パブリック・ヒストリー研究会:「砂川闘争の現場を歩く」フィールドワーク(2022年6月12日(日)13時半〜、砂川/多摩界隈)※要申し込み

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イベント情報です。

●公式サイトはこちら
https://bit.ly/39V5TMq
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※詳細は上記サイトをご確認ください。


パブリック・ヒストリー研究会では運営委員会の企画で、6月12日(日)に、東京外国語大学の高原太一さんのご案内で、「砂川闘争の現場を歩く」フィールドワークを予定しています。

フィールドワークという性質上、参加者を10人程度に限定せざるを得ませんが、現在多少の参加者枠が残されていますので、参加者を募集しております。またフィールドワークの後で、当事者の皆様との交流会を予定しており、それはオンラインでの同時配信を計画しております。もしもフィールドワークの参加がお出来にならない方は、そちらへのご参加もご検討ください。

なおご参加される場合は、参加費用としておひとり1000円プラスカンパが必要です。以下が当日の行動予定です。

(集合時間と場所)13時半、立川駅の東改札出た横にあるNEW DAYS

(行動予定)そこから北口に移動、13時48分発の立川バスに乗り、「砂川三番」で下車(1359着)。西武線等で来られる方は、砂川三番バス停に14時00分集合となります。

(以後のコース)約2時間をかけて、五日市街道を西に進み、途中北上し、玉川上水(源五右衛門分水)を見ます(源五右衛門とは、砂川村の名主で、自由民権家でもあった砂川源五右衛門のことです)。その屋敷跡をめぐり、多摩の豪農の暮らしぶりや規模について体感します(孫に当たるのが砂川闘争時には町議、そして反対同盟の企画部を担った砂川昌平さんです)。それから、今度は五日市街道を東に戻り、砂川四番にある阿豆佐味天神に向かいます。この天神には、砂川の近代の主要産業であった養蚕の神を祀った「蚕影神社」や砂川空襲の死者を祀った巨大な慰霊碑がありますので、砂川という地域がどのように発展してきたのかを確認することが出来ます。この天神は闘争の際には各種「決起大会」等が開かれた場所です。さらに拡張予定地となった砂川四番にむかい、闘争時の町長であった宮崎伝左衛門さんの御宅にある防衛施設庁の境界杭を見て、どこまでが国有地として認定されていたのか、かつての予定地がいまどういう状況で土地利用がされているのかを見ます。ついで、五日市街道から少し南下したところにある旧町役場で、現在は砂川学習館として利用されている建物にある闘争の歴史を含めた郷土の展示コーナーを訪問します(ここは学習館の建て替えに伴い廃止されるということで、現在市民と市の間で交渉が続いています)。最後に「砂川平和ひろば」に立ち寄ります。ここで反対同盟の副行動隊長で、『砂川闘争の記録』(1970=2005)の著者でもあった宮岡政雄さんの次女にあたり、同ひろばの主宰者である福島京子さんとの交流を予定しています。同ひろばは、2010年に設立された私設/市民歴史資料館でもあり、市民活動の拠点としても利用されています。このひろばでの約1時間ほど交流活動を行い、17時30分に行動を終了する予定です。以上のような行動をとおして、砂川/多摩の近代民衆史100年の歩みから砂川闘争(立川基地拡張計画反対闘争)を考えることを、今回のフィールドワークは目指します。

企画発起人:本橋哲也、北條勝貴、福島幸宏

案内人:高原太一