第5回 引き裂かれながら思想を鍛えた歌人――東海正史『原発稼働の陰に』|【連載】震災短歌を読み直す(加島正浩)
Tweet
第5回
引き裂かれながら思想を鍛えた歌人
――東海正史『原発稼働の陰に』
■原発立地地域に「科学的な会話」はない?
『彼らの原発』(監督:川口勉、2018年)というドキュメンタリー映画がある。これは、福井県大飯郡おおい町に住む人々の姿を写した映画であり、そこが映画の舞台となるのは、この地に大飯原発が立地されているからである。映画は、大飯原発の再稼働をめぐり、そこに住む住民の感情の揺れを映し出している。
川口監督は「私個人は原発に反対だが、『脱原発ドキュメンタリー』をつくろうとは思わなかった。原発の周辺にある文化や人の暮らしを撮りたかった」と語っている。
そのためか映画を観終わった観客から「監督は原発に対してどういう考えなのか」という質問も多く受けたらしい。(川口勉「彼らの原発」藤田直哉編『ららほら』(響文社、2019年4月))
映画は原発に反対する意見を述べていた人物が、最終的に口をつぐんでいく様子を収めている。川口監督も「論理や立場を溶け合わせるしかない町の姿を描いたつもり」と答えている。しかし観客から「科学的見地に基づく会話はおおい町にはないのか」という言葉を投げかけられもしたらしい。
仮に「科学的見地に基づく会話」がないとすれば、それは反原発と言い出しにくい「口をつぐませるような力」が働いているからだと私は考える。
居住場所の近くに自分や家族が原発労働者として働いている人たちや、電力会社を相手にしながら生計を立てている人たちがいるなかで、大声で反原発と発することは難しいであろう。たとえ反原発と叫んだとしても、明に暗に主張をやめるように働きかける人たちもいるだろう。なぜなら、現状では、原発に自らの生活を預けざるを得ない人たちがいるからである。生活を質に取られている人たちが多くいる環境で、反原発の主張をつづける自信は、私にもない。
しかし、映画には「科学的見地」に基づいて原発に反対する「意見」を述べる人たちは多数登場していた。原発と共存を余儀なくされている人たちが、原発を立地しつづけることが最適解だと思っているわけでは、必ずしもないように私は思う。
私は「科学的見地に基づく会話がない」と立地地域の現状を嘆く前に、その会話を失わせる力が働く環境で、原発に反対する人がどのように生き抜いているかを考えたいと思う。■東海正史という歌人
福島第一原発「事故」以前の福島県浪江町で、原発労働における被曝の問題を詠んでいた歌人がいる。
■原発「事故」以後の問題は、「事故」以前に出揃っていた
私はまったく知らなかったのだが、原子炉の温排水で魚を飼い、販売するということが行われているらしい。「いた」ではない。現在も、新潟県柏崎刈羽原発近くの養殖所では、「ヒゲソリダイ」の養殖研究が行われ、2020年頃から「柏崎の新たな特産品に」と市役所も力を入れながら、販売されているらしい。(戸松康雄「柏崎で全国初の養殖成功、ブランド魚になれるか」『朝日新聞デジタル』2021年2月8日)https://www.asahi.com/articles/ASP2773DQP1YUOHB005.html?iref=pc_photo_gallery_bottom
ただ養殖魚は、東海が喝破するように〈放射能の洩れ無きを誇示〉するためにも使われているはずである。そして歌人は、温排水で養殖された魚の〈魚紋〉が天然物とは異なることも見抜いている。東海が見抜いていたことは、それのみではない。2019年4月18日に東京電力は、福島第一原子力発電所など原発で作業する人員の不足を理由に、「特定技能」の外国人労働者を原発作業として労働させる計画を発表している。(「原発に特定技能の外国人 東電、人手不足受け」『日本経済新聞』2019年4月18日)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43877420Y9A410C1EAF000/
外国人労働者に、被曝労働を押し付ける東電の姿勢に対しては「被ばく労働を考えるネットワーク」(https://hibakurodo.net/)などの数ある団体が抵抗し、真摯に申し入れを行っていたと記憶する。そのことには当然、心からの敬意を申し上げる。
しかし一方で、被曝労働に従事する外国人労働者は、原発「事故」以前から存在し、また被曝基準が「日本人」のそれとは異なっていたということを、東海の歌はわれわれに教える。
ほかにも、被曝労働者には被曝量の上限があり、それを超えると働けなくなること。だからこそ被曝量をごまかして計上していた労働者がいたこと(労働者にも生活があり、雇用者も次の労働者が直ちに見つかるわけでもないだろう)。病気と被曝との因果関係が認められ、治療費を受領した場合は、作業被曝について口外しないよう明に暗に言いくるめられること。
すべて私は、原発「事故」以後に知ったことである。「事故」以後に問題化したことのほとんどは、「事故」以前に出揃っていたのではないか。それを立地地域外に住む「私」(たち)が、原発「事故」以後の問題として、取り上げるようになっただけなのではないか。
東海は以下のような歌も遺している。
原発とともに暮らさねばならない人たちにとって、震災後・原発「以後」の問題として、都市部に居住する人間が騒いだことは、おそらくは当然のことだったのである。震災「後」・原発「事故以後」の問題として様々なことが明るみには出たが、それは震災以前から引き続く問題にただ一瞬注目が集まり、10年以上経って、また忘却のなかに戻っていったということではないのか。
■原発「事故以後」という時間
私は「被災地」となった場所で暮らす人・縁のある人にとって「震災以後」は終わるものではなく、その時間を永遠と生き続けねばならないものであるのだと、この連載で述べてきた。
しかし、原発立地地域に住む人にとっては、「事故以後」という線の引き方はおかしなものであるのかもしれない。被曝の心配やそれとの共存を余儀なくされる人々が「事故以後」に増加したことをもって、震災「後」の問題とされていたのであれば、
そもそも原発が立地された地域に住む人々にとってみれば、その問題は「事故以前」から引き続くもので、線引きされるようなことではないのかもしれない。そこに住む人々は、放射能の恐怖とともに常に暮らしてきたのである。
東海は〈原発疎む歌詠み継ぎて三十余年募る恐怖の捨て所無し〉、〈この原発この段丘にある限り被曝の脅威消ゆること無し〉とも詠んでいる。原発「以後」に多くの人々が感じさせられてしまった恐怖と脅威は、すでに立地地域に住む人にとっては、共存を余儀なくさせられていた感情だったのである。ただ〈辺鄙なる地区ゆゑ建ちし原発と思ひ憎めりその遣り口を〉と東海が詠むように、その感情を都市部の人間は過疎地の人々に押し付けて、知らぬ存ぜぬで生きてこられたということなのである。
東海は〈過疎故に甘んじて受けし原発の誘致未来に禍根を残す〉とも詠んでいるが、もちろんここで「禍根を遺した未来」を生きざるを得ないのは、原発「事故」当時に子どもであった人や、まだ生まれてきていない多くの人々である。その人々には原発「事故以後」を現在として、引き受けてもらわざるを得ない負債をすでにわれわれは遺している。「事故以後」を生きなければならない人は、すでにその時間を生きてしまっていたか、これからその時間を生きなければならない人たちなのではないか。もはや被曝などないかのように生きている都市部の人間に「原発事故」以後の時間は流れているのだろうか。■原発立地地域に生きるということ
原発による被曝の恐怖や反原発の思想を抱きながらも、しかし原発のあるその土地とそこに住んでいる人々を愛するという気持ちは共存する。東海もまさにそのふたつ思いのあいだで揺れていた歌人だったのではないか。この〈過疎の町〉に住む人を愛してはいる。〈過疎の町〉であるがゆえに、町をうるおす原発が必要だという考えもわかる。その人の声は聞こう。しかし、原発のお金に頼った町政を批判する政治家がひとりもいないことには苛立ち、原発が立地地域以上に企業をうるおすものであると知っている。
しかもその陰で多くの人が、若者が、幾人も、何度も、被曝して死んでいっていることを東海は見ている。働く若者に原発以外の仕事はないのかと言いたくもなる。そして血を吐いて叫んで死んでいった者の意志を継いで、原発から仕事を「戴いて」生きながらも、「反核」の思想を持ち続けようと決意する。
原発で生活を成り立たせながら、反核を述べるのは「矛盾」していると述べるのはたやすい。しかし、これが「現実」なのである。誰が好き好んで被曝でばたばたと死んでいる原発の周辺や内部で働きたいと思うのか。〈他に職はないのか〉と若者に言いたくなる東海もおそらくはわかっていたはずである。〈過疎の町〉に、原発労働ほどにお金をもらえて生計を立てられる仕事は、ない、ということを。
その「現実」を無視して「反核」「反原発」を唱えるのは、たやすい。しかしその声が届くのは、そのような「現実」を生きなくてもよい都市部の住民のあいだだけではないのか。
原発「事故」が暴いたことのひとつが、原発の恐怖と脅威を立地地域の人々に強いてきた事実であり、にもかかわらずその地域で原発と暮らしていかなければならない人々の存在である。それでもその町を愛している人たちの存在である。
土地に愛を抱く人の思いにつけこみ、すべての人々が都市に出られるわけではないという現実に蓋をし、再度、原発労働に従事する人々の存在を、原発を肯定する存在として無視したうえで展開される反原発の主張を「事故」以後に行ったとして、それで何が変わるのか。もはや数の動員は期待できない。「事故」以前に行っていた同様の方法で、反原発を主張したところで、おそらく現実は動かない。
まず私(たち)は原発立地地域に生きる人々が、様々な感情のなかで揺れながら生きているということを認識するべきだろう。あのような危険なものを積極的に誘致したいと望む人は、誰一人としていないだろう。しかし存在しているということを、私(たち)は適切に認識する必要がある。
■引き裂かれながら思想を鍛えた歌人
〈地域発展に尽くしたること
東海は〈吾が
しかし、東海は以下のようにも詠んでいる。
彼は「ひ弱」だったのではない。過疎の町で生きていくためには原発を求めるしかないと考える人々と、その人々と人々が住む町を愛する気持ちのなかで引き裂かれ、〈原発を誹謗する歌つくるなとおだしき
2022年7月現在、夏の電力供給がひっ迫しているとの報道がつづく。結果、原発の再稼働に賛成する人々が半数を超えたらしい。賛成している人々のうちのどの程度が、原発のなかに入っていくというのだ。「事故」以前のように、ふたたび立地地域に負担を押し付けるのか。
このような状況だからこそ、東海正史『原発稼働の陰に』は、詠まれるべき歌集だと思う。
再版されることを心より願う。
■コーナートップへ