アルバイト日誌「感覚というもの」(2022.11.18、れい)
Tweetもう11月後半だからとこたつとクリスマスツリーを出したリビングで、大量の本とコピーした論文に囲まれながら日々を過ごしています。新しい論文を読むたびに五月雨式に新たな論文を知り、知見を得て、研究という大きな波をかぶって生きているような気分です。授業と研究と、他のこと...と締め切りも発表も同時並行でやってくるので、上手に頭を切り替えながら、一つ一つ達成感と反省を繰り返してそれを積み上げていく毎日です。
私は昔から、物事を考えて実行する時の過程や手立てについて考えることがあるのですが、それはおそらく皆それぞれの感覚の中にあって、言語化するのは非常に難しいことなのだと思います。私自身、上手くいく時、反対になんだか上滑りしてしまって順調にいかない時、それぞれの調子を実際に言葉にして説明することはできません。そういう、感覚の持つ力とは一体なんだろうと、最近よく考えます。また、大人になって経験を積んでいくほど雑多になってしまう部分がある一方で、感覚が研ぎ澄まされてクリアになっていく感触もあるのが不思議です。自分なりのやり方であったり、努力の仕方、失敗した時の立ち直り方、など、自分の感情の落とし所が以前よりもすっきりと分かるようになった気がします。
そのような中で、今私が心掛けているのは、混乱したら一旦シンプルに考えてみるということです。当たり前のことですが、一番しっくりいく考えです。ゴールまでのプロセスが遠いもの、同時にいくつも進めなければならないもの、思考が絡まっているもの、日常にはそうした「混乱」がいくつもあると思うのですが、そのようなものと対面した時、投げ出したり、一気に絡まりを解いて大元を探るのではなくて、答えは分からないけれどとりあえず目の前の一点に集中して一歩進んでみる、一旦二項対立的に置き換えてみるなど。そうした工夫をしてみると、物事は意外とシンプルだということに気が付きました。そして、知らずしらずの内に外の世界で起きていることが、自分の心に入り込んでしまっていたことも知りました。広い世界に身を置くことも必要ですが、一方で溺れてしまわないように、線を引いてみることも大切なのですね。
インターネット上で秒速で飛んでくるものと、何十年ぶりに開けられる本の中身と、同じ情報でもその届き方にはとてつもない速度差があります。図書館でうんうんとうなる時と、パソコンの前に向き合う時、時をワープしているような感覚に陥る時がありますが、そんな混乱の中で、柔軟でありつつも自分という強さを持った人でありたいと思います。