボード・メンバー有志者によりワーキンググループが作られた。組織の目的は、①在欧和古書保存の取り組みを支援する、②和古書保存に関する知識・経験を蓄積し、提供する、の二つである。

ワーキンググループの活動・計画では、資料保存・修復の実務に携わるメンバーがそれぞれのガイドラインを公開しているが、料紙調査やその修理手法については示されてこなかった。そのため、2019年のブルガリア・ソフィアで開催された年次大会での報告(高島・渋谷2019)は注目を集め、現在はワーキンググループのガイドライン「資料保存の知識・資料保存の経験・ガイドライン」のなかで公開されている【注】14。新型コロナウイルス感染症拡大に伴い、紙資料の保存・修復に関する対面による情報交換・共有の機会が限られてきたが、2022年9月にポルトガル・リスボンで開催された年次大会では、対面で和古書保存・修理時の料紙調査の各種手法関する情報共有を行うことができた。特に、非破壊でどのような情報を獲得し、修理・保存につなげていくのかについて、会員たちの高い関心がうかがえた。

古文書料紙の研究で得られる各種の成果は、和古書を取り扱う実務者にとって、資料の修理・保存を実施するなかでの参考材料となる。「国際発信」と聞くと難しく考えてしまう傾向があるが、実のところ、在欧和古書保存ワーキンググループをはじめとする海外の実務者にとって、言語はそれほど大きな障害ではない。むしろ、彼らに関連情報や成果をどうひらき、提供していくのかが重要な課題である。本書も含めて、研究情報・成果の積極的な発信に努めることが、国内外における研究の深化につながるだろう。

4.まとめ─世界のなかで考える
既述したように、「国際発信=英語による発信」ととらえる向きは今なお一部で存在している。英語使用者が世界最多である現在において、たしかに英語で研究成果を発信すれば多くの人へ届けることが可能である。しかし、言語の問題で躊躇して研究成果やデータの発信・共有を国内にとどめてしまうのではなく、自分たちの研究を世界のなかで考えるために、歴史資料の情報や研究データの国際標準化を進め、積極的な共有・発信を進めることが、今後の料紙研究の方向性として重要である。さらに、ほかの「紙」研究と料紙研究の成果を比較し検討することも、歴史資料の科学研究を進展させるためには必要となる。

古文書や古記録類など紙媒体歴史資料の科学研究への理解醸成と期待は、世界的に非常に高まっている。研究データのオープンアクセスがさらに進展し、さまざまな情報をより多面的に収集し分析できれば、歴史資料全体に対する総合的な科学研究の基盤の強化につながるだろう。

【注】
1 statisa <https://www.statista.com/>での検索結果(2022年9月5日アクセス)。
2 日本語の慣習で植物性は繊維、動物性は線維と書く。
3 微量の破壊サンプルが必要となる。
4 生体サンプルに含まれるタンパク質を同定する方法。タンパク質を特定の基質配列(酵素によって化学反応を触媒される物質の配列)にもとづいて、トリプシンなど加水分解(水分や空気中の湿気によって発生する分解反応のこと)するタンパク質加水分解酵素を利用してペプチド断片を作製し、この断片を質量分析法で網羅的に検出する。さらに、タンパク質データベースと照らしあわせて、もとのタンパク質を同定する。
5 測定対象の物質に赤外線を照射し、赤外線吸収スペクトルを利用して化合物を定性化・定量化する方法。
6 構造・組成情報を取得するためにサンプルに光を取り入れるサンプリング方法。
7 試料にパルスレーザーを照射し、生成されるプラズマの発光を分光する方法。
8 https://www.york.ac.uk/archaeology/centres-facilities/bioarch/facilities/zooms/(2022年9月8日アクセス)
9 植物の細胞壁に含まれる複雑な構造をした高分子(芳香族ポリマー)。
10 http://siryo-net.jp/(2022年9月21日アクセス)
11 https://www.eajrs.net/(2022年9月21日アクセス)
12 https://current.ndl.go.jp/(2022年9月21日アクセス)
13 https://www.eajrs.net/kosho/kosho(2022年9月21日アクセス)
14 https://www.eajrs.net/kosho/activities(2022年9月21日アクセス)

引用文献
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