アルバイト日誌「文学・資料の持つ意味―新聞記事から―」(2022.7.29、れい)

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 7月26日(火)、朝日新聞朝刊一面の「乗客1000人未満、見直しの条件 JR5社に61路線100区間 有識者会議提言」という言葉に目を惹きつけられました。以前にも日誌で新幹線の話題をあげたように、幼い頃鉄道が好きで、電車をよく見に行っていました。今も時々SNSやYouTubeを見ては、日本国内にもまだ知らない場所があって鉄道が走っているのだと興味をそそられますし、旅行に行くと専ら地形や交通手段に目が行きます。そのため、見出しを見たときに、今までに目にしてきた鉄道も実際経営状況が厳しいのだと改めて現実を感じた、というわけです。

 記事では、通勤や通学利用が多い場合、特急列車・輸送で使用される場合は除くなどの配慮がなされる旨が記載され、既存よりも柔軟な仕組み作りや、バス高速輸送システム(BRT)への転換など、廃線を前提とした提言ではないとある一方、続く二面には、過疎化をはじめ、コロナ禍による在宅勤務の増加により今後も乗客増加は見込まれないなど、厳しい経営状況も記されていました。実際「ローカル線」人気は一定数あるものの、ブームになるのは一部路線であり、その他のほとんどの路線は採算が取れない例が多いのだと思います。

 わたし自身も、こうして地域の規模が小さくなり、鉄道の減便やバスによる代替が行われて、いずれその地の暮らしや文化も失われていくのかもしれないと考えると寂しくなります。一方で、コロナの2年間を通して、社会も人々も常に「変わる」存在であるということにも気付かされました。変化には様々な要因がありますが、「変わらない」ということは不可能ですし、経営状況改善や人々の暮らしのために、「廃線ありき」ではなくても見直しすることは仕方のないことだと思います。このように「変わる」社会であるからこそ、それを人々の中にとどめておく記録や文学が必要とされるのですよね。改めて、文学や資料の持つ意味を考えさせられた記事でした。