第3回 江戸の読書術~人々はいかにして読んだか?~|【連載】江戸の勉強術(古畑侑亮) 

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

edobenkyo-4th.jpg

第3回
江戸の読書術
~人々はいかにして読んだか?~


■読書会の愉しみ

 読書は、ひとりでするものというイメージが強いですが、複数人でする読書もあります。そのひとつが読書会です。

 私は大学院時代、ゼミで毎週行っていた文献輪読とは別に、多専攻・他大学の院生たちと毎月のように読書会を開催していました。教室やカフェでヴェーバーやフーコーを読んだり、書物の歴史をめぐる国内外の研究動向を議論したり、ゼミでは話せないような話題も含めて自由に発言できる愉しい時間でした。読書会後には、ごはん(あるいは飲み)に行ったりして、参加者との交流も深めることができました。

 新型コロナウイルスの感染拡大以降は授業のオンライン化に伴って、ゼミでの輪読は一時的になくなってしまいましたが、読書会はZoomを利用して継続することができました。普段なかなか会うことができなかった関西や九州方面の院生たちと新たな読書会を企画するなどして、遠くの友人たちと交流を愉しむことができたのは、オンラインゆえのメリットだったと思います。

 大学院を出てからはそのような機会が少なくなってしまい、今更ながら貴重な場だったと感じているところです。

❶読書会で読んだ本たち.JPG
❶読書会で読んだ本たち(筆者撮影)
主にコロナ禍の中でのもの。議論のためたくさんの付箋を貼った本を手に取ると、あのときは頑張っていたなと励まされる。


■友と古典を読む

 第2回「江戸のサロン術」では、「夥しき蔵書家」小山田与清(1783−1847)の文庫・擁書楼(ようしょろう)に集った人々とサロン空間に込められた彼の思いについて紹介しました。与清たちは個々で読書に耽ったり、本を貸し借りするだけでなく、共同の読書も行っていました。

 さっそく擁書楼をのぞいてみましょう。『擁書楼日記』の文化12年(1815)8月14日条には、「今日は了阿法師とともに北山抄をよみはてぬ」と記されています。「了阿法師」は、浅草の煙管(きせる)問屋の次男・村田了阿(1772−1844)。家業を継がず25歳で出家して隠棲していました。彼と一緒に与清が読んでいたのは、藤原公任(ふじわら・きんとう)が著した朝廷の儀式書『北山抄』(ほくざんしょう)です。

 読書の場は、擁書楼に限りません。翌9月26日、与清は江戸谷中不忍池に幕臣・屋代弘賢(1758−1841)を訪ねます。弘賢の不忍文庫は上野東照宮の裏手付近にありました。そこに了阿もやってきて、3人で『散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)』を読み終えたと書いています。同書は、大治3年(1128)頃に成立した源俊頼の自撰歌集。6月から読み始めていたものの、他の本を読むのに倦んだときにだけ読んでいたため日数を重ねてしまったと記しています。読書の疲れを読書で癒していることにも驚きですが、『散木奇歌集』はそれだけ難解な著作だったようです。了阿は、同書に理解できない詞が多く読解に時間がかかることを歌にかけて「よむうちに としよりぬべし たながみの さとりえがたき 事のおほくて」と詠んでいます。

 ちなみに、旧南部邸に設けられた盛岡市中央公民館(現在では、もりおか歴史文化館の所蔵)には、与清が書き込みをした『散木奇歌集』を写した写本が遺されています。同書の調査をした山田洋嗣さんは、そこに多くの傍線や傍点、注がほどこされていることを指摘しており、与清たちの熱心さをうかがうことができます。

➋『群書類従』第321(「散木奇歌集」).png
『群書類従』第321「散木奇謌集」(国立国会図書館デジタルコレクション)
『散木奇歌集』は、和学講談所を開設した国学者・塙保己一が編纂した一大叢書『群書類従』にも重要な文献として収録されている。


■会読とは何か?

 与清たちが実践していた読書の形は「会読(かいどく)」と呼ばれます。江戸の教育思想史を研究している前田勉さんは、この会読の誕生から終焉までをたどり、中国の古典である四書五経を議論する読書会の中から政治的な討論の場が現れてくる過程を明らかにしています。

 前田さんによれば、江戸時代の私塾や藩校においては、主に「素読」「講釈」「会読」という3段階の学習方法があったそうです。

 素読は、漢文テキストの意味をいちいち問わずに声を上げて文字を読み習っていく方法であり、いわば丸暗記の学習法です。講釈は、先生がテキストの一節あるいは一章ずつを講解するという口頭一斉授業で、読みの要訣を明示することに力点があります。

 このふたつを批判的に捉え返す中で、生み出された新しい共同読書・共同学習型のスタイルが会読です。講者1人のもとに10人くらいの学習者が集まって1グループをつくりました。その日の読み手の順番に従ってテキストの当該箇所を読み、その内容や意図を短く講義します。他のメンバーは質問をしたり疑義を挟んだり、要約を試みます。

 さらに、会読の3つの原理として、①参加者お互いの「討論」を積極的に奨励する相互コミュニケーション性、②参加者の貴賤尊卑なく、平等な関係のもとで行う対等性、③読書を目的とし、期日を決め一定の場所で行うことを規則に定めて、複数の人々が自発的に集会する結社性が挙げられています。

 さらに前田さんは、ヨハン・ホイジンガやロジェ・カイヨワら海外の遊び論を参照し、会読の「同士ヲ約シ、日ヲ定メテ」集まり、討論すること自体に面白さがあったのではないかと仮定します。そして、共同読書の場が、立身出世にかかわらないだけでなく、お互いの読解力を競い合う遊び(アゴーン)の場になったこと、これまで誰一人読解することのできなかった難しい書物を翻訳する困難を克服する喜びがあったことを考察しています。
                                                                                                 
■『万葉集』の会読

 江戸の日本学とも言える国学を大成させた本居宣長(1730-1801)は、伊勢国松坂の商人の家に生まれました。平安の王朝世界に憧れる文学青年だった彼を商売人には向かないと考えた母親は、宣長を医学修行のために京都に遊学させます。

 京都時代の宣長は、会読に打ち込みます。宝暦2年(1752)には、入門した堀景山の塾で『史記』と『晋書』の会読に出席。その後も『春秋左氏伝』や『漢書』など、中国古典の会読に参加すると共に、医学の師・武川幸順のもとで『本草綱目』や『千金方』といった医学書の会読に取り組みました。さらに、宝暦5年(1755)9月からは友人らと自主的に『荘子』の会読を始めています。

 松坂に帰った宣長は医者を開業するとともに、家塾・鈴屋を開きます。鈴屋における教育実践を分析した山中芳和さんによれば、宣長は安永6年(1777)1月から寛政元年(1789)9月までの13年間になんと160回も(!)『万葉集』の会読を行っています。門人は、途中から参加しなくなったり、長い中断の後に再度参加したりしていますが、それによって子弟関係が解消されることはありませんでした。門人のほとんどが生業を持っていたことから、宣長は仕事の合間に無理なく参加する学習形態を認めていたのです。

■「丈夫は草木と共に朽つべきものならず」

 しかし、彼らはなぜ会読に打ち込んだのでしょうか? 前田さんは同時代において多く使われた「草木と同じく朽ちる」という表現に注目して考察しています。

 近世社会は、武士は武士らしく、百姓は百姓らしく、町人は町人らしく生きることが求められる身分制社会でした。ところが、18世紀になると、そうした定型化された単調な人生に対する懐疑の声が出てきます。

 たとえば、蘭学の出発点とされる『解体新書』(安永3年刊行)を著した杉田玄白がそうです。同書は、オランダ語で書かれた『ターヘル・アナトミア』の会読によって生まれましたが、出版を急いだ玄白を結社の人々は性急であると笑いました。これに対し玄白は、「凡そ丈夫は草木と共に朽つべきものならず」と答えます。あなた方はお若いからいいが、私は病がちで年も取っている。「始めて発するものは人を制し、遅れて発するものは人に制せられる」つまり、世の中で最初にそのことをやる人はその道を制するのだから、急ぐのであると(このとき玄白は、「諸君大成の日は翁は地下の人となりて草葉の蔭に居て見侍るべし」とも述べたことから、その後「草葉の蔭」とあだ名で呼ばれるようになったことは余談です)。

スクリーンショット 2023-02-15 12.26.39.png
『解體新書』(安永3年刊行。国会図書館デジタルコレクション)


■永遠性を求めて

 「草木とともに朽ち」たくないという思いは、国学者の本居宣長も同じでした。松坂で医業を開いた頃の宣長は、『鈴屋文集』巻下「述懐というふ題にて」に次のように書き付けています。

 指を折って数えれば、三十路も越えてしまった。長生きをして70、80歳まで生きられるならともかく、早くも人生の半ばは過ぎてしまった。はかなく、心のない木草鳥けだものと同じ顔をして、何を為すともなく明かし暮らし、寿命を尽くしていたずらに苔の下に朽ち果ててしまうことは「いとくちおしく、いふかひなかるべきこと」と思う。

 30歳を過ぎ、焦燥感に駆られていた宣長でしたが、その後、人生の目標を『古事記』と見定め、その文献学的研究に打ち込んでいくことになります。

 日常生活に埋没せずに、この世のなかに、己が生きた証を残したいという強烈な願いを抱いていたのは、玄白と宣長のふたりに限りません。「美人美食美服美宅の費を少く倹約して、大著述をし給はんには名を後世に揚る至」(『松屋筆記』)と壮語していた与清も仲間と言えます。政治思想史が専門の島田英明さんは、これらの願いを"永遠性獲得願望"と呼んで儒学者を中心に様々な人物を取り上げ、吉田松陰ら幕末の志士にまで至る思想水脈をたどっています。永遠性への希求は、多くの江戸の人々の心を捉えたものであったようです。

■コスプレする宣長

 ところで宣長は、いくつかの自画像を遺しています。自画像を残すこと自体、彼がこの世のなかに痕跡を残しておきたいという「述懐」の思いがあったと言えるでしょう。44歳の自画自賛像には、自らデザインした「鈴屋服」を身にまとい、大好きな桜の一輪挿しと文机が描かれています。

本居宣長四十四歳像png
❹本居宣長四十四歳自画自賛像(本居宣長記念館所蔵)

 前田さんはカイヨワ『遊びと人間』を参照しながら、平安朝の雅びを憧憬する宣長は、模擬(ミミクリー)の遊びをしているのではないかと考察しています。

幼い女の子がおままごとをして、母親ごっこ、料理ごっこ、洗濯ごっこをするように、宣長は王朝人ごっこをしているわけである。...彼は少なくとも精神的・感情的に王朝人になる(仮装・変装する)ことによって、江戸後期の松坂に町医者として生きる「社会的役割を隠して、真実の人格を解放し、その結果として得られる自由な雰囲気を利用」しようとしていた(前田勉『江戸の読書会 会読の思想史』(平凡社、2012年、136頁)

 現実世界においては厳しい身分制社会に縛られているからこそ、学問の世界においては積極的に「遊び」を取り入れ、いつもと違う自由な自分を演じることで宣長は精神の均衡をとろうとしたのでしょう。
 
■読書会の盛り上がり

 近年、読書会は密かな盛り上がりを見せています。株式会社ビコーズが運営するWebサービス『読書会へ行こう!』をのぞいてみると、東京を中心に、ほぼ毎日どこかしらで読書会が開催されていることがうかがえます。

 会の大小は様々ですが、たとえば、年間約200回の読書会を主催・運営する、日本最大級の読書会コミュニティ・猫町倶楽部の1年間の延べ参加人数は約9000人。一度の読書会に集まる人数は最大で300人(!)、下は10代から上は70代までと幅広い世代に支持されているそうです。活字離れが嘆かれる現代日本において、この規模での読書会が続いているというのは驚きです。さらに、読書会をきっかけに参加者同士の交流会や映画会、マッチングイベントまで(!)が開催されており、読書会という場の可能性を感じてしまいます。

■サードプレイスとしての読書会

 ここまで見てきたように前田さんは、家業や職分に埋没することを拒否した個人が、新たな人間関係の結びつきを求めた時代として日本の18世紀を描きました。21世紀の日本には身分制こそありませんが、私たちは家庭や職場における人間関係に縛られて生活しており、自己実現ができていると感じている人は必ずしも多くありません。そんな中、家庭でも職場でもないサードプレイスとして読書会は、日々のしがらみから解放されて自分らしさを演出できる場となるのではないでしょうか。身分や学問分野を問わず様々な人々が熱心に取り組んだ江戸の会読は、令和の読書会を考えていく際のひとつの手がかりとなりそうです。私自身も参加者とともに考える読書会を開いていけたらいいなと考えています。

 ただし、蘭学の社中を結成したり、鈴屋のような家塾に通うことができたのはほんの一握りの人々でした。会読する仲間や先生を見つけられないときは自ら学ぶしかありません。次回は、江戸の人々の独学術をのぞいてみたいと思います!

■参考文献
ヨハン・ホイジンガ著、高橋英夫訳『ホモ・ルーデンス』(中央公論新社、1963年、2019年改版)
武田勘治『近世日本 学習方法の研究』(講談社、1969年)
ロジェ・カイヨワワ著、多田道太郎・塚崎幹夫訳『遊びと人間』(講談社、1990年)
岡村敬二『江戸の蔵書家たち』(講談社、1994年)
山中芳和『近世の国学と教育』(多賀出版、1998年)
山田洋嗣「南部家旧蔵群書類従本「散木奇歌集」の輪郭」(『福岡大学研究部論集 A』人文科学編、9(1)、2009年)
前田勉『江戸後期の思想空間』(ぺりかん社、2009年)
前田勉『江戸の読書会 会読の思想史』(平凡社、2012年。2018年、平凡社ライブラリーに再録)
田中康二『国学史再考 のぞきからくり本居宣長』(新典社、2012年)
古畑侑亮「小山田与清の考証研究と世界認識」(筑波大学人文・文化学群提出卒業論文、2013年)
増田由貴「和学者小山田与清と擁書楼」(『奈良美術研究』17、2016年)
前田勉『江戸教育思想史研究』(思文閣出版、2016年)
新藤透『図書館と江戸時代の人びと』(柏書房、2017年)
島田英明『歴史と永遠 江戸後期の思想水脈』(岩波書店、2018年)
山本多津也『読書会入門 人が本で交わる場所』(幻冬舎、2019年)
竹田信弥・田中佳祐『読書会の教室 本がつなげる新たな出会い参加・開催・運営の方法』(晶文社、2021年)

コーナートップへ