2022(令和4)年度昭和文学会春季大会(2022年6月18日(土)13時〜18時、オンライン)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら


http://swbg.org/wp/?p=2267
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※詳細は上記サイトをご確認ください。


*本大会は、新型コロナウィルス感染症拡大の影響により、オンライン開催となりました。
*日時:6月18日(土)13時〜18時

特集 地平線を越えて──トランスボーダーの日本文学

開会の辞
石田 仁志(会務委員長)

【基調講演】
語圏を跨いで生きること、そして書くこと
西 成彦

【研究発表】
田村俊子の二十五年──中国語雑誌『女声』編集長・左俊芝としての終焉
山崎 眞紀子

分離すれども平等? 越境文学と日本文学
エドワード・マック

越境的思考の行方──李琴峰と多和田葉子
榊原 理智

司会 サウット・キアラ

【全体討議】
ディスカッサント 仲井眞 建一

閉会の辞
大橋 毅彦(代表幹事)


【企画趣旨】

 近代以降、開国という対外政策の導入・推進や交通機関の技術発展などの諸条件が整うと、日本という地理的に限定された空間にとどまらない、国境を越える人とモノの移動および知的交流が急速に活発化していく。出稼ぎや、もとから帰国を想定しない移民事業によって、南米・北米や日本占領下の地域などに居住する日本人は増加していった。同時に、自主的に来日し、もしくは強制的に来日させられ、日本で生計を立てる外国人も増えていく。〈日本から外国へ〉および〈外国から日本へ〉──近代がもたらした二つのベクトルの移動は二十世紀後半のグローバル化にともなって一層活発となり、今日に至っている。
 何らかの理由で生まれ故郷を離れ、異国で暮らすようになった人たちのなかには、活字による表現活動を展開するものも少なくない。その際に、第一言語話者によって構成される言語空間の中にとどまるものもあれば、長い海外生活にともなって第一言語を離れ、第二言語として修得した外国語をもって表現活動を行うものもある。出身国を離れるという身体の越境とは別に、第一言語を離れるというもうひとつの、いわば言語の越境がここにある。
 いわゆる「日本文学」は、長きにわたり言語や国籍などから、日本語で書かれたもの、もしくは日本人によって書かれたものとして捉えられる傾向があった。しかし、近年は文学・文化を自国/他国と二項対立的に種別して考えるのが不可能であることが一般的に受け入れられ、「日本文学」の定義も再検討を迫られている。在日朝鮮人作家への関心は早くからあり、リービ英雄、楊逸、李琴峰といった現代作家の活躍も注目を浴びている。その一方で、日本以外の地域で、あるいは日本語以外の言語で活動した作家は、従来の日本文学研究という枠組みのなかで十分に検討されてきたとは言い難い。それゆえ、本企画では‟日本文学における越境"を双方向的に検討することを試みたい。
 〈出身国〉を離れ、また〈第一言語〉を離れた作家によって書かれた作品は近年、「越境」や「トランスボーダー」といった用語をもって語られることが多い。これらの作品では身体や言語の越境が一個人の実生活やそのアイデンティティをどのように解体し、またどのように再構築していくかという問題が、繰り返し取り上げられているように思われる。言い換えれば、「境を越える」ことによって、自分は何を喪失し、何を継続し、また何を獲得するか、越境する前の過去の自分と越境した現在の自分の関係を問いつづける、それがこれらの文学作品に通じる問題意識ではないだろうか。
 本特集では、〈越境〉という営為が日本近代文学において持った意味を、日本文学と世界文学という二つのパースペクティヴを取り入れつつ多角的に分析・考察を行う。そのためにも、従来主に注目されてきた日本・日本語へという方向性とは異なる、日本・日本語以外の地域・言語における活動を取り上げることも重要だろう。この検討は、地理的かつ言語的距離のためこれまで看過されがちであった一側面を新しく照らし出し、日本文学研究の新しい可能性をひらくだろう。