地域に埋没する木製文化遺産(岡田 靖)★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

pres-network_b.jpg

トップへ戻る

■本論のPDFはこちら。

■本書全体のepub/PDFはこちら。


地域に埋没する木製文化遺産
文●岡田 靖

1.地域に伝わる木製品

地域にはさまざまな木製の文化財が存在している。仏像、神像、仏具、祭具、工芸品、民具などが主だったものであるが、木造の建物や家具の他、部分的に木材が使用されているものまで含めれば多種多様である。豊富に木が得られる日本では、木材は最も身近に存在する素材であろう。

木材はその加工性の良さから、先史時代より使用されてきた。植物としての寿命はあるが、伐採された木材は耐久性も高く、環境条件さえ整えば数千年も耐える材料である。しかし、木材を破壊する要因もあり、それが木材腐朽菌やカビ、バクテリアなどの微生物と虫である。

木材腐朽菌は菌の種類によって食害される成分は異なるが、木材の主要成分であるセルロース、ヘミセルロース、リグニンを浸食、分解し、木材の構造体を破壊する。木材を餌とする虫は、シロアリ、キクイムシ、シバンムシ、カミキリムシなどが知られている。微生物や虫が繁殖すると、高い耐久性を持つ木製の文化財も形状を損なってしまうのである。

微生物や虫が繁殖する要因には、水、酸素、温度などが関係する。日本の気候はそれらが繁殖する条件を備えているため、木製品を長く伝承するためには木製品が置かれる環境に十分な配慮が必要である。生物被害以外の木製品の損傷としては、干割れ、折れ、打撲、複数部材で組み合わされた製品の分解、木部表面の加飾(彩色や漆塗膜など)の剝がれ、さまざまな汚れなどであるが、火災などによる焼損の被害もある。また、伐採されて乾燥が進んだ木材は、その木材が置かれている環境の温湿度に合わせて安定するが、多量の水分が加わったり、急激に乾燥が進んだりすると、木材は膨張または収縮し、割れや反りを引き起こすこともある。

2.木製品の修復と保存

損傷を受けた木製品は、物質的には修復によって形状を復することは可能である。分解した部材の再接着、欠損部の充填、腐朽した木材の材質強化、表面塗膜の剝落止め処置などが主な修復処置となるが、対象となる木製品の材質、構造などの状態や保管される環境などに応じて、使用する修復材料や方法を入念に検討しながら処置を行う。そのため、保存修復家には対象となる文化財を構成する材料の組成や使用する修復材料の化学的知識、適切に処置を実施するための修復技術などが必要となる。しかし、形状を大きく損なった文化財の修復は困難である。失った形状や部材の学術的根拠を示すことができれば復元的に補作することは可能ではあるが、それはあくまで想定的な復元であって、失った形状そのものを取り戻すことはできない。無論、火災や洪水などでそのものすべてを失った場合は、修復すらできないことは言うまでもない。

3.文化財の価値を考える

人びとのさまざまな営みによって生み出された文化財は、時代を経る中で各時代の人びとに大切にされ、現代にまで伝わってきた存在である。木製品にとって腐朽菌や虫が繁殖しやすい環境である日本においては、木製品を長期間健常な状態で保存伝承することは容易ではなく、頻発する地震や台風などの自然災害による被害も脅威となる。有史以来、日本では膨大な量の木製品が生産されてきたが、自然災害、戦乱、日常的な保管の不備などの原因によって失われ、現代にまで伝わったモノはその一部でしかない。もちろん、今までに生産されたすべての木製品が伝承されるわけではなく、人びとにとって不要となったモノ、生産された時の役割を失ったモノなどは、廃棄処分されて、自然に淘汰されることもあるだろう。

幾多の損失の危機や自然淘汰をまぬがれ、長い時を経てもその価値を失わずに、逆に時を経たことによって価値を得た木製品たちは、歴史文化を伝える存在としての文化財として価値づけられる。そのような文化財を保存、伝承していくことは、物質的に形状を修復、保存するだけでなく、文化財が経てきた時間と歴史や、文化財に込められた人びとの想いをも含めた価値とともに、後世に伝えていくことが重要となるのである。

文化財の価値とは普遍的なものではなく、また常に客観的に評価できるものでもない。日本の文化財保護制度は、歴史的、芸術的、資料的な価値が認められた対象について、優先的に指定して保護する制度であるが、指定を受けていないものは文化財ではないというわけではない。未指定の文化財は、文化財保護制度からみれば今後指定を受ける予備群であるともいえるが、見方を変えれば、そのモノに価値を認め大切にする人びとがいれば、それらはすべて文化財となるのである。逆に、そのモノに価値を見出す人がいなくなれば、そのモノは自然と失われていく存在となる。

では我々は、何を残し、伝えていくべきなのであろうか。時代が大きく変容している近現代において、文化財の価値を考えることはきわめて重要な課題である。特に日本社会においては、少子高齢化が進み、地方では過疎化が深刻な問題となっており、人びとのモノへの関心も大きく変化している。人びとの関心が離れたモノは、その状態を気にされることもなく、微生物や虫による食害が進んだり、部材の脱落や崩壊が進行したりする。そうなると、さらにモノへの関心が失われ、廃棄、消滅へとつながることになる。そしてモノが失われることで、そのモノが持っていた歴史、文化、資料的な情報なども同時に失われてしまうのである。

地域に残る未指定の文化財を修復、保存していくためには、人びとの関心の喚起が最も重要となる。それとともに費用的な問題も看過できない。指定された文化財は、修復を行うための費用的な援助が受けられるが、未指定の文化財にはそれがない。行政機関や企業、財団法人などから修復のための補助金が得られる助成制度もあるが、その取得も容易ではない。そのため、修復費用の捻出は、所有者らが負担することが主である。

文化財的価値を損ねないように、適切な処置を実施する修復作業には、多くの労力と時間がかかる。手間がかかれば費用も掛かり、その額は決して安くはない。ただ、モノの価値をとどめるためには、修復だけがその手段ではない。モノが壊れる要因を抑制し、現状を維持するために必要な最低限の処置を実施することで、より多くの文化財を保護することもできるのである。

4.地域文化財の保護活動

山形県のある行屋の事例
山形県のある地域における事例を紹介したい。山形には出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)を中心とした聖地があり、江戸時代には東日本全域から参詣者が訪れ、西の熊野信仰と並ぶ修験道の信仰地として隆盛を極めた。しかし、神仏習合の信仰形態を持つ修験道は、明治政府による神仏分離の方針を受けて大きな影響を被ることとなり、信仰の衰退を余儀なくされた。明治政府から発出された神仏分離令は、神仏混交の信仰をもつ修験道や神宮寺などの寺院を中心に仏像を破棄する廃仏毀釈を引き起こし、全国で多くの仏像が破壊、棄却された。その反動から、古来より伝承する仏像や神像を保護するための活動が始まったのであるが、信仰としても神仏分離の影響が収まったころより復興が進むようになる。

その修験道に関する信仰の場として1877年(明治10)に建立された山形県のこの行屋は、出羽三山信仰に関する多くの仏像を祀り、周辺地域の信仰者の拠点となった。しかし、1930年(昭和5)に行屋の住職がいなくなると、その管理は周辺住民が担うこととなり、時代の移り変わりとともに訪れる人もまばらになっていった。

その行屋の本堂に祀られる仏像は、明治期の造像とはいえ、山形の地元仏師が手掛けた貴重な仏像群である。また別棟の土蔵には、神仏分離の際に出羽三山信仰の別当寺から散逸した江戸時代以前の仏像が安置されている。それらの数体は町の文化財指定を受けており、一部には知られた存在ではあったが、住職がいない行屋では、年間を通じて堂の扉は閉められたままとなっていた。
我々が行屋に初めて訪れた時に目にしたのは、仏像が安置された須弥壇の上を横切るネズミであった。須弥壇には30体近くの仏像が祀られていたが、その数体が倒れ、壇上には天井から落ちてきた藁や木くずが降り積もり、そこに仏像から脱落した腕や光背などの部材が混じりこんでいた[❶・❷]。虫や微生物の繁殖も発生し、一部の仏像は虫によって食害が進行している最中であった[❸]。1年に一度は管理者である地域の住民らによって掃除が行われていたが、須弥壇の上は宗教者ではない彼らには掃除がしづらかったのであろう。全国的な例にもれず高齢化が進むこの地域では、管理者らは高齢者であり、宗教的機能を失った行屋の管理は、先代から受け継いだ財産として大切に思う気持ちはあっても、管理者らにとって大きな負担となっていた。

そのような状況の中、我々保存修復者たちが着手したのは、堂内の清掃であった。まずは須弥壇上から仏像を移動し、堆積した塵の中から仏像の部材を取り分けた[❹]。藁や木くずなどの塵が天井から落ちてきていることを突き止め、天井裏をのぞくと、そこにはハクビシンの糞が山積していた。かなり長い間、屋根裏にハクビシンが住み着いていたのであろう。厳重な装備をして屋根裏へと上がり、山積していた糞と藁や木くずを除去して、塵のもとを断った[❺]。塵の中から取り出した仏像から脱落した部材は、現場で再接着を行った。足枘がなくなっていたものは、新たに枘を補ってすべての仏像を自立させ、塵一つない須弥壇上に再び安置した[❻]。また、地域の住民らによって、ハクビシンの進入路と思われる堂の外壁に空いた穴がふさがれた。それらの活動によって、堂内は健全な状態となり、文化財を保存するための最低限の環境を整えることができた。

図1-6.jpg

我々がここで行ったのは、文化財を損傷させる原因を抑制する予防的保存活動(プリベンティブ・コンサベーション)である。とはいえ、博物館で行うような完璧な調整ができるわけではない。鬱蒼とした森林に囲まれ、近くに池もある木造のお堂において、理想的な温湿度の調整は不可能であるし、虫や微生物の被害を完全に抑えることも難しい。しかし、堂内を清掃することで、その後の虫や微生物の被害にいち早く気づくことができるようになった。また、定期的に堂の扉を開けて換気を行うだけで、木製文化財に悪影響を与える湿度がたまるのを避けることもできる。また、仏像が倒れ仏像の部材が脱落した様子は、荒廃している印象を人びとに与え、関心はさらに離れていくであろう。仏像が健全な状態で整然と安置された須弥壇上の様子は、創建時に意図された荘厳な情景を感じさせ、おのずと保存、伝承への意識を高める効果を持つ。何よりも大切なことは、所有者、管理者らが対象となる文化財に意義を持ち、日常的に気に掛ける体制を構築することにある。

このような活動の実践には、保存環境などを的確に把握し、状況に適した保存、修復を実施することが重要である。そして、継続的、持続的に文化財を保存、伝承していくためには、管理者はもとより、地域住民らへの理解を求め、文化財を伝えていくためのコミュニティーを構築していくことが要となる。

ここで紹介したような事例は決して特殊な例ではなく、少子高齢化や過疎化が進む現代日本において、全国各地で見られる状況なのである。そして、全国に無数に存在する未指定文化財たちが、人知れず消失の危機に直面しているのである。

5.地域文化遺産保護のこれから

文化財が損なわれていく最も大きな要因は人びとの無関心である。モノが壊れていく要因を断ち、環境を整えていく努力が、モノを保存、伝承していくためには最も効果的であり、そのためには、守り引き継ぐ人びとがモノの価値を知り、モノに対して関心を持つことが重要となる。

しかし、ひとたび地震や洪水などの災害が発生すると、広域で多くの文化的資料が被災するという事態が起きる。その際、指定されている文化財は行政機関によって管理されているため、被害状況を把握することもできるが、未指定文化財はその限りではない。そのため、災害が発生すると、何が被害にあったのかを把握することすら困難な状況が発生するのである。

阪神・淡路大震災を機に、そのような災害時の文化財レスキューの必要性が高まり、文化庁を中心に災害対策の動きが活発化している。また、全国各地で、大学機関や研究機関の専門家らの有志による防災や災害時の文化財レスキューに備えた組織も設立されている。全国には、その価値が見出されないままに埋没している未指定の文化財が膨大に存在している。それらの価値を検証し、状態や所在を把握することは、災害時にも重要な情報になることは言うまでもないが、それらの文化財の平常時における日常的な管理体制を構築することができれば、予防的な保存においても効果を発するであろう。

指定を受けている文化財や博物館や資料館などに収蔵されている文化財を保存伝承していくことはもちろん重要である。しかし、全国のさまざまな地域に存在する未指定文化財をも含めた文化財の存在が、日本の歴史文化を正確に伝えるためには不可欠であり、それらの未指定文化財への保護、保存、伝承が現代における大きな課題となっている。地域の文化財保護における状況は、社会的な少子高齢化や過疎化の問題を抱え、気候変動による自然災害が頻発する今、新たな局面を迎えようとしている。

文化財保存修復者には、適切な保存修復処置を実施するための科学的知識、技法材料や表現様式への理解に必要な美術史的知識、微細な損傷個所へ的確に介入するための技術などが求められる。また同時に、地域社会と連携した保護活動の展開や文化財保護に関する情報の発信など、マネジメントやコーディネートの技能も必要となるであろう。教科書ではわからない多種多様な状況が生じている地域の現場において、それぞれの問題を直視し、柔軟かつ適切に活動していくことが保存修復者に求められているのである。

☞ さらに深く知りたいときは

①京都造形芸術大学編『文化財のための保存科学入門』飛鳥企画、2002年
保存科学の歴史、文化財の素材と技法や環境についての自然科学的な概説、伝世品と埋蔵文化財を分野ごとに分けて保存修復の実践について実例をふまえて概説した保存科学、文化財保存修復についての入門書。

②立正大学仏教学部監修、立正大学仏教文化財修復研究室・実習室 秋田貴廣編『文化財保存学入門 感じとる智慧 繋がる記憶』丸善出版、2012年
文化財の保存修復に関する概念、理論、実践について、景観、日本画、保存科学、東西の文化財理念の比較、油彩画、漆工品、博物館、世界遺産などに分けて概説した文化財保存学の入門書。

③岡田靖・宮本晶朗「展覧会およびその調査から展開する地域文化遺産の保護活動─白鷹町塩田行屋の仏像(町指定文化財および新海宗慶・竹太郎作の明治期諸像)を事例として─」『平成23年度 東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター紀要No.2』東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター、2012年 
筆者による研究論文。地域の文化施設での展示企画を発端とし、地域に埋没する文化財の調査研究を通じて再評価と、地域の保存現場においていかに文化財を保護していくかについて実践した地域文化遺産の保護活動に関する研究。

④『文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業 複合的保存修復活動による地域文化遺産保護と地域文化力の向上システムの研究 研究成果報告書』東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター、2015年
筆者らが実施した総合的な地域文化遺産保護の研究についてまとめた報告書。山形県の3町をフィールドとした彫刻(仏像)、絵画(日本画・油彩画)、建築などを対象に実施した悉皆的な調査結果に基づき、その価値を複合的に考察することで地域文化遺産の価値を再評価し、地域現場で文化遺産を保護していくための実際的な方策を実施した研究。

⑤石崎武志・米村祥央・岡田靖・大山龍顕・森田早織・大場詩野子・石井紀子『地域文化遺産日常管理マニュアル』東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター、2015年
前掲の「複合的保存修復活動による地域文化遺産保護と地域文化力の向上システムの研究」における地域文化遺産活動をふまえ、文化遺産を管理する管理者、所有者に向けた地域文化遺産を日常的に管理していくためのマニュアル。保存修復の専門的な実践方法ではなく、一般の方が文化財を管理していくための注意点について解説。