【連載】vol.7「誠心堂書店(神保町)」 - 現役大学生が有り余る行動力で和本に触れてみた件ーー和本探しに出かけてみよう!ーー #和本有り

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

wahonari_bn.jpg
コーナートップへ

vol.7「誠心堂書店(神保町)」


和本が好きないち大学生が、
どこに行けば和本を見て、触れるのか?
どこに行けば和本を買うことができるのか?
小中高生・大学学部生向けに伝えるべく、はじめた連載、
第7回は誠心堂書店です。

有限会社 誠心堂書店
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-24
TEL: 03-3262-5947
FAX: 03-3238-9445

ホームページ: http://seishindo.jimbou.net/
営業時間 10:00-18:00

最寄り駅:神保町駅(東京メトロ半蔵門線、都営地下鉄新宿線、都営地下鉄三田線) A4出口3分
定休日 日曜・祝祭日

wahonari07_漫画1ページ目.png
wahonari07_漫画2ページ目.png
wahonari07_漫画3ページ目.png
wahonari07_漫画4ページ目.png

インタビュー

──誠心堂書店の橋口侯之介さんにお話をうかがいました!

ゴン:初めまして。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

橋口さん:よろしくお願いします。


■お店について

ゴン:お店についてご紹介いただけますか。

橋口さん:誠心堂書店の先代(初代)は田中十蔵という人で、私の家内のお父さんです。で、私がお婿さんで、二代目です。

ゴン:古本屋さんになろうとされたのはご結婚される前からでしょうか。

橋口さん:いや、ぜんぜん。でも、本は好きだったので、学生の頃に出版社でアルバイトをしていました。歴史系の本を出しているところです。そこに女房がいて知り合いました。その後は試験を受けて産経新聞の出版局に入りました。やりがいのある面白い仕事もしたけれど、あまりやりたくない仕事もあったので、3、4年ほど勤めたあとに、考えてみたら奥さんの実家がよい本を扱っていたし、跡継ぎもいないということでしたので、私が後を継ぐことに決まったんだよね。

ゴン:お店は昭和35年にできたと聞きました。第二次世界大戦の時に空襲で焼失してしまったと聞いたのですが、お店の場所はずっと同じなのでしょうか。

橋口さん:そう、場所はずっとここですね。

wahonari07_写真1.jpg
写真1 誠心堂書店の看板

ゴン:私は青山大学に入学する前に、面接のために来日した時に誠心堂書店に来たことがあったのですが、本が一冊一冊大事に並んでいるのがとてもよかったです。

橋口さん:こんなふうに本を並べているお店は、神田ではほかにあまりないんじゃないですかね。

wahonari07_写真2.jpg
写真2 誠心堂書店に入店すると左右に本がたくさん並べられている

ゴン:そうですね。誠心堂書店はお値段が見えないようになっているので、とにかく和本に先にさわって、めくってみて、そしてお値段を見て「あっ......」となって、そっと閉じます......。

橋口さん:フフフ、そうそう(笑)。

ゴン:橋口さんは中学生、高校生の時、将来の夢ってありましたでしょうか。

橋口さん:夢かぁ。私のおじいさんはジャーナリストで、父親は大学の先生で、そういう環境だったから、小さい頃から本を読むことは好きだったね。だからといって、将来は本の世界に生きると思っていたわけではないけどね。

ゴン:子供の頃は、どういった本を読まれていたのでしょうか。小説好きだったとか、新聞好きだったとか、活字がよかったとか。

橋口さん:新聞は好きでしたね。小学生の時に自分で家庭新聞を作ったりね。あと図鑑とか、理工系の本も好きでしたね。宇宙のなりたちとか、地球がなんだとか、そういう本はよく読んでました。

ゴン:出版社のお仕事は、お店を継いでからは辞められたのでしょうか。

橋口さん:そう。出版社時代に知り合いがたくさんできましてね。出版社の人たちって結構横のつながりがあるんですよ。本屋になってからもその関係が続きました。だからぼくの友達の半分は古本屋さんだけれど、半分は出版社ですね。そういう関係もあったので平凡社にも知り合いがいて、『和本入門』(初版2005年、平凡社。文庫版2011年、平凡社ライブラリー)という本も出せたんですけれども。

wahonari07_写真3.jpg
写真3 平凡社から出版された『和本入門』『続和本入門』こちらは文庫本サイズである

これまで、どうしても専門の研究者や特殊なコレクターの世界になりがちだった和本を、より広く、深く知っていただきたい。本書はそういう「知」のためのささやかなガイドブックをめざしている。――橋口候之介『和本入門』まえがきより【★注1】


■本を書くようになったきっかけ

ゴン:本を書くようになったきっかけなどはありますでしょうか。

橋口さん:最初に本を書こうと思った時は、ちょっと病気をしたので、それでこれまでに覚えてきたことを息子(三代目)も含めて、次の世代に伝えておきたいと思ってね。平凡社の知人に話をしたら、彼とその先輩の編集者が原稿を見てくれて、今のかたちに仕上がったんです。おかげさまで結構売れました。8回、刷られたんですけれどもね。それで、続編も書くことになったんだよね(『続和本入門』2007年、平凡社。文庫版2011年、平凡社ライブラリー)。そのあともそれを見た別の出版社から、今度はこういうので書きませんかとか、そういう話があるよね。【★注2】

ゴン:『和本入門』などの橋口さんの本は、英訳だったり韓国語訳だったり、海外では出版されなかったのでしょうか。

橋口さん:君みたいに留学生がよく来てくれて、この本を翻訳しましょうっていってくれるんだけど、英語に翻訳するのは難しいですよ。向こうの書誌学と日本の書誌学とで言葉が違うんですよね。「表紙」といったって海外の本の表紙と、和本の本の表紙じゃ違うので、そういうこともあって、よっぽど詳しい人じゃないと英語に訳せないですよね。でも、今アメリカの優秀な大学院生さんが翻訳しますよって、いってくれているけどね。

ゴン:本を出版されてから、生活は忙しくなったのでしょうか。

橋口さん:忙しいというか、古本屋ってそんなに忙しい仕事ではないから(笑)、市場に行って、きちんと本を買って。目録を出した直後は忙しいけど、食べていくだけど収入はあるからね。もっと稼ごうと思ったら忙しくなるけど。だから本を書く時間はあったんだよね。それはありがたいよね。

西内(文学通信):『和本入門』を書かれたあと大学で講義をされていたと思いますが、何校くらい授業をされていたんですか?

橋口さん:大学は成蹊と上智だけだね。あとは、社会人講座もありましたね。

ゴン:青山学院大学ではなにか機会ってなかったでしょうか。

橋口さん:青学はなかったね。

西内:学生に和本について教えて、発見とかあったでしょうか。

橋口さん:授業をするための準備はちゃんとするから、それで見えてくる問題があるというかね。ホームページに成蹊大学で講義した時のレジュメがあるけど【★注3】、毎回毎回90分の授業のために準備するのは結構大変だよ(笑)。今日はどの本とどの本を持っていくとかね。


■和本に触れるということ

ゴン:和本に始めて触れた時のことって覚えていますか?

橋口さん:先代がいた時は、お店の半分の棚が全部和本で、もう半分の棚が全部洋装本でね。お店に和本を見に来る先生たちが、当時一流の先生たちでね。いろんな先生が来て、先代と「この本はどうだこうだ」と話すのを、私は店員として横で聞いてるだけだったけど、聞いているうちに、こんな奥の深い世界があるんだなぁと思って。そして、もうひとつは普通の洋装本ね。棚の半分は研究書だったんだけれど、それがだんだん売れなくなってしまって。例えば『大漢和辞典』は十万円くらいで売ってたんだけれど、市場で数千円になってしまう時代になってしまった。だから昔は高い研究書も置いていたんだけれど、もうそういう時代ではないと。和本は数が少なくて、競争の激しい世界ではないから、本当に知っている人がお金を出して買うなら、和本に力を入れれば大丈夫かなと。あと、先代が書道も扱っていたので、それは私の息子がしっかり勉強しています。だから今は書道の本もたくさんありますよ。

ゴン:そうですね。以前、お店に来た時、折本とか書道の本が並んでいたので、珍しいと思いました。

橋口さん:そこにあるものとか?

wahonari07_写真4.jpg
写真4 店内には書道の本もたくさん並んでいる

ゴン:あぁ!そうです。橋口さんは学生の頃に和本の存在を知っていたのでしょうか。

橋口さん:もちろん知っていたけれども、和本を買うってことはなかったですね。

ゴン:例えば今の若い人、大学生だったりすると、今から趣味で和本を読むのは少し難しいといいますか、時間がかかりますから、趣味でするには遅いのかな?と思う人もいると思うのですが、私も25歳くらいになってくずし字を勉強しはじめて、今はある程度読めるようになりました。橋口さんも20代以降から和本を読みはじめたということでしょうか。

橋口さん:そうですね。

ゴン:ですから、和本を趣味とするのは、いつ始めてもいい気がしますね。

橋口さん:うん。そうですね。本の世界って今でも洋装本の世界なんですよ。洋装本に受け継がれてはいるけれど、和本を通して違う世界が見えてくるんだよね。そこにあるのは一貫して、昔から本に携わってきた人たちは本が好きということなんです。本が好きっていうことが、いろんなかたちで表れているんですよ。和本に触れていると、本が好きという愛着を感じるんです。そういうのを後世に受け継いでほしいですよね。今も出版社などが盛んに頑張っているけれど。本を作るという仕事は、本が好きじゃないとね。ただ単に知識を頭に詰め込むためだけにやっているわけではないので、どこかで遊びというか、人を誘い込むような仕掛けを入れたり、そういうことを通して、その本の世界を次の世代に残していくんだよね。電子書籍になってしまうと、そういうのがなくなってしまうんだよね。読むだけならよいのだけれど、今いったようなものが伝わらなくなってしまうから、それは少しさびしいよね。


■和本のデジタル化

ゴン:それに関してですが、最近は和本などをデジタル化しようとする動きがあって、公共機関でもそうですが、デジタルベースで和本をパソコンで読めるようになってきました。研究者によっては買わなくてもすぐに読めますから助かると思いますが、これに関してはいかがでしょうか。

橋口さん:それはそれでいいですよ。和本は非常に少ないから、これから減っていく一方だからね。今でも作っていて、それで売れなくなるということなら話は別だけれど、そういう世界ではないからね。読みたくても見つからない本がいっぱいあるわけで。それをデジタル化したもので読めればいいのではないでしょうか。

ゴン:お店としては和本が売れなくなったりはしないでしょうか。

橋口さん:まぁ、影響はあるかもしれないですけど(笑)、そんなに減ったという感じはないですね。

ゴン:和本を扱う書店と一般の本を扱う書店で、違う点はあるでしょうか。

橋口さん:普通の本屋さんの感覚で入ってよいと思いますね。私は売れる分野を考えて和本にしたけれど、売れる本というのは和本だけじゃないですからね。書道も商売にしているけれど、書道の人たちの参考書というのは売れるので、時代が変わってもやり続けていく商売だなと。神田でこれだけの本屋がまだやっていけているということは、いろんな本屋さんがいろんな切り口で、次の世代につなぐための努力をしてきたということだからね。その努力は、私も一般の本を扱う本屋さんも同じ。私はそれを和本という世界でしてきたというだけだね。


■和本の面白さとは

ゴン:橋口さんが思う和本を読む面白さってあるのでしょうか。

橋口さん:私は和本を売る人だからね。読むことを目的としていないので、読むこともあるけれど、全部読むということはないですね。みんな勘違いしているんだけれど、本というのは読むものだと思っているんだよね。もちろん読むことも読者の仕事のひとつではあるけど、いろいろな視点があるよね。推理小説とかはちゃんと最後まで読まなければならないけど。西内さんが作っているような分厚い研究書を、全部読んでいる人がいると思う?(笑)

ゴン・西内:(笑)

橋口さん:だから、本を読むといういうことにあんまりこだわらない方がいいのではないかな。さっき話したように、本に触れるのがどういうことかってことだよね。

ゴン:古本屋でよかったなとか、こういうことがあるから面白いってことはあったでしょうか。

橋口さん:古本屋ですごくお金がもうかるわけではないけれど、ちゃんと家族を養わなければならないというなら、いい商売なのかなと。というのも、昔から不景気にも強いっていわれたんだよね。景気がいい時にできる商売と、景気が悪い時にできる商売があって、古本屋というのはそういう意味で安定した仕事だと思いますよ。

ゴン:社会の景気にあまり影響を受けないという。

橋口さん:そう、あまり左右されないですね。不景気になったなら、不景気なりの別のなにかがあるということですよ。


■和本の価値と値段

ゴン:和本の表紙や奥付には当時のお値段が書いてないことがほとんどだと思うのですが、例えば、江戸時代にその本が高いものだったとしても、現在では値段がつけられないほど安いものもあるのでしょうか。

橋口さん:江戸時代の学術書といえば、漢学・儒学だよね。当時はたくさん読まれたので、今でも市場にたくさん出てきます。だから、それに関してのよい本はたくさんあるんだけれど、今の人たちは儒学なんて勉強しないでしょう? そういうことで、売れなくなったものは安くなりますよ。

ゴン:そこは需要と供給の問題があるということなんですね。

橋口さん:そうそう、それは作用すると思いますね。

本屋はよく、その本が「少ない」とか「よくある本だ」といういいかたで評価する。この「少ない本」が重要なのだ。そこには、流通量が少ないということだけでなく、需要にくらべて供給量が相対的に少ないという意味が含まれているからだ。逆に世間の評価は高くとも市場にあふれている本は安い。それが「よくある本」である。――誠心堂書店エッセイ1話より【★注4】

ゴン:例えば、公共機関などの古典籍のデータベースにヒットしない本で、珍しいかもしれない本は、お値段が高く設定されることがあるということでしょうか。

橋口さん:うん。それはありますね。ぼくらも市場ではそのような本を仕入れられるように頑張りますね。ただ、そういう本は高くつけるつけない以前に、和本は専門の市場で同業者と競争入札して買うわけだけれど、相場があるわけではないから、落札価格が一万円になるか十万円になるかわからないので、この本が三、四万円くらいで買えたら面白いかな?っていう感じで入札しますね。

ゴン:逆に江戸時代には人気がなかったゆえに残っている数が少なくて、現代では高くなってしまったというような本もあるんでしょうか。

橋口さん:そういうこともありますね。江戸時代って、今みたいにベストセラーとかそういう感覚がないんですよ。江戸時代の本屋さんは、とにかくたくさんの本を置くようにします。いろんな需要に対応できるようにね。たくさん売れる本だからって仕入れているわけではなくて、いろんな人が欲しがる本だろうということの方を大事にしていますね。まぁ、数が少ない本は江戸時代から少ないというのもありますけどね。それは江戸時代にも売れなかったというのもあるけど、もともと江戸時代は自費出版が盛んで、実際に本屋で出した本と同じぐらい量の自費出版があるんですよ。そういうものはもともとそんなに量が作られないし。だから、例えば江戸ではその本を手に入れられたとしても、京都では手に入れられなかった。そういう意味での少ない本もありますよ。


■和本の保管

ゴン:和本の保管に関してですが、状態よく保管するコツなどはあるのでしょうか。『和本入門』には、湿気対策が一番大事だと書いてありました。私は自分の部屋では後ろに窓のある棚の上に普通の本と一緒に積んでいるのですが、これで大丈夫なんでしょうか。

wahonari07_写真5.jpeg
写真5 ゴンの本棚の上にある和本たち

橋口さん:すぐにどうなるということはないでしょう。虫に関していうと、うちのお店も対策はしているつもりだけれど、虫対策が一番難しいですね。最近市場にある有名な学者さんの本が出て、学者さんが亡くなってから十年くらい経ってから市場に出したんだと思うんだけど、管理をしていた人が本にあまり興味がなかったのか、半分くらいが虫食いになっていたね。そういうこともあるから、机の上に置いているとかは、全然大丈夫だと思いますよ。

ゴン:例えば、湿気対策として1丁ごとに新聞紙を入れておくのはどうでしょうか。

橋口さん:いや、新聞紙がまた水を食うからね。湿気といってもびしょびしょになるわけでもないから、そんなに気にすることはないと思いますよ。時々パッと開いて見るくらいで本に風が通るから、それで大丈夫ですよ。

ゴン:虫対策としては、電子レンジで軽くチンする方法もあるとのことですが。

橋口さん:電子レンジを使うのは、本に相当虫がいて、これはもう駄目だって時にします(笑)。

ゴン:普段は手でパパッとたたいてはらうくらいでいいのでしょうか。

橋口さん:そう。あと、和本は虫食いが一番大変だけれど、もうひとつは汚れとかそういうのは、百年単位で本が存在しているわけだから、仕方ないですね。ただ、表紙を取り換えたり、糸を綴じ直したりは、持ってる人が勝手にしていいから、そういった本のメンテナンスをするのは、本を持っている人の義務だね。韓国にはあまり本に虫とかいないでしょう?

橋口さんによる和本の虫対策秘伝!

1.本をたたいて虫を追い出す。綴じ代の中にも虫が入っているので、綴じ糸をほどいて一枚一枚ほぐして、丁寧に虫を追い出す。これが一番効果的。次に厚めのビニール袋に密閉し、中には殺虫効果のある薬剤を入れて二、三週間おいておく。

2.密閉した袋の中に書物と脱酸素剤を入れて、およそ二週間経過させる。(橋口さんが試して見たところ効果は保証できない)

3.和本をラップで包んで電子レンジでチンする。(たしかに虫はいなくなるが、本を傷める危険性があるという)
なお、やっても無駄というか、一利もないのが、本の防虫、殺虫の目的での家庭用の燻煙殺虫剤の使用だ。ゴキブリやダニに悩まされているのならご自由に使ってけっこうだが、本の奥深くにいるシバンムシの幼虫まで届く効果はないと思う。――誠心堂書店エッセイ5・6話より【★注4】

ゴン:そうですね。あまり聞いたことがないです。韓国では和本のように糸で綴じられている本を見る機会が、人生でほとんどないかもしれないです。

橋口さん:昔、ソウルの仁寺洞(インサドン)ってところに行ったことがありましてね。そこの古本屋さんに、糸で綴じられた本が何冊か置いてあったけど、今はもうないかなぁ。韓国の人とか中国の人と話すと「本の紙を食う虫がいるんですか!」とびっくりされますね。中国にもいないようだね。和紙は天然の素材でおいしいものだから、虫がつまむんでしょうね。洋装本にはそういう虫は入ってこないんだよ。おいしくないのかな(笑)。


■お店でおすすめの和本

ゴン:最後に、お店でおすすめの和本があれば紹介していただきたいのですが。

橋口さん:個人的にはこれかな。『日本山海名産図絵(にほんさんかいめいさんずえ)』。「山海」っていうのは「全国」という意味だけどね。

wahonari07_写真6.jpg
写真6 橋口さんおすすめの『日本山海名産図絵』

橋口さん:これはお酒造りの絵だね。

ゴン:当時の生活の様子が見れますね! 山海とあるからてっきり山とか海の絵があると思ったんですが、違うんですね。

橋口さん:そうそう(笑)。

wahonari07_写真7.jpg
写真7 誠心堂書店自家製の「樟脳(しょうのう)」

ゴン:これは何というものでしょうか。

橋口さん:それは「樟脳(しょうのう)」といって、虫食い対策です。自家製です。

ゴン:包み紙は和紙のようですね。

橋口さん:いまどきの和紙だけどね。

本を保存するのに安全なのは、昔からの樟脳が一番だと思う。日本では天然の樟脳をつくるところが減ってきており容易に入手できないが、インターネットで探すとよいものが手に入る。宮崎産のものが香りもよく、リーズナブルな値段だった。――誠心堂書店エッセイ6話より

ゴン:摺りの状態がすごくきれいですね。私は以前、塙保己一記念館で摺りの体験をしたことがあるのですが、絵と文字が一緒にあると、きれいに摺るのが本当に難しかったです。摺る時に使う「バレン」とか、そういう道具を作る職人もどんどんなくなってきていると聞きました。墨は奈良でしたっけ。

橋口さん:そう。普通の墨では駄目なんだよね。奈良の方の墨で溶かしてやるのが本に向いているといわれてるね。そういう材料も大事だね。

ゴン:ニュースで、外国の方が神主をしていたり、日本の伝統文化を外国の方が学んで引き継いでいるという話を見たのですが、和本の世界に外国の方が増えるのはどうでしょうか。

橋口さん:どんどん入ってきてほしいですね。私の知り合いにケンブリッジ大学の先生をしている人がいてね。日本や江戸文学が面白いっていってくれてね。中国の人で古本屋になった人も何人かいるよ。

ゴン:和本の世界は、年齢や国籍などに気にせず、好きになった人が楽しめばよい世界ですね。インタビューは以上となります。本当にありがとうございました。

橋口さん:はい。ありがとうございました。


★注★
注1★橋口候之介『和本入門 千年生きる書物の世界』(平凡社、2011年)10頁
注2★橋口さんの著書一覧
①『和本入門 千年生きる書物の世界』(平凡社、2005年。文庫版2011年)
②『和本入門 続 江戸の本屋と本づくり』(平凡社、2007年。文庫版2011年)
③『和本への招待 日本人と書物の歴史』 (角川選書、2011年)
④『江戸の古本屋 近世書肆のしごと』(平凡社、2018年)
注3★成蹊大学日本探求特別講義2013Bレジュメ
http://www.book-seishindo.jp/seikei_tanq/
注4★誠心堂書店エッセイ
http://www.mmjp.or.jp/seishindo/essay/index.html

★★★★★★★★★★★★★★★

今回購入した本


写真1.jpeg
写真1 『兒讀古狀揃證註(じどくこじょうぞろえしょうちゅう)』の表紙

『兒讀古狀揃證註(じどくこじょうぞろえしょうちゅう)』
大きさ:縦25.8㎝x横18㎝ 大本
見返し:『兒讀古狀揃證註』高井蘭山翁講譯 東都書林 玉巖堂梓
内題:古状揃證注
丁数:見返し半丁、本文六十二丁、奥付半丁、全六十三丁
奥付:天保十年(一八三九)乙玄仲冬 東都書林

・「古状揃」とは?往来物とは?
 「古状揃」というのは1649(慶安2)年に刊行された『新版 古状揃』から続くもので、主に寺子屋で教科書として教えられたそうです【★注1】「自己紹介編」でご紹介した『実語教』の教科書仲間ということですね。私が購入した「古状揃」が1839年のものですから、約200年もシリーズが続いているということになります......!

 「往来物」とは、主に初等教科書の意味を持ちますが、もともとは書簡の模範文例集として誕生したものです。江戸時代になってからは初等教科書として認識されるようになりました。

・日本史の「今川了俊」が登場!?息子に教える教訓とは

写真2.jpeg
写真2 『兒讀古狀揃證註』の本文

 本文のはじめには「今川了俊愚息仲秋に対し制詞の條々」とあります。「今川了俊」(のちに貞世)とは高校の日本史で習った九州探題【★注2】で耳にしたことがないでしょうか。「愚息仲秋に対し制詞の條々」とあることから、自分の息子である仲秋に対し、教訓的なことが書いてあるのだと察することができます。

 この文は「今川状」というもので、綿抜豐昭氏(2010)によると「今川状」は単独では1642(寛永19)年に出版されていますが、後に1649年の『新版 古状揃』に収録されたようです。また、以前キングスレイ・ウォード『ビジネスマンの父親から息子への30通の手紙』(新潮社、1994年)がベストセラーになっていましたが、その日本版という見方もできるのではと述べています【★注3】

 さっそく気になるその内容をいっしょに読んでみましょう!

・『兒讀古狀揃證註』の読解にチャレンジ!

写真3.png
写真3 「今川状」の一部分

 「今川状」は全23カ条があり、これはその中の一部分です。いっしょにくずし字を読んでいってみましょう!まずは一番上の註が書いてあるところから読んでみましょう。

一 君父(くんふ)之(の)重恩(ぢうおん)忘却(ぼうきやく)令(せしめ)忠孝(ちうかう)猥事(みだりかはしきこと)

 親の恩を忘れて忠と孝をみだりにすることはいけませんという内容ですね。フリガナが振られているので、それを見ると「くんふのぢう」などはくずし字が読めなくても読めちゃいそうです。ただ、重恩(じゅうおん)を「ぢうおん」、忠孝(ちゅうこう)を「ちうかう」とあるので、読み間違いやすいですね。次に左側の解説の文を見てみましょう。

父母(ちゝはゝ)我(われ)を育立(おほしたて)君(きみ)我(われ)を扶持(ふち)して身(み)を立(たつ)る故(ゆゑ)恩(おん)の重(おも)きこと此上(このうへ)なし君(きみ)に忠(ちう)を尽(つく)し父母(ふぼ)に孝(かう)を竭(つく)すは定(さだま)りたる道(みち)なるを忘(わすれ)却(かへつ)て猥(みだり)にするをいふ

(ゴン訳)父母が私を育て上げ、主君が私を扶持してくれるがゆえに出身することができる。その恩よりも重いことはない。主君に忠を尽くし、父母に孝を尽くすことは定まった道であるのにそれを忘れ却ってみだりにすることを言う。

 私も現在通っている大学の学費をずいぶんと母に世話になっていて、色んな方々に迷惑をかけつつ、助けてもらって通っています。親の子への愛と、またその恩は200年前も今も変わらない気がしますね。さて、ここまで読んだら、ぐにゃぐにゃとなって小難しそうな漢文も読めそうです!

一 君父之重恩令(二)忘却(一)忠孝猥事

 特に「之」と「重」がぐにゃぐにゃとなっているように見えますが、なんとか読めました! こうして読んでみると漢文の勉強にもなりそうです。

・「古状揃」はくずし字の勉強にとても良い!
 『兒讀古狀揃證註』の一部分を読んでみましたが、いかがだったでしょうか! 私はとても読みやすい本だと思いました。ひとつに「フリガナが全文に振られていること」です。漢字がほとんど登場しない江戸時代後期の黄表紙類ももちろんいいのですが、その場合文字の量が多く、文字も小さいことが多いので、ものによっては読みにくいかもしれません。

 次に「文字がきれい」という点です。初等教科書だけあってそれほど文字も崩れていません。そして「歴史の勉強になる」点も大きいでしょう。

 今回の記事では「今川状」を取り上げましたが、古状揃にはほかにも、熊谷直実が一ノ谷の合戦で敦盛を討ち、その死骸を敵陣に送った時の「熊谷状」。源義経が平家を滅ぼし、鎌倉に下って腰越までくるも、梶原景時の讒言で兄頼朝に疑いをもたれ鎌倉に入ることができず、その疑いを晴らすため幕府の重臣であった大江広元に心中を訴えた「腰越状」等があり、こうした書状を読むことで現行の中学校・高等学校での日本史の勉強を振り返ることもできそうです。

 さて、次にご紹介する本は、「ちりめん本」という珍しいタイプの本です!

写真4.jpeg
写真4 『THE HARE OF INABA』の表紙

『THE HARE OF INABA』(因幡の白兎)
表紙:Japanese Fairy Tale series. No. 11 THE HARE OF INABA.
Told In English by Mrs. T. H. James.
Published by T.HASEGAWA, 38 Yotsuya Hommura, TOKYO.
大きさ:縦15.3㎝x横10.2㎝
発行者 長谷川武次郎、画家 小林永濯、翻訳 ジェイムス夫人
内題:THE HARE OF INABA.
丁数:表紙・見返し1丁、本文 7丁半、裏表紙半丁の全9丁
刊行年:明治19年(1886)年12月7日出版

 この本は私が今まで知っている和本とは結構違いますね。なんといっても最初に目に付くのは表紙の挿絵で、非常に鮮やかな色をしています。また、しわしわな表面がよくわかります。「因幡の白兎」は教科書にも載っているほど有名な昔話の一つだと思いますが、表紙にはうさぎがワニを踏んで走る姿が描かれています。皆さんの記憶にある「因幡の白兎」と比較しながらいっしょに読み進めてみましょう!

写真5.jpeg
写真5 『THE HARE OF INABA』の表紙裏

 表紙をめくると、さっそく奥付のようなことが書かれています。明治19(1886)年12月7月出版とありますね。英訳したのは「英国ジェイムス夫人」とあります【★注4】。発行者に「長谷川武次郎」【★注5】とあり、ちりめん本の多くはこの長谷川武次郎によって考案されたものとされています。くずし字で書かれてない分、文字が読めて助かりますね。

・明治時代の「因幡の白兎」のストーリーは今とすこし違う?!

 この本のシリーズでもある「Japanese fairy tale Series(日本昔噺集)」は彩流社で宮尾與男編の対訳集が刊行されています。英語は苦手な私ですが、対訳があるのでなんとか読み進められました。本文は英語ですが、挿絵といっしょに見ていきましょう! 私のほうであらすじをまとめてみました。

 むかしむかし、八十一人兄弟の皇子がいました。皇子たちはみな嫉妬深く、それぞれほかの兄弟たちの国を支配しようと望んでいます。その上、八十一人がみな一人の姫と結婚したがっていました。その姫は、因幡の八上比売(やがみひめ)という人でした。

写真6.jpg
写真6 旅に出た八十一人の兄弟たち

 八十一人兄弟は姫を説得しようと旅に出ます。兄弟のなかで八十一番目の弟は八十人の兄たちとは違い、性格が素直で、穏やかでした。そのため兄たちからは嫌われ、兄たちの荷物を持たされました。

写真7.jpg
写真7 野兎と兄たち。海に行って海水を浴びることを勧める

 旅の途中、八十一人の兄弟は一羽の毛がすべてむしりとられた野兎に出会いました。八十人の兄たちは野兎に「海に行って海水を浴び、それから高い山の斜面に横たわって風に吹かれなさい。そうすれば、すぐ毛が生えるだろう」といいました。野兎はこれを信じて、言われたようにするとさらに痛くなってしまい、その場で泣き倒れます。そこに八十一番目の弟がやってきました。

写真8.jpg
写真8 野兎と八十一番目の弟。弟の前に持たされている荷物も見える

 弟がどうして泣いているのかと野兎に尋ねると、野兎は毛がはがされた経緯について語りはじめました。野兎は海を渡って今いるこの国に来たいと思い、ワニに「海にワニが何匹いるか、また陸に野兎が何匹いるのか数えてみよう」と提案したのでした。

写真9.jpg
写真9 野兎とワニたち

 海にワニが集まると、野兎はワニを踏んで海を渡りました。陸地にちょうど着くころ野兎はつい「あなたたちは愚かなワニたちだ。ワニが何匹いようが関係ない、私は向こうへ渡るための橋が必要だっただけなのさ」とワニたちに言いました。

写真10.png
写真10 ワニに毛をはがされる野兎

 そして一番後ろの列にいたワニに毛をすべてはがされてしまったのでした。弟は話を聞き「急いでいますぐ川に行きなさい。真水でよく体を洗い、それから川岸に生えているすげの花粉をとってきて地面にちらかし、そのなかを転がりなさい。こうすれば皮膚の痛みはなくなり、毛もまた生えますよ」と野兎に言いました。

写真11.jpg
写真11 弟と真水で体を洗う野兎

 弟の言うとおりにすると痛みはなくなり、毛も以前に増してふさふさに生えてきました。野兎は弟に「あなたの八十人の兄たちは姫を手に入れることができないでしょう。あなたこそ最後に姫と国の両方を手に入れるでしょう」と言いました。

写真12.jpg
写真12 やがみひめと結ばれた弟と、それを羨む兄たち

 その後、八十一番目の弟は野兎の言うとおりに八上比売と結ばれ、幸せに暮らしたのでした。

 いかがだったでしょうか。私が知っている「因幡の白兎」では八十一名ほどの兄弟は登場せず、またワニではなくサメだったのですが、「因幡の白兎」にもさまざまなバリエーションがあるようです。「因幡の白兎」というタイトルであるにも関わらず、メインの話は八十一名の兄弟の求婚であり、ウサギの話は入れ子式で描かれている点が面白いですね。

 今回購入した和本はどれも面白いですね! 「古状揃」はくずし字を読む練習にもちょうどよくて、くずし字を勉強したい!という人にもすごくおすすめできます。「因幡の白兎」は明治時代、外国人の間で日本にきたお土産としてもよく買われていたようです。こればかりは皆さんに実物を見てもらいたいですね。本当にきれいな本です!


★注★
注1★石川松太郎氏(1988)によると、「古状揃」の名を冠して公刊された往来物は、幕末・維新期まで200種以上もありますが、その始祖となったのは慶安2(1649)年刊行の『新版 古状揃』(大阪西村伝兵衛梓)であると述べています。
注2★九州探題とは室町幕府が九州統制のためにおいた職のこと。今川了俊は1371年に探題となって翌年九州の太宰府を陥落させ、大宰少弐冬資を誘殺する(水島の変)など幕府の九州経営を進めた人物です。
注3★相田満他『古典化するキャラクター』「アジア遊学130」(勉誠出版、2010年)133〜142頁。
注4★宮尾與男『対訳日本昔噺集―明治期の彩色縮緬絵本― 第三巻』(彩流社、2009年)247頁によると、ジェイムス夫人はスコットランド人で、明治9(1876)年頃、夫のトーマス・ジェイムスとともに来日したとあります。ジェイムス夫人は海軍兵学寮でバジル・ホール・チェンバレンと出会い、それがきっかけとなって日本昔話の翻訳に参加するようになったようです。
注5★『書物学こと始め』(勉誠出版、2014年)93頁によると、ちりめん本を発案したのはこの長谷川武次郎で、生家は主に食品関係の貿易商をしていたそうです。そのため、外国人ともつながりがあったのでしょう。武次郎がちりめん本の商売を始めたのは、おそらく明治18(1885)年頃と思われています。日本昔噺集を刊行し始めたころですね。また、ちりめん本以外に年歴・カレンダーを出版しており、むしろこっちのほうが彼の出版物の核と言えるそうで、戦時中や戦後も出版し続けたそうです。

★参考文献★
・JapanKnowledge『角川古語大辞典』『日本国語大辞典』
・石川松太郎『往来物の成立と展開』(雄松堂出版、1988年)
・宮尾與男『対訳日本昔噺集―明治期の彩色縮緬絵本―第1~3巻』(彩流社、2009年)
・相田満他『古典化するキャラクター』「アジア遊学130」(勉誠出版、2010年)
・前田雅之『もう一つの古典知―前近代日本の知の可能性―』「アジア遊学155」(勉誠出版、2012年)
・勉誠『書物学こと始め』(勉誠出版、2014年)
・八鍬友広『闘いを記憶する百姓たち―江戸時代の裁判学習帳―』「歴史文化ライブラリー 454」(古川弘文館、2017年)


★★★★★★★★★★★★★★★

今日の和本日記

 皆さんお久しぶりです! 明けましておめでとうございます! 2021年もあっという間でした。今回の記事は2021年の11月初旬にすでに企画され取材も行ったものでしたが、私の卒業論文の提出が近くかなり遅れてしまいました。待たせてしまい申し訳ございません......!

 卒業論文は井原西鶴の『懐硯(ふところすずり)』という作品で書きました。西鶴の作品のなかでもマイナーな作品ですが、私はこの作品が大好きなんです。がっつり専門的なことを書いた卒業論文ではなく、作品に対するラブレターのようなものになってしまいましたが、後悔はそれほどありません。今できることはすべてできた気がします。この記事を読んでくださっている大学生の皆さんも卒業論文は無事提出できたでしょうか......!(あっ、禁句でしたか。これは失礼)

 今回、誠心堂書店さんに取材ということで、店主の橋口さんにとても助けられ大変お世話になりました。改めて本当にありがとうございました。

 私がはじめて誠心堂書店に行ったのは2018年、まだ大学に入学する前でした。神保町をぶらぶらしていた時にお店の雰囲気に誘われ入ったことがあります。お店に入ると、入口付近にはお手頃な和本も置いてあってそれを手に取った記憶があります。

 価格は本の中にはさまっていて見えないので、価格を見るためには必ず和本を手に取って広げてみる必要があります(笑)。個人的に本に帯として価格が書かれてあると、高すぎるものは触る気持ちすら起きなかったりするのですが、誠心堂書店さんでは後から衝撃がおとずれます。私はこっちの方が好きですね(笑)。

 今回、誠心堂書店さんで購入した本たちはどれも本当に面白いですね。近年、高等学校での和本リテラシーも進められてきていますが、「古状揃」は日本史とも結びつけられるので、日本史の教材としても活用できるのではないかと思いました。また、江戸時代の教科書として庶民の間でも普及していたので、今でも古本屋に残っている「古状揃」は多いのではないでしょうか。

 日本昔噺集の「因幡の白兎」は、ネズミに食べられたような跡はありますが、文字全文が読める状態で、本自体はとてもきれいです。こんな鮮やかな色で刷られているのはなかなか見たことがありません。江戸後期の合巻でも多色刷りのものはありますが、「因幡の白兎」は色がにじんだり、元の絵からずれたりこともなく、きれいに刷られています。とにかく実物で手に取って見るとそのすごさがよくわかります。現代の技術では再現できないのが本当に惜しいですね。

 次回は、日本文学に興味のある方ならすでにご存知のはず。国文学研究の中心でもある「国文学研究資料館」さんに直撃します! 今回特別に許可を得て、たくさん写真を撮ってご紹介することが叶いました。乞うご期待!