アルバイト日誌「学びは続く」(2022.8.17、れい)

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 今後の研究や修論のために、先日改めてじっくりと卒論を読み返してみました。昨年、一通り書いた後も、提出前推敲のために数えきれないほど読んでいますし、口頭試問の際にも見返しているので内容はほとんど頭に入っているのですが、改めて読み返してみると、言葉の使い方や構成、アプローチ方法の下手さに頭を抱えてしまいました。

 何より「どうしようもない」と思ったのは、全体的に言葉が抽象的だということ。読んでいる側に自分の考えをより正確に伝えるためには、核となるような言葉、キーワードが必要ですが、それが一つ一つ抽象的なので全体として分かりにくいのです。もっと平易な言葉で表現するべきでした。難しい言葉よりも伝わりやすい言葉で論じる方がずっと難しいですよね。難しい言葉は、その言葉自体自分のものになっていないので、ある意味なんとなく使えてしまう。しかし平易な言葉で簡潔に述べるには、論の組み立てや主張がきちんと自分の中に落とし込まれていないといけないのです。そしてまた、当時の私は(今から考えると不思議なのですが)妙に高尚な言葉を使いたがっていたように思います。それよりも、稚拙で構わないからもっと具体的に言った方が良かったと、今更ながら思いました。

 ただ、上のように感じるということは、卒論提出時より私自身成長している証でもあるのです。だから前向きに捉えた方が良い、と先生からもご助言をいただきました。その成長というのは、研究だけにとどまらず人間的なものや性格も含まれていると思います。最近は卒論を書かなくても卒業できる場合があるようで、実際友人は書かなかったとのこと。しかし、うまくいかなかったことも含め、大学卒業時点の自分の考えや言葉を残しておく上でも卒論は書いた方が良いのではないか、と思います。

 研究の話に戻りますが、時間がたてばたつほど、新たな考えや視点が生まれてくるものですね。それをすぐに論として立てることができるかといえば、むしろそれを見つけた時点がスタートで、そこからが大変なのですが、自分の研究対象と向き合うたびに発見があって面白いのです。私の学びはこれからも続いていくのだと思います。