古文書(記録資料)(加藤明恵)★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

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古文書(記録資料)
文●加藤明恵

はじめに

「古文書」とは、歴史学・古文書学において厳密に捉える場合、特定の他者に対する意思伝達のために作成された文字史料を指す〔佐藤進一1997〕。しかし江戸時代以降、膨大な文書が作成されるに従い、このような「古文書」の類型に合致しない文字史料も数多く見いだされるようになる。そのため、「古文書」の範疇をより広く捉え、意思伝達が完了したり、作成当初の目的を果たした文字史料一般と考えることも多く、本章でもこの立場をとる。このような古文書は全国各地に伝来しており、博物館や文書館といった施設に収蔵されるものだけでなく、一般の個人宅や寺社、住民団体、企業などに数多くの古文書が伝えられている。

古文書は地域の歴史や成り立ちを今に伝えるものであり、地域のアイデンティティーを形づくる基本的な存在である。しかしながら、これらの古文書は所蔵者の代替わり、家屋の建て替えや引っ越し、大掃除等を契機として日常的に廃棄の危機にあり、ひとたび災害が起これば、古文書滅失の危険性はことさらに増す。自治体史の編纂など大規模な調査が行われた古文書であっても、年月の経過により廃棄や所在不明となってしまう事例が報告されており〔西向2017〕、地域の歴史資料としてどのように保存・継承していくかは全国的な課題でもある。

地域のなかで伝来してきた古文書といかに向き合い、継承に向けた取り組みを進めていく必要があるのか。本章では、地域の古文書を対象に、古文書が作成され残されてきた背景や、古文書からわかる地域の姿を紹介し、古文書の整理や活用方法について述べる。

1.古文書の伝来

古文書はどこにあるのか
古文書の残され方は、各地域の行政・地域運営の歴史的なあり方が反映される。

江戸時代は、古代・中世とは比較にならないほど多量の文書が作成された。家の経営のために帳簿が作成されたり、金融・土地売買・小作などの各種契約では証文が作成されたりするなど、自らの利益・権益を守るために、文書の作成・授受は必要不可欠であった。また、人びとは日々の記録を日記として残し、手紙を介して互いの様子を伝え合い、文化的な活動を展開した。さらに、幕府や藩では領内を統治するための制度が整備され、意思決定や諸業務の過程で膨大な文書が作成された。村・町は領主との上意下達を文書により行い、領主から発された年貢関係文書や訴訟の裁許状などは、村・町にとって自らの存在や生活・生産の根拠として利用された〔大藤2003・冨善2017など〕。政治・経済的な側面から日常生活まで、江戸時代は、社会関係自体が文書化された、文書主義の社会であった〔保立2003〕。

江戸時代の古文書であれば、庄屋・名主といった村役人、町年寄といった町役人を務めていたような旧家に残されていることが多い。江戸時代では、領主は個人を直接に掌握するのではなく、村・町を単位として年貢納入や法令の周知などの行政を請け負わせ(村請制)、町村役人は領主と町人・村人との結節点となったためである。また、地主や商家など、経営規模の大きな家にも多量の古文書が残されている[❶]。

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❶旧家に残る文書箪笥。「大庄屋書類入 古刀少々入り」、「年々法事 諸事控帳」、「安産諸事 控帳入」、「証文箱。登記書箱。酒株書附。其他在中」、「棚卸帳。株券。祝事帳入。」と張紙がなされ、家にとって重要な文書が収納された箪笥であることがうかがえる。

近代以降、村請制の解体や商工業の発達によって、個人の家でさらに文書が作成された。一方で、近代の地方行政に関する文書も個人宅に残される状況が生じた。特に戸籍作成担当の役職として戸籍区に設置された戸長宅には、戸長役場から町村役場に引き継がれなかった近代行政文書が、同じく引き継がれなかった江戸時代の庄屋文書とともに残された。また、これらの古文書は戸長宅だけでなく、江戸時代の村単位を引きつぐ大字・区で残されることになった〔丑木2005〕。地区会館・公民館などに江戸時代以来の村の古文書が残されていることには、このような歴史的背景がある[❷]。

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❷公民館にある区有文書を収めるロッカー。江戸時代から現代までの文書が収納されていた。中の文書は水害によって水損してしまい、乾燥作業が行われた。

文書の作成目的に応じて、水利組合・農業組合・漁業組合・土地改良区などの各種団体によって管理・保管される古文書も存在している。

以上のような歴史的背景から、日本の地域社会では個人宅や地域住民の団体で膨大な量の古文書が作成・保管されてきた。いまだ「発見」されていない個人宅等に眠る古文書は数多くあると考えられる。

古文書からわかること
では、実際に地域に残された古文書から何がわかるのか、旧摂津国莵原郡住吉村(現神戸市東灘区住吉地区)[❸]の横田家文書を具体例としてみていく。横田家は本住吉神社の宮司であり、江戸時代には庄屋を務めたこともある家である。神社関係の古文書はすでに『本住吉神社資料集』(宮司 横田正紀編、1980年)として翻刻されており、村落運営に関する江戸時代の古文書(横田家文書〈村方〉。246点)も横田家によって一度整理がなされ、大切に保管されてきた。

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❸住吉村の絵図(神戸大学文学部所蔵御影村文書)。村の東側を住吉川が流れる。南は海に面し、北側に六甲山が広がる。村の中心部に描かれた鳥居が本住吉神社(現在のJR住吉駅付近)。

住吉地区は、1938年(昭和13)の阪神大水害や1945年(昭和20)の空襲、1995年(平成7)の阪神・淡路大震災と、大規模な災害にみまわれてきた。そのため、地域に残る前近代以来の古文書はほとんど残されていないと言われている。昭和初期に編集が開始され1946年(昭和21)に住吉村が発行した谷田盛太郎編著『住吉村誌』では、旧住吉村に関する多くの江戸時代の古文書が引用されているが、利用された多くの史料は空襲により焼失してしまった。このような状況のなかで現在に伝えられた横田家文書は、江戸時代の住吉村の様子を伝える貴重な歴史資料である。

江戸時代の村方文書は、年貢関係文書や住民把握のための文書、村の権利の根拠となる訴訟関係文書を始め、さまざまな文書が作成・保管されて引き継がれてきた〔西村2019〕。横田家文書(村方)も、検地帳、村入用勘定帳面、周辺村々との訴訟に関係する文書が豊富である。中でも、訴訟関係文書からは江戸時代の住吉村の生業や自然環境を知ることができる。ここでは、一つの古文書からその具体像をみてみよう。

1764年(明和元)の「恐れながら書付を以て御願い申し上げ候」[❹](読み下し文に改めた。以下同)には、住吉村が六甲山において行ってきた「石稼ぎ」によって、用水路に土砂が流出して田地に流れ込み、農業生産に支障をきたしていると周辺村落から訴えられていることが記されている。住吉村の「石稼ぎ」とは、村内の荒神山などで採石される花崗岩、すなわち御影石の切り出しである。訴えられた住吉村は、住吉村も同じ用水を利用しているが土砂の流出は見られず、六甲山麓を流れる川では、山中での採石の有無にかかわらず降雨時には土砂が流出していること、すなわち、たとえ土砂の流出があったとしても石稼ぎの影響ではないことを主張している。急峻な六甲山から流れ出る川は急流となり、土砂の流出が起こりやすいという自然条件のもと、御影石の切り出しという住吉村独自の生業と、周辺村々の農業生産との利害対立が生じていたことがうかがえる。

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❹住吉村横田家文書(村方)の「乍恐以書付奉御願申上候」の冒頭部分。

住吉村が提出したこの願書の趣旨は、「石稼ぎ」を以後も継続したいという点にあるが、「石稼ぎ」が住吉村にとって不可欠な産業である理由として、住吉村が間の宿であることをあげている。間の宿とは、宿場と宿場の間にあって、休憩のための茶屋営業や荷物の継ぎ送りを行った村のことである。住吉村には西国街道が通り、幕府や諸藩の公的な通行のために、無賃か安い賃銭で荷物の継ぎ送りを行わなければならず、経済的な負担が生じた。間の宿としての御用を問題なく務めるためには、これによる経済的圧迫を補う産業である石稼ぎが必要とされていたことが、住吉村の主張からうかがえる。また、牛車による石の運送業者も含む、石稼ぎに従事する人びとはその日暮らしの者であり、石稼ぎができなくなれば、多くの村人が困窮に陥ると述べている。加えて、住吉川を挟んで住吉村の東側に位置する野寄村にも採石場ができたことで損失が生じていたことが記される。

住吉村がこのような願書を作成し石稼ぎの継続を求めた背景には、新たな競争相手が出現するなかで、石稼ぎに従事する人びとが経済的に不安定な立場にあり、年貢上納に加えて街道での人や荷物の継ぎ送りを務めなければならないという負担が存在した。

住吉村における石稼ぎは、周辺地域の自然環境や農業用水の利用を損ねる可能性をもったが、住吉村は近隣河川の状況の比較に加え、石稼ぎを休業した場合に間の宿としての公的役割を務めることや年貢上納に差し支えることを理由にして、自村の権益を維持しようと努めた。住吉村の古文書からは、周囲の村々と生業をめぐる利害関係の不一致を生じさせたとき、自村や周辺村落がおかれたさまざまな自然環境や社会構造を把握し、文書の作成によりその特徴を記して主張の根拠としたことがわかる。そして、こうした文書から地域の人びとの生業・生活のありようを明らかにすることができる。

2.古文書の整理と活用

古文書の調査と整理
古文書の内容を把握して伝えていくためには、調査・整理が欠かせない。どのような古文書がどこにどれだけあるのか、という情報を記録し把握しておくことが重要である。

古文書の調査・整理をする際、最初に文書の保管状況の現状を記録する。古文書は1点ごとにバラバラの状態で伝来することもあるが、多くは箱・長持等の容器に収納され、こより・紐や封筒・袋により複数点がまとめられた状態で残されている[❺]。出所を同じくする文書群は、それを作成した家・団体等組織の機構と機能を反映した体系的な構造を有しており、古文書のまとまりのあり方は文書群の構造を解明する大きな手がかりとなる。例えば、ある家に伝来した文書群では、庄屋勤務、酒造業、地主経営など、家の諸機能・目的ごとに文書が作成され、各機構・機能の中でもさらに文書の作成者や作成目的に応じて文書のまとまりは細分化・一連化する。古文書の性格・本質を明らかにするためには、文書群の体系的構造の中に個々の古文書を位置づけることが必要であり、文書群の体系的構造を明らかにする上では現状記録が欠かせないのである〔安藤1998〕。さらにフィールドワークの方法の立場から、調査時点での古文書の保存状態=現状それ自体の体系的構造を分析する手がかりとし、後の調査者へ向けた調査記録とする必要性〔吉田2015〕や、古文書所蔵者のもともとの管理情報の記録のため〔西村2013〕という議論がなされている。

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❺古文書の入った引出。袋入りの古文書や、袋を紐で束ねている様子がわかる。古文書を整理する際には、このようなまとまりをきちんと記録する。ちなみに、「下-2-2」という番号カードは、「下の蔵-2階-2番の引出」を意味している。

実際の現状記録の方法としては、蔵・家屋内における長持・木箱等の古文書保管容器の配置場所を記録し、その後古文書保管容器内の古文書の配置・配列を記録する。これらの記録は建物内部・保管容器内部の写真撮影に加えて、スケッチによる文字情報も含めた記録を取ることが望ましい[❻]。保管容器内部の古文書の配置・配列については、まとまった古文書を取り上げるごとに容器内部の写真やビデオを撮影し、取り上げ順に古文書の概要を記録する。緊急の調査で時間や人員が限られる場合は、少なくとも写真撮影での記録を行う。

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❻蔵の内部の現状記録。2階の全景(真上から見た図)を記録している。このほか、蔵の東西南北の壁面、中央部などの記録を作成していく。

現状記録・概要調査が作成できたら、古文書1点ごとの細目録を採録する。この際も古文書のまとまりや配列を記録し、現状を崩す場合にも元あった状態を復元できるようにする。1970年代頃までは、記載内容によるテーマ別分類(例えばA支配、B土地、C貢租......)、年代別分類、形態別分類など、古文書のまとまりをほとんど無視した整理がなされていた。しかしこのような整理方法では、古文書群の体系的構造の復元だけでなく、本来の古文書のまとまり・配列から推測できたはずの無年号文書の年代や、性格のわかりにくい断簡の位置づけを不可能にしてしまう。

細目録の作成は、古文書の情報検索を可能にし、また、いつ・どこで・誰が・どのような目的で作成した文書であるかを把握し文書群の全体構造を理解することに主眼をおいている。このため、まずは古文書1点ごとに文書番号を与え、表題(古文書のタイトル)・年月日・数量・形態・差出(作成者)・宛名を採録することが必要であろう。このほか備考欄によって古文書の状態や特記事項を記す[❼]。実際の古文書の管理や利用に際しては、番号・表題・年代を採録して目録と古文書原本とを対応させられるようにする。また、古文書を写真撮影して内容分析を行うという目的だけでなく[❽]、文書群全点の写真撮影を細目録作成よりも優先し、内容情報の保全を進める調査方法も実施されている〔佐藤大介2014〕。

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❼通常の古文書整理で用いる目録カードの一例。住民参加ver.[❾]と比べると簡素。もっとも、近年は作業効率を重視して手書き目録ではなくパソコンに直接入力することが多い。

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❽農業会館の広間で水利組合文書の整理・調査を行っている様子。目録の作成と写真撮影を並行して実施した。溜池・用水路の普請や利用・維持に関する近現代文書が豊富で、地域での水の利用の様相が明らかとなった。

実際の古文書の調査・整理は、その目的や時間・人手等の条件によって方法が大きく異なる。作業に従事するメンバーで調査方針をしっかりと共有し、所蔵者にも丁寧に説明しながら調査・整理を進めていきたい。

古文書をとおした地域での交流
上記のような古文書の整理は、研究者のみならず地域住民によっても行われている〔越佐歴史資料調査会2003・井上2017など〕[❾・❿]。自然災害が多発する近年では、被災した古文書のクリーニングや整理作業が地域住民と連携して行われることもあるが、住民が主体的に参加して整理した古文書であれば、保存や継承に向けた意識も高まりやすく、並行して地域の歴史文化を知るきっかけにもなるだろう。

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❾住民参加の古文書整理会で使用している目録カードの一例(井上舞作成)。選択式の欄もあり、注意書きもカードの中に書き込まれている。また、備考欄②は自由度が高く、地域住民が目録を読んでより興味を持てるような工夫がなされている。

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❿地域住民による古文書の目録作成の様子。整理している古文書は神戸大学が古書店から購入したものであるが、その地域の庄屋に務めた家にかかわる古文書で、「里帰り」させて整理を行った。

襖の下張文書はがし作業も、地域住民が主体となって行う古文書整理活動の一つとして注目される。襖や屛風を製作する際、骨組みとなる木枠部分と襖の本紙との間には、補強のための紙が貼られている。下張りと呼ばれるこれらの部分には主に不要となった古紙が用いられることが多く、古い時代に作成された襖や屛風には、江戸時代以来の古文書が下張りとして使用されていることがある[⓫]。下張り文書はがし作業では、家屋の解体などで不要とされた襖などから下張りに使用された古文書を取り出し、整理を行う。下張りとして使用される過程で1通の古文書が切断されることもあるため、こうした作業では解体する過程を記録しながら取り出した古文書の復元をおこなっていく。下張り文書は、襖や屛風が制作された段階で不要と判断された古文書が使用されるが、はがし作業を通して見いだされた古文書からは、大事に伝え残された古文書とは違った地域の姿を垣間見ることもあり、通常の整理作業とは異なる歴史とふれあう機会となっている。

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⓫襖の下張り文書(ラベルを貼った状態)。

地域住民自身が古文書を読み解くことも、古文書講座や古文書の整理作業とともに行われてきた。多くの古文書はくずし字で書かれていることから、古文書を継承する際の課題として、読み解くために相応の訓練を要することがあげられる。くずし字の読解能力を身につけるための講座は全国各地で開催されており、古文書を実際に読んでみたいと思った人びとの窓口になっている。参加者同士で地域の古文書の解読・解釈について意見を交わし、講座の開催を通じて古文書からわかる地域の歴史像を蓄積している。

古文書調査の成果を地域に伝えるために、現地で調査報告会や展示会も開催されている。報告会などの開催は新たな地域との交流となり得る。例えば、古文書に記載される情報を通した交流である。当然のことながら、地域で生活する人びとはその地域の情報を多く蓄積している。そのため、古文書に登場する地名や人物名の読み方や関連する情報が報告会などをきっかけとして判明することがある。また、古文書に記載される内容が必ずしも地域で語り継がれる伝承や経験と合致するとは限らない。そこで、地域で報告会を開催するなかで古文書の情報と伝承との相違点を話し合うことで、文字情報として伝来する歴史像と地域の記憶との交流を図ることができる。また、調査報告会の場では、新たな古文書の存在を参加者から伝えられることもある。

古文書の保存継承を目指すなかで、そもそも地域にとって大切な古文書とはいかなる史料なのか、という認識が地域住民と研究者とで異なることがある。指定文化財や博物館等に収められている歴史資料だけでなく、地域の歴史を伝える古文書が意外と身近に存在することや、地域の古文書から豊かな歴史が描けるということを参加者皆で共有できる場としても、調査報告会や展示会は大きな意味をもつ。

おわりに

古文書は、地域での出来事や決まり事、個人・家や組織の考えや活動など、人びとの営みを文字情報によって今に伝え、地域や家等の成り立ちを知るために必要不可欠な歴史資料である。古文書の調査・整理作業や報告会などを継続的に実施し、地域の歴史のおもしろさと、地域の歴史を語ってくれる古文書の重要性を地域の中で共有することが、地域の古文書を永く継承していくための足がかりとなるであろう。古文書を通じた地域の歴史文化の発見・共有をいっそうすすめていく必要がある。

参考文献
安藤正人『記録史料学と現代』吉川弘文館、1998年
井上舞「石川家文書をとりまく〈場〉─朝来市生野町の取り組みから」『LINK:地域・大学・文化』9、神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター、2017年
丑木幸男『戸長役場史料の研究』岩田書院、2005年
越佐歴史資料調査会編『地域と歩む史料保存活動』岩田書院、2003年
大藤修「近世の組織体と記録」、国文学研究資料館史料館編『アーカイブズの科学』上、柏書房、2003年
佐藤進一『新版古文書学入門』法政大学出版局、1997年
佐藤大介「「宮城方式」での保全活動・一〇年の軌跡─技法と組織に見る成果と課題」、奥村弘編『歴史文化を大災害から守る─地域歴史資料学の構築』東京大学出版会、2014年
冨善一敏『近世村方文書の管理と筆耕─民間文書社会の担い手─』校倉書房、2017年
西向宏介「地域史料所在調査と自治体文書館の役割─広島県の事例をもとに─」、国文学研究資料館編『社会変容と民間アーカイブズ』勉誠出版、2017年
西村慎太郎「概要調査・現状記録再考─民間所在資料保存のために─」『国文学研究資料館紀要』9、2013年
西村慎太郎「近世村方文書の保存と管理」、佐藤孝之・三村昌司編『近世・近現代 文書の保存・管理の歴史』勉誠出版、2019年
保立道久「情報と記憶」、国文学研究資料館史料館編『アーカイブズの科学』上、柏書房、2003年
吉田伸之「現状記録論をめぐって」、同著『地域史の方法と実践』校倉書房、2015年、初出1993年

☞ さらに深く知りたいときは

①網野善彦『古文書返却の旅─戦後史学史の一齣』中央公論新社、1999年
筆者が全国各地で借用・調査した古文書について、所蔵者への返却の経緯とともに、古文書から新たに明らかになった地域の歴史に加え、大きく変貌する地域の景観なども記す一般書。古文書所蔵者との信頼関係の構築がいかに重要か考えさせられる。

②越佐歴史資料調査会編『地域と歩む史料保存活動』岩田書院、2003年
民間ボランティアの「越佐歴史資料調査会」が新潟県安塚町で行った活動の紹介。所蔵者・地域のために古文書を保存するため、住民とともに現地で調査し活用するという基本理念をかかげる同会の活動からは、多くを学ぶことができる。

③佐藤孝之編『古文書の語る地方史』発行:天野出版工房、発売:吉川弘文館、2010年
村方文書を中心に、1点の古文書から地域の歴史を叙述する。じっくりと古文書を読んでみたい人向けのやや専門的な内容。古文書の写真と翻刻文が掲載され、実物の古文書が持つ雰囲気に触れることができる。

④白水智『古文書はいかに歴史を描くのか─フィールドワークがつなぐ過去と未来』NHK出版、2015年
歴史研究を通じた地域社会での実践を積み重ねてきた筆者による、フィールドワークの可能性が可能性が広がる一冊(一般書)。長野県北部地震で被災した長野県栄村での実践は理想的とすらいえる。また、史料調査・整理の方法についても丁寧に記述がなされている。

⑤国文学研究資料館編『社会変容と民間アーカイブズ─地域の持続へ向けて』勉誠出版、2017年
「日本のアーカイブズの存在形態を大きく特色づけてきた民間アーカイブズ」(本書「序」)が大きな社会変動によって散逸・滅失の危機にある状況のもと、家・各個人・民間団体が作成・授受・蓄積してきた記録群の保存・活用をめぐる諸制度や各地での実践に関する研究成果を収録した専門書。