折付桂子『増補新版 東北の古本屋』より「二〇一一年 東日本大震災と古書店――被災地福島県を訪ねて」の一部を公開

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折付桂子『増補新版 東北の古本屋』より「二〇一一年 東日本大震災と古書店――被災地福島県を訪ねて」の一部を公開します。ぜひご一読ください。

本書の詳細は以下より

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折付桂子『増補新版 東北の古本屋』(文学通信)
ISBN978-4-909658-88-3 C0095
四六判・並製・312頁(フルカラー)
定価:本体1,800円(税別)
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-88-3.html


二〇一一年 東日本大震災と古書店
――被災地福島県を訪ねて

著・ 折付桂子

 三月一一日午後二時四六分、三陸沖で発生したM9・0の巨大地震が東日本を襲った。国内観測史上最大のこの地震により、東北から関東にかけての広い地域で震度7~5の激しい揺れに見舞われ、太平洋沿岸部の集落は大津波で壊滅的被害をうけた。ライフラインは寸断され、交通網もマヒ、死者・行方不明者は合わせて二万五〇〇〇人に迫る。想像を絶する天災の上、〝想定外〟の津波により、福島第一原子力発電所の冷却機能が失われ放射能漏れが発生。周辺地域住人たちは避難を強いられ、農業や漁業活動に甚大な影響が出ている。原子力事故としてはチェルノブイリ原発事故に匹敵するレベル7の事態となり、風評被害も広がっている。頻発する余震の中、各地で懸命の復旧作業が続き、復興の兆しが見え始めた地域もあるが、今なお不安な毎日を過ごす方々も多い。

 古本屋さんはどんな状況なのか、少しでも現地を歩き自分の目で確かめたいと考えていたところ、編集長が、帰省を兼ねての現地取材を勧めてくれた。故郷=福島県棚倉町は地震の被害は軽い方だが、長期化する原発問題に不安は募る。ガソリン不足もようやく改善され、現地に迷惑をかけなくてもよさそうだ。郡山と須賀川市に店をもつ古書ふみくら主に取材予約をし、大地震から三週間が過ぎた四月二日、単身オートバイで被災地を目指した。

 前の週から一般車両にも解禁された東北道には、被災地へ向かうタンクローリーや救援物資を運ぶ大型トラックが目立つ。那須を過ぎた辺りから、高速道路の一部に補修跡が現れた。白河インターで下りると、市内の一般道は、ところどころでアスファルトが剝がれ、割れて段差が生じ、マンホールが隆起するなど気を付けないと危ない。ブロック塀の倒壊や倒木などで、路線バス白棚線はルートを変更している。国指定史跡の小峰城の石垣は崩落してしまっていた。

 ひっそりとした商店街に新刊書店金子書店さんが店を開けていたので、急遽お話を伺う。現在白河市内で唯一〝本〟だけで営業する本屋である。

──平日は毎朝五時から夜八時まで年中無休で店を開け二五年間。取次から注文書を取り寄せるには一〇日から二〇日もかかる小さな店なので、東京に直接買い出しに行くなど採算度外視でお客さまサービスに努めてきた。以前は外回り(配達)三対店売り七くらいだったのが今は配達が九割。活字離れで厳しさは増す一方だが〝本屋の並べる本で文化度がはかれる〟信念で、硬派の品揃えで頑張ってきた。

 ところがこの地震。当日は二階の教科書販売コーナーで整理をしていた。恐ろしいほど大きな揺れで、本箱は崩れ棚は倒れすべてめちゃくちゃに。下敷きにならなかったのが幸いだった。一階の書籍売り場は棚から一冊残らず本が飛び出し散乱。ガラス戸は割れ、昨日までホワイトボードでふさいでいた。シャッターも壊れ半分しか閉まらない。

 けれど、教科書を買いに来る生徒さんのために休むわけにはいかない。地震から三週間、ずっと自宅に帰らず店に寝泊まりして、一階だけはなんとかお客に来てもらえるようにしたが、二階は全然手が付けられない状況だ。

 本来なら毎日届く新刊雑誌も、半月後の三月二八日まで全く何も入ってこなかった。売れるものがないのに、取次から請求書だけは届く。なんとか乗り越えて続けたいとは思っているが、農家のような補償が受けられるわけではない、この厳しい現実を見てほしい──

 朝五時に開けるのは、朝講習に通う高校生のため。暮らしに密着した稀少な街の本屋さんになんとか続けてほしいと願う。

 福島市の岩瀬書店、西沢書店や、いわき市のヤマニ、鹿島ブックセンターなどは地震後も頑張っているようだが、いわきの角忠は全壊と聞いた。歴史ある老舗だがどうなるのだろうか。

 翌日は朝から、ふみくらさんの実家と倉庫がある須賀川市の長沼地区へ向かった。

 白河市ではまばらだったブルーシートに覆われた屋根が、鏡石町~須賀川市とどんどん増えてきた。瓦屋根はどの家もネズミにかじられたような状態。道路状況もかなり悪く、橋の両側は補修跡があり、道が波打ったり陥没したり、ガードレールがひしゃげ、カーブの片側が崩れていたりする。建設業に携わる友人によれば、今は単純に地名や字名が省略され番号化してわかりにくくなったが、昔、水に関わる地名がついていた辺りは、道を造るにも家を建てるにも要注意なのだそうだ。確かに崩れている傍は池や沼地が多い。

 ふみくらさんの実家はもと旅館で、ここにいわき市の岡田書店さんが避難してきている。

古書ふみくら(F)・岡田書店主(O)のお話

 この奥の藤沼湖が決壊したんですよ。須賀川の死者のほとんどはここで、行方不明者の捜索はまだ続いています。被災者二十数人がすぐ近くの役場の施設に避難していて、うちでお風呂を提供していたんですが、どこか移るらしいですね。今度は整地して家を建てるまでの長期戦でしょう。

 皆さん大変なんですが、私もここ数日眠れなくてね。やっぱり、精神的にもかなりまいりましたね。余震も多くて震度3や4は当たり前、いつでも揺れている感じで落ち着きません。ごく弱い揺れにもかなり敏感になってます。
 自宅は楢葉町、退避圏内で誰も入れません。当日は楢葉で税金の申告を終えてほっとして富岡町に向かう途中、車の中でした。驚いて自宅に引き返しましたが、ガソリンスタンドはすべてやられて給油できず、仕方なく女房の車で移動しました。介護老人二人を抱えていて避難所生活はとても無理です。最初は長男の嫁の実家に身を寄せましたが、いわきの平で一緒に古本屋をやっている次男が、平も危なそうだからどこか避難できないかと。そこで合流して、ここにお世話になることにしたんです。家族七人でころがりこみましたが、一週間ほど過ぎ、屋内退避指示の三〇キロ圏内が広がる様子もないし、母親の医者のこともあり、次男たちはいわきに帰りました。覚悟を決めて向こうで倉庫の本の片付けをしています。
 倉庫は、もうどうにもならない状態。三年ほど前に店売りから催事とネット販売に切り替えて、倉庫を二棟借りて整理してきました。その中に事務所を作ったのですが、天井まである二メートル以上の棚自体が全部崩壊してしまって手がつけられない。全部引っ張り出して、棚を作り直して、その上に本を整理するのは気の遠くなるような作業です。これからまだ一カ月はかかるかな......。一昨日帰った時に、ブレーカーを直してもらってやっとネットがつながったんですが、たくさんのメールの中に注文が一人だけありましたね。この地震の最中に......と思ったら、大阪の方でした。

 私のところにも注文はあるんだけど、めちゃくちゃでどこにあるかわからなくて出しようがない。一週間なりお待ちいただけるなら、探しますと返事しましたが、結局見つかんないのもありますね。店の棚の中身は全部飛び出しました。耐震用に止めてあった棚自体も結構動いてはいました。あと、表の扉はゆがんで閉まらない。シャッターは下りるからまだなんとかという感じです。
 棚自体が倒れるかどうかの違いは大きいですね。新刊書店の棚は昔と比べて見渡せるように低くなってるから、あまり倒れずに済んだかもしれません。あと、揺れの方向ですね。ここ(長沼の家)では東西の棚はすべて落ちましたが、南北の面は大丈夫でした。
 郡山店は営業していますが、須賀川店は再開の見通しはたちません。建物に「危険」と赤札が貼られて......棚で支えている状態ですから、あのまま再開するのは無理ですね。

 楢葉の自宅に帰れないので、いわきに家を借りて仕事するしかないんですが、市の住宅申し込みはいわき在住の人優先で、原発の被災者はその次なのでなかなか難しい。うまく当たってくれれば、いわきに住んで仕事を再開できますが。ともかく自宅の方は何年かかるかわかんない。全く見通しはつかないから捨てるしかないと思ってます。長男は隣に一二月に新築したばかりで、いずれ同居するはずが、こんな状況で一家散り散りですよ。
 いわき市で三〇キロ圏内に入る部分はほんの一部なんですけど、でもいわき市も危ないと見られてしまって、なかなか物資が入ってこない。最初は私たちも不安でしたが、スクリーニングも受けて何でもないとわかったし、まあ、人生後半の我々が帰って復興のために頑張らなくちゃという感じですね。
 本当は四月八日から小名浜のショッピングセンターで催事の予定でしたが、準備できる状態でなく残念ながら断りました。明日からいわきへ帰って次男と片付けを頑張って、なんとか五月からは再開したいと思っています。けれど、四月の一カ月の収入がまるっきりなくなりましたからね。前にも催事を一生懸命やってきたスーパーがいきなりこけて大手に吸収されて大変だったんですが、ようやくその危機を乗り越えたかなと思ったらこの大地震。ほんと、どうしようという思いですよ。
 震災後に売りの問い合わせもあったんでしょうけど、事務所に電話があっても電気が来ていないから携帯に転送されず全くなし。一昨日電気が来たことで、ようやく今日、初めて一件電話が来ました。もっともあまりいい話じゃなくて、震災でお父さんが亡くなったので処分したいというものでしたけど。ま、商売的には空白の三週間で、お客さんもだいぶいなくなっちゃったかなという感じですね。

 それでも地震だけならここまでひどくないと思いますけどね。やっぱり原発ですよね。

 私も最初は単なる地震のつもりだった。能天気に、さあ屋根直そうとしてたところ、原発が危ないと言うんで急遽作業服のまま、ほんとに何も準備できず避難した。地震だけなら実家に帰れるんですよ。
 地震の被害そのものはかえってこっち(須賀川)の方がひどい。いわきからずっと見てきたけど、建物自体がもろに落っこってるなんてのは須賀川来てから。ふみくらさんのところも、家の中はボロボロ、壁はひび割れてるし。118号線沿いでは蕎麦屋が倒れて国道にはみ出しちゃってる。商店街もめちゃくちゃ。
 福島市も見たけど、これほどではない。建物の崩壊という意味では、ここが一番ひどい。
 浜通りの津波は別ですけどね。以前住んでいた四倉の辺りは、防風林のところを境に、そこから内側は大丈夫だったけれど、外側は全壊。あったはずのものが完璧に何もない。見たことのない景色。四倉から波立海岸辺りは堤防工事をやっていたけど、あれも壊れちゃったんだろうな。

 いわきには骨董屋さんの市場もあったのですが、全部だめですね。今、県内の業者が動けないので、他から片付け代わりに足元を見た買付けにやってくる業者もいて、骨董やら資料類など結構持ち出されてもいるようです。慌てて避難した原発の地域では空き巣被害が出ているようですが、こういった形の火事場泥棒的な業者もいるのです。

 浜通りを南北に走る6号線は原発の圏内にかかるから、修復も無理だし当分つながらない。だから仙台へのルートをどうしようと思いますね。商売的にも仙台がメインなんで、山を迂回して中通りを通って北へ向かうしかないのかなと。

 仙台の即売会会場イービーンズはクーリングタワーやボイラーなど、機械室がやられて、冷暖房が全く使えない。給水設備もだめでしょう。修理ができるのか、いつになるのか全くわからない。

 商売的にいえば、地震によって四月の仕事ができないということだけれど、一番は原発によってここから先が見えないことだね。でも、この仕事を継いでくれる息子がいるから頑張らなきゃね。仙台で頑張っている火星の庭さんとかと、これから何かタイアップしてやりたいなと思ってもいるんですが、そんな時はもう息子がやはり前面に出てやってほしいですしね。

 うちなんか娘だから継いでくれるかどうかわかんないけどね。どこかにいい旦那いませんか(笑)。継いでくれるなら、店だってちゃんと建て直せるから。二代目は在庫があるし、やりようはあるんだよね。いざとなったら自分のコレクションを売るかな(笑)。

 仙台のイービーンズの即売会は半年間という長い催事だから、なんとか再生してもらわないとね。ともかくはネットと催事を中心に立て直しを図るということですね。いわきの辺りでも、古本的な要素の濃いお店が少なくなっているんです。郷土史的なものを置く店は、平読書クラブさんとうちくらい。郷土史とかこれからまた必要とされると思うんですよ。だからやっぱり地元に根付いたかたちでお客さんとつながってやっていきたい。それを息子に残せれば......。

 うちはやっぱり目録を出さなくちゃと思っています。昨日と一昨日、東京古書会館の和洋会に参加しましたが、即売会と自分のHPの充実とね。
 アマゾンでやってる本屋さんの中には、時給だとバイト料出せないから、一点いくらで払っている店もあるそうです。ネットは上手に併用することは必要だけど、限界もありますよね。お客さんの中には被災されて大変な状況の方もいるし、古本屋として、これから本当に厳しいと思いますが、こんなときだからこそ、人とのつながりを大事に頑張るしかないなと思っています。