清川祥恵・南郷晃子・植朗子編『人はなぜ神話〈ミュトス〉を語るのか 拡大する世界と〈地〉の物語』より「はじめに――「人はなぜ神話〈ミュトス〉を語るのか」総論」を公開

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清川祥恵・南郷晃子・植朗子編『人はなぜ神話〈ミュトス〉を語るのか 拡大する世界と〈地〉の物語』より「はじめに――「人はなぜ神話〈ミュトス〉を語るのか」総論」を公開します。ぜひご一読ください。

本書の詳細は以下より

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清川祥恵・南郷晃子・植朗子編
『人はなぜ神話〈ミュトス〉を語るのか 拡大する世界と〈地〉の物語』
(文学通信)
ISBN978-4-909658-85-2 C0014
A5判・並製・368頁
定価:本体2,800円(税別)
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-85-2.html


はじめに
――「人はなぜ神話〈ミュトス〉を語るのか」総論

著・清川祥恵


一 神話をめぐる眼差し

 私たちは、「神話」とはなにか漠然と、しかし格別な意味を持つ話であるという感覚を知らぬ間に身につけているかもしれない。近代以降多くの好事家たち、のちには「専門家」たちが、ある集団や土地に長らく伝承されてきた話を収集し、それを社会構造を支える精神の「本質」とみなすことで、固有の文化・慣習の拠り所として紹介してきた。人は、自らや先祖が生まれた〈地〉のイメージを神話となんらかの形で関連付け、故郷の姿をより明確にしようとする。ここでいう〈地〉とは、ひとつには実際に居住した場所や祖国の領土といった、実在の空間である。他方で同時に、祖先の語りの中に構築される場/概念、すなわちトポスでもありうる。言語を通じ、記憶として、あるいは記憶の姿を借りて、具体的な空間が立ちあらわれるのである。私たちはこのように想起された〈地〉のイメージを古層まで掘り起こし、自らの起点を―あるいは他者との相違点を探求することで、自己の存在そのものを確立しようと試みてきたのだった。

 しかしこのような好奇心は、「世界」が拡大し、私たちが多くの「異文化」との邂逅を繰り返すに従って、とりわけ彼我の集団に「優劣」を見いだす社会進化論の展開に応じて、新たな段階への移行を余儀なくされた。「私たちの」ないし「ある集団の」神話は、集団の内と外を区別するのみならず、その径庭を本質的なものとして決する根拠となった。風土の「本質」と文化を結びつける見方においては、神話―すなわち自身あるいは祖先が生まれた土地の堆積層を丹念に発掘することで取り出された石は、他よりも洗練された文化の礎石でなければならなくなった。

 この動きは、私たちが今日議論の土台として用いている西洋の知的体系の成立過程においても見いだされる。たとえば、西欧の価値観の素地をなすものとして知られる「聖書」(The Bible)は、人々に「神話」という形でキリスト教の教義を伝えてきたのだが、周知のとおり、最初から一冊の本(a bible)にまとまってはいなかった。聖書とは、神と人間の旧い契約と新しい契約の真正な連続性を顕示するため、キリスト教世界が「教会」という体制を打ち立てるなかで磨きあげてきた言説の最高峰に他ならず、そのヘブライ的・ギリシア的起源はいずれもキリスト教の正統性を示すために主張され、長い時間をかけて確立されたものである[注1]。

 ギザのスフィンクスの巨像が砂の中から姿を現してから、その用途がいまだ議論され続けているように、「神話」は複数の意味を―個人的な記憶、「愛国的」「民族的」プロパガンダから、秘術的な権威まで―引き受ける基盤ともなっている。一九世紀には神話は「科学」に取って代わられる前の「前近代的」な説明原理と見なされたが、一転して二〇世紀には、科学的思考と神話的思考を全く別個のアプローチとしたレヴィ=ストロースのように[注2]、「私(たち)」の物語としてだけではなく、民族の枠を超えた「人間の物語」の軌跡の一部として注目されることもあった。自らの記憶が根ざす〈地〉そのものを語るための神話があるのと同時に、人の動きとともに〈地〉から持ち出された石は、磨かれ、さまざまな角度から「観賞」される玉となり、遠い地の神話もまた自らにつながるものだとする眼差しが現れたのであった。

 近代学問としての「神話学」は、このように「自民族の起源」を探るという動機によって推進され、同時に、近代世界の拡大に伴う苛烈な競争原理によって、雑然とした物語伝承を高度な知的文明の根拠として占有・排除・包摂することを繰り返してきた。そして国民国家体制の確立後、先鋭化した民族意識が世界規模の綻びを生んだ二〇世紀半ばの反省を踏まえつつも、今日までさまざまなアプローチをとりながら発展してきている。複数の文明圏・文化圏に見られる神話の共通性や相関関係の探究は、グローバル化の流れと共に加速しており、二一世紀初頭には、「世界神話学(world mythology)」に基づいた議論が本格的・国際的に展開されるに至り、言説分析に留まらず、遺伝学や考古学といった多様な専門領域から、世界各地の神話をひとつの大きな流れのうちに捉え直す検証も行なわれている。

 こうした巨視的な分析は、過去のあやまち―加熱するナショナリズムが熱狂的な愛国主義 (jingoism)として世界的破局を引き起こしたという結果、さらには今日の各国における極右勢力の台頭がしばしば「ナチス」のそれになぞらえられるという危惧―を考えれば、ある種ニュートラルな神話学のアプローチであると言うことができる。一方で「人はなぜ神話を語る(語ってきた)のか」という、神話の持つ意義をめぐる根源的な問いからは、やや離れた位置にある。しかし、こうした「私(たち)の物語」としての神話が、二度の世界大戦を経てより賢明になったはずの二一世紀の世界でも、容易に人を分断し、排除する口実となりうることを、二〇二二年二月二四日、私たちは眼前につきつけられた[注3]。多くが虚を衝かれたのちに、それが二〇世紀の亡霊ではなく、まさにいま現在の、現実の問題であるということを、改めて認識することを強いられたのである。

二 本書の目的

 本書は、こうした「あやうさ」も含めて、人々と神話の関係が、とりわけ近代を中心にどのように変化してきたのかというダイナミズムを考察するものである。日本語の「神話」という語は、古代ギリシア語の「ミュトス」(mûthos)概念の訳語であるが、「ミュトス」は単なる「物語」を意味する語であり、「〈神〉の話」という含意は本来ない。しかし日本では、西洋文明における〈物語〉の主要な源泉のひとつが古代ギリシアの神々についての語りであったため、同概念を明治期に輸入するにあたって〈神〉という一字を冠して訳出し、西洋の神々に匹敵する自分たちの〈神〉の物語の体系化と、「記紀」の「国家神話」への格上げが急がれたのであった。一方で、西欧におけるミュトスは、 近代国家の成立にともなって「聖」と「俗」の権力が拮抗するにつれ、自文明の正統性を語るための叙事詩の伝統に加え、キリスト教国の矜持、民族のルーツなど、多様な自己像が刻まれたものとなっており、国民国家の創設という領土・民族・言語による線引きは、ミュトスの「編集」を加速させた。

 このように、原義に立ち返れば、「神」という名で呼ばれずとも特別である存在を語る、人々の願意が織り込まれた物語として、ミュトスは発展してきた。そして、近代に至る直線的な「進展」―西洋近代がさまざまな「神話」言説を体系化し、用いてきた過程―は、つねに「新世界」と邂逅することで、大きなパラダイムの転換を迎えている。本書の編者および執筆者が参加する神戸神話・神話学研究会は、二〇一九年十一月に、白鹿記念酒造博物館にて国際シンポジウム「「マヤ文明」と「日本神話」―近代知が紡ぐ地の 「記憶」」を開催し、西洋にとっての「新世界」たるマヤや、日本の〈地〉に根づいた物語が、西洋近代から〈発見〉されて以後、近代化の動きの中でいかに成形され、語られることとなるのかを明らかにしようとした。西洋からの〈発見〉は同時に、「新世界」側による西洋の〈発見〉でもあることは自明であり、「新世界」 側の語りには、西洋近代とは異なる知的営為が介在している。「新世界」側は、西洋文明そのものが多様な地域的伝承を汲み入れながら確立していった言説に対抗すべく、西洋の手法を通じて自己の〈地〉の物語を権威化しつつ、西洋とは異なるアイデンティティを追求しようとした。そしていまや世界は、「西洋」も含め、国境という枠組を超えて、あるいはこの枠組から外れて、利用されうる「神話」を探求し続けている。グローバライゼーション、国際化が盛んに唱えられた世紀転換期を経験した人々が、新たな世界のなかに自己を位置づける必要に迫られながらも、同時にいまだ、〈地〉や既存の階層や属性との結びつきから解放されないジレンマに直面するなか、思考枠組の変化・生成を促すものとして「神話」言説が果たす役割を明らかにすることは、喫緊の要請であろう。

 今日、人は生まれた〈地〉のみに生きる存在ではない。わずか半日後には、地球の裏側にいることも可能だ。にもかかわらず―どれほど経済圏が地球規模のものとなり、民間交流が拡大しても―依然として為政者のとなえる「私(たち)」の物語ひとつで、一瞬のうちに世界が分断されうることもまた事実であることを否定できない。そのような時代に生きるとき、いままで語られてきた「神話」は何を伝えうるのか。あるいは、新たにどのような「神話」が求められるのか。権威化と相対化を繰り返しながら変化をつづける、「神話」の実相をたどる。

三 本書の構成

 本書は、同じ編者によって二〇一八年に刊行された『「神話」を近現代に問う』(勉誠出版)とゆるやかに連続しつつ、グローバル化の一方で再び意識されるようになった「ローカル」なもの―その〈地〉の神話の語りに、より焦点を合わせる形で編むことをめざした。収録された十六章はいずれも、取り扱う時代や地域、筆者の専門領域は多様でありつつも、神話が境界を超えるものであると同時に境界で隔てるものとして人々の社会や心裡に影響を及ぼしていることを、きわめて意欲的にそれぞれの視角から論じているという点で共通している。構成は左記の通りの全三部となる。

第Ⅰ部 ヨーロッパ社会における「知」の体系化―言葉で紡ぐ〈地〉
 野谷啓二の「真理は西へと向かう―古典古代とキリスト教世界の結節点に立つウェルギリウス」は、人文知という西欧の学問枠組のなかで「神話」を論じるうえでは避けて通れない、「ヨーロッパ」における「知」の伝統を、キリスト教を軸にひろく見晴るかすものとなっている。英文学にも底流することになるキリスト教の思想と古典古代の文化文芸は、ウェルギリウスにおいていかに接合しえたのか―「近代学問」としての神話学の発生以前に、神話が「伝統」として過去と現在を貫き、果たしてきた役割を論じている。また、本書の最後に置かれた清川論とは「日没」のモティーフを扱っているという共通点があり、時代や地域の枠を超え、今日まで継続しているミュトスの語りの引力を示唆した第1章となっている。

 つづく第2章、上月翔太「統合される複数の伝統―聖書叙事詩の成立と展開」では、古典文学そのものの一ジャンルについて、先述の野谷論より微視的に論じることで、西欧における「神話」文学が「聖書」を補強するものとして体系化され、継承されていく実態を明らかにしている。ギリシア・ローマ古典という、現代の視点からは一体のものとして扱われがちな「神話」もまた、意図的に創成・再話されたものであるということを論証するものである。野谷論で見られたようなウェルギリウスへの評価が、唐突に現れたものではなく、じっくりと、また多様な形で統合されてきたのだということが理解できるだろう。

 田口武史による第3章は、「近代市民の身体をめぐる神話―J・C‌・F・グーツムーツの「体育」」と題し、前の二篇とはすこし異なる視点から、「体育」の実践というきわめて近代的な「市民教育」における「神話」の効用について論じている。読者にとっても、二〇二一年にコロナ禍に翻弄されながらオリンピック・パラリンピック東京大会が開催され、実施そのものの是非や功罪にまつわる激論が交わされたことは記憶に新しいだろうが、「神話的」イベントが近代的な国民包摂原理として読み替えられていく論理の出現を明らかにする論となっている。この論考とは直接的に関連するわけではないが、ロシアのウクライナにたいする侵攻が二〇二二年のパラリンピック冬季大会の期間中に重なったことは、象徴的にこの近代的イベントの虚構性を際立たせる出来事であり、この章と地続きなものとしても解せよう。

 民衆と神話との関わりという観点についてはさらに、つづく第4章、植朗子の「近代植物学に生きつづける神話・伝承文学―二〇世紀ドイツの植物学者ハインリッヒ・マルツェルを中心に」が、民衆が親しんでいる植物がどのように学術的に記録されるのかに焦点を当てている。神話・伝承文学が近代学問によって体系化されるときに捨象される要素を通して、「科学」と「神話」のあわいにあるものを浮かび上がらせている。田口論と併せ、狭義の「文学」にとどまらない形で「神話」が「近代」という枠組を構築するのを助けた過程を見て取ることができるだろう。

 そして第Ⅰ部の最終章となるのが、里中俊介による第5章「木村鷹太郎とプラトンの神話―「日本主義者プラトン」の発見と翻訳」である。次の第Ⅱ部でも、近代日本においていかに「神話」が西欧への対抗手段として整備されてゆくのかの諸事例を見ることになるが、ギリシア哲学を西洋知識人にとっての重要性ごと輸入した近代日本に対し、もたらされた思想的影響の一例を示す論考である。プラトンの真の理想は日本において実現したのだという鷹太郎の見方は、目の前に開けた広大な世界の中に日本を位置づけようとするきわめて近代的なナショナリズムの帰結なのであるが、野谷論、田口論で既に見たように、ヨーロッパそのものが、他文化の神話を知的伝統に組み込み、整備することで確立した枠組を利用してきたのであり、「神話」の「翻訳」(=再解釈)は地域的にも時代的にも加速し、さらなる越境をつづけてゆくことになる。

第Ⅱ部 日本における「神話」の拡大―〈地〉の物語を編む
 西洋的な知の滲入と日本独自の「神話」の創出のせめぎあい、あるいは、急速かつ中央集権的に進められる神話化の動きとそこから取りこぼされた周縁的なもの/異端の抵抗が、六つの観点から分析されている。まずは第6章の山下久夫「平田篤胤の「神話の眼」」で、本居宣長にたいする平田の批判を出発点とする、「真の古伝」を求める動きについての検証である。記紀神話のみならず、祝詞に立ち戻ろうとしたり、ときには偽書も参照するという姿勢は、本邦においても「神話」の体系化が多様な角度から試みられていたことを示している。「正典」が成立してはじめて、それにたいする疑義が生じる―まさに近代学問の営為が日本の神話成立にむけて行なわれたと言える。神話の「今日性」と向き合う眼を通して、実際の〈地〉と古伝が接続された過程を明らかにする章である。

 つづく第7章、斎藤英喜「近代異端神道と『古事記』―本田親徳を起点として」は、直接的に山下論以降の時代の、「異端」の立場からの神話の創造について、視線を廻らそうとするものである。信仰や儀礼、神社という組織、縁起などの伝承とそれに基づく文学が、渾然となったまま、それぞれ一方が「正統」「正典」へと整えられ、他方が異端として傍流へと分かれていく経緯をたどりつつ、社会が全体主義時代という未来へと突き進む道筋を明らかにしている。第Ⅰ部において田口論や植論が示していたように、神話はつねに、テクストの形でのみ人々に伝えられるのではなく、儀礼の実践等の要素と絡み合いながら権威化されていくのであり、山下論と併せて、日本独自の神話ができるまでのさまざまなフェーズで見られた動静を写し取った考察となっている。

 南郷晃子の第8章「児島高徳の蓑姿―「近代」津山における歴史/物語の葛藤」は、一転、国家の神話としての記紀にまつわる地点ではなく、地域誌における英雄像から、近代日本の「神話」形成の複層性を描き出す。「私たち」の英雄がどのように記憶され、同時にいかにして「国民の英雄」となっていくのか。中央の思惑と地域の「真実」の拮抗の過程が、「歴史」のなかに「私たち」のアイデンティティを埋もれさせずに語り継ごうとする民衆の声として響いてくる。神話における表象(高徳の服装)の変遷は、第Ⅲ部の鋤柄論、清川論の内容とも通奏する形で、神話のキャラクターの「(再)解釈」の実態に光を当て、そこに込められた思いを、声なき者の立場に寄り添って汲みあげようとするものである。

 第9章では、藤巻和宏が「紀元二六〇〇年の神武天皇―橿原の〈地の記憶〉と聖地の変貌」とし、〈地〉そのものが神話の語りの場=聖地へと変貌していく過程を詳述している。物語はそれを裏付ける「証拠」なしには広範には伝播せず、ゆえに聖地は国家的求心力を裏打ちするものとして演出された。この章では、そうして創出された伝統がさらに神話を補強するものとして機能していくという点について、国家事業における橿原宮の利用構想をとりあげつつ、その他の神社への影響についてもまた指摘している。斎藤論で見たように、日本における国家神話の創出に当たって寺社縁起をひとつの強力な体系へと練り上げていくために、さまざまなアクターが演出を担ったのである。

 つづく第10章は鈴木正崇「「近代神話」と総力戦体制」として、第Ⅱ部のここまでの論考で予示されてきた、総力戦体制にむかう日本における「神話」の諸相を、ヨーロッパとの比較を用いながら改めて精査している。帝国主義―この章で論じられているように、「ファシズム」という言葉の内実もまた、日本とヨーロッパでは異なる面がある点は留意する必要があるが―の社会において、そして戦後も未だ、日本の「稲作神話」がまことしやかに民族的同質性を示唆するものとして利用されている実態を看破する視点は、次章の平藤論とも連携するものである。また現代においても「近代神話」の名残がマスコミによって再生産されていることは、第Ⅲ部のいくつかの論考の論点とも共鳴している。

 平藤喜久子「近代日本の神話学と植民地へのまなざし」では、帝国主義日本の「植民地」観と神話の関係性が論じられている。拡大する世界との/からの接触のなかで、独自かつ優れた「私たちの神話」の模索を行ないつつ、他文化との「類似性」を他文化の「未発達さ」へと読み替えていく。西欧の「神話学」受容から始まり、高山樗牛らの理論化を経て植民地支配を正当化するための神話体系を確立していった流れは、第Ⅰ部の里中論と表裏を成しており、併せて見ることでより多角的な理解が可能になる。そして次の部では、こうした帝国主義の態度に対峙する「新」世界の側のジレンマに目を向ける。

第Ⅲ部 「新」世界とせめぎあう近代知―〈地〉の記憶をまとう
 この部に含まれる五つの章では、新たな世界との出会いがもたらす「神話」の(再)解釈や変容、展開について論じている。この部の始まりとなる第12章は、横道誠「それぞれの神話を生きること―ゲオルク・フォルスター、アレクサンダー・フォン・フンボルト、エルンスト・ヘッケルの「統一と多様性」の思想」である。本章はあとにつづくエスカロナ・ビクトリア論にも言及される、探検家による冒険や博物学的探究の一事例を紹介するものであり、標題の思想家たちが「多様性」や「無秩序」を統一的神話体系へと組み込むとともに、そこに新たなユートピア世界を見いだしているという意味では、第Ⅱ部の平藤論に引かれたゴーギャンの絵画に込められたある種の期待と同質のものを読み取ることができるかもしれない。キリスト教世界の秩序より国民国家の秩序が優先されるというナショナリズムの行く先を知る読者にとっても、改めてその過程を省みることは有用であろう。

 第13章の庄子大亮「世界認識の拡大と「失われた大陸」―アトランティスからレムリア、ムー大陸へ」は、荒唐無稽なミステリーやオカルト趣味の文脈で耳にすることが多い、実在が必ずしも証明されていない大陸が、人々を惹きつけてやまないのはなぜなのかという問いに、関連する言説の展開を審らかにすることで向き合おうとしている。今日ではもっぱら「ナショナル・ジオグラフィック」の特集等で目にすることが多い「失われた文明」だが、フランシス・ベーコンの『ニュー・アトランティス』でソロモンの館が特徴的に描かれたように、近代知の思考実験の場としてこれらの神話世界に注目が向けられてきたという事実は、我々が「神話」を語る動機の一つとして看過できないであろう。

 ホセ・ルイス・エスカロナ・ビクトリアは、前述した国際シンポジウムの内容に基づき、第14章「マヤ神話を仕立てる―一九世紀における新大陸文明の断片と認識論的転回」として、マヤ神話がいかに「発見」され、再解釈されることになったのかを、人類学の見地から明らかにしている。欧米の冒険家たちの好奇心が見いだしたこの古代文明の痕跡は、唐突に美的なものとして解釈されるようになったわけだが、このまったき植民地主義の視線をどのように乗り越えるのか―日本と同様、ヨーロッパの眼を通して見いだされた「神話」を、メキシコないしマヤの人々が自らの「神話」として取り戻しうるのかという葛藤が、随所に感じられる論考となっている。

 第15章、鋤柄史子「翻訳が生んだ『ポポル・ヴフ』―近代的解釈と日本におけるその変容」は、エスカロナ・ビクトリア論において出版の経緯が明らかにされたマヤ神話の聖典が、日本語に翻訳されるにあたってどのように変更されたのかを通し、口承文学のテクスト化とその翻訳という様々なフェーズにおいて失われたもの/加わったものを明らかにしようと試みている。書かれたものとしてのテクストを知的・文化的営為の絶対化とみなす西欧文化中心主義の問題点についても提起しており、「新」世界が既存の枠組のなかに押し込められることでこぼれ落ちるものの問題がほのめかされている。

 最後となる第16章の清川祥恵「夜を生きるパンサーの子ら―映画『ブラックパンサー』における「神話」と「黒人の生」」もまた、こうした西欧中心主義との対峙と、蹂躙された「暗黒のアフリカ大陸」の姿を今日どのように語りうるのかというアイデンティティの相克について検討するものである。二一世紀のポップ・カルチャー作品に描かれる「神話」であっても、そこで行なわれるのは一貫して自らに対する誰何なのであり、商業主義のパッケージという限界があったとしても、新たな神話を紡ぎつづけてゆくことで、人は自らを、そして同時に他者を、よりよく理解するための橋頭堡を築くことができるのではないだろうか。

 以上、扱う地域も分野も異なる十六本の論考が、各々で「人はなぜ神話〈ミュトス〉を語るのか」という問いへの応答を試みた。ミュトスは、必ずしも神の業や英雄の活躍を正典という形で語るものではなくとも、社会に生きる一人一人が記憶を承け、また継ぐために、異なる層/相で紡がれ続けている。二〇世紀の知識人がウェルギリウスを読むことと、二一世紀の子どもたちがマーベル映画を観ることに、直接的な関連性を見いだすのは牽強附会だと感じる声もあるかもしれない。しかし、生まれた時代、ジェンダー、ナショナリティ、「人種」、政治的立場が異なっても、人は自らの現在の生と、自らの揺籃としての〈地〉を、それぞれの「神話」を通して記憶のなかで結び合わせている。そして、ゆえに、画一的な唯一のミュトスは、人々自身が語り続けるかぎりは、決して存在しえない。人々は無数の語りを通して、語られなかったことの背後に、語る力を持たない者、語りを奪われた者の言葉をも聞くことができるのである。本書が「神話」に投じた光が、そのプロパガンダとしての側面を改めて照らし出すと同時に、抵抗の言説としての側面もまた反照していることを祈りたい。



[1]加藤隆が『『旧約聖書』の誕生』(ちくま学芸文庫、二〇一一年)と『『新約聖書』の誕生』(講談社学術文庫、二〇一六年)の二冊で詳細に検討しているとおり、「聖書」という言葉が指すテクストの範囲は、実は今日でも一様に確定的なものではない。紀元前五〜四世紀ごろに整備されたモーセ五書を核としつつ、それより前に記録された文書やもっと後に作成された記述がまとめられて旧約聖書という体系が成立したのは紀元後一世紀後半だが、これらのヘブライ語文献の古代ギリシア語への「翻訳」(『七十人訳聖書』)を経て、ようやく「聖書」という書物の枠組が一応の成立をみる。さらに「新約聖書」の文書が「正典」として公認される動きは三二五年のニカイア公会議などに見られるが、近代でもプロテスタントとカトリックで「正典」の範囲が異なるし、福音書の序列にも複数のパターンがある。
[2]『神話と意味』大橋保夫訳、みすず書房、二〇一六〔一九九六〕年、三二頁。
[3] 二〇二二年二月二四日は、「ロシアのウクライナ侵攻が始まった日」として歴史に刻まれたが、国際社会を先導する国々がそれまで享受してきた秩序が事実上崩壊したことを思い知らされた日でもある。すぐに、ウラジーミル・プーチンの大ロシア主義や「非ナチ化(denazify/denazification)」の用法をめぐる議論がさまざまなメディアで展開されたが、過去に葬ったと信じていた覇権主義が二一世紀にも通用してしまったという見方(https://www.nytimes.com/2022/02/25/opinion/putin-war-russia-military.html 二〇二二年四月三〇日閲覧)に立てば、国際社会という枠組そのものが薄氷の上に立たされている。また、確定的ではない情報に基づいたウクライナ守備隊の「全滅」報道など、過去の「英雄」言説の形成過程に近しい事例も見られる。