幾浦裕之「国文学研究資料館の調査カード:未来にむけた集成と利用」(人文情報学月報第133号【前編】より再掲載)

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国文学研究資料館の調査カード:未来にむけた集成と利用


幾浦裕之:人間文化研究機構国文学研究資料館古典籍共同研究事業センター特任助教

私は鎌倉時代の中世和歌を専門としているが、次第に和歌の詠み手や、和歌に限らない書物の生産者、享受者であった人々が、中世や近世にどのように居住して暮らしていたのかに関心をもつようになった。偶然にも近年の日本史学では、都市空間としての中世京都をめぐる一般向けの書籍の刊行が相次いでおり、藤田勝也『平安貴族の住まい 寝殿造から読み直す日本住宅史』(吉川弘文館 2021年)、桃崎有一郎『「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都』(文藝春秋 2020年)などがある。私は研究上、古典籍の最後に書写者が書く「奥書」という漢文体の部分、どのような写本をどこから手に入れたか、いつどこで書写したか等の履歴に特に注目している。ここから作品の成立年だけでなく、書写者の年齢や官職が分かる場合もあり、何より信頼できる日付や場所が書かれていれば、そのとき書写した人物が、書き物をしていたことが確実なため、居住する空間でその書物を書写していた、その人の姿が想像されるのである。

そもそも近世以前の日本にはどれくらいの人口が居住していたのだろうか。歴史人口学を日本に導入したのは速水融(1929~2019)である。近年遺稿をもとにした新書『歴史人口学事始め 記録と記憶の九〇年』(筑摩書房 2020年)が刊行された。その研究手法は、フランスのルイ・アンリが教区簿冊から国勢調査開始以前の17~19世紀フランスの人口指標を得る方法に感銘を受け、それを留学以前に慶應義塾大学で整理していた日本の寺院の宗門改帳に応用したものである。ヨーロッパの教区簿冊も近世日本の宗門改帳も、当初は人口統計を得るために記録され始めたものではなかった。信仰の確認や、他宗教・宗派への信仰の禁止を徹底させるために行ったもので、歴史学がそれを人口史料として利用したものである。速水は、最初は列車の時刻表にヒントを得た BDS シートに手書きで記入して家族復元を行ったと回想しているが、ある集積されたデータが史料として整理されることで、本来想定されていなかった研究に応用可能となるという点で、今日のデータ駆動型研究を先取りしたものともいえるのではないだろうか。

歴史人口学が江戸時代以前の人口を知ろうとする学問領域であるとすれば、江戸時代以前の、日本人が作者である日本の書物は、全部でいったいどれくらいあったのか。それを知ろうとしたのが、岩波書店刊行の『国書総目録』であったといえる。最終的に完成したのは国書の所在情報を掲載した目録だが、当初は一〇万点の国書についてその解題を執筆するという『国書解題』という企画として始まった。成立経緯については、熊田淳美『三大編纂物 群書類従・古事類苑・国書総目録の出版文化史』(勉誠出版 2009年)が詳述している。編纂事業が第一に着手したのは、解題の対象となる書目の採集と選択である。そのために全国の主要な図書館、文庫の蔵書目録を集めてカード化が行われた。当時、公刊された目録は少なく、そもそも全国にどのような本、資料が、どれくらいあるのか、という調査が必要となった。「古文書・日記・帳簿から語録・抄物の草稿まで、凡そ巻冊をなす限りは、明治以前に日本人の手に成った書き物のすべて」が対象となった。戦時中に空襲を避けるために貴重書は疎開されたものも多く、戦後には戦前に収集したカードの点検が行われるなど、刊行されるまでには複雑な経緯があった。モノとしての古典籍としては一つのものが、戦中戦後に売却、購入されて短期間に複数の所有者の手を経たため、複数の項目として掲載されている例も中にはある。この『国書総目録』を継承し、国書の所在情報を公開しているのが、国文学研究資料館の日本古典籍総合目録データベース、新日本古典籍総合データベースである。

国文学研究資料館では現在でも全国の古典籍の調査収集事業が行われているが、マイクロフィルムによる撮影が行われていた時代から、撮影の前段階として書誌カードによる調査が実施された。この書誌カードはマイクロフィルムの撮影にあたって必要な情報(特に撮影枚数など)を、記載事項の統一されたカードによって確実に知るために記入、集積されたものであり、当初の時点において、マイクロ資料目録との連結は想定されていなかった。収集された調査カードは非公開の状態が長く続いていたが、現在では国文学研究資料館のウェブサイトの「日本古典資料調査記録データベース」で調査カードとその記載情報が公開されている。調査カードに記載された「所蔵者名」「作品名」「編著者名」「蔵書印等」「序・跋・刊記・奥書等」の各項目の検索が可能であり、調査カードのスキャン画像も確認することができる。新型コロナウィルスの感染拡大以降、調査が困難な期間はこのデータベースを利用して、研究対象の古典籍の調査者にしか分からない形態情報を確認することも多かった。なによりデータベースとなったことで、ジャンルを問わない刊記と奥書のデジタルテキストのデータベース(勿論完全なものではない)が完成したのであり、ここで自分が調査しているのと類似の奥書がないかどうかも検索できるようになった。機械可読なデータとして抽出することができれば、かつてない規模で日本の書物の歴史を可視化することもできるし、所在情報や、中には書写時点の書物の所在情報も地図上に示すことが可能であると考えられる。私が興味深いと思うのは、調査カードの収集開始時、このような奥書や刊記のデータベースが実現されることは想定されていなかったことである。調査カードの記載情報がデジタルテキストとなり、集成され、検索可能となることで、当初想定されていなかった利用が可能となったのであり、今後も機械可読のための処理を行うことで、調査カードの資源としての価値は高まると考えられる。むしろ長年にわたり全国の調査員によって行われた調査活動の成果を十分に活用するために、利用しやすいデータのかたちにすることが、今後ますます必要になる。

和歌、物語を中心とする日本の中古中世文学の書誌学的研究の解説書として、橋本不美男『原典をめざして 古典文学のための書誌』(笠間書院 1974年、新装普及版2008年)がある。写本を見比べる校合の方法なども解説していて、人間文化研究機構国文学研究資料館編『古典籍研究ガイダンス 王朝文学をよむために』(笠間書院 2012年、第2版2013年)の刊行以前は、この『原典をめざして』が日本古典籍を文学研究に活かす数少ない教科書的な本だった。今後、この本に代わる日本古典籍の書誌学的研究の解説書が必要となるだろうが、それはもはや紙媒体での研究成果の公開を念頭においたものでは不十分である。また、『原典をめざして』という書名が示すような、作品成立時点の、ある始原の一点へと遡及するために行われる研究を想定したものとはならないと思う。たとえいわゆる善本の写本ではなくとも、その写本がいまも存在していることや、ある写本がかつて存在したこと、それを生産し、享受した人間がいたことを、もれなく反映するような方法、それを実現するための本である。近時刊行された一般財団法人人文情報学研究所(監修)石田友梨・大向一輝・小風綾乃・永崎研宣・宮川創・渡邉要一郎(編)『人文学のためのテキストデータ構築入門 TEI ガイドラインに準拠した取り組みにむけて』(文学通信 2022年)は以上のような関心からも、とても有効な先行例を示す本だと思う。

執筆者プロフィール
幾浦裕之(いくうら・ひろゆき)。人間文化研究機構国文学研究資料館資料整理等補助員、同館国際連携部機関研究員を経て現職。専門は中世和歌文学、女房文学、日本古典籍書誌学。中世和歌の表現のジェンダーや古典籍の移動や蒐集など享受史についての研究を行っている。早稲田大学教育学部、鶴見大学文学部の非常勤講師を兼務。
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