彦根城博物館:企画展「奇才の絵師 張月樵 -彦根~京~名古屋への道-」(2021年9月18日(土)~10月18日(月))

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展覧会情報です。

●公式サイトはこちら
https://hikone-castle-museum.jp/topics/10596.html
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奇才の絵師 張月樵 -彦根~京~名古屋への道-
開催期間:令和3年/2021年9月18日(土)~10月18日(月)


江戸時代中後期に活躍した絵師、張月樵(ちょうげっしょう、1765~1832)は、近江国彦根城下、職人町(現 彦根市本町の一部)の表具屋惣兵衛を父に生まれたと言われています。隣郡の坂田郡醒井村(現 米原市醒井)出身で京で活躍した市川君圭(いちかわくんけい、1736~1803)に画を学び、後、四条派の松村月渓(まつむらげっけい、呉春(ごしゅん)、1752~1811)の門に入りました。
月樵の生涯については、同時代資料に乏しく、謎に包まれています。時期については諸説ありますが、一説では17~18歳の頃に名古屋を訪れ、霊岳院という寺院に寓居しました。名古屋では、京に遊学して最新の中国画やその影響を受けた各流派の画風を幅広く学んでいた山田宮常(やまだぐうじょう、1747~1793)が活躍しており、月樵は、宮常の画才を慕い、兄事したと言われています。

月樵の画風もまた、中国画などの影響を受け、円山四条派の枠を超え、誇張や歪曲、単純化など、奇怪で癖の強い画風を作り上げました。同じく円山四条派の長沢芦雪(ながさわろせつ、1754~1799)の画に近しい表現も見受けられ、少なからぬ影響を受けたと見られます。一見奔放に描いているようで、絶妙なるバランス感覚でもって全体に破綻を感じさせない表現となっているところが月樵画の妙と言えるでしょう。

月樵の活躍の場は、当時隆盛を極めていた俳諧を軸とした文化ネットワークの中にも確認され、複数の俳書の挿絵を手がけています。版本の画集も出版されるなど、広く知られた月樵は、尾張徳川家の御用人支配となって帯刀を許されたと伝えられ、多くの弟子も育成しました。

本展では、実力派の絵師として活躍していながら、出身の彦根でもほとんど知られなくなった絵師・張月樵の生涯と作品を紹介するものです。