アルバイト日誌「自分と他者」(2022.2.24、れい)

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

 出勤の曜日の関係で日誌の間隔が空いてしまいました。お久しぶりです、れいです。

 年度内のこと(試験や手続き等)が無事に終わり、先日春休みを迎えました。春休みはアルバイトと習い事と諸々の用事という充実したスケジュールを過ごしていますが、体が鈍ったことを実感しています...。さて、今日のアルバイト日誌は、ここ数日ふと考えたことを記していきたいと思います。

 私の文章はややもすると抽象的になりやすいという点があるのですが、最近特に抽象的と感じるのは「普通」という言葉です。「普通」は最も日常的に用いられるのにも関わらず、具体的ではなく、人によって見方の変わる概念だと思います。

 年末、友人とクリスマスについて話した時のことです。その友人のところには、サンタさんが今も来るとのことで、○○をもらったという話になりました。その際、私は「今もサンタさんは来るのね」と返したところ、「来ないの!?」驚かれた上、なぜねだらないのかと言われました。私の家では、中学生でサンタは終了だったので、ねだるという発想もなかったのです。

 大学生でサンタさんが来るのは少数派だと思いますが、そんな(ある意味)どうでも良い話から、その友人にとっての「普通」と私の「普通」は違うのだと分かりました。特に家庭の中でのことは、その人のアイデンティティとなり、日常、「普通」になりやすいのだと思います。そのようなことは他者と比較しないのが一番ですが、私たちは普段の会話の中で自然とそれを主張しあってしまっているのかもしれません。

 だからといって自分の考え方や価値観を消すことはできませんし、それを失っては自分の軸がない人間になるはずです。大切なのは、その価値観を持ちつつも、人に押し付けない、自分の持っている眼に頼りすぎないということではないでしょうか。それぞれの環境は想像以上に異なるため、人と関わる上でそれを心に留めておかなければいけないと思っています。コロナ禍が長引く中で、人と人との結びつきも変化していますが、どんな環境下でも(冷たい付き合いということではなく)自分と他者を同化しないようにしたいですね。