アルバイト日誌「ある地方の、静かな時間に」(2022.5.27、れい)

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 先週、親戚の不幸があり週末急遽地方へと日帰りで行ってきました。コロナ禍で出掛けるといっても近場がほとんどだったため、新幹線に乗るのも約2年ぶり。朝の霞んだ東京の街を横目に見ながら、まだ閑散としているホームで新幹線のチャイムを聞いた時、なぜだかじんと来てしまいました。

 数時間新幹線に揺られ、親戚の故郷である海辺の小さな街に着いた時、その街独特の潮の香りと湿り気のある風に懐かしく感じました。いつもと同じ時間が流れているはずなのに、自然が豊かさと静かな時間の流れがふっと私を包むようでした。

 駅からしばらく歩き親戚の家の近くの斎場に着くと、数年ぶりに会うはとこや、父の幼い頃の記憶で止まっている遠い親戚など、久しぶりに皆が集まっていました。曾祖母の写真や、数十年前のお祭りの写真を見せてもらい、普段あまり感じてこなかった自分のルーツを初めて感じました。亡くなった親戚とは、遠いこともあり頻繁に会うことはできなかったのですが、よく電話をかけてくれたり、フルーツやお米などを送ってくれたりなど、私たちを気に掛けてくれていました。ここまで来てようやく、本当に亡くなったのだと実感して、悲しくなりました。

 今まで首都圏のお葬式に参加することがほとんどだった私は、お葬式は人も多くて慌ただしいものだと思っていました。しかし今回、その人の故郷で「静かに故人を見送る」というものを経験して、人の一生はこうして幕を閉じて、家族や親戚とお別れするのだな、と知りました。幼い頃の朧気な思い出と今の風景とが重なり合う中で感じた悲しみや寂しさ、死者を弔うという置きどころのない感情は、これからもずっと忘れないと思います。

 このことをアルバイト日誌にするか非常に迷ったのですが、等身大の自分の一つの経験としてお話しすることにしました。言語化できていない部分もあるのですが、こうした思いも今の自分の一側面なのだと、思っています。