大野ロベルト・相原朋枝編『Butoh入門 肉体を翻訳する』より「序にかえて─舞踏家がバサバサと骨ばった腕を拡げてくる」を公開

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大野ロベルト・相原朋枝編『Butoh入門 肉体を翻訳する』より「序にかえて─舞踏家がバサバサと骨ばった腕を拡げてくる」を公開いたします。ぜひお読みください。

●本書の詳細は以下より
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大野ロベルト・相原朋枝編
『Butoh入門 肉体を翻訳する』
ISBN978-4-909658-68-5 C0073
A5判・並製・352頁
定価:本体2,200円(税別)

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序にかえて
──舞踏家がバサバサと骨ばった腕を拡げてくる


 とある大学構内。「身体表現」と銘打った授業で、土方巽《疱瘡譚》の映像が上映されたあと、学生のN子が教員のT枝の研究室を訪ねてくる。

N子:叔母さま!
T枝:ちょっと、大学では「先生」でしょう。
N子:ごめんなさい。でもいろいろ訊きたいことがあるから、敬語じゃまどろっこしくて。社会常識か、向学心か、優先するほうを選んでよ。
T枝:負けたわ。じゃあ、私も終業時間ということにしましょう。それで、どうしたの?
N子:舞踏って何?
T枝:ずいぶん大きく出たわね。
N子:私だって叔母さまのことは赤ちゃんの頃から知ってるんだから、何となくはわかってるつもりだったのよ。バレエもやってたし、いまだって観るのは好きだし、将来は舞台を運営する側のお仕事に就くのもいいかな、なんて思ってるし。でも、今日の授業で土方巽のお話を聞いて、あの映像もなかなかすごいし、こんがらがって来ちゃった。
T枝:そうね、すごい映像はちょっと置いておいて──。それじゃNちゃん、ダンスって何?
N子:え? 踊りでしょう。
T枝:じゃあ舞踏は?
N子:やっぱり、踊り......だと思うんだけど、なんか違うみたいだから。
T枝:どう違うと思う?
N子:うーん。まず、もとから日本語だってことかな(笑)
T枝:うん、いい線いってると思うよ!
N子:え? そうなの?
T枝:あなたもダンス経験者なんだから、この界隈で外来語が幅を利かせていることはわかるわよね。
N子:そうね。バレエはもちろん、モダンダンスにジャズダンス、振付のときもインプロとか言うし、本番前にはゲネをして......。
T枝:つまり現代で「踊り」と言われるものはたいてい西洋起源なわけよね。
N子:あ、それなら付け加えるけど、それもフランスの影響が強いはずよね。ヨーロッパだとかなりの国で「ダンス」というけど、大元はフランス語のdanserみたいだし。フランス宮廷文化の一環として広まったのが、やっぱり王道のダンスなわけでしょう。
T枝:急に勢いがよくなったのね。
N子:最近、語源に凝ってるの。ついでに言うと、danserという言葉のもともとの意味は「震える」じゃないかという説もあるけど、中世からは、「音楽に合わせて動く」「飛んだり跳ねたりする」「ふだんとは違う動きで感情を表現する」というふうに、現代と同じ意味で使われるようになるわ。
T枝:それはすばらしい発見ね。でも、古代ギリシャでは、ダンスは「コロス」と呼んでいたらしいわよ。
N子:コロスってあの、芝居で状況を説明したり、歌ったりして、「コーラス」の元になったっていうコロス? 去年、べつの授業で習ったわ。
T枝:そう、そのコロス。つまり古代ギリシャでは、歌と踊りは切り離せないものとして、峻別されなかったわけ。
N子:へえ、おもしろい。日本ではどうだろう。舞踊とか舞踏って、漢語だものね。
T枝:日本語では本来は「まう」と「おどる」よね。前者は「まわる」、後者は「飛び跳ねる」が本来の意味と言われているわね。「舞踊」と「舞踏」では、「舞踏」は『礼記』にも出てくる伝統的な言葉だけど、「舞踊」のほうは明治時代の和製漢語なの。
N子:そうなの? 意外! 何となく、「舞踏」のほうが西洋的な気がしてたんだけど。
T枝:それもやっぱり、明治時代に作られたイメージのせいかもしれないわね。伝統的なものとしての「日本舞踊」と対置されたのが、鹿鳴館で夜毎に行われていたような、西洋式のダンスだから。
N子:あ、「舞踏会」だ。
T枝:そう。だから「舞踏」という言葉時代は古いのだけれど、そこに「西洋式」というニュアンスが加わったのは明治時代なの。でも現在では、大きな辞書や百科事典なんかを引いてみると、「舞踏とは土方巽が使った言葉で、西洋舞踊の真似ではない、真に日本的なダンスを創造しようとしたもの」なんて書いてあったりするのよ。
N子:ちょっと、どっちなの(笑)
T枝:しかも、土方自身も、最初から舞踏と言っていたわけではなくて、むしろ舞踊という言葉を使うことのほうが多かった、なんていう証言もあるの(笑)
N子:えー(笑)
T枝:つまりね、言葉ひとつとっても、舞踏というのはとても曖昧だし、慎重に考えないといけないのよ。
N子:身体表現だからと言って、言葉をないがしろにするようじゃダメってことね。
T枝:わかってるじゃない!
N子:でも、それと土方さんのあの白塗りの、恐ろしい映像と、どう繋がるのか、それがまだわからない......。
T枝:うーん......。よし、わかったわ! ちょっとこれを見て!(机の上に、校正刷りの束を置く)
N子:わ! 何これ?
T枝:こんど文学通信から出る『Butoh入門』のゲラよ。あなたのように、「舞踏って何なんだろう」と漠然と思っているひとにも、専門的に舞踏を研究しているひとにも読んでもらえるような本って、実はあまりなかったと思うの。そこでこんな本が出ることになったので、この内容に沿って、もうすこし舞踏について考えてみましょう。
N子:はい質問、なんでButohがローマ字なの? カッコつけ?
T枝:あのね......。これはね、「Butoh」という言葉がもう世界中で通じるんだっていうことを示すためなの。でもちょっと待ちなさいね、物事には順序があるんだから。
N子:はーい。
T枝第1章は大野ロベルト「綱渡りする死体─日本語の身体性」ね。
N子:いきなり怖い題だけど......。
T枝:「死体」って、舞踏と縁が深いのよ。とくに「命がけで突っ立った死体」っていうフレーズはね、舞踏の創始者とされる土方巽の言葉として有名で、よく舞踏の定義にも使われるの。でもこの章では、舞踏よりもむしろ能と和歌が中心的に取り上げられているわ。
N子:能が舞踏の前身っていうこと? でも和歌は? 私、古典はちょっと。
T枝:それが普通じゃないかしら。古典の得意な人って、いまの日本には残念ながらあまりいないし、得意って言っても、お受験の点数がよかった、という意味になりがちよね。土方も、おそらく古典が得意とは言えなかったでしょうね。能や和歌だって、Nちゃんより詳しかったとは思えないわ。
 でもこの章のポイントは、言葉と身体の関係にあるわけ。能は演劇だから、当然、身体的な側面がある。でも多くの能で素材として使われている和歌だって、生身の人間が生活のなかで詠んだものだから、やっぱり身体性がある。だから能は、和歌に身体性を付与しているわけじゃなくて、もともとある身体性を活かしたり、拡大したりして構築されているのね。
 舞踏も、それと基本的には同じ。たとえば土方は「舞踏譜」と呼ばれる、言葉や視覚イメージを満載したスクラップ・ブックのようなものを、創作に活かしていたの。文章もたくさん書いているしね。だから土方の舞踏は、土方の言語感覚を抜きにしては絶対に語れないし、その言語感覚の背景には、やっぱり古典も関係してくるわ。何しろ日本語を作ったのは古典なんだから。
N子:私も踊ってた頃は、よく言葉でモヤモヤしたな。「身体で表現しなさい」って言われたり、「言葉では表現できない部分を踊りなさい」って言われたり。そうかと思うと、「どういうつもりで踊っているのか、言ってみなさい」って怒られたり(笑)
T枝:「言葉では表現できない」って、それ自体がもう言葉になっちゃってるのよね。人間が生きていくときに、言葉から離れるのってかなり難しいことだし、そもそもそんな必要があるのかもわからない。それにいちばん困るのは、言葉を使わないと、他者に伝えることができない、ということなのね。
 もちろん、舞踏も例外じゃないわ。それが同じく大野ロベルトの第2章「肉体と観念の三重奏─土方巽・澁澤龍彥・三島由紀夫」の主張ね。普段から舞踏に興味を持っているわけじゃないけど、土方巽のことは知っている、という人は少なくないと思うの。それは、土方がメディアへの露出が多かったからというよりも、澁澤龍彥と三島由紀夫という、二人の著名な文学者によって批評されたことが大きかった。そうだとすると、舞踏ほど、批評の言葉に依存する表現は少ない気がしてくるわね。
N子:でもそれって、舞踏だけだったら見てもらえないってこと?
T枝:それは極端だけれど、そういう側面もあることは直視したほうがいいでしょうね。たとえば小説は、批評家が何を言おうが、面白いものは面白いし、面白くないものは面白くない。
N子:うん。
T枝:でも、ある批評家が、自分では思いもよらなかった解釈をしているのを知って、それまで退屈だと思っていた作品が急に面白くなることもあるでしょう。もちろんプロの批評家じゃなくて、お友達の意見でもいいわ。
N子:言われてみれば。
T枝:だから、もちろんあらゆる表現に、第三者の言葉は関係してくる。でも、もともとの作品が普通の意味で言葉の形をとっていない以上、舞踏の批評は、むしろ音楽や美術の批評に近くなるはずよね。
N子:うん。確かにきょうの《疱瘡譚》だって、授業で配られたプリント資料の澁澤の評論とかを読む前後で、ずいぶん印象が変わった気がするな。
T枝:そうでしょう。それって、非常に危険なことでもあるわよね。
N子:先入観を持っちゃうし。
T枝:そう。でも、もし作り手と批評家の方向性がぴったり合致していたら、すごく大きな力になると思うの。批評から刺激を受けて新たな作品が生まれるだけじゃなくて、批評することで、批評家のほうが作り手から影響を受ける、ということもあるはずよ。そんなふうに、批評を通して表現が発展して、社会に根づいてゆく過程について考えるのが、第二章なのね。
N子:ベスト・セラーの本をただ褒めてるだけの批評なんて読む気もしないけど、本来はもっと建設的なものなのね。ところで、この大野ロベルトさんは、土方と並んで舞踏の創始者と言われている、あの大野一雄さんの親戚なの?
T枝:それについては本人から伝言があるわ。「スペイン舞踊ともゆかりの深い大野一雄を取り上げるこの本に、ロベルトという名の大野がまかり出ますと、いろいろと憶測される向きもあるかもしれませんが、まったくの偶然で、縁故はございません。細かいことですが英語表記も、大御所はOhnoで、私はOnoで通しています。車椅子に腰掛けて、手だけの舞踏を見せた大野一雄のニュース映像を見たときは、まだほんの子供でした。その私がこうして舞踏の本を編んでいるのも、あるいは同じ名字のご縁、と言えなくもないかもしれませんが......」だそうです。
N子:了解です(笑)
T枝:話を戻すわね(笑) 批評はもちろん大切なのだけど、舞踏家はやっぱり自分たちでも舞踏について考えて、それを引き継いでいかなければならない。そうしないと滅びるわよね。相原朋枝の第3章「舞踏の技法、舞踏の身体─大駱駝艦と野口体操」ではその点に注目しているわ。
N子:大駱駝艦の麿赤兒さんって、よくテレビにも出てるよね?
T枝:長い活動のなかでは、テレビのお仕事も多いわね。土方巽の舞踏ともつながりを持ちつつ、現在まで活動していて、しかも一般の知名度も高いとなると、もう麿さん一人になるでしょうね。
N子:カンパニーの活動も五〇年になるのね。
T枝:でも、これまで麿さんの技法が正面から扱われることは、ほとんどなかったわ。実際のところ、「わかりにくいこと」が舞踏のアイデンティティのようになっている部分も大きかったし、これは研究者や批評家の責任でもあると思うの。そろそろ、歴史的に考えてもよいだけの積み重ねが生まれているはずよね。舞踏の種が海外に蒔かれてからもすでに相当の年月が経っているのだし......。
N子:その海外での受容についてが第4章と第5章?
T枝:そう。ブルース・ベアードの第4章「西洋的欲望の迷宮に踊る─日本国外での土方巽」は、一九七〇年代に海外公演を行うようになった舞踏が、あちらでどのように受容されたかという問題を掘り下げているんだけど、舞踏が当初はハンセン病や原爆と結びつけられることが多かった、という点は押さえておきたいわね。
N子:私も《疱瘡譚》の映像を見たときは、やっぱりハンセン病を思い出したんだけど......。でもデリケートな社会問題でもあるし、扱いにくいという気持も正直あったな。
T枝:それも意図のうちかもしれないわね。実は土方の本拠地だった「アスベスト館」は、目黒にあった私立のハンセン病療養所、慰廃園の跡地にあるの。そのことを土方がまったく意識しなかったとは考えにくい。でも明確に言及するのではなく、観る側に意識させる。歴史を通じて差別の対象になっていたハンセン病の患者と、踊り手として異端である自分を、重ねていたようなところもあるかもしれない。東北というテーマに注目したのも、そこには当然、中央に対する地方という意識が強くあるでしょうね。
N子:原爆のほうは?
T枝:こちらはなおさら観る側の意識ね。西洋の観客や批評家の一部は舞踏を目の当たりにしたときに、被爆国の芸術家が、被爆者の姿で舞台に立っているものとして捉えた。この発想は、それ自体スキャンダラスというだけでなく、政治的にも非常に利用されやすい。舞踏家にしてみればあまり的外れな評価はいい迷惑だろうけど、舞台に立つ以上、何であれ話題になることは歓迎しないとならない。
N子:でも、さっきの話にもあったけど、あまり「わけのわからないもの」と思われるのもいやじゃない? 要するに、舞踏なんてデタラメじゃないか、って言われているようなものでしょう。
T枝:それもあらゆる芸術に言えることだけど、確かに舞踏にはとくにその傾向があるわね。だけど章の後半では、近年では土方の技法が、海外でもしっかり研究されていることが論じられているわ。それどころか、その研究成果に背中を押されて、新たな作品も生まれているのね。
N子:そこまでいくと、確かに「受容」されてる気がする。
T枝:同じく受容の問題につながるのが、ローズマリー・キャンデラリオの第5章「舞踏百景─グローバルでローカルなダンス」ね。ここでは「自然」という概念をきっかけに、そもそも「舞踏的なるもの」とは何なのか、という重要な問いに向き合っているわ。
N子:それは答えるのが難しそう!
T枝:舞踏はステージで観るものと思っているひとも多いけれど、実践者の立場からすれば、都市から遠く離れた、自然豊かな環境でのワークショップがまず思い浮かぶわ。そうすると、舞踏はかなり「自然」というキーワードと結びつくのね。もちろん物理的な自然だけでなく、思想的な意味でもね。
N子:海外進出した舞踏が、自然と結びついた形で受容されていることも多いのね。でも日本の舞踏は、自然とセットになったものとして登場したわけではないよね? それこそ海外で「自然に」そうなったっていうことなの?
T枝:そう。だから舞踏は、結局のところ日本の伝統に根ざしているというより、やはり前衛芸術なのよね。二〇世紀に入ると、ドイツのノイエ・タンツのように、それまでの西洋の、バレエに代表される伝統的な身体の使い方に、抗うような踊りが登場してきた。身体を伸ばすのではなく丸めたり、跳ぶのではなく舞台を這ったり。
 やがて、それを日本人である土方が学んだ。すると、「土方が身体を縮めたり、這い回ったりするのは、日本人として西洋的な舞踊に反抗しているのではないか」という見方が成り立つようになった。もちろんその見方は誤ってはいないけど、西洋でもすでに西洋の伝統が解体されはじめていたわけだから、厳密には不正確な理解よね。
N子:わかった! 日本人アーティストがポップ・アートの手法で作品を作るのは、べつに日本美術の伝統を否定しているわけではなくて、西洋美術の流れに乗っているだけ、っていうようなこと?
T枝:その通り。でも暗黒舞踏がややこしいのは、そこからさらに東北地方に「回帰」することで、ますます「日本的」なものになっていった、という経緯も実際にあるわけ。
N子:そうか、あとから「日本的」になる、ということもあるものね。逆に海外の舞踏を、日本人が「西洋的」なものとして受け入れちゃうこともありそう。
T枝:十分にあるでしょうね。たとえば第5章に登場するスーエンは、マドンナの「ナッシング・リアリー・マターズ」(一九九八年)の振付を担当しているけど、ビデオを観て独特な映像だとは思っても、すぐに舞踏には結びつかないかもしれない。そういう作品はたくさんあるわ。
N子:そういえばこないだ、映画「ジョーカー」(二〇一九年、米)を観たんだけど、主人公が自分一人の世界に入って身体をくねらせるシーンで、どうも見覚えがあるなあと思ったの。顔は白塗りの、ピエロのメイクだし、動きがすごくゆっくりで。あれも大野一雄を参考にしたのかも。授業で見せてもらった《ラ・アルヘンチーナ頌》にそっくりだった。
T枝:そうかもしれないわね。でも影響関係という意味では、たとえば大野一雄もフランスの俳優ジャン=ルイ・バローなどの演技を参考にしているわけで、そういう視点で考えれば、舞踏をただ舞踏の枠組みのなかでだけ論じるのは無理があるというか、現実的じゃないのね。
 そこで関典子の第6章「舞踏とコンテンポラリーダンス─和栗由紀夫との協働を超えて」では、ジャンルという考え方をすこし広げて、いわゆるコンテンポラリーダンスとの関係から舞踏の特徴を考察しているわ。
N子:そもそも舞踏も、コンテンポラリーに入れていいのかな?
T枝:大きなくくりとしてはそうも言えるでしょうけど、やはり流派という意識が(流派がない、という言い方をされる場合も含めて)ある以上、舞踏家を自認しているひとは反対するでしょうね。むしろ舞踏がなければ、コンテンポラリーダンスをめぐる議論も全然違うものになっていたかもしれないし。
N子:この論文でも、やっぱり言葉が焦点化されているのね。
T枝:そう。しかも第2章の内容と重なる部分がとても多いでしょう。第6章は澁澤や三島の言葉を「身体」の視点から見ているから、「言葉」の視点に立っていた第2章とは鏡写しのような関係ね。そうすると、舞踏にとっての「身体」と「言葉」の距離が、かぎりなくゼロに近くなってゆく気がするわ。
N子:さっきも土方のスクラップ・ブックを使った創作の話が出てきたけど、そこでも視覚的イメージだけじゃなくて、言葉が重要だったものね。
T枝:視覚的イメージも、考え方によっては言葉に含まれるしね。言葉の問題は相原朋枝の第7章「言葉で踊る─一九九五年の大野一雄」でも正面から扱われているわ。
N子:大野一雄の稽古のことが、詳しく書かれてるのね。
T枝:舞踏について評論や論文が書かれるときは、当然だけど本番の舞台が焦点化されがちよね。でも舞踏は特定の作品のための練習はもちろん、日常的な稽古とも切り離せない。そこは他の表現との違いの一つだと言えると思うの。
 というのは、ピアノのお稽古はピアノでするし、本番でもピアノだけが重要よね。ところが舞踏の稽古では言葉がこれほど重要なものとして扱われているのに、いざ舞台に上がれば、まるで言葉などなかったかのようになってしまう。そうだとすれば、「なかったかのように」なるまえの段階について、もっと考えてみることに価値があると思うのね。
N子:そうするとこの本は、一言でいえば、やっぱり舞踏と言葉との関係を見つめることがテーマなの?
T枝:というよりも、舞踏を言葉として捉える本、というべきかもしれないわね。肉体を駆使する言語としての舞踏が、どのような言葉から成り立っているのかを考える本。「肉体を翻訳する」という副題には、そういう思いを込めてあるわ。
N子:そう聞くとなんだか専門的だけど、それでも「入門」なの?
T枝:もちろん舞踏の関係者に読んでもらうことは大歓迎だけど、反対に舞踏をこれまであまり意識しなかったひとたち、舞踏よりもむしろButohという国際的なものとしてそれに出会ったひとたちに、これを機に関心を持ってもらいたいと思って。三本のコラムでもそれぞれの視点から舞踏の歴史や国際交流について紹介しているし、代表的な舞踏家を列挙した「舞踏『図』譜」や、舞踏に関する参考文献を集めた「舞踏『書』譜」、それに年表「舞踏『年』譜」もついているから、これ一冊で舞踏について考える材料には事欠かないはず。
N子:なるほど。でも叔母さま、結局、これって本の宣伝......?
T枝:あなたも大学生だし、もうお年玉やお小遣いはいら──
N子:喜んで読ませていただくわね!


続きは本書でお読みください!